8 フェリックスという元騎士に出会った
これだけ人が多いと宿屋が空いているのかちょっぴり不安になったミリアだったが、無事に二つ部屋が空いている良宿をみつけることができた。
「いい宿屋の見つけ方も追々教えるよ。まずは旅に必要なものを買いにいこう。俺は両替商を見つけないとな」
「わかった、ついていくね」
レストランでの支払いも宿代もミリアが支払った。やっとお世話になっている二人にお返しができて嬉しいミリアだったが、使ったらお金が減ることにも気づいた。当たり前のことだけれど。
あまり変な物を買わないように注意しないといけない。
……だけど、買い物の仕方も、市で他の人がやっていた値切りもよくわかんないから、とりあえずアルトについていって学ばせてもらおうっと。
無言のラジェと浮つくミリアを連れたアルトは、逸れないように後ろを確認しながら銀行で両替を済ませた。
「お待たせ。これで市場で買い物ができるよ」
「わーい! なに買う?」
「保存の効く食料と、普段着及び防寒着、あと飲み水。余裕があったらおもしろい食材や香辛料を見たいな」
「いいね! 私はよくわからないから見てるけど、またお金払うからね」
「いいよ、ミリアには食事代と宿代を出してもらったから、それで」
「そう? あ、そうだ。ラジェはなにか買いたいものある?」
「干し肉とピクルス、あと魚の干物」
見事に食べ物ばっかりだ。ミリアとアルトは顔を見あわせてクスッと笑った。
「じゃ、行こうか」
「うん! しゅっぱーつ!!」
……そしてテンションの高いミリアはやらかした。最初は見ているだけで満足していた買い物も、時を経るにつれて飽きてくる。
ミリアはフラフラと気になるお店を見つけては離れ、また戻ってアルトとラジェが同じところで買い物しているのを確認し、離れ……を繰り返しているうちに、ついにはぐれてしまった。
「どうしよう……二人はどこ? 宿屋はどっちだったっけ」
ここがドレンセオなら、どこからでも灯台が見えたから迷わず屋敷にたどり着けた。だがここはエルトポルダだ。
都市を覆う城壁も似たようなレンガが続いていて、高い建物が建ち並ぶ通りでは方角すら満足にわからなかった。
「うーん、困ったなあ……」
「なにか困りごとか? お嬢さん」
ミリアが地上に視線を戻すと、明るい金の髪にアメジストの瞳の男性が声をかけてきた。女性に困らなそうな端正な顔立ちが甘い笑みを浮かべている。
刺繍の施されたマントや、堂々とした立ち居振る舞いからして、どうやら貴族らしい。
腰に剣を帯びていて、アルト程ではないけど背も高くて体つきもガッシリしているから、騎士なのかもしれない。王立騎士団の服とは違うけど……
ミリアは少し緊張しながらも、なんとか言葉を返した。
「あの、道に迷ってしまったんです。ここがどこだかわかりますか?」
「それは大変だ。美しいレディが困っているなら放ってはおけないな」
彼は大仰な身振りでミリアの手を取ると、背を屈めて笑いかけた。白い歯が眩しい。
ミリアが戸惑っていると、すぐにその手は離された。
「ここはエルトポルダ一の大通りだ。この道がどこかわからないということは、この町に来るのははじめてだな? せっかくだから町を案内しよう」
「いえ、あの、連れがいるので……宿屋への道を教えてもらえたらそれで十分なんですけど」
「どこの宿屋だ? 可憐なお嬢さんが拐かされでもしたら大変だ、このフェリックス・エルトポルダが直々に送り届けてあげよう」
……フェリックス・エルトポルダ? あ、私この人のこと知ってる!
ミリアが昨年のデビュッタントで女王様に謁見した時、会場で大人気だった方だ。
たくさんの綺麗な令嬢に囲まれて、ダンスの相手としてひっぱりだこだった。
うわあすごいなー、疲れないのかなという感想を抱いた覚えがある。その時もご令嬢相手に完璧な笑顔だった。
ミリア自身は女王様の顔がきちんと見えないくらいの末席にいて、キルフェスお兄様と美味しいものを食べて、顔見知りの男性達から義理で誘われたダンスを数回踊っただけだから彼と面識はなかったが、一方的に覚えていた。なにせ、大層目立っていたので。
そっか、ここの伯爵の息子だったんだね。たぶん悪い人じゃなさそうだし、宿まで送ってもらおうかな?
「いいんですか? だったら、お願いします」
「もちろんいいとも。君、名前は?」
「ミリアージュ・ドレン……じゃなくて、ミリアです! ただのミリア! ミリアって呼んでね!?」
あっぶない、うっかりしていたけれど、そういえば王立騎士団から探されているんだった!
こんな騎士かもしれない人に本名なんて教えたら、すぐに捕まっちゃう!!
「ミリア? ミリア嬢か。可憐な君によく似合う可愛らしい名前だな。俺のことも気安くフェルと呼んでくれ。敬語もいらないぞ」
「そ、そんな訳には……あの、やっぱり領主の息子様に道案内なんてさせられないので、道だけ教えてもらえたら一人で帰るよ」
エルトポルダ伯爵の息子であるなら女王から匿ってもらえるという選択肢もあるのかもしれないが、覚えている情報があやふやすぎて役に立たない。
ミリア的には彼から離れた方が安全なように思えた。
「実は俺はこう見えて暇でな。王都で騎士として働いていたが、訳あって辞めたんだ。今は兄の元に身を寄せているが、正直仕事も多くない。優秀な兄が片づけてしまうから、俺のところまで仕事が回ってこないんだ」
ミリアは正直にいってその話に親近感を持った。しかも元王立騎士団の騎士団員だが、今はそうじゃないらしい。
……宿屋に送ってもらう程度の間なら、一緒にいた方が安全かもしれない? 今逃げだすのも変だし、ここで一人になるのも怖いし。
「へー、そうなんだね。私のところのお兄様も優秀だから、私が手伝えることってほとんどないんだよ。一緒だね」
「ミリア嬢はそこにいるだけで役に立っているだろう? きっと花のように可愛らしい君に、兄上は癒されているはずだ」
「あはは……」
歯の浮くような台詞を平然と口にするフェルには、苦笑いしか湧いてこないミリアだった。
王都の女の子達はこういうの好きなのかもしれないけど、私はそんなに褒められると居心地悪いかも。
ミリアの苦笑いを敏感に察知したフェリックスは話題を変えた。
「ところでミリア嬢、ここへは旅の途中で立ち寄ったのか?」
「旅……そうだね。私、王都に行くつもりなの」
「王都?」
ピクリとフェルの眉が上がる。
「……今王都に行くのはおすすめできないな。女王が無差別に貴族を捕らえている上に、市政の者からも行方不明者が連日出ている。ミリア嬢のようなか弱い乙女が向かうには、あまりにも危険な場所だ」
そんなことになっているなんて。危険だという言葉が、ミリアの肩にズシリと伸しかかる。
「うん、危険なのはわかってる……だけど、行かなきゃ」
「どうしてそこまで思いつめているんだ?」
「それは……」
「ミリア! みつけた、ラジェこっちだ!」
「アルト!」
アルトが細い通路の向こうからミリアの元へ駆けつけた。ラジェもすぐ後ろについてきている。
アルトは肩で息をしながら、ミリアの目の前で止まった。
「やっとみつけた……一人で出歩かないでくれ、心配したよ」
「ごめんなさい」
「いや、こちらも目を離してしまってごめん」
ミリアは神妙な態度で謝った。ラジェはもういなくならないでというかの様に、ギュッとミリアと手を繋いだ。
「どうやら連れが迎えにきたようだな。では俺はこれで……ん!? お、お前は!」
背中で一つに括った長い髪をバサリと翻し、颯爽と立ち去ろうとしたフェリックス。彼は突然振り返ると、アルトリオを指さし叫んだ。
ミリアとアルトは面食らい、顔を見あわせた。
「知りあいなの?」
「知らない」
「知らないとはなんだ! 忘れもしない十年前、俺の初陣をめちゃくちゃにしてくれた悪のゼネルバ人!」
ビシィ! とポーズを決めたフェリックスに、ラジェが白けた目を向けている。
「……やっぱり知り合いなんじゃ?」
「うーん、こんな人いたかな……いや、覚えがない」
腕を組み、真面目に考えても思いだせないアルトリオを見て、フェリックスは大袈裟に嘆いた。
「なんだと!? ミリア嬢、こんな怪しい男と一緒にいてはいけない、俺と来るんだ」
「なに勝手に連れていこうとしてるのかな? させないよ」
剣の柄に手をかけるフェリックスを見て、アルトリオはミリアとラジェを背中に庇い、杖を構えた。
ミリアが青空色の瞳を瞬かせて、ハラハラと見守っていると、ラジェにくいっと手を引かれる。
「ミリア、行こう」
「え、でも……アルト達は?」
「ほっとこう」
うーん、私が止めてもややこしくなりそうだし、行った方がいいのかなあ?
迷っていると、アルトが後ろ手にジェスチャーをした。
なになに? 行って……よし?
「わかった、帰ろっか」
「おい。なんだその怪しい動きは! この妖術使いめ!」
「法術だってば。相変わらず頭固いなあ」
「やっぱり覚えているではないか!」
「今思いだしたんだよ。当時おかっぱ頭だったよね? まだあの方が可愛げがあったよ、今からでも髪切れば?」
「言わせておけばいけしゃあしゃあと……! 覚悟しろ!」
大変賑やかな後ろの男二人を置いて、ミリアとラジェは一足先に宿に戻った。