婚約式
「うう、いよいよですね。緊張しすぎて吐きそうです。本当に私がこんなところにいてもいいんでしょうか? 場違いじゃありませんか?」
「アリーチェったら」
私が緊張でこぼした弱音に、今日の婚約式の準備を手伝ってくれている神子たちがクスクスと笑う。
「もうマリッジブルーなの? 早いんだから」
「そんなんじゃないです……。でも、とても偉い人がいっぱい来るんですよ」
「そんなことを言っていたら、婚礼の儀式の時はどうするの? 国内だけじゃなく、諸外国からたくさんの方をお招きするのよ。それに、いずれ王妃となったら、その偉い人たちと」
「あー! 分かった、分かりました!」
私はお説教が始まりそうな予感に慌てて、皆を止めた。そして精一杯、背筋を正し、胸を張ってみせる。
今日は婚約式だ。
婚約式は婚礼の儀式とは違い、二人の両親や親族、近しい人が招かれ証人となり、比較的小規模に行われるらしい。けれど、私たちはそうはいかない。王室と公爵家なので、当然ながら普通の婚約式のようにはいかない。大大的だ。
国内の主だった貴族がほとんど出席しているし、この婚約式が終われば、婚約が成ったことを国中に布告する。それを聞いて緊張しないほうがおかしいと思う。
「ほらほら、アリーチェ。殿下を待たせているのよ。早く!」
「ええ、そうですね。急いで泉まで行きましょう」
私は神子たちと一緒に、慌てて神殿の聖なる泉へと移動した。
比較的小規模に行われるのが通例といっても儀式は儀式だ。婚約式の前段階として、イストリア神殿の聖なる泉で、二人一緒に水を浴び、身を清めなければならない。
「…………」
といっても、いまいち感動が湧かないのよね。いつも見ている泉だし。
「アリーチェ」
「イヴァーノ! 待たせてごめんなさい」
「いや、私も今準備を終えたところなので、大丈夫だ」
イヴァーノは優しく微笑み、私の頭を撫でてくれた。私が「緊張して口から心臓が飛び出そうです」と、胸元を押さえながら笑うと、イヴァーノがよしよしとまた頭を撫でてくれる。
頑張ろう。頑張るのよ、私!
「アリーチェ、まだまだ不安なことが多く、幸せに満ち足りた婚約式にできなくてすまぬ」
「そ、そんなことありません! 私、じゅうぶ」
「だが、不安すらもすべて引っ括めて幸せにすると誓う。アリーチェ、愛している」
「えっ、きゃあ!」
イヴァーノは私の言葉を遮り、先に泉の中へと入り、ぐいっと私を引っ張り込んだ。水飛沫と共に、思ったより深かった泉の中に二人で沈んでいくと、イヴァーノが私の腰をぐっと抱き寄せる。
「……っ」
水の中でピッタリと体が引っついて、彼の顔が近づいてくる。
熱い。泉の水がお湯に変わったんじゃないかと思うくらい、熱い。
いつもの触れるだけの優しい口付けではなく、噛みつくような口付けに、私は眩暈がしそうだった。
イヴァーノ……。
唇が離れ、ゆっくり目を開けると、イヴァーノが私を抱き上げたまま、立ち上がる。水面から顔を出すと、その場にいた皆が少し頬を赤らめて、目を逸らしていたので、私はかぁっと全身が熱くなった。
やだ、恥ずかしい。
何をしていたかバレているわよね。
「イヴァーノ、恥ずかしいです。皆に見られちゃいました」
「今日くらい見せつけさせてくれ。アリーチェ、本日其方は名実共に私の婚約者となる。これほど、嬉しいことがあるだろうか。愛している、アリーチェ」
「イヴァーノ……」
イヴァーノの言葉に恥ずかしさより嬉しさのほうが勝った。私は熱くなった自分の顔を隠すように、イヴァーノの胸にすり寄る。
イヴァーノ、私も想いは同じです。
陛下を失望させないように頑張って、必ずこの幸せを確実のものとしてみせます。
私たちは想いを確かめ合うように力強く抱き締め合った。そしてその後は、儀式に則って、聖なる泉の中で祝詞を唱え、心身を清める。
祝詞を唱え終えると、泉の中がキラキラと光り出し、その光が私たちを包む。イヴァーノはその光の中、私に再度口付けた。
ああ、水なのにのぼせそう……。
死んで時間が巻き戻った時は、こんな日が来るなんて夢にも思わなかった。まさか私を殺した人が、私の生涯の伴侶だなんて──運命の人だなんて……。
そう思うと、私は幸せだったのかもしれない。間違いに気づき、運命の人の手で命を終えることができたのだから。
……今回の生も、願わくばイヴァーノ――貴方の腕の中で終えたい。次は二人で仲良く老後まで生きて、そうなれればいいと思う。
でもそれができないなら、私はイヴァーノを守る盾となって死ねたら、幸せだ。
◆ ◇ ◆
清めの儀式が終わると男性は白の衣装、女性は色ものの衣装を着用し、顔にヴェールをかける。私は着替えたあと浮き立つ心を抑え、控えの間で待ってくれているイヴァーノと鬼司教のもとへ向かった。
「アリーチェ、とても美しいぞ」
「ありがとうございます」
「ふん、馬子にも衣装だな」
「…………」
私は相変わらずの無表情で、そんなことを言った鬼司教をじろっと睨んだ。
イヴァーノは鬼司教の言葉を気にすることなく、とても嬉しそうに私を見つめている。
二人の態度の差がなんだか面白くて、ついつい笑ってしまった。
「あの、鬼司教。この衣装……婚約式が終わったら、お金に換えて神殿附属の運営費に充てませんか?」
「アリーチェ、こんな日に……其方は」
「でも、今日しか着ないドレスならお金に換えてしまったほうが、有意義です」
鬼司教が私の言葉に眉間に皺を寄せながら、溜息をつく。
男性の白の衣装は、司祭服みたいな神殿の正装的なものに似ているけれど、女性は違う。
女性はベールの色だけが白と決まっているが、家の経済力や地位などを誇示することを目的としているせいか、非常に豪奢なドレスだ。
色鮮やかな様々な色の絹やベルベットの布地を基調に、金糸や銀糸を使った複雑な刺繍。散りばめられた宝石の数々。貴族や家門のことを考えると見栄を張ることも大切とはいえ、自己顕示欲感がすごいドレスだ。
このドレスを資金に換えられれば、無駄にもならないし、診療所としてもかなり助かると思う。
私はじっと鬼司教を見つめた。すると、イヴァーノが思案顔で口を開く。
「神殿附属の診療所は、そんなにも資金不足なのか?」
「はい。どんな人でも平等にをモットーに運営されているので、基本的に診療費は少額しかいただいていません。状況によっては、もらわないこともあります。神殿は寄付と貴族に売るポーションの売り上げによって成り立っているのですが、診療所のほうは薬などが高価な場合が多くて……」
私がもう少し薬をたくさん作れればいいんだけど、中々難しいのよね。
いつかはもっとポーションをたくさん作って、貴族以外にも流通させたいし、神殿で使うポーション以外の薬も、もう少し効率的に作れるようになりたい。
現在、質のよいポーションや薬を作れるのは私と鬼司教、数人の司教達だけなので、人手も資金も足りないのが現状だ。なので、購入に頼るところが多い。私はそれを改善し、いずれは神殿内で必要な薬をすべて作れるようになりたい。
「なるほど。ならば、国の予算の一つとして出せるように働きかけよう」
「え? いいんですか?」
「当然だ。我が国としても医療を充実させるのは急務だ」
私がうんうん唸っていると、イヴァーノがそう言ってくれたので、私は今日一番幸せな気持ちになった。
ありがとうございますと抱きつくと、イヴァーノが抱き留めてくれる。
ああ、幸せだ。
「二人とも、話がまとまったなら、そろそろ……」
「はい!」
私たちは元気よく頷いて腕を組み、大聖堂へと向かった。
◆ ◇ ◆
「では供物を捧げ、婚約の誓いを行う」
鬼司教の声が大聖堂の中を響く。私とイヴァーノは、皆に見守られながら、粛々と儀式をこなした。
婚約の儀式では終盤頃に、指輪の交換という見せ場がある。
女性は男性に鉄の指輪を贈り、永遠に貴方のものになるという意思を示す。これは鉄が強さを象徴するというところから変わらない絶対的な心を相手に示す思惑があるらしい。
そして、男性からは宝石で装飾された金の指輪を贈るのが一般的だ。イヴァーノが用意してくれた指輪もダイヤモンドで装飾されていて、とても美しい。
「ダイヤモンドは美しい輝きを持つと共に、天然の鉱物の中では最も硬い物質だ。ゆえに、不屈の精神、永遠の絆、約束を示すといわれる。私の心を示すのに、これほど適した石はない」
不屈の精神、永遠の絆、約束……とても素敵な言葉だ。
今回の生では、私たちは永遠に寄り添い生きていく。その約束の指輪なのだと思うと、胸が熱くなった。
「永遠に変わらず其方を愛し守る。アリーチェ、受け取ってくれるか?」
「はい! 私も! 私もイヴァーノを永遠に愛し守ります!」
「二人とも、さっさと交換しなさい」
「は、はい……」
私がイヴァーノの想いに感動していると、鬼司教から早くしろと促されたので、私たちはお互いの薬指に指輪をはめた。
イヴァーノの指にはめる時も、自分の指にはめてもらう時も胸が高鳴って心臓が痛いくらいだ。
嗚呼。とても幸せだ。
今なら、不可能なんて何もないように思える。





