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出逢い

 あのお母様との話から二年が経ち、私は七歳になった。

 時間が巻き戻った当初は、色々と混乱したり不安でいっぱいだったけれど、お母様や皆と関わる中で私は一人ではない。愛されているのだと、家族の深い愛を感じることができて、もう死ぬ瞬間の恐怖に苛まれて泣くことはなくなった。


 心が安定したおかげか、この二年――座学やマナーのレッスン、魔法の授業などをとてもよく頑張れた。もちろん、わがままを言って両親や先生を困らせることもない。カンディアーノ邸で働く皆との関係も良好だ。


 それに、何よりこの二年で一番変わったのはライモンド兄様との関係だと思う。私の真剣さが伝わったのか、学院の長期休暇で帰ってくると、いつしか剣術を教えてくれたり、歴史や算術の勉強などを見てくれるようになった。そして、勉強の終わりにはいつも笑顔で頭を撫でて褒めてくれるのだ。

 初めて頭を撫でられた時は心臓が止まりそうなくらい驚いたものだけど、今となっては褒めてもらえるのが楽しみになっている。


 人との関わりは接し方ひとつで良くも悪くもなるのだということを学んだ二年間でもあった。


 私はこの二年を思い出して、ふふふと笑った。


 もっと頑張りたい。私はいつか自分の価値を見つけ、それを示せるようになりたい。もう二度とあんなふうに処刑されないためにも……。


 あの時を思い出すと、今でも恐怖で肌が粟立つ。

 過去を繰り返さないためにも、今後さらに研鑽を積んでいかないと。



「ん……? 何かしら?」


 私が奮い立っていると、ふと中庭のほうが騒がしいことが気になって窓から外を覗く。そこにはルクレツィオ兄様と一緒に、同じ年頃くらいの深緑の髪の少年がいた。


 そう。深緑の髪の……。



「イヴァーノ殿下!」


 あの時より幼いけれど、見間違えるはずがない。

 殿下を見た瞬間、血の気がひいていく。手足の先から冷たくなってきて、震えが止まらない。


 どうして、殿下がこんなところに……。


 恐ろしくて窓からゆっくりと離れようとするけれど、足が絡まって上手に歩けなかった。



「姫様? どうかされたのですか?」


 すると、侍女達に指示を出していた栗色の髪を綺麗に纏め上げている恰幅のよい女性が、転びそうになった私を支えてくれる。乳母のダーチャだ。

 ダーチャは昔から私を『姫様』と呼び、私に色々なことを教えてくれる。厳しいけれどとても愛情深く、以前のわがまま放題な私のこともよく叱ってくれていた第二のお母様のような人だ。



「ダーチャ。あの……どうして、ルクレツィオ兄様は殿下を……我が家にお招きになったの?」


 震える声で途切れ途切れになんとか絞り出す。すると、ダーチャのヘーゼルカラーの瞳がきらきらと輝いた。その目に嫌な予感がして、一歩後退る。



「普段はルクレツィオ坊っちゃまが王子宮に遊びにいかれるのですが、本日はどうしても姫様もまぜてお話がしたいと、殿下が仰せられたそうですよ」

「え? 話?」


 そんな……。前回はあの時まで関わることなんてなかったのに。どうして? どうして、私と話をしたいなんて言うの?


 怖くて震えが止まらない。震える体をぎゅっと抱きしめて、いやだと首を横に振る。


 せっかく、時が巻き戻ってやり直せたというのに……私の命はここで終わってしまうのだろうか。


 私は湧き出た恐怖と不安を散らしたくて、もう一度首を横に振った。



「わ、私は……まだ礼儀や礼節を学んでいる途中だから、王族の方とお話をすることは難しいと思うの。ご辞退できないかしら?」

「姫様ったら、どうなされたのですか? 普段からとても頑張っておられるではないですか。それに殿下は姫様の従兄妹でもあるので、多少の失敗くらい笑って流してくださいますよ。ほら自信をお持ちなさい!」


 そう言って、私の背中をバシッと叩き、気合いを入れてくれる。


 励ましてくれるダーチャには悪いが、残念ながら殿下は私のことを従兄妹だなんて微塵も思っていない。

 それに、あの方は笑って流せるようなタイプでもないだろう。あの淡々とした表情と冷たい声を、私は今も忘れられない。


 私はダーチャの手をぎゅっと握って、また首を横に振った。


「無理だわ。私、怖いの……。体調が悪いと言って断ってくれない?」

 

 私が駄々を捏ねると、ダーチャが私の目の前で手をパンパンと叩く。その音に怯んでしまうと、にこっと笑ったダーチャが私の背中をぽんと押す。



「さあさあ、わがままは言わないと約束しましたでしょう。お会いして失敗するより、お会いするのを拒否なさるほうが、余程ご気分を害されますよ。それでもよいのですか?」

「そ、それは……いや……」

「ならば、ご挨拶に行きますよ」

「はい……」


 私は項垂れながら、ダーチャに押し切られるかたちで庭へと向かった。でも勇気が出なくて中庭へと出られる廊下から動けない。柱の影から、こっそり顔を覗かせるとルクレツィオ兄様と殿下が楽しそうに談笑しているところが見えた。



「ねぇ、イヴァーノ。急に会いにきたらびっくりすると思うな。だから、日を改めない? ちゃんと約束をしてからじゃないと覚悟もできないじゃないか」

「覚悟? 別にそんなものいらぬ」

「イヴァーノはそうでも、普通の人は王族との対面には覚悟がいるんだよ」

「其方やライモンドもそうなのか?」

「ううん、別に。でも、僕たちとアリーチェは違うんだよ。僕の可愛い妹はとても繊細だからね。それに、できるならまだ誰にも会わせずに隠しておきたいかな」


 そうよ! まだ覚悟が決められていないの!

 兄様、頑張って! なんとか殿下に帰っていただいて!


 物陰から兄様にエールを送る。すると、突然振り返った殿下とばっちり目が合ってしまった。


「ひっ」


 やだやだ、どうしよう……。

 走って逃げるわけにはいかない私は、その場に立ち尽くしたまま、動けなかった。すると、ルクレツィオ兄様が「あーあ、見つかっちゃった」と言いながら、殿下と一緒に近寄ってくる。


 背中をひんやりとした嫌な汗がつたう。


 でも、近寄ってくる殿下の表情はあの時のようではなかった。むしろ、にこにこと微笑んでる。でも、逆にその笑顔がとても恐ろしい。



「これはまいったな。本当に美しい……」

「ね、言ったでしょ。じゃあ、顔を見られたんだから、もう帰ってくれる?」

「うるさい。なぜ、そこまで私を帰したがるのだ。今日の其方は変だぞ」

「変じゃないよ、普通だよ。アリーチェを誰の目にも触れさせたくないだけ」

「愚か者。過保護すぎるぞ」


 殿下が不満さを隠さない兄様に呆れた声を出す。そして私に手を差し出した。その途端、息がぐっと詰まる。



「イヴァーノだ。ルクレツィオが何度も可愛い可愛いと言うので見にきたのだが、ルクレツィオの言うことは本当だったのだな」

「嘘なんてつかないよ。アリーチェの可愛さは王国一さ」

「ああ、そうだな。その話に興味を持ち、会いに来てみてよかった。これからは、私とも仲良くしてほしい」


 そう言って微笑む殿下に、ひぇっと怯んで、一歩後退ってしまう。


 ちょっ、ちょっと。ルクレツィオ兄様ったら、何てことを殿下に話しているのよ。それに興味って、興味って何? 近くで監視したいってこと?

 

 怖い。とても怖いけど、殿下が笑顔で私に握手を求めている。立場上、これを無視することはできない。

 私はごくっと生唾を飲み込み、覚悟を決めた。心臓の音がけたたましく響く胸元を押さえながら、ゆっくりと腰を落とし跪いた。



「お初にお目にかかります、王子殿下。ヴィターレ・カンディアーノの娘、アリーチェと申します。過分なご配慮をいただき……とても嬉しいです。どうかよろしくお願いいたします」


 私が震える声を抑えながら、なんとか挨拶を終えると、殿下が「おもてを上げよ」と言った。私が息を呑み、顔を上げた瞬間、殿下に手を引かれ立ち上がらせられる。


「!?」

「堅苦しい挨拶などいらぬ。我が従兄弟であるルクレツィオの妹姫は私にとっても、妹のようなものだ。これからはルクレツィオ同様、兄のように慕ってくれると嬉しい」

「え……?」

「それにアリーチェ。握手を求めた時は跪くのではなく、私の手を握り返してくれなければ……」


 殿下はそう言って私の手を握り腰を抱いたから、私はもうパニックだった。


 兄のように? 妹のようなもの?

 それに、こ、腰に手が……。というか、笑う人じゃなかったじゃない。すべてのことに興味すら持てないような冷たい目をしていたのに。


 一体どういう魂胆があって、そんなことを言うんだろう。まさか私を安心させて襤褸(ぼろ)を出させ、糾弾するつもりなのだろうか。



 気をつけないと、気を引き締めないと。

 …………怖い。


 私が体を強張らせると、殿下が私の顔を覗き込んだ。



「どうした? 私とでは仲良くできぬか?」

「だから、アリーチェはイヴァーノと違って繊細なんだよ。そんなに近づいて、心臓が止まってしまったらどうするのさ」

「うるさい。ルクレツィオには聞いておらぬ」


 私が動揺していると、殿下が私の腰をぐっと抱き寄せ、顔を近づけた。その彼の行動に、私は自分の処理能力が追いつかず、口をぱくぱくさせる。


 その途端、ルクレツィオ兄様が無理矢理、間に割って入った。


「うるさい、じゃないよ。イヴァーノ、アリーチェが困っているじゃないか。それにそのように腰を抱いて、まだ小さい妹を誘惑するような真似はやめてくれないかな? 言っておくけど、アリーチェはあげないよ」

「誘惑? ルクレツィオ、私はただアリーチェとも其方と同様に仲良くしたいだけだ」


 ルクレツィオ兄様のおかげで、殿下が私の腰から手を離したから、ホッと胸を撫でおろす。でも、殿下は突然私の頭を撫でた。


「っ!?」


 混乱しすぎて、足元がぐらぐらしてくる。眩暈を起こしてしまいそうだ。


「アリーチェは私が兄では嫌なのか? 妹として甘えてはくれぬのか?」


 え? な、何?

 あ……早く……早く、何か答えないと……。


「い、いえ……う、嬉しいです、殿下」

「では、イヴァーノと呼ぶように」

「え?」


 そんな……。

 さすがに呼び捨てなんて恐ろしくてできない。


 あまりの恐ろしさに心臓が縮み上がりそうで、私はぶんぶんと首を横に振った。


 怖い、どうしよう……。



「イヴァーノ、本気?」

「無論、本気だ」

「そうなの? なら、イヴァーノって呼ばせることには私は反対だな」

「では、どのような呼び方ならよいのだ?」

「うーん、兄として慕ってもらいたいなら兄様でしょう? 僕と同じように兄様って呼んでもらいなよ」


 ルクレツィオ兄様が殿下を揶揄うようにそう言ったから、私は心臓が止まりそうだった。


 そんな言い方をして殿下が怒り出したらどうするの、ルクレツィオ兄様。



「だが……」

「それとも兄の顔で近づいて、ゆくゆくは僕の可愛い妹を手に入れるつもりなのかい? そんな男には、もうアリーチェを会わせたくはないな」

「はぁ、分かった。兄様でよい」

「あと、アリーチェを困らせたり、怖がらせるような真似は絶対にしないでね。アリーチェを泣かせたら、絶対に許さないから」

「そんなことは分かっている。心配性にもほどがあるぞ、ルクレツィオ」


 殿下が兄様の言葉に溜息をつきながら、また私を抱きしめた。もう何がなんだかわけが分からなくて、吐きそうだ。


 でも、間に入ってくれる兄様に私は嬉しかった。兄様はなんの事情も知らないので、本当にただの過保護だろうけれど、今はその過保護さがとても嬉しい。



「では、アリーチェ。これからは、イヴァーノ兄様と呼ぶように」

「は、はい。イヴァーノ、兄様」


 私が兄様の過保護さに感動していると、殿下が満足そうに笑って、腰を抱いたまま私の手の甲に口付けた。びっくりして、思わず手を引いてしまう。



「きゃっ!?」

「逃げるな、アリーチェ。これからは殿下と呼ぶたびにこうやって罰を与える。なので、嫌ならちゃんと兄様と呼ぶように」

「……え? は、はい」


 だ、誰? この人……。

 私が知っている殿下じゃない……。


 でもあの時の殿下は十七歳で、今の殿下は九歳だから、昔はこのように無邪気なところがあったのかもしれない。

 だけれど、あの時の殿下を知っているだけに、私を騙すために優しい仮面を被り振る舞っているようにも感じて恐ろしい。


 くれぐれも気をつけなければ……。絶対に勘違いをしては駄目。殿下は私を人質だって知っているのだから、気を引き締めないと……。



 その後、お母様が殿下をお茶に招待して、色々と話をしていたけれど、怖さと緊張であまり覚えていない。


 そういえば、お父様と殿下が何やら話し込んでいて、お父様がとても慌てていたけど、あれはなんのお話をしていたのかしら?


 でもきっと私のことを話していたに違いない。

 私のことを監視するつもりだとか、言っていたのかも。嫌だな……。



 ◆     ◇     ◆



「お嬢様、いつものように書庫に向かわれますか?」


 ベッドの上で膝を抱えて座り込んでいると、私付きの侍女エレナが声をかけてきてくれる。蜂蜜色の髪に琥珀色の瞳がとても美しく、今はその純粋な笑顔が眩しい。



「ごめんなさい。今日は色々あって疲れてしまったから……その……」


 私はいつなら夕食までの時間は書庫に向かい、勉強をしているのだが、今日は色々ありすぎて何も頭に入りそうにない。


 せっかく書庫に行くための準備を整えてくれたエレナには悪いのだが、今日は無理そうだ。



「でしたら、このまま自室で温かいお茶でもお飲みになり、ゆっくりと過ごされては如何ですか?」

「……いいの?」

「ええ、もちろんです」


 エレナの提案に安堵し頷くと、彼女はすぐに温かいお茶を淹れてくれた。私はそのお茶をひとくち飲み、ほっと息を吐く。


 殿下が関わってきても何も変わらない。私はもっと研鑽を積んで、自分の価値を示すだけだ。むしろ、近くで頑張っているところを見てもらえれば、彼の私への評価も少しは変わるかもしれない。


 そう信じて、怖いけど頑張らなきゃ。


「私、今日はとても誇らしかったです。お嬢様が王子殿下の御心を掴むなんて」

「は……い?」


 やや興奮気味のエレナに、私は飲んでいたお茶を吹き出しそうになる。驚愕の表情で彼女を見ると、彼女はとても嬉しそうに笑っていた。



「御心を掴むだなんて、そんなことはあり得ないわ!! 何を言っているの?」

「まだ幼いお嬢様には分からないかもしれませんが、あれは恋をする殿方の目です。きっとまだお嬢様が幼いから、今は兄として見守り、然るべき時まで待ってくださっているのですよ。素敵だわ」

「…………」


 エレナの言葉に面食らう。


 何を期待しているのか知らないが、殿下は恋をするようなタイプではないと思う。少なくとも私にはそのような目には見えなかった。


 それにやめてほしい。怖すぎる。


 でも本当のことを言えない私はエレナの話を笑って誤魔化すことにした。



「…………」


 私は油断するわけにはいかないのよ。

 今度こそ殿下に殺されたくない。皆に認められ必要とされる人間になりたいから、そのために頑張りたいの。



 ノービレ学院は、将来国の役に立つ貴族の育成と共に社交の(すべ)を磨く場でもある。この学院で培った絆は、将来必ず役に立つとお父様も言っていた。

 それなのに、以前の私は十五歳になっても友人らしい友人はフェリチャーナくらいで、あとは取り巻きだけだった。


 わがまま放題に高飛車に振る舞っていた私の悪評は、きっと殿下だけじゃなく、国王陛下の耳にも届いていただろう。


 今回はできる限り大人しく、目立たず、ひっそりと、学院で過ごさなきゃ。でも勉強は頑張りつつ、フェリチャーナ以外の人とも友情を育みたい。



 ノービレ学院の入学まで、あと六年。私はそれまでに自分のこれからの在り方を明確に決めなければならない。学院で、どう学び、それをどう活かすのか……。


 人質としての在り方もそうだけれど、コスピラトーレのためにも、カンディアーノ家のためにも、私はイストリアに必要とされる人間にならなければならない。価値のある人間になりたい。


 そのためにも、どうすればいいかが課題ね。

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