禁書庫での出会い
「アリーチェ、そろそろ禁書庫に行こうか」
「え? でもまだ……」
気になる本を積み上げて、片っ端から読んでいると、イヴァーノが私の手を止めてそう言った。
名残惜しげに積み重なった本に視線を向けると、彼は私の頬を両手で挟み、やや強引に彼のほうへ向かせる。
「そろそろ移動しなければ時間がなくなるぞ」
「あ、ごめんなさい。もうそのような時間なのですね……」
やっぱり読むより複写の魔法を使ったほうがよかったかしら?
でも大量の本を複製しては、さすがに叱られると思ってできなかったのよね。
けれど、本を読んでいると、あっという間に時が過ぎる。
「やっぱり今日一日だけでは足りませんね」
「其方は私の婚約者なのだから、好きな時に読みに来ればよい」
「え? よいのですか?」
「当たり前だ。たまにはその肩書きを存分に使え」
「嬉しい……! ありがとうございます、イヴァーノ!」
そんなことができるなんて!
イヴァーノに抱きついて喜ぶと、彼も一緒になって喜んでくれる。「学びたいなら、たくさん学べばよい。遠慮などするな」と言い、何度も頭を撫でてくれた。
嬉しい!
「さて、それでは行こうか」
「はい」
彼が差し出してくれた手を取ると、彼は図書館の奥のほうへと私をエスコートしてくれる。突き当たりまで行くと、隅の本棚の陰のところにまた隠し部屋のような空間があった。イヴァーノは「頭を打たぬように気をつけるのだぞ」と声をかけながら、そこへ入っていく。
「イヴァーノ、ここは?」
ここには本がないのね。それに、先ほど見せてもらった隠し部屋より天井が低い。
私がキョロキョロ見回していると、イヴァーノが何もない壁に魔法陣を描きだす。
「!」
すごい……! とても複雑そうな魔法陣だわ。ここも結界の間と同じ仕組みかしら……。
目を輝かせながら見つめていると、その魔法陣が壁に吸い込まれたのと同時に、地下へと続く階段が現れた。
「イヴァーノ! すごいです!」
「驚くのはまだ早い。禁書庫への扉は三つあるのだからな」
「三つも? とても厳重なのですね」
禁書庫への扉の一つめはイヴァーノがお兄様から借りてきてくれた鍵で、難なく開いた。けれど、その扉を開けるとまた階段があって、地下に続く階段の真ん中くらいに、施錠された扉が現れる。でも、鍵穴はなかった。
どうやって開けるのかしら……。
「鍵穴がありません。ここも魔法陣ですか?」
「いや、この二番目の扉は王族の魔力を認識して開くのだ」
「王族の魔力?」
すごい。そのような扉があるなんて……。
いったいどのような造りになっているのだろう。私がそんなことを考えながら、扉をまじまじと見つめていると、イヴァーノが手をかざす。すると、かちゃりと鍵が開いた。
そしてその扉が開くと、また階段があって、さらに下に降りられる。徐々に空気が冷たくなってきた頃に、また扉が現れた。
最後の扉は、今までの二つとは違い、重々しい雰囲気だった。人の力ではとてもじゃないけれど開くことができなさそうなくらい重そうだ。
「この扉は王族の血で開くのだ」
「血?」
「ああ、ここの突出したところに血を垂らすと開くのだ」
すると、イヴァーノが剣を鞘から少しずらし、親指をすっと切った。
あとで、その傷を回復しないと――なんて考えながら、イヴァーノの動作をじっと見守っていると、イヴァーノが血を垂らす。その途端、扉の周りに光が走り、魔法陣が浮き上がって、重々しい扉がぎぎぎっと音を立てて開いた。
「わぁ! すごいです! それに、とても興味深いです」
「駄目だ。忘れろ」
「え?」
「ここに使われている魔法は、すべて聖獣からの贈り物だと聞く。仕組みを解析することは決して許されぬ」
魔法陣を覚えて、仕組みを調べたいと言う前に駄目だと言われてしまい、私は開きかけた口を閉じた。
門外不出と聞くと、さらに知りたくなったけれど、私はぐっとこらえた。わがままを言ってはいけない。わがままは身を滅ぼす。
私は湧き出た興味をしまい込み、深呼吸をして開いている扉をじっと見つめた。
「聖獣からの贈り物……。伝承ではなく、本当にいるということですか?」
「ああ、いる。王と首座司教を一人の者が務めていた頃は共にあったらしいが、その二つの役割が明確に分かれるようになってからは、首座司教の前にしか現れぬようになったらしい。なので、いずれ其方も会えるだろう」
「そう、なのですね」
……ん?
首座司教の前にしか現れなくて、この国の不思議な魔法陣の仕組みを知る人間ではない者――
私はそこまで考えて、ある事柄が引っかかったけれど、慌ててその考えを隅に追いやった。
まさか。そんなことないわよね。
考えすぎよね……。
私がかぶりを振っていると、イヴァーノが私の手を取り、中へ招き入れてくれる。
「わぁ!」
一歩足を踏み入れると、目の前に広がる光景に圧倒された。
クルミ材を使用した重厚感のある書架には、高い天井までぎっしりと本が詰まっている。そしてフレスコの天井画がとても美しい。
「入り口すぐの正面にあるのが『哲学の間』だ」
「哲学の間……」
「そして、『哲学の間』を抜けたところにある廊下を渡ると『神学の間』となる」
温かみのある木でできた書架に金の装飾が施されている。古書独特の匂いを胸いっぱい吸い込んで、私はうっとりと見てまわった。
二つの間を結ぶ通路には、いつのものか分からないくらい古い書が展示されている。そのほかにも見たことのない魔獣の剥製や魔石、珍しい薬草。そのすべてに感嘆の声がもれる。
もうここは書庫ではなく、博物館だと言いたくなる。感動しすぎて、言葉が出てこない。
それに古代語で書かれているので、ここの本ならば昔のイストリアとコスピラトーレのことが分かるかもしれない。
「司祭や司教が長い間に渡って世界中を旅し、聖書や歴史書、魔法書など、様々な国から集めたそうだ。現在は約二十万冊の蔵書があるといわれている」
「そ、そんなにも貴重な本なのですね。ところで、なぜ禁書なのですか? こんなにもすごいものなら、広く皆にみてもらったほうがいい気がします。禁書にするのはもったいないです! 博物館作りたいです!」
「門外不出の書物が多数あるのだ。見てはいけないというよりは、貴重ゆえに閲覧に制限がかかっている。この本は王族にしか閲覧を許されていない」
王族だけ……?
イヴァーノの言葉に目を瞬きながら、ひぇっと怯むと、彼が私の頭を撫でて「大丈夫だ」と言ってくれる。
「アリーチェはいずれは私の妻となる。なので、気にせず、思う存分楽しめばいい。もちろん、父上からの許可はもぎ取ってある」
「そうなのですね……。ありがとうございます」
嬉しい!
今はイヴァーノのお兄様が管理しているのよね? イヴァーノとの結婚後は私が図書館と禁書庫の両方を管理したいわ。許されるかしら?
私は湧いて出た欲望もとい未来の夢を思い浮かべながら、垂れそうになった涎を拭った。
「アリーチェ、ここからが『神学の間』となる」
「綺麗……」
『神学の間』はバロック様式の半円天井が目を引いた。その天井には豪華なスタッコ細工が施されており、建国神話をモチーフとしたフレスコ画が描かれている。
イストリアの紋章にもなっている聖獣の絵がとても勇ましく美しかった。思わず感嘆の声を上げてしまうほどだ。
「神学の間と呼ばれる由来は、様々な言語や国の聖書を所蔵しているからだ。そのほかにも古代語で書かれた古の書が収められている」
知らない国の言語は私にはまだ読めそうにないので、まず古代語の本から攻略していきたいと思う。
イヴァーノの話を聞きながら、私は浮き立つ心が隠せなかった。弾む足取りで見てまわる。
「本当に素晴らしいです。手前には本を読みやすくするための書見台があったりして、ここを作った人がとても本を愛していたのがよく分かります」
天井も壁も、本棚にかけられた梯子も書見台も、そのどれをとっても素晴らしい。過ごしやすい空間を意識して作られているのが、手に取るように分かる。
二千年前に制作された地図もあって、哲学の間と比べて見所も多い。当時の神官達はどのような想いを抱き、この書庫で本を読んでいたのだろうか。それを考え、思いを馳せるだけで、とても楽しい。
「とても美しく、神聖な雰囲気で、自然と敬虔な気持ちになります……って、あら?」
あの方はどなたかしら?
神学の間の奥に近づいた時、ハッと顔を上げた。奥の壁にかけられているとても大きな風景画の前で、高貴な女性が膝をつき両手を組み祈っていたからだ。
ここに来られるのは王族のみと言っていた。ということは、確実にイヴァーノの親戚の方だ。
ご挨拶をしないと……。
「伯母上……」
私が一歩踏み出した途端、イヴァーノがぼそっと呟いた。その声に振り返ると、イヴァーノが「父上とアリーチェの母君マリアンナ叔母上の姉君だ」と教えてくれる。
お母様のお姉様……。
「伯母上、このようなところでどうされたのですか?」
「イヴァーノ」
そういえば気配がお母様に少し似ているかもと思っていると、イヴァーノが先に声をかける。すると、彼女は立ち上がり振り返った。
その顔は涙に濡れ、とても憔悴しきっている。
「ごめんなさい、変なところを見られてしまったわね……。あら、そちらの可愛らしいお嬢様はまさか」
「アリーチェ・カンディアーノと申します」
涙を拭いながら微笑んでくれるイヴァーノの伯母様に跪き、挨拶をしようとすると、やんわりと止められる。
「そのように畏まらなくてよいのですよ。マリアンナの娘なら、わたくしの姪ですもの。わたくしはフラーヴィアと申します。よろしくね、アリーチェ」
「は、はい……ありがとうございます」
私は慌ててカーテシーをした。
フラーヴィア様の言葉に少し胸が痛む。
姪……。でも、私は……。
「貴方、自分は本当はコスピラトーレの王女だから、姪と呼ばれる資格はないと思っているのかしら?」
「え?」
俯いてしまった私の心を読んだかのようにフラーヴィア様はそう言った。その言葉に返事ができずに硬直する。
「そのような心配はいらないわ。わたくしは、かつてコスピラトーレの王妃でした。貴方は我が夫である陛下の第一王子から生まれた姫。どちらにしてもわたくしには身内のようなものです。あなたは何も気にしなくてよいのよ」
「コスピラトーレの王妃……? フラーヴィア様が?」
その言葉にわけも分からないまま固まっていると、イヴァーノがイストリアとコスピラトーレはかつて友好関係にあったと、私の背中をさすりながら言った。
「かつては属国などではなかったのだ。対等な同盟国として、伯母上はコスピラトーレの王妃として嫁いだのだ」
「で、ですが、私……たくさんイストリアとコスピラトーレの歴史を読みました。でも、そんなこと何処にも」
「歴史の改竄だ。コスピラトーレと戦が始まった時、父上は大層怒り、伯母上が嫁いだ事実さえもなかったことにしてしまった」
歴史の改竄……。
確かに歴史は権力者の良いように書き換えられている事実は否めない。けれど、こんなにも直近の出来事が改竄されてしまうだなんて。
ということは、この事実を知っている人は皆、口を噤んでいるということよね? 鬼司教も……。
私はなんだか寂しくなった。王命だから仕方がないかもしれないけれど、鬼司教でさえ、本当のことを教えてくれていなかったんだ。
「……なぜ、その友好的な関係が崩れてしまったのでしょうか?」
「王太子の乱心だ」
「乱心?」
その言葉に眉を寄せる。
すると、イヴァーノがイストリアとコスピラトーレの戦争は現国王が王太子の時、フラーヴィア様の産んだ第二王子と第四王女を弑したことが原因だと言った。
「現国王が……」
私の実父が、フラーヴィア様の子供達を殺した?
「そして、そのことで国王アレッサンドロ派と王太子ジュスティニアーノ派に別れ、内戦が始まってしまった。けれど、国王派は負けてしまったのだ」
「そんな……」
「そして、アレッサンドロ様は最後の力でわたくしをイストリアに逃がしてくださったのです。けれど……その時に産まれたばかりの第五王女ルチャーナ――わたくしのルチアが、コスピラトーレに残されてしまったのです」
私はその言葉に目を大きく見開いたまま、固まってしまった。体が怒りで震える。
やはりコスピラトーレ王を許せない。この体にその男の血が流れているなんて……。
「ごめんなさいね、アリーチェ。ルチアを奪われてしまった意趣返しにイストリア王が、ジュスティニアーノから貴方を奪ったの」
「謝らないでください! 私は許せません! コスピラトーレを絶対に、絶対に実父を許しません!」
すると、フラーヴィア様がとても寂しそうな顔で笑った。
そして、「わたくしは後添えの王妃でしたが、それでも陛下は――アレッサンドロ様はわたくしを大切にしてくださったのです。子供達のことも、とても可愛がってくださったのよ」と震える声で漏らした。
その幸せを現コスピラトーレ王は壊したんだ。
「なぜ、突然そのようなことをしたのでしょうか? だって、王太子であったなら、わざわざ謀反を企てなくても、王になれたはずです」
「それはわたくしも分からないわ。けれど、今でも悪い夢を見ているのではないかと思っても、もうすべては壊れてしまい、元通りにはならないのよ……」
そのとても辛そうな表情に、胸が苦しい。
こんなのは嫌だ。コスピラトーレのせいで苦しむ人がいるのは嫌。
私は拳を軋むほどに握りしめた。すると、イヴァーノが私の手を上から握ってくれる。
「イヴァーノ……」
「そのように力強く握りしめるな。気持ちは分かるが、落ち着くのだ」
「落ち着けません……」
ルチャーナ様は本当ならコスピラトーレの王女だ。人質の私とは違う。けれど、それは先代国王が生きていたらの話だ。状況が変わってしまっている。
自分の身内を平気で殺してしまえる人が治めている国に囚われているなら、とても危険だ。
チェコ、プラハのストラホフ修道院の図書館がモデルです。





