97話「ティエリウス国王と対面」
母がようやく重い腰を上げたのは、それから小一時間ほど経過してからのことだった。
その間、気が気でない私とは対照的に、母は「そろそろ行きましょうか」と暢気に言った。
母はグレンを呼び寄せて、彼に同行してもらう形で国王の部屋へと向かう。
王城の中を進むに比例して、警備体制が物々しくなっていく。
私たちに向ける目も優しいものではなく、明らかに敵意を込めた視線を向ける者もいた。
主に母に対してだけど、私は私で怪訝な顔をされることが何度かあった。
サリクスは、私の母のことを女狐と称したけれど、そう思っているのは彼だけでもないのかもしれない。
やがて、一際重厚な扉の前までやって来た。
扉の前には、完全武装の兵士二人が立っている。
「お待たせー。娘とお茶をしていて、遅くなっちゃったの。ベレス様、お怒りじゃないかしら?」
「お待ちしておりました、美桜子様。そして……」
兵士は母の軽口に付き合うことなく、完全にニュートラルな表情で頭を下げた。
それから、私を一瞥する。
「美夜ちゃん、私の娘よ」
兵士は私をじっと見つめて、それから「少々お待ちください」と言った。
もう一人の兵士が室内へと入り、年配の侍女を伴って再び出て来た。
侍女はにこりともせず、私へと向き直る。
「失礼いたします。美桜子様のご息女とのことですが、ここから先は陛下の私室ということもあり、危険がないことを改めて確認させていてだいてよろしいでしょうか」
口調こそ丁寧だけど、そこには有無を言わせぬ響きがあった。
要するに身体検査必須ということだ。
別に私はベレス王に会いたいわけでもないのだけど、ここは受け入れるしかない。
そう思った時だ。
「その必要はないわ」
温和な笑みを浮かべた母が、侍女にそう言った。
声も表情と同じぐらい優しいものだったけど、反論は許さないという意思を感じさせた。
「美夜ちゃんなら大丈夫よ」
「ですが、美桜子様」
「いつも通してもらっているのに、今日は美夜ちゃんがいるから駄目だって言うの?」
母は子供のように唇を尖らせた。
「んー、仕方ないわね。それじゃあ、今日のところは帰るわ」
「いや、それは……!」
兵士の一人が慌てた様子で引き留めようとする。
来た道を戻りかけていた母は、くるりと振り向くと花が咲いたような笑顔で首を傾げた。
「だったら、このまま入れてくれるでしょう?」
「……は。失礼いたしました」
二人の兵士たちは、一瞬だけ逡巡したものの深々と頭を垂れて母を促す。
母は笑顔のまま私を振り返って言った。
「ささ、行きましょう美夜ちゃん」
「は、はぁ」
本当にいいのだろうか。
意気揚々と入室する母について行きながら、どうしても釈然としないものを感じずにはいられない。
肩越しに先ほどの兵士を振り返ると、警戒を含んだ顔でこちらを見ている彼と目が合ってしまった。
兵士は再び頭を下げたけれども、今の様子をしっかり見てしまった。
やはり快く思われていない、というより警戒されている。
好意的でない視線を感じながらも、引き返すこともできず、仕方なく私もベレス王の部屋へと入った。
その部屋は、一国の王の部屋ということもあって格調高さを感じさせる内装だった。
とは言え、紺を基調にしたその部屋は落ち着いた印象で、ゴテゴテした雰囲気はない。
広々とした部屋の中央には天蓋付きの大きなベッドが置いてあり、薄いヴェールを通して身体を横たえている人物の姿が見えた。
寝台の側には、医者あるいは治癒師と思しき男が三人控え、出入り口付近には兵士が一人立っている。
母はドレスの裾を持ち上げ、優雅に一礼する。
「ベレス様、お待たせしました。美夜ちゃんと連れて来ましたよ」
母の口調は、王に対するそれとは思えないほどに砕けたものだった。
けれども、ヴェールの向こう側にいる人物は気を悪くした風もない。
「ああ、美桜子、彼女を連れて来てくれたのだね。美夜、急に呼び出してすまないね」
この部屋の主に相応しい、穏やかで落ち着いた声音だった。
急に名前を呼ばれたことに驚きつつも、母に倣ってお辞儀をした。
「お初にお目にかかります、ベレス陛下。美桜子の娘で、美夜と申します」
「良い、良い。そう固くならずとも。……これ」
「はっ」
ベレス王は小さく笑って、それから側にいる男に身振りで何かを示した。
男は一礼すると、ヴェールを動かしてベレス王の姿を露わにした。
私は失礼に思われないよう気を配りつつ、ベレス王を改めて観察する。
年の頃ははっきりしないけれど、初老と呼ばれる頃だろうか。
髪は淡い栗色で、白い肌と相俟って全体的に色素が薄い印象である。
やつれているものの、国王だけあって品位を感じさせる。
怜悧な雰囲気を纏うサリクスと違い、表情も何もかも柔和だけれど、仕草や目元にどことなく血の繋がりを感じさせる。
自分は神域の落とし子ではない、とサリクスが言っていたことを思い出した。
王は、暫くの間私をじっと見つめていた。
値踏みするような、あるいは何かを探るような、そんな目だった。
凝視されるのは落ち着かないけれども、ここで目を逸らすとその不躾な視線に負けたことになる気がして、むしろ挑むような気持ちで微笑んでみせる。
ベレス王の目元が、何かを見つけでもしたかのように僅かに和らいだ。
そのまま臣下たちへと視線を向ける。
「お前たちはもう下がりなさい」
ベレス王がそう命じると、臣下の間に動揺が走った。
医師の内の一人が私と母に視線を向け、それから主君へと向き直る。
「陛下、恐れながらそれは承諾いたしかねます」
この部屋にいる他の者たちも、口にこそ出さなかったけれど彼と同意見なのは明らかだ。
正直、私もそう思う。
いくら人畜無害な母娘と言えども、国王と同室で三人だけにするなど常軌を逸している。
母からもそう進言するべきだ、そう思って彼女の顔を伺ったけれど、「どうしたの?」と言わんばかりに首を傾げるだけだった。
ベレス王は、柔和な笑みを浮かべたまま、暫し臣下の顔を見つめていた。
「下がりなさい。私は彼女たちとだけで話しがしたいのだよ」
「しかし……」
口調こそ平静だったものの、そこには研ぎ澄まされた刀身のような鋭さがあった。
尚も食い下がる医師だったけど、ベレス王に射抜くような眼差しを向けられ、不承不承といった様子で頭を垂れる。
「……承知致しました。では、我々は部屋の前に待機しております」
医師は一度言葉を切ると、私と母とを交互に見た。
「何かあればすぐに駆け付けます」
私たちを気遣う言葉だけど、おかしな真似はするなと釘を差しているのは明らかだ。
それに気付いているのかいないのか、母はにこにこと笑って「ええ、お願いするわ」と言った。
臣下たちは何度か振り返りながらも退室し、部屋には私たち三人だけが残された。
彼らがいなくなったことで、部屋が一層のこと広くなったように感じる。
「美夜よ、こちらにおいで。顔をもっとよく見せておくれ」
「え……?」
手招きするベレス王に、私は困惑するばかりだ。
母を振り返ると、笑顔のままそっと私の肩を押す。
「さぁ、美夜ちゃん」
母に伴われる形でベッドの側へと歩み寄る。
近くで見ると、ティエリウスの王はますます痩せさらばえて見えた。
やはり何らかの病気を患っているのだろうか。
王のカサカサに乾燥した手が私の手を取り、自分の顔の近くまで持ち上げ、両手で挟み込む。
「ああ……」
彼は詰めていた息を吐き出すと共に、感嘆の声を漏らした。
私はと言えば、情けない話だけどどうして良いものかわからず、母の顔を伺うばかりだ。
なのに、母の目は私ではなくベレス王に向けられている。
その目はどこまでも優しく、言葉を挟むことはせずに、天上の月のようにベレス王を見守っている。
私は、またしてモヤモヤとした嫌な気持ちが胸の内に渦巻くのを感じた。
「おお、ついに……」
ベレス王が独白のような言葉を重ねるも、私にはその意味がわからない。
困惑する私を、彼は捉えどころのない表情で見つめる。




