桜の下、わかれのうた
数年前、門の内側で見上げた桜の下に、揺れるものは何もなかった。
まだここに居るから。
まだ帰って来れるから。
そんな驕りを持ったまま、泣きも笑いもしなかった。
悲しい気持ちはあったのに、今泣いていいのかが分からなかった。どうやって泣けばいいかも忘れ、かといって笑えるわけでもなかった。
でも、心にあった悲しみは、確かだったのだ。
泣けばよかった。
無理矢理にでも。
私が、私の心にしこりを作らないための方法は、感情を発散させることだと、わかっていたはずで。
自分の置かれた場所が、どんなに辛かろうが、笑顔も涙も、忘れていい理由にはならなかったのに。
今日、門の壁の外にはみ出た桜の下にも、揺れるものはやっぱりなかった。
もう行ってしまうのに。
もう帰っては来れないのに。
本当は笑うか泣くか、上手く表に出して消化したいのに、どちらも上手くできない。
こんなことなら、錆を作らないようにあの時に泣いておけば良かったのだ。気が済むまで。
別れは済んだのに、ちゃんと別れが出来たのか、わからない私。
そもそも、何がちゃんとした別れ、私は、何を悲しみたかったのだろう?
答えは、よくわからない。
帰れる確立した場所がなくなったことで、実家を失ったような気もしたし、そこが何だか知らない場所になったような気がしたのかもしれない。
あの人に会いに行こう、と仲間たちを集める大義名分が、なくなってしまうような気もしたのかもしれない。
でも、やっぱり答えはみつからない。
いつ見つかるのか答えがなんなのか、わかりもしない。
それでもただ一つだけ、今の私にわかることがあるとするのなら。
心の中で錆と化した感情は揺れてくれないまま、別れを終えたことだけだ。




