希死念慮の透明人間
死にたい。
そう思って生きている。
死にたい。
でも本当は…死にたいんじゃない。
「消えたい」
いっそ…私だけがいない世界になってしまえばいい。
❀❀❀
「兎夜。おはよ」
身体を軽く揺さぶられて目を覚ますと白い髪の少女が微笑んでいた。
「…雪白」
ふとその少女の名前を呼ぶ。
「なにー?」
右目が隠れた前髪にサイドが長く、後ろはフワフワとしたショートカットの不思議な髪型が返事をしながら揺れる。
「いい匂いする…」
言ってからハッとする。
それは髪についてではない。
いや確かに…雪白がこだわった少し高めのシャンプーの香りはするが…。
「パン焼いたばかりだからかな?」
そう。
焼きたてのパンの匂いがだ。
寝起きだからと言って、そんな変態チックは事を口走ってしまう訳がない。
「もしや寝ぼけている…?」
朝から意地悪そうな笑顔でこちらを見る雪白。
「兎夜〜?君はボクの目なんだからしっかりしてくれないと〜」
そう言うと雪白は俺の頬を人差し指で軽く続きながら話す。
「…ちょっとね!用事が出来たからお店開ける準備をお願いするね!」
頷く俺の頬から指を話すとその用事に行く為の準備をする雪白の後ろ姿をぼんやりと見ながら身体を起こす。
「じゃ!行ってきます!」
手には白杖を握り、斜め掛けの黒色のカバンをぶら下げた少女は急ぎ足で家を出た。
「私も準備しますか…」
ここはパン屋Rabbit bakery
名前の通りうさぎの形をした焼き菓子やケーキなんかも置いていて、店内で食べられる様に数卓のテーブルと椅子がセットしてある。
特に人気なのがラビットアップルパイ。
うさぎの形のサクサクのパイの中には甘過ぎないカスタードクリームと特製リンゴのコンポートが中に入っていて、焼きたては中のカスタードがトロットロで…口の中火傷する。
もちろん冷めても美味しい。
これらを作っているのは先程の雪白。
住居は2階にあり、私たちは2人で暮らしている。
店内には焼きたてのパンの香りに包まれて心地が良い。
オープン準備と言ってもあとはパンを並べるだけで
肝心の焼く本人が用事で飛び出して行ってしまったからすることは無い。
さすがに二度寝は気が引けたので、レジのカウンターに椅子を持ってきてぼやっと窓の外を眺める。
道行く淑女。友人と待ち合わせの場所へ行く途中。
帽子をかぶったおじさんは警察官。難事件の捜査をしている。
あそこにいるのは事件の犯人。次の獲物を決めたらしい。
すれ違っていく人を眺めていると
カランとドアにぶら下げたベルが揺れる。
「あ、すいません、まだオープンしてなくて…」
声をかけるが誰もいない。
「?」
…いや。確かにいる。
警戒しながらそこにいるものを見る。
カランとまたベルが揺れた。
「ただいま〜」
入ってきたのは雪白。
「雪白…誰か…いる…」
警戒しながら声をかけると雪白は手をこちらに向けた。
これは大丈夫と言うサイン。
安堵に胸を撫で下ろしながら目を凝らす。
「ヒナ!来てくれたの?」
「…はい」
雪白が話し出すと声と共にだんだんと姿が浮かび上がる。
「紅茶に砂糖3つでいい?」
「よく覚えてますね…雪白ちゃん」
透明だった姿がハッキリと姿を現した。
「あ、先程焼いたばかりのクロワッサンも出そう!座って座って!」
「雪白ちゃんのパン好きです」
ピンク色の髪を後ろで三つ編みにしている大人しめの女の子。
右の目の下にほくろがあり、ラベンダー色の目が綺麗だ。
見たくなくても見えてしまう人の感情…。
消えたい。ぐるぐると渦巻く真っ黒な希死念慮。
「兎夜…」
雪白に声を掛けられて目を逸らす。
「あ、兎夜さん。どうもです」
この人はヒナさん。
感情で透明になる特殊な能力を持っていて、
消えたいと思った時に姿が見えなくなってしまう。
透明になった時は声も透明になってしまうから誰も彼女に気付かない。
「ヒナさん…どうも」
かくいう私も人の感情や考えていることと能力名が見える「ステータス表示」と言う能力を持っている。
便利だと思うだろうが能力を使えば使うほどに代償がある。
私の場合はステータス表示で見た人の感情が全て自分の身に流れ込んでくる。
例えば1人が楽しい。1人が悲しい。
この2人を見た場合は2人の楽しいと悲しいが私の中に流れ込み、感情の処理できずに心が崩壊してしまう。
「おまたせ。兎夜も朝ごはんにしよう」
雪白はクロワッサンと紅茶とコーヒーをレジのカウンターに置く。
私は能力の制御が出来ずに人の感情がずっと見えていて、感情に呑み込まれてしまう。
一方、雪白は能力を無効化する能力がある。
その代償に弱視で白杖を持ち歩いて生活をしているが、この能力のおかげで私が感情に呑まれる事はない。
「サクサク。バターの香り…!!」
クロワッサンを頬張りながら少しずつ感情が変わっていくヒナさんを横目に、私も角砂糖を3つ入れた。
「そういえば用事ってなんだったの?」
ゆらゆらと揺れる湯気が甘くなり、
雪白の能力でヒナさんの感情も見えなくなってから
コーヒーとクロワッサンを交互に口に運びながら聞く。
「あぁ…ここらに連続殺人事件があったらしくてね」
まだ下げていたカバンから新聞を取り出して記事を指差す。
〜連続殺人事件〜
○月✕日。研究所の数名が惨殺されているところを教授が発見。刃物のようなもので腹部を切り裂かれていた。
○月✕日。路上で女性の惨殺死体が。腹部を刃物のようなもので切り裂かれていた。
○月✕日…。
「能力の匂いがしたからその類が絡んでるね」
「見てきたの!?」
平然と話す雪白に驚きながら、目が見えない代わりに聴力や嗅覚が優れていることを思い出した。
「切り裂き…ジャック…?」
ヒナさんが重々しく口を開く。
「見たことあるんですか?」
「知らないです」
「言ってみただけすか」
「惨殺なんて…能力者なら『みんなできる』ですよ」
平然とやってのけた。みたいな顔をして口を開くヒナさんを横目に雪白は笑いながら外をぼんやりと見ている。
「そしてその犯人が近くで獲物を狙っている…」
見えていないはずの外に軽く手を伸ばして窓越しに私へ微笑む。
「今日この窓越しに見た人間は何人?」
全て分かったかのような口振りで雪白はコーヒーを啜る。
「あ…」
「犯人居たでしょ」
すれ違っていく人を眺めていた時間を思い出す。
淑女…警察官…そして犯人。
犯人の考えていたこと…。
「次の獲物…白杖の…雪白だ…」
ほう。と顎に手を当てて面白いと笑う雪白と
はあ?とキレそうなヒナさん。
「それじゃあ。喜んで狙われようかな」
コーヒーを飲み干して白杖を手に取る。
「作戦会議だ」
無効化の能力のせいか…
雪白の感情や考えていることが全てわからない。
「早速だけど…ヒナ。ちょっと消えてもらおうかな」