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目覚め

「……チェ! アリーチェ!」


 頭の中をぐるぐる回っている闇に段々呑みこまれていくみたいに、私の意識がゆらゆらと揺れる。

 闇に呑み込まれてしまいそうな感覚の中、聞き慣れた声が私を呼んだ。


 この声、お母様……?


 幼い時からずっと私に寄り添ってくれる優しい声。その声が闇から引っ張り出してくれるような気がして、縋るように手を伸ばすと、その手をしっかりと握ってくれる。



「お母様……?」


 重い瞼をゆっくりと開け、徐々に定まる視界の中で、心配そうなお母様の姿を捉えて、二、三度瞬きをした。


「私、夢を見ているのね……お母様の顔が見えるもの……」


 ああ、夢でもいい。会いたかった……。

 何も変わらない。お母様だ。私のお母様……。親不孝な娘でごめんなさい。私みたいな厄介者を受け入れてくれたのに……。私ったら、ずっとわがままで……。


 つい泣き出してしまうと震える手を先程よりも力強く握ってくれる。


「夢ではありません、アリーチェ。ああ、よかった。いきなり倒れて、全然意識が戻らないから心配したのですよ」


 本当によかったと涙を流して、私の無事を喜ぶお母様の姿に私は確かに愛情を感じた。でも、それと同時に戸惑いも生まれて、おずおずとお母様を見つめる。


 お母様は私が()さぬ仲でも、人質でも、変わらず愛情を注いでくれるの?

 ああ、お母様。これは本当に夢ではないの? 私、助かったの?


 えっ? 夢ではない!?



 お母様の言葉で、夢ではないことを自覚して飛び起きる。すると、お母様が驚いた顔をしながら背中をさすってくれた。



「アリーチェ、いけないわ。貴方は倒れたのだから、突然起き上がっては駄目よ。気分はどうかしら?」

「わ、私、助かったの? で、でも、私……ここにいていいのですか? 牢に行かないと……」

「牢? まあ、何を言っているの? マナーのレッスン中に倒れたからといって、そのようなこと……。きっと怖い夢を見て、まだ混乱しているのね。もう少しゆっくり休みなさい」


 私の言葉にとても驚いたあと、何やら納得をした顔をしたお母様が、ゆっくりと頭を撫でてくれる。顔を覗き込んで、「もう大丈夫。何も怖くないわ」と言ってくれた。そのあたたかさに泣きそうになり、慌てて目を擦り涙を拭う。


 マナーのレッスン?

 それについてはよく分からなかったけれど、牢ではなくまだ自室にいることが許されていることに心底安堵した。


 お父様とお母様が国王陛下やイヴァーノ殿下に取りなしてくださったのかしら?



 抱きついて怖かったと泣き叫びたかった。けれど、ひとまず色々とひとりで考えたい私は、ゆっくり休みなさいというお母様の言葉に頷いて、ベッドへ体を横たわらせた。



 これが夢ではないなら、色々と考えなければならないわ。



「よい子ね。わたくしは、お父様にアリーチェの意識が戻ったと報告してくるので、ゆっくり休んでいるのですよ。動き回ってはいけませんからね」

「はい、お母様」


 優しい笑顔で退室していくお母様を見つめながら、涙がぼろぼろとあふれてきた。


 私、助かったのね。

 もう無理だと思ったけど、もしかするとルクレツィオ兄様が近衛隊から逃げて、私を助けて介抱してくれたのかもしれないわ。



「あとで、兄様にお礼を言わなきゃ……」


 でも兄様は怪我をしていないかしら……。私のせいで罰せられたりしていたら嫌だ。お母様は、私が本調子じゃないから何も言わなかったかもしれないけれど、皆とこれからのことについて話し合わなきゃ……。


 ひとしきり泣いた私は見慣れた自分の部屋を見渡して、帰ってこられたことに胸を撫でおろした。


 でも今は……今は、無事だった喜びを噛みしめたい。それくらい許されるわよね?



「私、本当に助かったのね……」


 自分の胸にそっと触れてみると、確かに貫かれた感覚は残っているのに、不思議と痛みはなかった。



「痛くない……」


 寝衣の胸元をぐいっと開いて覗き込んでみても、傷ひとつなく、手当てをされた形跡すらない。


 あれ?

 あ! そういえば、イストリア神殿の首座司教様は治癒魔法を扱える方だと聞いたことがあるわ。まさかその方が治してくれたの? でも、そんなことを陛下や殿下が許すはずないのに。


 でも途轍もない痛みと自分から流れる血の感覚。そして命が終わっていく恐ろしさはしっかりと残っている。だから、起きたことは夢ではなく現実のはずだ。


 だって私はしっかりと覚えている。殿下の冷たい声と淡々とした表情。そのどれも忘れることなんてできない。



 これからは今までの行ないを改めて、ひっそりと生きていこう。学院を卒業したら、屋敷の中に引きこもるのも悪くないと思う。姿が見えなければ、殿下も不快じゃないはずだ。


 私はそう心に決めながら、両手を組んでぎゅっと力を込めた。すると、何か違和感を感じた気がして首を傾げる。



「あれ?」


 何かおかしいような……。


 私は手を握ったり開いたりしながら、じっと己の手を見つめた。


 …………私の手ってこんなに小さかった?


 そう思ったのと同時に私はなんだか嫌な予感がして、ベッドから飛び降りる。そして、自室の鏡を覗き込んだ。


 その瞬間、大きく目を見開く。



「――――っ!?」


 鏡に映っていたのは、翡翠の瞳を驚愕の色に染めている私だった。ほっそりとした輪郭は子供特有の丸みを帯び、手足にもすらっとしたしなやかさはない。どこからどう見ても、幼い時の自分の姿に私は口をぱくぱくさせた。



「まさか……そんな……」


 子供に戻ったの? まさか……。

 確かに次はって願ったけれど……、時間が巻き戻ったとでもいうの? まさか本当に?


 神様がもう一度私にチャンスをくれたというの?


 私は穴があきそうなくらい鏡を見つめた。

 おそらく五、六歳というところかしら……。



「私、生きていていいの?」


 そう呟いた時に、ふと鏡に映る自分の髪に目がいった。


『この黒髪はコスピラトーレ王国王族の証だ。覚えておけ』

『アリーチェ・カンディアーノ。いや、コスピラトーレ王国第一王女と呼ぶべきか?』


 その髪を見た途端、サヴェーリオ殿下とイヴァーノ殿下の言葉が頭の中をよぎって、体がぶるぶると震えてくる。



「私はコスピラトーレの……」


 今までの私は、お母様の髪が紺色だから自分も黒っぽく見える濃紺だと思っていた。でも、これはどこからどう見ても黒だ。


 その髪を見つめながら、愕然とする。


 今までよくもそのことに気がつかず、能天気に生きてこられたものだ。私がカンディアーノ家の娘ではないことは、この髪が証明しているのに……。



「…………」


 よく見なくても、私は自分が恋をしたコスピラトーレの王太子、サヴェーリオ殿下に似ている。並ぶと兄妹のようであっただろう。


 なぜ、気づけなかったのかしら? なんて愚かなの、私は……。


 学院で養い子とか、実はコスピラトーレ王国の者ではないかという噂がたたなかったのは、我が家の力ゆえなのだと思う。本当に守られていたのだ。


 私は苦しくなった胸にそっと触れる。


 でもきっと皆気づいていたに違いない。気づいていながら間抜けな私を嘲笑っていたのだと思う。これからはそうならないように努めなければ……。



「……でも、その前に」


 この髪を染めたい。魔法で染められないかしら?


 でも私は魔力は高いほうだが、魔法の使い方をちゃんと勉強してこなかったせいで、お世辞にも上手とはいえない。



 ああ、以前の自分を恨むわ……。これからは何事もちゃんと勉強しよう。とりあえず明日から勉強をして、学院に入る前に髪の色を変えられるようになろう。


 そう誓った時、部屋にノックの音が響き、ルクレツィオ兄様が入ってきた。その元気な姿に、暗くなっていた気持ちがぱぁっと明るくなる。



「ルクレツィオ兄様、無事だったのですね! ああ、よかった! 心配していたのです!」

「え? どうしたの? 倒れたのはアリーチェだろう? ほら、まだ混乱しているなら、ベッドに戻らないと……」



 兄様は優しげに微笑み、私の手を取り、ベッドまでエスコートしてくれた。


 ああ、そうよね。兄様の顔を見て、一瞬あの時に戻ってしまった。



 ルクレツィオ兄様は私の二歳年上で、瑠璃色のような紫みを帯びた濃い青の髪に、鮮やかな青の瞳がとても綺麗な方だ。生まれた時からなにかと世話をやいてくれる優しい兄。


 あの時だって、私のために馬を駆けて助けに来てくれたんだ……。優しい優しい……私の兄様。

 よく見ると、今の兄様は背が伸び始めたけれど幼さが残っている少年という感じだった。とても懐かしい。



「アリーチェ、大丈夫かい? 体調が悪い?」

「なんでもないのです……なんでも……」


 私が兄様に抱きついて泣いてしまうと、兄様は私が泣き止むまで、優しく頭を撫でながら抱きしめてくれた。



「よしよし、怖かったね。もう怖くないよ。アリーチェはほかに何が不安? 不安があるなら僕がすべて取り除いてあげるよ」

「本当に?」

「うん」

「……じゃあ、髪を。髪の色を変えたいです。この黒い髪が不安です」


 私がそう言うと、兄様はきょとんとした顔で私を見つめた。


「どうしたんだい? アリーチェの髪は黒ではない。綺麗な濃紺だよ。光の当たり方次第では黒っぽく見えるかもしれないけれど濃紺だ」


 宥めるように、ルクレツィオ兄様はそう言って、私の頭を撫でながら、寝具を掛けてくれる。私はその言葉で得心がいった。



「………………」

 

 私が今まで、自分の髪を濃紺だと思い込んでいたのは、おそらく家族ぐるみで私の髪が黒っぽく見える濃紺ということで徹底されていたからだ。

 きっと学院でも、それは徹底されていて、カンディアーノ家の威光で、さもそれが事実のようになっていたんだ。


 だけれど、皆が口を噤んでいたとしても、きっと心の中では私一人、髪の色が両親や兄達と違うことを変に思っていたに違いない。



「ルクレツィオ兄様……、私の髪は黒です。お母様ともお父様とも違う色なのです。私は本当はこの家の子ではないのでしょう?」

「何をバカなことを言っているんだい? やはり怖い夢を見て混乱しているんだね。もうその夢のことは忘れたほうがいい。僕が必ずアリーチェを守るから」

「いいえ、いいえ。忘れてはいけないのです。忘れちゃ駄目なの……」


 私が寝具をギュッと掴むと、兄様の手がその手に重ねられた。揺れる目で見つめると、頭を撫でてくれる。

 


「アリーチェは私の妹だ。君が産まれた時のことは今でも覚えているよ。そんな悲しいことを言わないでおくれ」

「でも……でも、不安なのです」


 ルクレツィオ兄様は、私の髪をひとつまみ掬いあげながら、「そっか……」と優しい声で呟いた。



「そうだね。少し暗すぎるから不安に思うのかな?」

「ルクレツィオ兄様……、私、お母様や兄様達と同じような青系の髪がいいです。駄目ならお父様のような茶色でもいいです。魔法で私の髪を変えてくれませんか? 本当なら自分でしたいんですけど、まだ上手に魔法を扱えなくて……」


 もちろん、髪の色を変えたところで、私が人質だという事実は変わらない。そんなことくらい分かっている。でもせめて見た目だけは、皆と家族でいたい……。いたいの……。



Colorare(コロラーレ) i() capelli(カペッリ)



 俯いていると兄様が私の髪に手をかざして、そう唱えた。その瞬間、私の髪は濃紺へと染まっていく。



「アリーチェの髪は生まれた時から濃紺だよ」


 私が胸元まである自分の髪を摘み上げて毛先をじっと見つめていると、兄様が唇に人差し指を当てて微笑んだ。



「兄様……」

「アリーチェ。これからも不安なことがあったら、いつでも僕のところにおいで。ひとりで抱え込まないようにね」

「はい! ありがとうございます!」

「髪の色とか見た目とか、そんなことは些細なことなのだよ。何があっても、アリーチェは僕の大切な妹だ。それは未来永劫変わらないよ。これから先、何があっても僕は君が幸せに生きていけるように努めると約束する」


 私はこの兄様の言葉と髪を染め、妹と……カンディアーノ家の一員と認めてくれたこと……そして、処刑される間際に庇ってくれたことを絶対に忘れない。


 私、ルクレツィオ兄様をがっかりさせないように、これからは今までの自分を改めて分を弁えた生き方をしていきます。



 これから先、また人質として糾弾されるようなことが起きたりして、私たちの関係が変わってしまっても――私は絶対に兄様だけは味方だって、何があっても信じ続ける。私の兄様だから……。


 これから、しっかりしないと……。

 同じ(てつ)を踏まないためにも、私は人質としての自分の在り方を見つめ直さなければならない。




 その後、私の髪を見たお父様やお母様、屋敷の皆が叫び出しそうなくらい驚いたけれど、ルクレツィオ兄様がしれっと、「おや? アリーチェの髪は生まれながらに濃紺ですよね?」と言い放ったために、誰もそれを否定できなかった。

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