7 姫様ベッドと城壁都市エルトポルダ
結局、朝のんびり水浴びをしたからか、その日のうちにはエルトポルダにたどり着けなかった。
日が暮れて、燃える焚き火を見つめるミリアの顔は、野宿初日とは違って活力がある。ミリアはだいぶ野宿に慣れてきていた。
「元気になったみたいでよかったよ」
「私、そんなに顔に出てた?」
「まあね」
アルトリオはいつもと変わらないテンションで、にこりと笑った。そんな風に笑うと、優しげな顔立ちが更に優しく見えて、ちょっといいなあとミリアは見とれた。
「実のところ、ミリアがどんな人か俺も知らないから、わがまま令嬢だったらどうしようと思ってたんだ。ちゃんと歩いてくれるし、話も普通にしてくれるし本当助かってるよ」
「え、そんなことでお礼を言われても……私が貴族令嬢らしくないって言いたいの?」
「そうじゃなくて、ミリアがミリアでよかったなと思っているだけだよ。これからもよろしく」
私なんて、お姉様と比べて女性的な魅力も足りないし、ずぼらだし、お転婆すぎて婚約者すらなかなか決まらなかったのに。
貴族令嬢としては失格な、そういう私でもいいって言ってもらえるなんてなんか新鮮だな。ちょっと嬉しい。
「……うん、こちらこそよろしくね」
ラジェははにかむミリアをじっと見つめた後、なにも言わずにスープに口をつけた。
今日のスープもアルトが作った。昼間ミリアが、魚を入れたらもっと美味しそうと呟いたせいか、さっきラジェが川で獲った川魚が入っていた。
ミリアは早速スープを一口含む。
「美味しい!」
「魚の風味が効いてるね。うん、これはいい」
「……」
ラジェも無言のままスープ皿を空にしている。気に入ったみたいだ。
「アルトはどこで料理を覚えたの?」
「覚えたというか、見様見真似だよ。ちゃんと習ったわけじゃないんだ」
アルトが鍋の残りをかき混ぜた。じっとそれを目で追っていたラジェに注いであげる。
彼女は視線でアルトにお礼を告げると食べはじめた。
「料理は実験と似てるからおもしろいよね。この旅で新しい食材に出会ったら、またスープに加えてみたいな」
「実験と似てる……?」
なんだか不穏な単語が聞こえた気がするんだけど、気のせい?
ミリアは料理も実験も両方したことがないので、どこが似ているのか上手く想像ができなかった。
「美味しくできたらミリアとラジェにも分けてあげるよ」
「あ、ありがとう」
「おかわり」
ラジェはもう食べ終わったようだ。
お魚そんなに気に入ったんだ、よく食べるなあ。その細い体のどこに入っているんだろう。
アルトもラジェもよく食べた。ミリアは早々にお腹いっぱいになったので、今日の寝床を居心地よくしようと思い立ちあがる。
「待ってミリア」
ミリアが立ちどまると、ラジェが亜空庫から大きなものを引っ張りだす。森の中の開けた場所が埋まるくらいに大きなそれは……
「……わあ」
なんと天蓋つきのベッドだった。アルトのテントよりも大きい気がする、超キングサイズ。
可愛らしい桃色の布がかかっていて、装飾も凝っている。こんな森の中にあるには場違いに優美なベッドだった。
「すごいね、これ……私も使っていいの?」
コクリと頷くラジェ。何重にも重ねられた薄布と、その上にかけられた厚い布を潜ると、ピンクや薄紫、白でまとめられたファンシーなクッションが出迎えてくれた。
「うわあ、素敵! お姫様のベッドみたい!!」
「外からは見えない」
「ほんと!? じゃあ遠慮なく寛がせてもらうね、ありがとう!」
綺麗な服に着替えてベッドに飛びこむ。柔らかで床に響かない、あったかい! 上質なシルクのシーツに、ミリアは夢見心地になった。
アルトの驚いたような声が布越しに響く。
「……これ、目立つよな」
「法石を埋めこんである」
「法石! それってどの程度の質の? 見ていい?」
「駄目」
「……まあ、大丈夫ならいいけど。空間認識阻害を法石にさせているってことだよね? そっか、その手があったか。俺も今度からベッドを持ち歩こう、次に国に帰ったら参考にさせてもらうよ」
「雨の日は使えない」
「流石にそうだろうね。そこまで法術で対策できてたらびっくりだよ、どれだけの時間と労力がかかることやら」
ベッドの外の音は明瞭に聞こえてきた。
見えなくても音はしっかり伝わるんだね……はしゃぎすぎるのはやめようかな、うん。
二人の会話はなんだかよくわからないけど、アルトがなにも言わないってことは安全だってことだろう。
今夜は野宿だけど、野宿じゃない! ミリアは嬉しくなって、自然と口元がニヤけてしまった。
そしてラジェにくっつかれて寝た。このベッドを使わせてくれるなら、そのくらい全然オッケーとミリアは思った。
夏の終わりも近づき、夜はもう冷えるので、抱きつかれても暑すぎずに快適な夜を過ごした。
*
次の日。最高のベッドで素晴らしい睡眠をとったミリアは順調に歩を進め、おかげで昼頃にはエルトポルダに到着した。
都市エルトポルダには立派な城壁がある。その威容から、城壁都市と呼ばれることもあるくらいだ。そびえたつ城壁のその外側には、長閑な穀倉地帯が続いていた。
夏が終わる頃とあって麦畑はほとんど刈り取られ、落穂拾いをする農民の姿がちらほら見えた。
「今年は豊作だったのかな、パンが売っていたら買いたいね」
「私がお金を出すよ!」
「そう? じゃあこの都市に両替商がいなければ、その時はお願いするよ」
都市の入り口である大門には、馬車による長蛇の列ができていた。徒歩の列もそれなりに長く、ミリア達も最後尾に並んだ。
暇ができたので、ミリアはアルトから簡単に貨幣の使い方を学ばせてもらった。あとで実地で使ってみよう。
「人が多いな、市でも開催されてるのかもね」
「市場があるの? 私いろいろ足りないから買い揃えなきゃ」
ミリア達の番が近づくと、前方にいる人がなにやら通行証のようなものを門番に見せているのがわかった。
「あっ、通行証! 私持ってきてない」
「心配しないで、俺が持ってるから」
アルトが懐から取りだした羊皮紙には、威厳のある字体のゼネルバ語が書かれている。パッと見ただけでは、何が書いてあるかミリアには読みとれなかった。
「はい。これでよろしく」
「確認します。……これは! どうぞ、お通りください」
アルトがミリアから借りうけたアーガル銀貨数枚を渡し、通行証を見せると、門番は快く道を譲ってくれた。
「アルトはゼネルバでは高い地位にいる人なの?」
「高い地位にいる人と友達なだけさ。さあ、町に入ろう」
高い地位にいる人と友達になるためには、それなりの地位が必要なんじゃ、とミリアは思ったが、追求するよりも町の華やかさに気をとられた。
「町の中に赤い旗がたくさん飾ってあるよ、ほらあそこにも!」
「もう少ししたら収穫祭の時期だし、それでかな。んー……あ、わかった。今年のビールのお披露目だよ、あれを見て」
亜麻布や香辛料、海産物の干物などの市が立ち並ぶ通りの向こう、レストランで地元の人が乾杯していた。
「すっごくいい匂い……ねえ、あのレストランでランチにしない?」
「いいね。ああでも、先に両替を……」
「ここは私が出すから大丈夫! ほら、行こ!」
ミリアは早速二人に恩返しができると張りきって、二人の手を引いてレストランに入店した。
地元の麦を使ったパンや、川で獲れた魚料理に舌鼓を打った三人は満足して食事を終えた。
店から出て、周りをそわそわ見渡しながら歩いていたミリアは、アルトに尋ねた。
「ねえ、後でいろいろ見てまわってもいい?」
「もちろんいいよ。宿を見つけたらみんなで店をまわろう」
「やった! ラジェも行くよね?」
ミリアのテンションの高さに引いているのか、若干距離を取りながらもラジェはコクリと頷いた。