山夫転生
僕はずっと探している。小さいころに出会った、少女との思い出を。失くしてしまった、大切な、何物にも代えがたいはずのひと時を、僕は探している。
記憶というものは残酷だ。絶対に忘れられない、決して色あせることはない。そう強く、自分自身が思ったとしても、記憶はあいまいになっていく。そのときどんな髪型だったか、靴だったか、表情だったか、声だったか。そういった小さなところから、世界は綻んでいく。
いいや、こんな髪だった、靴だった、表情だった、声だった。そうやって強く思うほど、頭の中に疑念が生じる。絶対に?絶対にそんなだった?嫌だ!忘れたくない、間違えたくない、ほかの記憶と混ぜ合わせたくない…。
そんな葛藤をを繰り返すうちに、記憶はより不明瞭になり、実際に、確かに自分の目の前で起きた出来事のはずなのに、まるで夢の中での出来事だったかのようにも思えてくる。
そんな掴むことも、触れることも、確かめることもできないものを、僕は探しているんだ。
『まいごのまいごの こねこちゃん あなたのおうちは どこですか』
誰しもが聞いたことのあるであろう童謡。保育園や学校で、子供たちが歌う歌。ただの何でもないはずの歌なのに、僕はこの歌をふとした時に思い出し、口ずさむ。授業中やバイト中、お風呂の時や寝ているとき。なぜだかは分からない。けどこの歌は僕にとって何か意味のある歌なんだと思う。
僕と少女の記憶をつなぎ合わせるための、とても重要で大切な歌なんだと思う。
いつもと何ら変わらぬ朝が来た。朝食を食べ、顔を洗い、制服に着替え家を出る。学校に着くとみんながいる。僕は友達が多いわけではない。それこそクラスの中心に立ってみんなを引っ張て行く。なんてできる性格ではなく、誰かが気にしようとしないと気にされない。
僕は、仲佐了輔はそんな高校生だった。
特に秀でた才能があるわけでも、見てくれがいいわけでもない。平々凡々な人生を送ってきた。別に不満があるわけじゃない。これが自分なんだ。物心ついた時からはっきり分かっていた。
教室に入り、自分の席に座る。右から3列目の後ろから3番目。あたりとも外れとも言えない座席。隣には、天音悠希という女の子が座っている。家が近かったこともあり、昔から付き合いがある。僕の数少ない友人の一人だ。悠希の隣の席ということで、この席は僕にとってはあたりだ。
僕にも、何の取り柄もない僕にも、何人かは気の許せる友人がいる。だから、今のままで十分なんだ。変わろうとしなくてもいいんだ。そう、常々思っていた。
でも時々、ほんと不意に、自分でも分からないんだけど…。
このままではいけない。変わらないといけない。失くしてしまった何かを、もう一度取り戻さないといけない。そういった焦燥や、焦りにも似た感情が沸き上がるんだ。
そして、そんな感情と一緒に思い浮かぶ一人の少女の姿。笑っているのか、泣いているのか、そもそも顔すらわからない一人の少女。
「君は一体誰なんだ…」
小さく、とても小さく、呟いた。僕の記憶の脳裏に、微かだけど強く残る少女。変わらなくてもいい。現状のままでいい。そう思う僕を突き動かそうとする何か。
君は一体僕に、こんな何でもない僕に、何を求めてるんだ。分かりようのない堂々巡りを、僕はずっと続けている。
そんなことを思っていると、チャイムがもうすぐ鳴りそうになっていた。廊下や他所のクラスで喋っていた生徒たちが、続々と自分の教室へと戻っていく。
「了輔、おはよー。ボケっとしてるけど元気かい?」
そんなとき陽気な挨拶を僕にしてきたのは、悠希だった。
短く切りそろえられた茶色がかった髪に、目の下のほくろが特徴的な女の子。顔立ちも割と整ってるので、かなりかわいい部類の女子に入るだろう。
「おはよう、悠希。大丈夫だよ、ちょっと考え事してただけ」
「ならいいんだけど。考え事かー。困ったことがあったら、悠希委員長に何でもいってねー」
そう言って悠希は席につき、ニコッと笑った。
悠希はいつも明るくて、優しい。おまけに学級委員長まで務めている。そのため悠希は多くの生徒に慕われ、たくさんの友達がいた。僕とは違い彼女はクラスの中心、リーダー的存在だった。
僕は、そんな悠希と親しい間柄でいられていることを、とてもうれしく思っている。
「あれ、そういえば今日は、珍しく来るのが遅いね。何かあった?頼まれ事とか?それとも、もしかして寝坊とか?」
悠希はいつもホームルームの20分前には席についている。学級委員長たるもの時間に余裕を持って行動しないといけないから、らしい。遅くなるときは大抵、先生や友人から頼まれごとを引き受けた時くらいだ。
「やだなー、寝坊なんてするわけないじゃん、了輔。昨日急に先生に呼ばれちゃってさ」
悠希に限って寝坊なんていう、だらしない理由で遅くなるわけがない。わけがない。そう、悠希が寝坊なんてするはずがない。でも僕は、悠希が遅れてくるたび、寝坊したかと聞く。答えなんて分かりきってるのに、いつも聞いている。それがお決まりとなっていた。
「それで、どんな用事だったの?」
なんとなく呼ばれた内容が気になったので、そう言った。すると、悠希は、両の手を丸く握り胸の前に置き、よくぞ聞いてくれました!とでも言いたげな、ワクワクしてて楽しそうな顔を浮かべていた。
「なんと、なんと、ビッグニュースがあるんです。今日ね―――」
キーン・コーン・カーン・コーン
タイミング悪くチャイムが鳴った。それと同時に担任の先生がドアを開け、教室に入って来た。
「あー、まあビッグニュースはすぐにわかるよ」
悠希は目くばせしながら小声でそう言った。