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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第五章
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98話「交差する思惑」

 私は内心で困惑を覚えながらも、暫くの間は平静を装って様子見していた。

 けれども、ベレス王は夢見心地な面持ちのまま微動だにしない。

 さすがに居心地の悪さを感じ始める。


 それに、相手にそういう意図はないのだとしても、陛下以外の誰かにずっと手を握られているのも良い気はしない。

 何か言うべきか、それともまだ様子を見るべきか。

 大いに悩んだ私だったけど、ベレス王が先に口を開いた。


「……美夜よ。美桜子が用意した部屋は気に入ってくれたかな?」

「ええ、とても……お気に召しました」

「そうかそうか、それは良かった」


 王は目を細めて笑うと、一瞬だけ母に視線を移し、それから再び私を見た。


「美桜子が、お前のために家具や小物全てを選んで準備してくれたのだよ。お前と再会した時のためにね」

「はい」


 短く答えてから母に視線を向けると、にこにこと笑って頷くのが見えた。


「美夜ちゃん、他に足りないものや欲しいものはないかしら? この際だから、ベレス様におねだりしちゃったら?」


 母のその言い様に、少しばかり呆れてしまう。

 あまりにも馴れ馴れしい物言いだけど、ベレス王は気を悪くした様子もなく、それどころか母に同意を示す。


「ああ、そうだとも。むしろ、私のほうから申し出るべきだったね。いや、気が利かなくて申し訳ない」

「いえ、そんな……」


 首を左右に振ろうとしたところで、ふと思い至ったことがある。

 アスヴァレンに宛てた手紙は、書き上げたもののまだ部屋に置いたままだ。

 ティエリウス王を通してならば、エレフザード陛下に直接手紙を届けることもできるのではないだろうか。


「でしたら、一つお願いしたいことがあります」

「うむ、何でも言いなさい」

「ブラギルフィア国王宛てに、手紙を送りたいのです」


 私の言葉に、ベレス王は笑みを貼り付けたまま固まった。

 しまった、あまりに唐突すぎる切り出し方だったか。

 私は慌てて頭の中で言葉を構築し直す。


「ご存知の通り、私も母も別の世界から訪れた稀人です。そして、私はこの世界に来たばかりの頃、エレフザード王に大変お世話になりました。……今は紆余曲折あってこちらに身を寄せていますが、不本意ながら何も言わずに出て来た形になってしまいまして……それで、手紙で無事を知らせておきたいのです」

「……ふむ。なるほどな」


 ベレス王は、相変わらず柔和な笑みを貼り付けたまま頷いた。

 ……何だろう。

 私は言い知れぬ空恐ろしさを覚えた。


 王が浮かべた笑みが、ある意味で無表情に思えて来た。

 さり気なく彼の表情を観察してみるも、内心では何を考えているのか全く伺うことができない。

 大抵の人間は、眉や口元といった場所に何らかの形で感情が反映されるものだけど、彼にはそれが見受けられない。

 私の内心の動揺を余所に、ベレス王は笑みを深めて頷いた。


「そういうことなら、わかった。手紙を書き終えたら、侍女に渡しなさい。必ずやブラギルフィア王へと届けるとしよう」

「ありがとうございます」


 もしかしたら、全ては杞憂だったのかもしれない……と思うほど、私は楽観的ではない。

 一抹の不安を覚えたまま、丁寧にお辞儀をしてみせる。

 その時、空咳が聞こえて顔を上げると、ベレス王が枕に上体を預ける姿が見えた。

 心なしか顔色が悪いようだ。


「ベレス様!」


 母が心配そうにベッドの側へと駆け寄り、膝を折ると彼の顔を覗き込む。

 王の手や顔に触れながら言葉を続ける。


「ああ、また熱が出て来たみたいだわ。ごめんなさい、無理をさせてしまったから」


 申し訳なさそうな母に、ベレス王は浅い呼吸を繰り返しながら首を左右に振る。

 どうやら、これ以上は喋ることさえ辛いらしい。


 不味い、と思った。

 王の部屋に私たち二人だけを残していくことを、臣下たちは反対していた。

 この状況で王の容態が悪化したとなれば、私たちが責任を問われる恐れがある。

 それどころか、私たちが何かしたと疑われるのでは?


 そこに思い至った私は、慌てて扉へと向かう。

 その足音に気付いたか、私が扉に手を掛ける間でもなく外にいる兵士が開けてくれた。


「どうしました?」


 緊迫した声でそう尋ねたのは、王に苦言を呈した医師だ。

 彼は私の返答を待たず、部屋の中を覗き込む。


「陛下のご容態が……」


 私が言い終わる前に、彼は急いで王の側へと駆け寄る。

 他の医師たちもそれに続いた。

 それから、彼らは手慣れた様子で各々道具を取り出してベレス王の診療へと当たり始める。

 母はと言えば、その場から離れようともせず、ベレス王の手を握りながら彼に呼び掛けていた。


 最早、私のことを気に掛ける者は誰一人としていない。

 いつのまにか閉まった扉の前にて、暫く佇んでいたけれど、ベレス王の診療にはまだまだかかりそうだ。

 そして、母を含めた全員の感心が私ではなくベレス王に向けられているのは疑うべくもない。


「……部屋に帰っていいかしらね」


 帰っていいだろう。

 うん、帰ろう。

 そう決心して部屋を出たところで、母の従者であるグレン・ハーストとばったり会った。

 そういえば、彼のことをすっかり忘れていた。


「あ……」

「部屋までお送りいたします」

「それは……その、助かります」


 彼はいつも通り無表情のまま、自分がするべきことだけをするだけだと言うように、簡潔に告げた。

 何が起きたのか、母はどうしたのか、そんな余計な質問をしない姿勢は正直有り難い。

 彼と二人きりというのは少々気まずいけれど、一人で部屋に辿り着ける自信もあまりない。

 前を行くグレンについて歩き出す。


 道中、グレンは余計な雑談を振ることなく、時に私がついて来ているか確認しつつ歩みを進めた。

 それなりに複雑かつ長い道のりを歩きながら、グレンが同行を申し出てくれて助かったと心の底から思った。

 それと同時に……あまり考えたくないことではあったけれど、私に見向きもしなかった母を思い出すと胸が痛む。


 自室の扉が見えた時、私は安堵を覚えつつグレンへと向き直った。

 礼を述べ、労いの言葉をかけるつもりが、私へと向けられた目に気付いた瞬間に固まってしまう。

 グレンは、まるで射貫くような目で私を見つめていた。


「あの……」

「これはとんだご無礼を」


 感情の篭もらない声で言って、小さく頭を下げた。

 再び私へと視線を向けたものの、先ほどのような圧は感じない。

 このまま部屋に入ろうかと思ったけれど、一瞬の逡巡の後、口を開いた。


「私の顔に何か付いていますか?」

「いえ」


 彼の言葉は極めて簡潔で、抑揚というものがまるで感じられない。

 続く言葉を暫く待っても、なかなかその素振りを見せないし、これで会話は終わったものと諦めかけた時だった。


「……貴女は、美桜子殿のご息女だと伺っております」

「え? ……はい、その通りです」

「それは、紛れもない事実なのですか? とても母娘というほど年が離れているようには見えない」


 予想外に饒舌な彼を目にし、私は面食らってしまう。

 私と母の年齢の開きがなさすぎるのは、確かにその通りなのだけど、まさか彼がそんなことを気にするとは思わなかった。


「美桜子殿の話を伺った限りでは、ご息女はまだ十にも満たないものとばかり思えました」

「……深淵(アヴィス)は、人が住む世とは全く異なる場所。時間概念というものが、存在しない空間なのです。そして、私たちは深淵(アヴィス)で隔てられた世界から参りました。母がこちらの世界で二年間過ごしている間、私は八年の月日を過ごした後に現れたのです」

「なるほど。そして、美桜子殿は、貴女が深淵を無事に渡ってこの世界に現れることを確信しておられたと」

「母は、昔から暢気で楽天的な人でしたから」


 グレンの言葉に動揺を覚えながら、私は適当なことを言って誤魔化した。

 いったい、この男はどこまで知っているのだろう。

 あるいは、何を疑っているのだろう。


 考える間でもなく、私の存在は彼らから見れば怪しすぎる筈だ。

 改めて自分の言動を振り返ると、余計なことをペラペラと喋りすぎた。

 ここは、これ以上の失言をしてしまう前に引き下がるべきか。


「それに、貴女も随分とこの世界にお詳しいようだ。昨夜、到着したばかりとは思えない」

「全て母からの受け売りですが」


 私が言うと、グレンは再び私を凝視した。

 けれども、今度はほんの一瞬だけだった。


「……失礼いたしました。少々、喋りすぎたようですね」

「いえ、許します。もう引き下がって結構です」

「はっ」


 脇腹に手を添え、恭しく頭を下げるグレンを一瞥した後、私は自室へと入った。

 内側から鍵を掛け、ヨロヨロとした足取りで長椅子へと歩み寄ると、身を投げ出した。

 ようやく一人になれたことに安堵すると共に、詰めていた息を吐き出した。


 何だか、もの凄く疲れてしまった。

 でも、まだ休んではいられない。

 すぐにでも、陛下に手紙を書かなければ。

 暫く休んだ後、私は意を決して長椅子から立ち上がると机に向かうことにした。


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