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イストリア王妃①

 三人でお茶を飲んだあとは、領地に向かう準備があるから出かけると言ったライモンド兄様を二人で見送った。


 ライモンド兄様が乗った馬車が去っていくのを見ながら、ふーっと息を吐く。


「ルクレツィオ兄様、私は薬草畑の様子を見に行こうかなと思っているんですけど、一緒に来ますか? せっかく作ってもらったのにほとんど任せっきりなので、何株か神殿に移そうかなと思っているんです」


 薬草は塗り薬や飲み薬なんかも作れる。

 ポーションの流通は貴族のみで平民の手には渡らないので、神殿付属の診療所で魔法を必要としない普通の薬を作っているのだ。それにポーションは高価なので、風邪や小さい怪我などの大したことがない場合は貴族も普通の薬を使う。


 その薬の研究のために、家の庭に私専用の薬草畑を作ってもらったんだけれど、実際ほとんど帰宅できていないので、神殿に移したほうがいいと思ったのだ。


 すると、ルクレツィオ兄様が私の手を掴み、顔をじっと見つめてくる。



「その前に、話があるんだ」

「話、ですか?」

「うん。イヴァーノと付き合うことにしたと聞いたんだけど」

「え? あ、はい。報告が遅れてごめんなさい。イヴァーノに聞いたんですか?」

「そうだね、聞いたよ」


 はにかみながら頷くと、ルクレツィオ兄様の表情が曇る。明らかに機嫌が悪くなったと分かる表情に、私は戸惑いを通り越して、困惑した。


 どうしたんだろう?

 やり直す前から私の恋愛ごとには厳しい人なので、相談もなく決めたのをよく思っていないのかもしれない。



「相談もせずに決めてしまってごめんなさい、兄様。でも、私たち本当に想い合っているんです」

「イヴァーノの恋人になるということがどういうことか分かっているのかい?」

「もちろん分かっています。大変な道のりですが、頑張りたいと思っています」


 私が胸の前で両方の拳を握りしめてそう言うと、ルクレツィオ兄様が舌打ちをした。その舌打ちの音が耳に異様に響いて、私は拳を握ったまま動けなくなってしまった。


 ルクレツィオ兄様?


「イヴァーノがアリーチェを気に入れば、それがアリーチェを守ることにも繋がると思ったから、僕は許したんだよ。はぁ、油断も隙もない。アリーチェ。男は皆、オオカミなんだよ。十一歳で、男と付き合うなんて早いよ」

「兄様、でも……」

「僕はアリーチェの幸せを願っているよ。でもこれはそんな単純な話じゃない。……イヴァーノとの付き合いが陛下の耳に入れば、目をつけられる。僕としては、それは望ましいことではないと思っているんだけど、やめるつもりはないんだね?」

「はい」

「なら、頑張ってみるといい。僕はアリーチェがイヴァーノと付き合うのは反対だけど、君が望むのなら応援はしないけど見守ってあげるよ」


 ルクレツィオ兄様はそう言ったあと、去っていってしまった。私は去っていく背中を見つめたまま、しばらくその場から動けずに、頭の中で兄様の言葉を何度も反芻する。


 兄様が心配する意味は分かる。

 私に苦労してほしくないんだ。でも、頭ごなしに反対しないで見守ると言ってくれた兄様の気持ちは、素直に嬉しかった。応援はしないと言われたけれど、嬉しかったの。



 私はその後、自分の頬を叩き気合を入れ、気持ちを切り替えて庭にある薬草畑へと向かった。


 そこには色々な薬草が植えられていて、畑というより薬草園という規模に成長していた。


「作ってもらった時より、すごくなっているわ」


 すごく感動するし、管理と世話をしてくれている庭師には大感謝だけれど、これだけ規模が大きくなっていると移すのは大変そうよね。やっぱり何株かだけもらっていこう。


 私は庭師に声をかけて、今なんの薬草があるのかをリストにしてもらった。それを見ながら何を持っていこうか吟味しつつ、自室に戻る廊下を歩いていると、突然ガシャーンと大きな音が響く。



「え……?」


 なんだろうと思い、音のほうに様子を見にいくと、応接室だった。応接室にはお母様とお客様らしい女性の方、それからとても慌てた侍女たちがいた。



「ああ、申し訳ございません!」

「これくらい大丈夫よ。かすり傷だわ」

「そんなわけにはまいりません! 至急、手当てを……」


 話を盗み聞く限り、先ほどの大きな音でお客様が怪我をしたのだと分かった。なので、私は応接室に入り、薬草のリストを入り口付近にいた侍女にあずけ、お母様とお客様に歩み寄り、カーテシーを行なった。



「お初にお目にかかります。アリーチェ・カンディアーノと申します」


 挨拶をしながら、ちらっと怪我の様子を窺う。すると、割れたティーカップで左手の人差し指を少し切った様子だった。


 うーん。この程度なら、治癒魔法で治さなくても、塗り薬で大丈夫ね。



「もしよろしければ、私が手当てをさせていただいてもよろしいですか?」

「あら、もちろんよ。とても楽しみだわ」


 お客様は笑顔で快諾してくれる。

 私は了承を得てから、お客様の傷の状態を確認し、腰につけてあるポーチから乾燥させた西洋蓍草(セイヨウシソウ)をすり鉢に入れた。そして、ポーチから精油やオイルなどを取り出して加える。


 そのすり鉢に入れたものを、きめ細かくするために、すりこ木を三菱マークのように動かす。



「この西洋蓍草(セイヨウシソウ)は、よく『兵士の傷薬』ともいわれるもので、乾燥させると火傷や切り傷に効く軟膏を作ることができるんです。この軟膏を塗れば、傷跡が残らず、すぐに痛みも引きますよ。もしあとで、痛むことがあれば、またこれを塗ってください」


 私はお客様に声をかけてから、彼女の指先に作ったばかりの軟膏を塗った。そして容器に移し、お客様に差し出す。



「ありがとう。あの兵士の傷薬を即席で作れるなんて大したものだわ。アリーチェ、噂はマリアンナから聞いていますよ。突然の出来事にも冷静に対処し、とても優秀なのね。立派だわ」

「ありがとうございます」

「それにカーテシーを行なう時の動作が、一流の剣士のような身のこなしだったわ。まったく体の軸にブレがないもの。首座司教の指導の賜物かしら?」


 お客様は、軟膏と共に私の手を握り微笑んだ。

 その言葉に冷や汗が垂れる。私は慌てて誤魔化すように、にこりと微笑み返した。


 確かに私は、鬼司教から血反吐が出るような剣術指導を受けている。そこらの剣士より強い自信もある。だけれど、貴族の人にそれを気づける人がいるなんて……。


 私は驚きを隠しつつ、膝をつき、頭を垂れ、謝罪の意を示した。

 私が今求められているのは貴族令嬢としての振る舞いだ。剣士としてではない。気づかれるなんて、失態以外のなにものでもない。


「失礼があったようで、大変申し訳ございません」

「いいえ、アリーチェ。わたくしは褒めているのですよ。貴方の身のこなしや纏っている気は、そのまま貴方の努力を表しているんですもの。とても十一歳だとは思えないわ」


 お客様の予想外の言葉に目を瞬き、戸惑いつつ、お母様に目をやる。すると、お母様はニッコリと微笑み、私を立ち上がらせてくれた。そして、「この方はイヴァーノの母君よ」と耳打ちする。


 え……? イヴァーノの母君……?


「まさか……」

「ええ、そのまさかよ。この方はわたくしの義姉であり、この国の王妃。ベンヴェヌータ様よ」

「よろしくね。でも王妃だなんて堅苦しい呼び方はやめて頂戴。どうか、お義母様と呼んでおくれ」

「お、お義母様……」


 私は震える声で、そう呼んだ。すると、彼女は満足そうに笑う。


 ああ、私ったらなんという失礼を……。イヴァーノのお母様だと分かっていたら、もっとお淑やかにしたのに。ああ、どうしよう。失敗してしまった。


 まだ覚悟ができていないまま、こんなところでイヴァーノのお母様に会ってしまい、私はもうパニックだった。



「アリーチェ、なんという顔をしているの。わたくしは褒めていると言っているでしょう。それに、わたくしは手当てまでしてくれた貴方の優しい心に、大層感激しているのよ。本音を言えば、全属性の魔法を見てみたかったけれど……」

「も、もちろんです! 是非、させてください……!」


 私が跪き両手を差し出すと、お義母様は「あら、そう? 悪いわね」と言って、私の手に傷のある手を置いた。その傷に自分の手を重ね、ゆっくりと魔力を流すと、綺麗に傷跡が消える。


 ああ、よかった。うまくいったわ。緊張しすぎて失敗したら、どうしようかと思った。


 私が胸を撫で下ろすと、お義母様が嬉しそうに応接室にいる皆にその手を見せながら、ほうっと息を吐いた。


「見て頂戴。ちゃんと消えたわよ」

「わたくしの娘はすごいでしょう?」

「ええ、とても素晴らしいわ」


 楽しそうに話す二人を見ながら、私は少し気が抜けて座り込みそうになったけど、ぐっとこらえた。



「アリーチェ」

「はい!」


 名を呼ばれて、気を引き締めるように姿勢を正すと、お義母様は私の手を引き、立つように促したので慌てて立ち上がる。


 やっぱりイヴァーノのお母様だ。笑うと、とても似ている。彼女の持つ優しげな雰囲気に安心しそうになるけれど、私は心の中でかぶりを振った。


 この方は王妃陛下。それを忘れてはいけない。

 私は己の分を弁えなければ……。



「母上! いらっしゃっていたのですね!」


 その瞬間、開かれたままのドアからイヴァーノが入ってきたので、私は弾かれたようにドアのほうに顔を向けた。


「イヴァーノ……、ノックをしなさい」

「ですが、扉は開いたままでしたし、廊下まで声が聞こえていましたよ」


 二人のお母様が声を揃えて呆れたようにそう言ったけれど、イヴァーノはまったく気にする様子もなく、私の隣に来て、私の肩を抱いた。



「母上、紹介させてください。私が愛する姫です。未来のイストリアの王妃です」

「っ!?」


 イヴァーノの言葉に、私とお母様が目を見張り、イヴァーノのお母様が楽しそうな笑みを浮かべた。


「ちょっと、イヴァーノ! 物事には順序というものが……」

「何を言うか……。こういう時に紹介しないでいつするのだ?」

「で、でも、心の準備が……」

「大丈夫だ」


 イヴァーノがとても楽しそうに微笑みながら、私の手に口付ける。それを見たお母様が「イヴァーノ! アリーチェ! これはどういうことなの? わたくしは報告を受けていないわよ!」と金切り声を上げる。


「ごめんなさい、お母様」


 私が頭を下げると、お義母様が私の肩に手を置く。


 どちらのお母様も、やっぱり怒っているんだ。


「イヴァーノ、それを望むということがどういうことを意味するか……、すべて分かった上で言っているのね?」

「もちろんです、母上」


 お義母様は読めない笑みを絶やさずに、私とイヴァーノを静かに見つめたあと、一つ息を吐く。そして、含みのある笑みを浮かべた。



「ねぇ、イヴァーノ。貴方は知っていますか? アリーチェが、戦場に立つ者のような目をしていることを。死すら恐れない覚悟を決めていることを、そして最期の瞬間まで己の命運に抗おうとしている目をしていることを……」

「もちろん知っています。アリーチェ同様、私もすべてを知った上で、彼女を守りたいと思ったのです」

「そう……」


 私はすべてを見透かされているようなお義母様の瞳と言葉に、息を呑んだ。

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