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狸の腹の内(イストリア王視点)

 アリーチェ・カンディアーノ――コスピラトーレからとった人質の王女。

 私は、マリアンナがその姫を引き取ってから一度も見ることも会うこともなかった。


 そもそも興味が湧かなかったということもあるが、マリアンナの好きなようにさせてやりたいという兄心もあったのだ。それと同時に、コスピラトーレの血を引くあの娘が疎ましくもあった。



 だが、あの姫はイヴァーノの心を射止めたどころか、全属性の魔力を示したのだ。それ以上に、私の興味を引いたのはあの気難しい首座司教を取り込んだことだ。あの男の庇護下に入った時点で、アリーチェはただの人質ではなくなる。イヴァーノがそこまでを考えてあの姫を神殿に入れたかは知らぬが、アリーチェは見事に己の価値を示した。


 これが興味をそそられぬわけがない。



「…………」


 あの当時、マリアンナが赤子に罪を背負わせることは許さない。この子はカンディアーノ家の娘として育てると、憤慨しながら詰め寄ってきた時、私はとても驚き、同時に不思議でたまらなかった。


 赤子といえど、たかだか敗戦国の姫。

 マリアンナが庇護してやる必要などないはずだ。


 だが、その姫が稀有な力を示した。なんとも皮肉な話だ。

 マリアンナに先見の明があったのか……あの姫に運を味方にする力があったのか……。それは分からぬが、今となってはこれで良かったのだ。アリーチェには人質以上の利用価値がある。


 好きなだけ大切にしてやればよい。そうすればするほど、それは総じてアリーチェの枷となるだろう。真綿で首を絞めるように、ゆっくり退路をなくしてやればよいのだ。


 我が国に大切なものが増えれば増えるほど、あの優しい姫は我が国のために命を懸けて戦うだろう。



「我が国のために、コスピラトーレ(祖国)と共に沈め」


 それが、アリーチェ。其方の宿命だ。


 愚かな姫だ。ただ何も知らず、なんの取り柄もないただの人質であれば、生き延びる道があったものを……。


 だが、己の価値を示し、私の関心を引いた。ならば、是非とも役立ってもらおうではないか。


 マリアンナには悪いが、もう充分なほどに親子ごっこを楽しんだだろう。そろそろ、返してもらわねばな。



 私は、にやりと笑った。

 それと同時に、ノックの音が響き、入室の許可を求める声が聞こえてくる。


 ベンヴェヌータが、アリーチェのことを報告に来たのだろう。私はそれを聞くために、入室を許可した。

 すると、彼女は入室するなり、侍女を下がらせ、部屋に盗聴防止用の結界を張る。


 なんとも厳重なことだ。


「陛下。アリーチェは、大層賢い娘でしたわ。マリアンナがとても大切に育てているのが、よく分かりました。……ただ思いのほか、イヴァーノが執心しているのが気になりましたけれど」


 溜息をつきながら難しい顔で、茶を淹れる彼女の姿を見つめる。


 力こそすべてのベンヴェヌータが認めるとは、珍しいこともあるものだ……。


「ふむ、イヴァーノが執心しているなら都合がよいではないか。アリーチェがイヴァーノの婚約者となれば、こちらからも口を出しやすくなる。だが、本当にアリーチェにその価値があるかどうかだが……」

「……あるでしょうね。それに人質としての役目を持つ妃など、別に珍しくもないもの。取り込んでおく価値は十二分にあるでしょう」


 私がベンヴェヌータに視線をやると、彼女は少し考えたあとに一度目を伏せ、淹れたばかりの茶をテーブルに置く。そして、椅子に腰掛けながら、真剣な表情で頷いた。


 どんな形であれ、我が国がコスピラトーレの王女の命を握っていられるならば、その立場が公爵令嬢から王子の婚約者となっても些末なことだ……。


 婚約者など、あくまで仮初めの妃に過ぎぬ。

 いくらでも替えがきく。必要なら、その地位くらいくれてやろう。


「首座司教が愛弟子と評したと聞いた時は気分が悪かったが、こちら側にとってよい風向きになってきたのなら、喜ばしいことだな」

「陛下。アリーチェにはもちろん価値がありますが、とてもいい子なのです。コスピラトーレの王女ということを抜きにして、考えてみてくださいな」

「ほう、其方も感化されたのか?」


 ベンヴェヌータは私の言葉に苦笑いし、お茶を一口飲んだあと、私をじっと見つめた。そして、また目を伏せてティーカップを見つめる。


「そうね。感化されたわけではないけれど、わたくしは試してみてもよいと思いました。アリーチェの死すら恐れない覚悟に」

「ならば、さっさとイヴァーノの婚約者として迎えようではないか」


 私がにこやかに笑うと、ベンヴェヌータが窓の方に顔を向けて、「この狸……」と独り言ちた。


「聞こえておるぞ」

「……あらあら、なんのことでしょうね」


 素知らぬ顔で窓を見たままの彼女を見ながら、溜息を漏らす。


 イヴァーノはまだ青い。

 真にアリーチェを守りたいなら、神殿に隠しておかなければならないのだ。

 神殿は()であっても手が出せぬ場所。だが、王子の婚約者として公式の場に引っ張り出せば、話は変わってくる。


 首座司教も分かってはいても自由にさせてやりたいと思う親心なのだろうが、甘い。その甘さに、いずれ足をすくわれねばよいがな……。


 私は満足げに笑いながら、手元の茶を飲み干した。


「まあ、これから先のことはアリーチェ次第ですわね。人質として、お飾りの妃となるか……、名実ともに真の妃となるか。楽しみですこと」

「是非とも、目障りなコスピラトーレを退けてほしいものだ。そうなれば、多少は認めてやろう」


 私のその言葉に、ベンヴェヌータが鋭い眼差しで睨んでくる。そのさまに私が笑うと、彼女は大仰に溜息をついた。


「貴方は相変わらずね。けれど、見事コスピラトーレを退けることができた暁には、その言葉どおり、アリーチェを認めるとちゃんと約束してくださいな。私はイヴァーノを泣かせることだけはしたくありませんよ。イヴァーノの正式な妃として認めていただきますからね!」

「さて、それはアリーチェ次第だな」


 私が彼女の言葉に茶化すように返すと、彼女は声をひそめることなく、「だから、狸って嫌いなのよ……」と次ははっきりと言った。その視線も言葉も挑発的だ。


「…………。ふん、どちらにしてもアリーチェとの間に子をなすことは許さぬ。コスピラトーレの血を残し、余計な火種を作る必要もあるまい。いずれ国王となるイヴァーノには正妃だけではなく、たくさんの側室を迎えてもらわねばならぬ。そうなれば、今のようにアリーチェひとりにかまけておられぬだろう」


 たくさんの妃と、たくさんの子ができれば、そのうちアリーチェなど忘れるだろう。それまでアリーチェの力を我が国のために酷使してもよいが、私としては早々にコスピラトーレと共に消してしまったほうが得策だとは思うがな。


 ベンヴェヌータの探るような目に、私は彼女の目をじっと見つめ返した。


 其方も息子可愛さに足をすくわれぬように気をつけねばなるまいな。


「……貴方が考えているように、うまく事が運ぶとお思い?」

「さて、それはやってみねば分からぬ」

「いいえ、それは許しません。アリーチェは全属性の魔力を示した国の宝。首座司教の愛弟子です。貴方が考えているように簡単には消せないわよ。それに、神殿と対立を生むつもりなら、消えるのは貴方ではなくて?」


 怒気を含んだ声で静かにそう言うベンヴェヌータに、私は(おど)けるように、両方の手のひらを上に向けた。


「……どうやら、其方もアリーチェに感化されたようだな。……分かった。其方がそこまで言うのなら考えておこう」


 今は認めてやろう。

 だが、私は諦めたりはせぬ。


 首座司教の愛弟子であり後継ぎとなる人質の姫など、目障り以外のなにものでもない。


 ならば、同様に目障りなコスピラトーレと共に消えるのが一番だ。

 アリーチェが婚儀を挙げ、イヴァーノの正妃となる日は決して来ぬだろう。


 アリーチェ、コスピラトーレを消せ。そして共に消えろ。


 そのために婚約式を開くのならば、実に楽しいことではないか。


 その思い出を冥土の土産にすればよい。

 イヴァーノも最初は悲しむだろうが、代わりの姫をあてがえばよいだけの話だ。もしもアリーチェの死如きで潰れるのなら、それまでのこと。私には代わりになる王子も王女もたくさんいる。


 正妃が産んだ王子――それしか価値のない王子など潰れても構いはせぬ。


 さあ、アリーチェ、イヴァーノ。

 私を存分に楽しませてくれ。来たる日の終わりまで。

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