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妄想にお付き合いください

妄想にお付き合い下さい 4 選択

作者: 遠部右喬

 常に選択し続けることが、意識を持つ者の宿命だ。要所要所でやってくるそれを我々は無意識に選択し、そしてそれは殆どが二択だ。無数にある選択肢は、漏れなく「実行される」という選択か、「実行されない」という選択をされる。せいぜい「積極的な選択」か「消極的な選択」かの違いしかない。そして、選ばれた選択の先に新たな選択肢が生まれ、時に重大な選択を迫られる。エントロピーが常に増大に向かう世界で、一度選んだ選択のやり直しはきかない。例えばこうだ。


 若い男が道を歩いている。男は大学生だ。午後の授業の一つが休講になり、次の講義までの時間潰しに繁華街へ向かっている。その向かいからは華奢な人影。感心しないことに歩きスマホをしていた男が、何の気なしに顔を上げ、人影に気付く。

(うほっ、いい女)

 男の胸が高鳴った。彼の好みどストライクだ。男の視線に気付いたのか、女も男に視線を送る。一瞬、互いの視線が絡まる。目を逸らしたのは女の方だ。男は女に――        

選択→思い切って声を掛ける

  →声を掛けない


 男は女に声を掛けた。

「あの、すいません」

「はい?」

 男は困った。これまでの人生でナンパなどしたことが無かったのだ。声を掛けたはいいが、先が続かない。十数年の人生の中でTOP3に入る緊張に、眩暈すら感じる。男は逡巡し――

選択→勇気を振り絞り「今、お時間ありますか?」と会話に持ち込む

  →「すいません、何でもないです……」と会話を諦める


「今、お時間ありますか?」

「すいません、急いでますんで」

 女は軽く頭を下げ、歩調を早めた。

(アンケートかなんかと思われたのか?)

 男は焦り――

選択→「アンケートとかじゃないです」と、食い下がる

  →「失礼しました」と引き下がる


「アンケートとかじゃないです」

 追いすがる男に会釈をした女の脚が、更に早まる。最早競歩だ。このまま進めば駅前の大通りに出る。その前に――

選択→「ちょっと道を尋ねたいんですが」と、咄嗟に嘘を吐く

  →「ナンパです」と正直に言う


「ちょっと道を尋ねたいんですが」

 男の言葉に女が立ち止まった。男を振り返り、気まずそうに女は言った。

「ごめんなさい、なんかの勧誘かと思って……えと、どこをお探しですか?」

「あ、あー、えーと……」

 拙い、何も考えてなかった……男は咄嗟に――

選択肢→大通りにあるカフェの名を言う

   →適当な名前をでっち上げる


(駅近の店名じゃ、ちょっと案内されて終わりだよな。ここは一つ……)

「ホブォロレヅッペってショップに行きたいんですけど」

「⁉」

 女は目を丸くした。

(いやまて、俺。なんだよ『ホブォロレヅッペ』って)

 男は誤魔化そうと試みる。

「いや、あの、えっと……」

 狼狽える男に、女は笑顔を見せた。

「奇遇ですね、私も丁度行くところなんです。良ければご一緒しませんか?」

「⁉」

 女の言葉に、今度は男が目を丸くした。

 「あそこ、結構歩くし、分かり辛いところにあるんですよね」と、すっかり警戒心を解いた顔を男に向ける女と裏腹に、全く聞き覚えのない店名に、男の心が警鐘を鳴らす。男は――

選択→「すいません、やっぱりいいいです」と立ち去る

  →「助かります」と、女に礼を言って付いていく


「助かります」

 申し出を断るのは勿体無い。彼女は魅力的だった。女に案内され、すぐ脇の路地に入る。道々、女はにこやかに男に話しかけた。

「ショップに来るの、初めてなんですか?」

 男は――

選択→正直にナンパであることを謝る

  →ナンパであることなど、おくびにも出さない


「えっと、いつもはネットで……」

 男は目を泳がせながら適当に答えた。

「あ、私もです。遠いから、中々行けなくて……でも、やっぱり、実際に見て選びたいなって思って、久しぶりに来てみたんです」

 そうなんですか、あはは……と笑いながら、男は頭をフル回転させた。

(ホブォロレヅッペって何だ? ブランド、かな……でも、何のブランドだ? 服? キッチン用品? アウトドアグッズとか? 全然正解が読めない……)

「私の友達であそこを知ってる子居ないんで、ちょっと寂しいんですよね」

(だろうね。俺も初めて聞いたよ)

 男があいまいに頷くと、女は嬉しそうに話し続けた。

「ネットだと、実際の色味とか分からないですもんね」

「そ、そうだよね、やっぱり、直接手に取ってみないと」

(服か化粧品かな?)

「ですよね。匂いとか投げ心地とか」

(うんうん、匂いとか投げ、心地……だと……?)

「今日は何を見に来たんですか? ドマシコ? それとも、メロロブリン? あ、もしかして、新しく出たギュルモレッソとか?」

 女の口から次々と飛び出す謎の単語に、男は――

選択→「実は全然詳しくないんだ」と、会話を終了

  →「実は全然詳しくないんだ」と、会話を続ける


「実は全然詳しくないんだ。よければ、もっと詳しく教えくれません?」

 男の言葉に、女は少し顔を赤らめた。

「あ、もしかして、初心者さんなんですね。ごめんなさい、つい興奮しちゃって……えと、どういうのが好きとかあります? 例えば、ゴンヂュバスとウェジュヴァーだったらどっちが良いとか」

(何だそれ? ええと、ゴンヂュバスとウェジュヴァーだっけ……?)

選択→ゴンヂュバス

  →ウェジュヴァー


「ウ、ウェジュヴァー……かな……」

「私もです! 最初はウェジュヴァーから入る人多いみたいですよ。ウェジュヴァーに始まりウェジュヴァーに終わるって言いますもんね」

(いや、聞いたことないけど……何だかおかしなことになって来たな)

 男が横目で伺うと、笑顔の女と目が合った。女の心から楽しそうな笑顔に見惚れた男は――

選択→「あ、家から電話が……」と、電話に出る振りをして話を切り上げる

  →更に話を続ける


「く、詳しいんですね。もっと色々教えてくれると嬉しいなー……なんて……」

(このままだと、一体何だったのか気になって、今日絶対寝られない。それに、こんな可愛い子とこのまま別れるのは勿体無いぞ、俺)

「じゃあ、モルマンジは投げる派ですか? それとも剥く派?」

(⁉ 何その二択? スポーツなのか、いや、そうだとしても剥くはないだろ。まて、落ち着け、彼女のこれまでの言動を思い出すんだ!)

 男は動揺しつつ答えた。

「な、投げる派……?」

「わあ、そこも一緒! うふふ、仲間が増えたみたいで、何だか嬉しいです」

 女は声を弾ませる。可愛い。とにかく可愛い。男の鼻の下が伸びる。

「じゃあ、今日はドマシコを選ぶといいかもですよ。いい色があるといいですね。何色が好きですか?」

(色? スタンダードが分からない、ここは適当に……)

 男は――

選択→赤

  →白


「赤……が、あればいいな、なんて」

 男の答えに、女は暫くきょとんとして、それから明るく笑った。

「天然物売ってる店なんてないのにって、ちょっとびっくりしちゃった。冗談が好きなんですね」

「ははは……」

(天然物は赤いのか……そして店では手に入らない。成程、さっぱり分からん。でも、彼女の好感度は上がってる気がする。よし、このまま仲良くなって連絡先を聞き出すぞ)

 女はショップの品揃え等を楽しそうに話している。

「それで、店員さんがクァヴェレに齧られちゃったらしくて……」

(ホブォロレヅッペが何なのかなんて、後で調べればいいんだ。そもそも彼女に付いていけば、いずれ店には辿り着く……待って待って、今、齧られたって言ってなかった?)

 ますます謎が深まる。だが、今はそれ以上に確認しなければいけないことがある。男は――

選択→「恋人は居るんですか?」と聞いてみる

  →聞けない


「恋人は居るんですか?」

「えっ?」

 男の唐突な質問に、女は眉を顰めた。男はさも含みなどないかのように取り繕う。

「いや、一緒にショップに来ないのかなって。彼女が齧られたら困るから、一人で行かせたくないとか言われないんですか?」

 女は愁眉を開き「そういう人は居ません。趣味が同じ人がいいな、とは思うけど」と笑った。男は心の中でガッツポーズをとった。

 二人は話し乍ら、三十分近く路地から路地へと渡っていった。道は次第に細くなり、晴れ渡った昼間の都会とは思えない薄暗さを帯びる。結局、未だにホヴォロレヅッペが何なのかも分からない。浮かれていた男の胸に、次第に不安が広がる。

(平日とはいえ、やけに静かだな。何で誰ともすれ違わないんだ? つーか、今俺は何処に居るんだ?)

「もうちょっとで着きますよ」

 口数が減った男の心を読んだように、女が微笑んだ。男はいつの間にか詰めていた息をほっと吐いた。

「本当に分かり辛いでしょ? 私も最初、すごく道に迷ったんです」

 見知らぬ道を、どこまで歩くのかも分からないでいると、思ったよりも疲れるんだなと、男はぼんやりと考え乍ら女に頷いた。ともあれ、もうすぐ目的地らしい。男が安堵した時だ。

「そうだ、紹介状、そろそろ用意して下さいね」

「え、紹介状?」

 驚いて立ち止まった男に、女も驚いた顔になった。

「最近、質の悪い冷やかしの客が多いから、一時的にだけど、会員からの紹介がないと店に入れないようにするって、先週からホームページに注意書きが載ってました。もしかして、まだ読んでませんでした?」

「あ、はい……」

 がっかりしかけ、男ははっとした。

(いや、元々そんなショップに興味は無いんだ。そりゃ、ちょっとは何の店か気になるけど、何となくやばそうだし、行かないで済むなんて、寧ろついてるぞ)

 男は――

選択→ここらが潮時、女を諦める

  →もう少し粘る


「いやー、残念。改めて来ます。そうだ、色々教えて貰ったからお礼がしたいなーなんて……」

 男の言葉を遮り、女が微笑んだ。

「よければ、私の紹介ってことにしましょうか? 私、会員なんで」

「えっ、いやいや、初めて会ったばっかりなのに、迷惑はかけられません。それに、俺が怪しい人間だったら、君が後々困るでしょ?」

「怪しい人なんですか?」

 綺麗な瞳に真っ直ぐ見詰められた男の鼓動が早まり、同時に胸が痛んだ。

(そんな綺麗な目で見ないでくれ。本当は君に下心だらけで、店名だって、口から出まかせなんだ)

 己が不誠実であることに今更ながら気付いた男は――

選択→本当はそんな店は知らないと正直に謝る

  →今更言い出せない


「あの、俺……」

 今更嘘だとも言えず、せめてもの誠意と男はバッグからパスケースを取り出し、自分の学生証を抜き出して女に差し出した。女はそれを受け取り、じっくりと眺めた。女は男に学生証を返すと微笑んだ。

「これで、もう知らない人じゃないですね。安心して紹介できます」

「あ、いえ、そういうつもりじゃ」

「ヅッペのファンってまだあんまり多くないみたいだし、なんだか放っておけないんです。だから、遠慮しないで下さい。私がしたくてするんですから」

 にこにこしながら再び歩き出した女の隣を歩き乍ら、男は(ヅッペって略すのか……)と、どうでもいいことに感心していた。それから数分も経たず、女が路地の先の古めかしいビルを指さした。

「見えてきましたよ」

 男は覚悟を決めた。

(何の店か分からないけど、ここまで来たら楽しんでやる。そうだ、案内してくれたお礼とか言って、彼女に何かプレゼントしてもいいな)

 次第にビルが大きくなる。もう目の前だ。

 そして。

「あ……」

 ビルの入り口にはシャッターが下り、「臨時休業」の張り紙が貼られていた。

「『アルポメが破裂したため、店内清掃中です。ご迷惑をおかけして申し訳ありません』だって……それじゃ、当分お休みですね」

 女は肩を落とし、「済みません」と男に小さく謝った。男は慌てて手を振った。

「なんで謝るの? お店が休みなのは仕方ないよ」

「何だか強引に連れてきてしまったみたいで……挙句に、お店がやってないなんて、申し訳なくて」

(あ、うん、思いの外強引ではあったね)

 男は心の中で頷きつつ――

選択→ここまでかなと、女を諦める

  →ここまで来たんだと、女を諦めない


「あの、ええと、良ければ名前を教えてくれませんか? その、お店は残念だけど、今度また一緒に来てくれたらな……と……」

 女ははっとした。

「あ、ごめんなさい。私ったら、名前も言わないで……私、asjoiuz^wakoi;:って言います」

 肝心の女の名前が全く聞き取れず、男の口に曖昧な笑みが浮かぶ。少しの沈黙の後、「えーと、どういう字を書くのかな?」と小さく呟いた男に、女は名刺を差し出した。そこに書かれている文字は、電話番号だろうと思われる数字の並び以外、男には全く読めなかった。

 黙り込む男に、それじゃ、さっきの場所に戻りましょうか、と女が促す。男はこくりと頷き、二人は元来た道を歩き出した。

 女と肩を並べて歩きながら、男は訳が分からなかった。彼女の名前も聞き取れなければ、名刺(かどうか確信が持てないが)に書かれた文字も読めない。自分の頭がおかしくなったのか、彼女がおかしいのか、世界がおかしくなったのか、その全てなのか、判らなかった。ここまで目を逸らしてきた恐怖が男の背骨を這う。隣を歩く女の横顔は、あっけらかんと美しい。男は微塵の違和感も暗さも感じさせない白い顔から目を逸らした。

 来た時と同じ時間を掛け、二人は最初の道まで戻って来た。

「多分、私の名刺を渡せば、お店には入れると思います。次は、事前に店が開いてるか確認した方がいいかもしれないですね」

「はい……」

 男の口数が減ったのは、店に入れなかったからだと考えたのか、女は労わる様に付け加えた。

「もし、まだお店までの道が不安なら連絡下さい。家、ここからちょっと遠いんで、急だと困りますけど、事前に連絡頂ければご一緒しますから」

「そんなに遠いんですか」

(しまった)

 男は、深く考えずに己の口から出た言葉を悔やんだ。

「最寄り駅はlkjfamp@;:なんです。田舎でしょう?」

 そんなことないですよ、と呟く男の頭は、混乱を通り越し、考えることを放棄し始めていた。

(道に書かれた字もあそこの標識も、見慣れたものだ。店の張り紙だって読めた。きっと、彼女の活舌が悪いか、俺の目と耳が一時的におかしくなっただけだ。だって、他はどこもおかしくなってなんかないし、彼女は美人のままだ)

「私、もう行きますね。今日は、趣味の合う人とお話し出来て楽しかったです。それじゃあ」

「あ……色々ありがとう……」

 女はにっこりと微笑み、会釈して駅の方へと去って行った。男はその背中に手を振り乍ら呟いた。

「……学校行かなきゃ」


 いつも通りの講義を聞き、いつも通りのアルバイトを終え、男は自宅へ帰った。夕飯を済ませ、風呂に入り、人心地着くと男は――

選択→バッグを漁る

  →バッグを無視し、布団に潜り込む


 バッグからクリーム色の小さな紙を取り出した。隅に小さな花が印刷された、可愛らしい名刺。やはり電話番号しか理解できない。読めないというより、脳が文字として認識しないというのが正解だろう。

(やっぱり、夢じゃないよな)

 授業中もアルバイト中も、昼間の出来事はあえて頭から追い遣っていた。そうしていないと、黒いスーツにサングラスの人物が男の記憶を改竄する為に現れたり、外国の研究所に連れ去られたりしそうで怖かったのだ。だが勿論、そんなことは起きなかった。

 当たり前の日常に戻ると、あれは白昼夢だったのではないかと思えた。「ホヴォロレヅッペ」を検索してみたが、該当するホームページは見つからず、古めかしいビルも、臨時休業と日本語で書かれた張り紙も思い出せるのに、道順はどうしても思い出せない。バッグの中を確認しなければ、夢で済んだかもしれないのに。

(でも、確かに存在してるんだ。変な名前の店も、彼女も)

 異次元に放り出されたような心細さが遠のけば、自然と名刺の主が思い出される。

(可愛かったな。それに、すごくいい子だった。また会いた……いか? 違和感の大元だぞ)

 慌てて思い直すも、女の全く屈託のない笑顔が脳裏で煌めく。どんなアイドルや有名人よりも、一番好みにドンピシャの姿。

(でも、名前も分からないし……いや、聞いたけど、聞き取れなかったし。でもでも、すごく可愛かったんだよな。でもでもでも、普通じゃないんだよな、多分。でもでもでもでも、すごくいい子だったし……)

 女の『事前に連絡頂ければご一緒しますから』という言葉が、脳内で何度も再生される。その度に、手の中の読めない名刺を見詰める。何度もそれを繰り返し、男は――

選択→思い切って電話を……

  →思い切って……


 人生を左右するほどの選択があったとしても、我々はそれを知ることは出来ない。後々「ああ、あれがそうだったんだな……」と思うことはあっても、それ以外の選択の結果を知ることがない以上、それによって本当に人生が変わったのかは確認しようがない。先を知らない真っ暗な道を、手探りで進むのと同じだ。運が良ければ足元の大きな穴に気付くこともあるかもしれないが、大抵は穴に落ちている最中に気付くことになるだろう。

 だが、それがなんだというのだ。確かに落ちた穴の先で化け物が口を開けて待っているかもしれないが、若しかしたら美しい花畑が広がっているかもしれないのだ。尤も、その花畑が毒虫だらけでない保証はないのだが。

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