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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第五章
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96話「記憶との相違」

 気持ちの良いお天気だから外に出ましょう、という母の提案を受けて、私たちは庭にある東屋へと赴いた。

 決して短くない距離を、チェルシーはワゴンを押しながらお茶とお菓子を運んでくれた。

 お菓子についてはお任せと言っておきながら、母は「やっぱりあれが欲しい」と追加で注文を付けていた。


 来た道を戻るチェルシーの後ろ姿の姿を見送りながら、私は少しだけ申し訳ない気持ちになる。

 どうやら母は、私が思っていた以上に他人を使うことに抵抗がない人みたい。

 自分の領域に踏み込んで欲しくない、自分の好きにさせて欲しい私とは真逆と言える。

 とは言え、私もこれからは侍女たちに世話を焼かせる生活に慣れていかなければならない。

 何しろ、ブラギルフィアの王妃となるのだから。


 母は瀟洒な装飾が施されたカップを手に、にこにこと嬉しそうに笑って言った。


「何だかまだ夢みたいだわ。美夜ちゃんとこうしてお茶が飲めるなんて」

「……そうですね。私も、こんな日が訪れるとは思いもしませんでした」


 そう言って、庭へと視線を巡らせる。

 ブラギルフィア王城の庭とは、随分と趣が違うなと感じた。

 あちらは、一見するとあまり人の手が入っていない、自然なままの状態を意図的に保たせている。

 それに、年間通して季節の花を楽しめる植生だ。

 対して、ティエリウス王城は花よりも緑が多い。

 それに、植え込みはどこを見ても綺麗に剪定してあるし、足下の芝生は絨毯のように整えられている。


「少しお花が足りない気がします。お母様は確かお花が好きでしたよね?」

「んー、そうでもないかしら?」

「え?」


 意外な言葉に、思わず目を瞬かせた。

 母の顔を見つめると、彼女は困ったように苦笑を浮かべて首を傾げる。


「確かに綺麗だとは思うわ。でも、そこまで思い入れはないかしらね。虫が苦手だからガーデニングなんかも好きじゃないし、花瓶に活けた切り花は水替えが面倒臭いじゃない? それに、お花はいつまでも綺麗でいてくれるわけじゃないし、手入れが大変なイメージのほうが先行しているわね。でも、面倒なことは他の誰かが全部してくれて、私はただその美しさを甘受していればいいだけなら結構好きかも」

「……なるほど。そうでしたか」


 私の記憶の中にいる母は、春の陽気を纏う妖精のような人だった。

 ……少なくとも、私の中ではそういうイメージだ。花や小動物を愛する穏やかな女性、そういう印象が定着してしまっているのだ。

 でも、よくよく考えてみれば、母が庭いじりをしていたことなどなかった気がする。


 母は左手を持ち上げ、うっとりとした視線を向ける。

 見れば、彼女の視線の先、か細い指には美しい指輪がはまっている。

 しかも、一本だけではなく、全ての指にだ。

 重ね付けまでしているにも関わらず、重たい印象にならないのは、母の雰囲気に合った華奢な装飾ばかりを選んでいるためだろう。


「私はこのほうが好きね。お花は確かに綺麗だけど、光り輝く宝石には負けちゃうもの」

「綺麗な指輪ですね。あの、それらは……」

「ベレス様からいただいたの」

「ベレス陛下から……」


 私は頷き、手元のカップを傾けてお茶を飲む。

 けれども、甘い筈のそれからは何の味も感じられなかった。

 母の口からベレス王の名を聞いた途端、重たい石でも呑み込んだような気分になってしまう。


「ベレス陛下に大事にしていただいているのですね」

「ええ、そうよ。ベレス様ってとてもお優しい方でね、私も良くしていただいているのよ」


 刺々しい口調にならないように努めたものの、それはなかなかに骨が折れる行為だった。

 私の努力が劫を成したのか、母は私の内心などつゆ知らずと言った様子だ。


「ブラギルフィアの王様は、宝石やドレスを沢山贈ってくれたかしら? 美夜ちゃんに惜しみなくお金を使ってくれる人?」

「え? それは……」


 唐突な質問に、思わず口籠もってしまう。

 陛下にいただいた狸のぬいぐるみは、あちらの世界から着て来た服と共に部屋に置いてある。

 思えば、陛下から何かを贈られたのは、あのぬいぐるみが初めてだ。

 私の様子に、母は形の良い眉を顰めた。


「あら、もしかして彼は、美夜ちゃんに何も贈ってくれたことがないのかしら?」

「いえ、そういうわけでは! ……狸のぬいぐるみをいただいたことがあります」

「ぬいぐるみって……美夜ちゃんは小さな子供じゃなくて立派な淑女なのよ? いくら何でも馬鹿にしているわ」


 母は少し呆れたように言った。

 そして、それが私の怒りの導火線に火を着ける。


「それは違います!」


 思わず声を荒げてしまった。

 驚いて目を見開く母に、私は言葉を続ける。


「贈り物が全てじゃない、などと言う気はありません。物を贈るという行為は、愛情表現の最たるものですからね。ですが、今までそうなさらなかったからと言って、陛下の私に対する想いを否定するのは間違っています。陛下には陛下のお考えがあるのです」


 私は一息でそれだけを言い切り、改めて母を見た。

 目の前にいる女性は、幼い頃の記憶にある母と同じ顔をしているのに、何だか別人のように思える。

 複雑な思いが胸中に渦巻き、何とも言えない気分だ。


 いくら母とは言え、陛下のことを悪く言うのは絶対に許せない。

 母に対してこんな感情を持つ日が訪れるなんて思いもしなかったし、そもそも持ちたくもなかった。

 けれども、私とは対照的に母は涼しい顔で首を傾げただけだった。


「あら、そうなの? 美夜ちゃんがそう言うなら、きっとそうなのね」


 そう言って、にこにこと笑いながら目の前のお菓子を口に入れる。


「これ、美味しいわよ。さくっ、ほろほろって感じの食感で、クッキーなんだけど口の中で蕩けるみたい。美夜ちゃんも食べてみて」


 そう勧められて、眼前に並んだ綺麗なお菓子へと視線を向けてみたけれど、驚くほど食欲を刺激されない。

 それは、遅めの朝食から時間が経っていないことだけが原因ではないだろう。

 いただきます、と頷いて摘まんでみたものの、砂の塊でも食べているみたいに味がしなかった。


「美桜子様」


 母を呼ぶ声が聞こえて顔を上げると、グレン・ハーストが近付いて来るのが見えた。

 彼は昨日と全く変わらぬ装いで、母の側まで来ると恭しく一礼した。


「お話中、失礼いたします。陛下が貴女様をお呼びです」


 そこで言葉を切ると、彼は顔を上げて私を一瞥した。


「そちらの……ご息女もご一緒に、とのことです」


 私も?

 言葉に出す代わりに目を瞬かせてグレンを見つめると、彼は頷いた。

 一国の王が私と対面したいなど、いったい何の用だろうか。

 そもそも、この国での母の立ち位置さえまだよくわからないのだ。

 ましてや、その娘にも会いたいとなると、ますますわからない。

 不安を覚えて母に視線を向けたけれど、彼女は何の頓着もない様子でグレンに笑いかけている。


「わかったわ、お菓子を食べ終わったらすぐに行くって伝えておいて。あ、お茶のおかわりをお願い」

「畏まりました」


 マイペースすぎる母の言動に面食らう私を余所に、グレンは何の疑問を持つでもなく一礼し、その場を後にした。

 グレンが去った後、私の視線に気付いた母はおっとりと首を傾げた。


「どうしたの、美夜ちゃん?」

「あの、国王陛下がお呼びとのことですが、すぐに向かわなくてよろしいのですか?」

「いいのいいの。私、昔から時間厳守って苦手なのよね。自分の行動を時間で縛られたくない、っていうのかしら? それに、ベレス様だって私がすぐに来るなんて思っていないわよ」

「は、はぁ」


 そう言って母は、お菓子を頬張った。

 言葉通り、全く焦っている様子が見られない。

 侍女ならいざ知らず、護衛官にお茶のおかわりを要求するのはいかがなものかとも思ったけれど、そう指摘したところで同じような反応を示したに違いない。


 私は落ち着かない気持ちだったけれど、他にどうすることもできず、ただ母を見守ることしかできなかった。


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