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決意

「……いま、なんじ?」


 え? もうこんな時間!?


 寝ぼけ眼を擦りながら起き上がり、時刻を確認すると、普段起きる時間より一時間も遅かった。自分でも驚くくらい深く眠れたみたいで、完全に寝坊をしてしまったようだ。



 ルクレツィオ兄様に髪の色を変えてもらったからって、寝過ぎよ……。でもとても安心できて、なんだかすごくすっきりした気分で眠れたのよね。


 私は侍女を呼び、慌てて身支度を整えた。



「……お、おはようございます」

「アリーチェは、今朝はずいぶんとお寝坊さんだね。もう皆起きているよ。僕なんて待ちくたびれて、朝食を食べ終わっちゃったよ。暇だから、膝に乗せて食べさせてあげようか?」


 食堂へ行くと、ルクレツィオ兄様に寝坊を揶揄われてしまう。昨日の優しい兄の笑みではなく、少し悪戯っぽい少年の笑みに、私は「子供じゃないのですから、一人で食べられます」と反論した。



「アリーチェは子供だよ。まだまだ小さいんだから遠慮なんてしなくていいのに」

「ルクレツィオ。アリーチェを揶揄うのはよしなさい。それに病み上がりなのだから、よく眠れたようで何よりだわ」


 遅い朝食を摂りはじめると、私の隣でお母様がお茶を飲みつつ、私の額に手をやり体調を伺ってくれる。



「よく眠れたので、もう元気です。ご心配をおかけして申し訳ありませんでした、お母様」

「そう。ならよかったわ。アリーチェ、あとで少しお話をしたいのだけれど、いいかしら?」

「はい」


 お母様の気遣いが嬉しくて、私はにこっと微笑みかけて頷いた。


 私もお願いしたいことがあるから、このあとに話せる場を設けてもらえるのは嬉しい。


 今から勉強を頑張って、前の私とは違う私に生まれ変わるのだ。そのためにも先生を見つけていただきたい。

 その話をしようと静かに決意を固めていると、ピリピリするような冷たい視線を感じて、私は顔を上げた。


 すると、ライモンド兄様と視線がかち合う。


 ライモンド兄様は私より八歳年上の一番上の兄だ。み空色のような明るく澄んだ秋の空のような薄い青の髪を鎖骨過ぎまで伸ばし、いつも後ろで結んでいる。背も高く、やせ形で、いつも冷たい目で私を見るので、仲はそんなによくない。

 合理的で無駄を嫌う兄様は、感情的に行動し、わがまま放題振る舞っている私のことが心底嫌いなのだと思う。優しいルクレツィオ兄様と違って、とても厳しい苦手な兄だ。



 礼儀にもうるさい方なので、朝の挨拶をし忘れているのを怒っているのかもしれない。

 私は蛇に睨まれた蛙のように、びくびくしながらライモンド兄様に挨拶をした。



「おはようございます、ライモンド兄様」


 その途端、紺碧色の瞳がすっと細められる。


「おはよう……。倒れたそうだな? 一体何をしていた?」

「え? 何って……」


 ライモンド兄様の咎めるような目に、私は困ってしまい、お母様に助けを求めるように視線を向ける。すると、「大丈夫ですよ」と言ってくれた。



「ライモンド、アリーチェは何もしていません。マナーのレッスン中に突然倒れただけです。貴方は小さな妹への気遣いがなさすぎますよ」


 と、ライモンド兄様をじろりと睨みつける母を見ながら、私は昨日のお母様の言葉を思い出した。



 私、マナーのレッスン中に倒れたのね。だから、昨日もマナーのレッスンがどうとか言っていたのだわ。


 そういえば昔はマナーと言わず、どのレッスンでも勉強が嫌でよく逃げ出していたのをよく覚えている。

 教えてくれる先生を困らせたことも数知れずだ。ライモンド兄様は、それを言っているのだろう。



「ですが、母上。大方、アリーチェのことです。またわがままを言い、それが通らないからと癇癪を起こしたに決まっています」

「兄上は、いつもアリーチェに厳しくありませんか? アリーチェが可哀想だと思われないのですか? まだ五歳なのですよ。甘えたいと思って何が悪いのですか? それに女性は少しくらい、おバカさんなほうが僕は好きだな」


 ライモンド兄様の厳しい視線と言葉に、ルクレツィオ兄様がすかさず庇ってくれる。

 それを嬉しく思うのと同時に、ルクレツィオ兄様の言葉に聞き逃せない部分があった。


 今、確かに五歳と聞こえた。

 五歳ということは、ライモンド兄様が十三歳になり、ノービレ学院に入学する年だ。



 ノービレ学院とは、十三歳から十八歳の貴族の子女が通う所謂パブリックスクールである。学ぶ分野は多岐に渡り、跡取りである未来の領主を育成するコース、侍従や侍女を育成するコース。ほかには人気のある騎士コースや文官コースなどがある。それ以外にも医療従事者を育成するコースなんてものもあるが、このコースは少々不人気らしい。


 以前の私はこのノービレ学院の三年生で、文官コースを履修していた。


 ノービレ学院は寄宿制なので、そういえばライモンド兄様とはこのあとからほぼ会っていなかったように思う。八年も離れていれば私が入学する時には、兄様は卒業して学院にはいないのだから当然といえば当然だけれど、今回はもう少し交流を持ちたい。



 我が家は宰相を務めているけれど、当然領地もある。そういった貴族は領主育成コースで領地運営を学ばなければならない。が、以前の私はその授業に一度も出た記憶がなかった。


 興味がなかったというのもあるが、出てもどうせ理解ができないしつまらないと思っていたからだ。といっても、併せて取っていた文官コースの授業すら、ちゃんと受けていた記憶はない。

 学院に通うことは貴族としての義務とはいえ、貴族令嬢は結局は家のために嫁ぐ。そのために、私が特別珍しいというわけではないのだけれど、やはり勉強はちゃんとしておくべきだったと今になって思う。


 はぁっ、本当に情けない。ライモンド兄様やイヴァーノ殿下に厭われて当然だと思う。

 私は過去の自分に嫌気がさして、とても深い溜息をついた。そして、視線を少し上げてちらっとライモンド兄様を見つめる。



 そういえば、以前のライモンド兄様は学院のすべてのコースを網羅し、そのすべてで『優』をとっていたすごい方なのだけど、今回も同じかしら?



「……チェ! アリーチェ!」


 そんなことを考えていると突然肩を掴まれて、揺すられる。私がハッとして顔を上げると、ルクレツィオ兄様が心配そうに私の顔を覗き込んでいた。



「あ、ごめんなさい。少しぼーっとしてしまいました」

「大丈夫かい? まだ体調が悪いなら、無理をしてはいけないよ」

「いえ、大丈夫です。よく眠って元気になりました」


 私がにこっと微笑むと、ルクレツィオ兄様が安堵の表情を浮かべて、いい子いい子と頭を撫でてくれる。



「春が来ると、私はノービレ学院に入学します……が、私がいなくなったからといって、アリーチェを甘やかしてはいけません。アリーチェには、レディーとして、カンディアーノ家の公女として厳しく教育をしてください。母上、分かりましたね?」


 ライモンド兄様はそう言って、私には見向きもせずに食堂を出ていった。


 本当は私のことを視界に入れるのも嫌なのだろう。

 すべては今までの私の行いが悪かったからなのも分かっている。でも、今回はもう少し歩み寄れたらいいのになとは思う。


 好かれるとまでいかなくても、せめて嫌われないようにはしたい。もう手遅れかもしれないけれど。


 私は今までの自分の行動や態度を思い起こし、机の下でドレスをぎゅっと掴んだ。そして深呼吸をして、ゆっくり自分の想いを口にする。



「私は己の怠け心と軽薄さのために、私自身の教育が遅れていることを分かっています」

「……アリーチェ? 貴方……何を?」

「私は己の性格に、多くの軽薄さ、熱意の不足、自身の意思を押し通そうとする頑なさがあることを認めます。反省もしています」


 私の言葉にお母様とルクレツィオ兄様が、とても驚いている。でも私は、今までの情けない自分に、涙が込み上げてくるのを必死に抑えながら、しっかりと二人を見つめた。


「今までは誰かが私に意見をし、それを正そうとしても、私は聞こうとすらしませんでした。けれど、これではいけないのだと気づいたのです。これからは、他者の意見をよく聞いて、お勉強も頑張ります。なので、私に先生をつけてください。どんなお勉強でも弱音を吐かずに頑張りますから」


 こらえきれずに私の頬を涙がつたった。


 私は変わりたい。私には、これから先――人質としての役目を果たさなければならない未来がきっとくる。その時に処刑しか道がないのは嫌だ。

 今はお父様やお母様が守ってくれているけれど、いつかは守りきれない未来がくるかもしれない。


 その時のためにも、私は無能であってはならない。我が身を守れる術を身につけなければいけない。


 それに私の存在一つに、コスピラトーレの命運がかかっているのだ。私は実父母のことをまったく知らないが、本当の兄であるサヴェーリオ殿下は優しい方だった。



「…………」


 きゅっと唇を引き結ぶ。


 イヴァーノ殿下は言った。「自ら、その役目を放棄した其方の行ないは、コスピラトーレを潰すには充分な理由となる」と……。私のせいで、コスピラトーレを危険に晒してはいけない。


 今までの私は、とても危険な真似をしていたのだ。コスピラトーレの王太子に近づき、くっついているなんて……二心ありで、もっと早く消されてもおかしくなかった。

 ううん。きっと、あの時から目をつけられていたんだ。泳がされていたんだと思う。


 イヴァーノ殿下が言っていたように、ずっと守ってくれていたのだ。あの時だって私が家出をしなければ、お父様は必ず私を守ってくれただろう。殺されなかっただろう。


 私を守るために、部屋に閉じ込めたお父様の気持ちを私は踏み躙ったのだ。実の娘のように愛して守ってくれていたのに……。今回は、その想いにも私は報いなければならない。いいえ、絶対に報いたい。


 私は決意を固めた瞳で、お母様の目をしっかりと見据えた。



「そこまで、己のことが分かっているならば、もう大丈夫だろう。アリーチェには、しっかりとした家庭教師をつけよう」

「え? あ、お父様……」


 そう言いながら部屋にお父様が入ってきて、私の頭を撫でてくれた。


 ああ、あの時ぶりのお父様だ……。ごめんなさい、馬鹿な娘でごめんなさい。

 厄介な人質の私を娘として受け入れてくれ、守ってくれているのに、それを踏み躙るような真似をして、ごめんなさい。


 耐えきれずお父様に抱きつき泣いてしまうと、あたたかな手が頭を撫でてくれる。


「アリーチェ、どうした? もう大丈夫だから、泣き止みなさい。ライモンドには、あまりきつく言わないように叱っておこう」

「違うのです……違うの……。全部私がいけないのです。ライモンド兄様は、正しいのです。私はライモンド兄様に認めてもらえる妹になれるように頑張ります」



 私が泣きながらそう言うと、お父様は私を抱きしめながら、「期待している」と言ってくれた。その想いに応えられる人間になりたい。

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