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命が終わった十五歳の夏②

 あれから一週間が経った。

 学院の夏季休暇は二カ月あるので、さすがに終わるまでにはお父様の頭も冷えるだろうと自分を慰めてはみるが出るのは溜息ばかりだ。



 この夏季休暇中、ドレスを仕立てるつもりだったし、装飾品だって新しく新調するつもりだった。それらを見せびらかすために、お茶会を開く予定を立て、すでに皆に招待状を送っているのに……。


 楽しい休暇が台無しだわ。


「……はぁ~っ」


 溜息ばかりが出て、そのうち反吐が出そうだ。私は陰鬱な気分のまま窓から外を眺めていると、ふと良い考えが浮かんだ。


「バルコニーから抜け出せたりして……」


 その自分の言葉に椅子からばっと立ち上がる。

 そうよ! シーツやカーテンを使えば、下に降りられないこともないわ! 物は試しよ! 早速……。



「あ、でも……ドレスが……」


 汚れてしまうわ。このドレス、気に入っているのに……。


 私はふと立ち止まり両腕を組み、うーんと唸った。そして自室につながる衣装部屋から、あまり使っていない乗馬服を引っ張り出す。


 私が家出をすれば、きっとお父様は泣いて悪かったと詫びるはずだもの。そうすれば、王太子殿下とのことも許すしかなくなるだろうし、ドレスや装飾品だっていくらでも仕立ててくれるに決まっている。



「ふふっ、そうしましょう。夜を待って、サヴェーリオ殿下のところへ遊びに行きましょう!」



 いずれ嫁ぐ国だし、一度この目で見ておかないと……。


 私はそう決めて、いそいそと夜の出発に向けて準備を進めた。




 ◆     ◇     ◆



「ふふっ、うまくいったわ」


 私はまんまと部屋を抜け出し、厩舎から自分の馬を引き出し、ほくそ笑んだ。


 きっと朝になって私がいないことに気がついたら、皆大騒ぎだろう。お母様はとても過保護なので、お父様を叱責するに決まっている。そうなれば、すぐにでも帰ってきてくれと頭を下げにコスピラトーレまで迎えにくるはずだ。



「完璧だわ」


 私はうきうきしながら馬を駆け、コスピラトーレ王国までの道を急いだ。


 できれば、夜明けまでには国境を抜けたいのよね……。


 イストリアは国土が大きい。けれど、コスピラトーレとの国境は、王都からそんなに遠くなかったはずだ。確か、王都を抜けたところに少し大きな森がある。その森の出口に国境門とイストリア軍の駐屯地があると聞いたことがあった気がする。


 だけど私……産まれてから一度も国を出たことがないのよね。少し不安だわ。迷子にならないかしら。



「まあ、とりあえず森を抜けてみれば分かるわよね……」


 そう考え、慣れない馬に振り落とされないように馬を走らせる。そして、王都を抜け森へと入った。



 ん?

 あ! あれが国境門ではないかしら?


 一晩馬を走らせ、そろそろ日が昇りそうだ。そう焦り始めた時に、やっとイストリアとコスピラトーレの国境門が見えてきて、ほっと胸を撫でおろす。


 だけれど、そこにはたくさんの軍隊がいた。国境に軍が配置されているのは当然だし、コスピラトーレは属国なのでイストリア軍が常に駐屯している。なので、何もおかしなことはないのだが、それにしては数が多すぎる。


 イストリアとコスピラトーレとの戦争が終わり、コスピラトーレが属国となって十五年が経つ。両国とも今はとても平和だ。それなのに、国境にこんなにもたくさんの軍は必要だろうか。


 あまりの物々しさに息を呑んで、慌てて馬を降りる。



 そっと物陰から見てみると、イストリアの紋章である有翼の獅子の旗が見えた。


 あの旗はイストリア正規軍のもののはずだ。近衛隊と騎士団で編制される国王直属の軍。



「嘘……。いやだ、もうバレたの?」


 私は──この時お父様にバレたのだと、迎えに来られたたのだと思った。自分を迎えにくるためだけに正規軍まで動かしたのだと、愚かにもそう思ってしまったのだ。


 どうしようと指揮官らしき人を見つめる。イストリア旗の下に剣を地に突き立てるように立ち、マントを(なび)かせている冷たい表情の人。その姿にハッとする。



 肩まである深緑の髪。とても端正な顔立ちだけれど、すべてのものに興味がなさそうな冷めたフォレストグリーンの瞳。

 あの何処となく血の通ってなさそうに見えるあの方を私は知っている。一度だけチラッと二番目の兄(ルクレツィオ兄様)と一緒にいるのを見かけたことがある……。



「あの方は……」


 イストリア国の第二王子であり、王妃が産んだ唯一の王子。イヴァーノ様だ。



 ど、どうして、王子殿下がこんなところに?

 私を迎えになんて、そんなこと絶対にあるわけがない……。


 お母様は国王陛下の同腹の妹君だから、私達は従兄妹にあたる。だが、上にいる二人の兄達と違って、私との交流はただの一度もない。


 父に頼まれたからといって、私を気にかけてくれるような方でもなかったはずだ。その違和感に、なにやら落ち着かない。変な汗が頬をつたう。



「…………」


 この付近で何か、あったのかもしれない。

 自分を迎えにきたというより、この近辺で何かあったゆえの物々しさだと考えるほうが妥当だろう。


 私は自分にそう言い聞かせ、けたたましく鼓動する胸元を押さえて深呼吸をした。



 けれど、一応挨拶をしなければ国境門(ここ)を通り過ぎることはできない。覚悟を決めた私は、深呼吸をしてから馬をひき、王子殿下の前に歩み出た。そして跪く。



「お初に御目にかかります、イヴァーノ殿下。ヴィターレ・カンディアーノの娘、アリーチェと申します」

「…………」


 私が跪いて挨拶をしても、殿下は感情のない目を私に向けるだけで、何も言ってはくれない。

 交流がないとはいえ、従兄妹を見る目には到底思えなくて、私は激しく動揺した。



 ルクレツィオ兄様はよく親友だと言っているけれど、こんな冷たい目をする人と何を楽しく話せるのかしら?


 なんだか怖い……。

 早くすませて通り過ぎよう。



「あ、あの……わ、私は、友人のところに遊びに行く途中でして……その……急いでおりますので、簡単なご挨拶で去ることをお許しくださいませ。では、御前を失礼いたします」


 そう言って立ち上がろうとした瞬間、殿下が私に剣を向けた。

 突然、喉元に突きつけられた切っ先に腰が抜ける。その場に尻餅をついて座り込んだ。


 どうして? と問いかけたくても声にならない。



 私のこと、賊か何かと勘違いしているの? でも私……今名乗ったわよね?


 がたがたと震えながら殿下を見つめると、彼の目がすっと細まる。


「アリーチェ・カンディアーノ。いや、コスピラトーレ王国第一王女と呼ぶべきか?」

「……コスピラトーレ王国第一王女?」


 誰それ?

 私はイストリア宰相ヴィターレ・カンディアーノの娘アリーチェなのに。


 やはり人違いをしているのだ。でもコスピラトーレの王女と勘違いしたからといって、なぜ剣を向けるのだろう。理解ができない。



「い、いえ、私は……アリーチェ・カンディアーノです。殿下の従兄妹ですわ!」

「従兄妹だなどと汚らわしい。叔母上も叔母上だ。人質の娘を甘やかし、己の娘として育てるから、このような痴れ者が育つのだ」


 人質……? 誰が……?

 叔母上って、お母様のこと?


 理解が追いつかない。

 ぐるぐると疑問だけが頭の中をまわる。



「アリーチェよ。其方はコスピラトーレから捧げられた人質でありながら、我が国を出奔した。その罪は重いぞ」



 出奔? お父様の言いつけを守らず、屋敷を出たのが行けなかったの?


 それにイストリアを出奔ってどういう意味か分からない。私は国を出て遊びに行くことも許されないというのか。


 まだ国境門を越えていないのでイストリアから出ていないが、反論できる雰囲気ではなくて、私はただひたすらに首を横に振った。


 でも、王子殿下の目は冷たいままだ。


 このままでは勘違いされたまま、牢に放り込まれてしまうかもしれない。そう思った私は震える声をなんとか絞り出した。



「いえ、逃げたわけではありません……。私は夏季休暇の間だけ、友人のところに遊びに行くつもりだったのです。ちゃんと休暇が終わる前には家に帰るつもりでした」

「黙れ! 人質である其方に、そのような自由があるわけがないだろう!」


 その怒号に体が大きく揺れる。立ち上がって逃げたくとも、腰が抜けているので立ち上がれない。



 人質ってどういう意味? 

 私はお母様とお父様の娘なのに。


 早く誤解を解かなければならないのに、理解のできない言葉がぐるぐると頭の中を巡って、うまく言葉が発せられなかった。



 夢……。そう、これは夢よ。何か悪い夢を見ているんだ。私は屋敷を出たのではなくて、きっと自室で眠っていて悪い夢にうなされているに違いない。


 もうすぐお母様が私を起こして、悪い夢でも見たのねと頭を撫でてくれるはずだ。そう自分に言い聞かせ、震える体をぎゅっと抱き締める。




「はいはーい。ストップ! そこまでだよ、イヴァーノ!」


 えっ? この声は!?


 よく聞き慣れた声に顔をあげると、とても焦った顔のルクレツィオ兄様が馬を駆って近づいてくるのが見えた。その顔を見た瞬間、安堵で涙がぶわっとあふれてくる。



「兄様! ルクレツィオ兄様!」

「アリーチェ、駄目じゃないか。父上と喧嘩をしたからと言って、勝手に家を出ちゃ……。心配したよ」

「ごめんなさい。でも、私……」


 嗚呼、いつもの兄様だ。濃い紫みのある青の髪が風に(なび)いてる。いつもみたいに優しげに細められた青の瞳が、これは悪い夢だと言っているようで、私は縋るように手を伸ばした。


 これで大丈夫。きっと誤解が解ける!



「ルクレツィオ。その者から離れろ。その者は、もう其方の妹ではない。人質としての責務を放棄した大罪人だ」


 大罪人……?


 その言葉に伸ばした手を引っ込めた。



 その後、ルクレツィオ兄様がどれほど庇ってくれても、殿下は厳しい姿勢を崩さなかった。そして、殿下は言った。私の処刑は王命だと……。



「ねぇ、イヴァーノ。じゃあ、アリーチェを僕にくれないかな? 屋敷から出さないから。大切に隠しておくから、僕にアリーチェをちょうだい?」

「はぁっ、やめろ。ルクレツィオ。王命に背くのなら、私は其方までをも手にかけねばならぬ。…………近衛隊長、ルクレツィオを捕らえよ。事が終わるまで、何処かに閉じ込めておけ」


 その言葉に絶望が襲ってきて愕然とした。


 嗚呼、もう終わりだ。

 いくらルクレツィオ兄様でも、近衛隊長に敵うわけがない。


 私は地面に座り込んだまま、項垂れる。涙がぼろぼろとこぼれ、地面に染みを作っていった。



「は? イヴァーノ! そんなこと絶対に許さないよ! イヴァーノ! アリーチェに何かしたら許さないからね! 分かっているのかい? イヴァーノ! アリーチェ、逃げるんだ!」



 ルクレツィオ兄様が近衛隊に拘束され、連れて行かれるのを呆然と見つめる。


 こんなところまで私を救うために駆けつけてきてくれた兄様を私は忘れない。

 近衛隊に拘束されても、ずっと私と殿下の名を呼び続ける優しい兄様の声を私は決して忘れない。



「アリーチェよ。人質としての逸脱した行ないの数々、今までどれほどヴィターレと叔母上により守られていたのか、其方は分からぬのであろうな」


 お父様とお母様が今まで私を守っていた?


 涙でぼやける視界で殿下を力なく見つめた。殿下の冷たい声が頭の中にひどく響く。



「だが、其方はカンディアーノ邸を抜け出し、我が国を出奔した。自ら、その役目を放棄した其方の行ないは、コスピラトーレを潰すには充分な理由となる。長らく人質としての役目、ご苦労であった」


 そう冷たい声で言い放った殿下は、淡々とした表情で私の胸を剣で貫いた。痛みで殿下に縋りついても、殿下は顔色ひとつ変えることはない。


 最期まで、彼は私を軽蔑したような目で見ていた。その目と剣が自分の胸を貫く感覚。私は自分の命の終わるこの瞬間を一生忘れないだろう。



 神様……。どうか、お願いです。

 次の生では己の分を弁えて、わがままに振る舞わず、勉学にも励み、静かに穏やかに生きていくと誓うので、どうか助けてください。


 そして願わくば、優しいルクレツィオ兄様が罰せられたりしませんように。



 神様、お願いいたします――

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