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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第五章
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93話「もう○○○○したの?」

案内、と言っても部屋の中だけのことだからすぐに済んだ。

 グレンや侍女を下がらせた後、私たちは積もる話に花を咲かせた。

 何しろ、母には尋ねたいことがいっぱいある。


 母は、こちらの世界に来てからもうすぐ二年になると話してくれた。

 道理で、容姿や雰囲気が変わっていないわけだ。

 あの事故の日のことを私は殆ど覚えていなかったけれど、それについても母が話してくれた。


「運転手が運転中に意識を失ったみたいだったわ。それで道を大きく逸れて、対向車線を走るトラックと衝突しそうになって、お父様が慌ててハンドルを切ったの。衝突は免れたけど、代わりに歩道に乗り出したのだったかしら。その間、周りで車同士が衝突する大きな音がいくつも聞こえたのを覚えているわ」

「……その音は、朧気ながら私も覚えています。それから、お母様はどうなったのですか?」

「美夜ちゃんをしっかり抱き締めていたけど、強い力で引き離されるのを感じたの。叫んだ記憶はあるけど、誰にも聞こえなかったみたい。それから、周りが暗くなって、でも金色のキラキラが見えたから、『ああ、あの時と同じだ』って確信したわ。気が付いたら、このお城の南側の森にいて、狩猟に来ていたベレス様に助けていただいたのよ。ああ、でも、その前に美夜ちゃんが私を守ってくれたのよね」


 そう言って母は、私を見つめて目を細める。


「もう高校生なのよね。あんなに小さかった美夜ちゃんがねぇ……」


 そのしみじみとした口調に、何となくこそばゆいものを覚える。

 母にとっては、たったの二年しか経っていないのだ。

 二年前に生き別れた娘が、年頃になって目の前に現れるというのは果たしてどんな気分なのだろう。

 例の事故が起きた頃の私はまだほんの子供で、母の中では未だにそのイメージが強いのではないか。


「……にしても、びっくりしたわ。この世界に戻って来られたのはいいけど、あれから二百年も経ってしまったいたのだもの」


 母はそこで言葉を切り、一息付いた。

 私はと言えば、そんな彼女にどう言葉をかけるべきかわからず、黙りこくっていた。


 私と一緒にこの世界に……ブラギルフィアに帰りたがっていたのに、いざ帰ってみれば、娘の姿は見当たらない上に二百年も経過していた。

 その時の母の心細さはいかほどだっただろうか。

 母が嘗て過ごした国はブラギルフィアだったけれど、この二百年の間に情勢も状況も何もかも様変わりしてしまった。

 今のこの世界は、母が帰りたかった世界と言えるのだろうか。


 ……いや。

 そこまで考えて、私は思い直した。

 二百年も経って、すっかり性格が捻くれてしまっているかもしれないけど、アスヴァレン……「アストルフォ兄様」はまだ健在だ。

 肉体こそ別人になったとは言え、アルヴィースだってそうだ。

 ……まぁ、この男に関して言えば、母には会わせたくないというのが正直なところだけど。


 それに何より、陛下がいる。

 そうだ、早く陛下に会ってその無事を確認しなければ。


「お母様、私は数ヶ月前にこの世界に……隣国のブラギルフィア王国にやって来て、そちらに滞在しておりました。訳あって一度は日本に戻ることになったのですが、こうして再びこの地へ舞い戻ることができました。自分の意思と力で、です」

「まぁ、凄いわ、美夜ちゃん」


 母は、まるで幼子を誉めるみたいに、手を叩いて喜んだ。


「信じられないかもしれませんが、私はブラギルフィア王国で兄と再会を果たしました。それに、父も……訳あって姿形こそ変わりましたが、健在です」

「あら、そうなんだ? 二人とも元気にしているの?」

「えっ? ええ、元気……ですが、あの、驚かれないのですか?」


 あまりにも平然とした様子の母に、私のほうが面食らってしまう。

 説明しても、すぐには受け入れられるようなことじゃないと思っていたのに、拍子抜けだ。


「んー、そうねぇ。アルくんはお爺様……あ、アークヴィオン陛下に似て凄い錬金術師だったし、アスくんも小さい頃から頭のいい子だったもの。私じゃ想像の及ばないことができても、別に不思議じゃないかなーって。だから、二百年ぐらい生きていたって驚かないわ」

「そ、そうですか」

「あ、でも、息子に年齢を抜かれちゃったのよね? 何だか不思議な感じがするわねぇ」

「え? そうですね、はい、確かに……」


 理解が早いのは有り難いとは言え、さすがにこうも動じなさすぎるのはどうなのか。

 でも、確かに母は昔からこういう性格だったようにも思う。


「そういえば、ブラギルフィアは色々あって大きな国の一部みたいになちゃったのよね。あの二人は、今のブラギルフィア王国にいるの?」

「……はい。アストルフォ兄様は、今はアスヴァレンという名で筆頭錬金術師を務めています。父は……ええ、最近まで遠くに行っていましたが、父ももう戻っていることだと思います」

「あら、じゃあアスヴァレン様ってもしかしてアスくんのことなの? 名前だけは聞いたことがあるけど」

「はい。今はそう名乗っています」

「へぇー。良かったわ、二人とも元気にしているのね。早く会いたいな」


 母は屈託なく笑って言った。

 私の記憶の中の母と同じ笑顔だ。


(いつかブラギルフィアに、貴女の故郷に帰りましょうね)


 今と全く変わらない笑顔で、母は幼い私にそう言ってくれた。

 私は一瞬の逡巡の後、率直に切り出すことにした。


「そのことなのですが、お母様、私とブラギルフィアへと行きませんか?」

「え?」


 どう切り出すべきか悩んだけれど、考えれば考えるほど、そのまま伝えるしかないと思った。


「私は今、ブラギルフィア国王と……私の従兄の生まれ変わりだという方と、その……婚約している状態にあります」


 正直、再会したばかりの母にこの報告をするのは勇気が要った。

 何しろ、彼女の中では、本来なら私はまだ小学校も出ていない筈なのだ。


「え、そうなの? まだブラギルフィア国王が婚約したという話は聞いていないけれど……」

「……はい。その、内々と言いますか、まだ私たちの間で言葉を交わしただけですが……いえ、その、お互い本気で、つまり」


 言葉を重ねるほどに、しどろもどろになっていく。

 お互いの間にある想いの強さは知っているものの、それを第三者に伝えるとなると事情が異なってくる。ましてや、実の母親への報告となれば尚更である。


 私はまだ高校生で、陛下とは数ヶ月前に会ったばかり。

 陛下と出会う前の私なら、同世代の子が数ヶ月前に知り合った男と結婚との結婚を真剣に考えている、お互いに本気だなんて言うのを聞いたら、呆れていたことだろう。

 真剣だとか本気だとか、口ではいくらでも言えるもの。


 二百年の時を経て、夫と息子が健在であるという報告には動じなかった母も、今は呆気に取られた様子で私を見つめている。

 やがて、「美夜ちゃん」と口にした。


「婚約って、まだ内々での話でしかないのよね?」

「……はい」

「ということは、もしかしてもうセックスしたの?」

「は…………はっ?」

「もうセックスしたの?」

「いえ、聞き取れなかったというわけではなくてですね……あ、あのですねぇ」


 全く思いもよらない発言に、私は唖然としてしまう。

 するわけないでしょう、そんなこと。

 まだ正式に婚約の声明さえ出していないのですから。

 なんてことは、さすがに口が裂けても言える筈がない。

 かと言って、その真逆のことなんかもっと言えない。


 昨夜のことを思い出し、全身の血が顔面に集まったかのように頬が火照ってくる。

 私とは対照的に、母は涼しい顔で首を傾げる。」


「あら、違ったかしら? お互い本気だって言うから、そういうことなのかなーって思ったんだけど」

「母が娘に尋ねるには、些か不適切な質問ではありませんか?」

「えー? そんなことないわよ。結婚を考える間柄なら、遅かれ早かれすることでしょう? 実際、子供が生まれれば『私たちはセックスしましたが何か?』って公言しているようなものなのだし。でもね、ごめんなさい、私は行けないわ」

「……え?」


 母の発言にツッコミを入れたい気持ちもあったものの、後半の言葉を聞いた途端に雲散霧消した。

 目を瞬かせながら、穏やかに微笑む母を見つめる。


「行けない、というのはいったいどういうことですか?」

「さっきもお話しした通り、ベレス様にはとてもお世話になったの。けれども、あの方はここ最近体調が思わしくなくてね、公務にも支障が出ているわ。手助け、というほどのことができるわけじゃないけれど、ベレス様が私にお側にいることを望んでくださるなら、それに応えたいと思うわ」

「それは……」


 ベレス王が亡くなるまでですか、と言いかけて口を噤んだ。

 母の恩人の死期を待ち望むようなことは、さすがに言えない。


 それでも私は、この時、確かに名状し難い嫌な気持ちになった。

 ……あまり認めたくはないけれど、それは子供じみた嫉妬心だった。

 ようやく再会できた母が、娘である私よりもベレス王の側にいることを優先したのは、正直言ってあまり面白くない。

 私の生まれ故郷ブラギルィアに一緒に帰る、その約束を果たせる時が来たというのに。


「美夜ちゃんはどうする? ブラギルフィアへ戻りたいのなら、手配するわよ」


 どこまで本心なのかわからないけれど、母の口調には全く頓着が感じられなかった。

 そのことに、胸がずきりと傷む気がした。


「私は……」


 一度は口を開いたものの、すぐには答えられなかった。

 脳裏に陛下の顔が浮かぶと同時に、彼と過ごした日々の記憶が次々に蘇り、胸を満たしていく。

 今すぐ陛下に会いたい。

 可能な限り早く彼のところに赴き、安否を確かめたい。


 でも……。


 私は無意識の内にスカートの生地を握り締めながら、顔を上げた。


「私もお母様の側にいます」


 やはり、この訳のわからない状況の中、母だけ残していくのは気が引けた。

 私が一緒にいるからと言って、できることはそう多くないとは言え、サリクスの異常性を改めて思い知った今、母を一人にはできない。


「あら、そう? わかったわ。じゃあ、美夜ちゃんがここで快適に過ごせるように手配するわね」


 母は、一点の曇りもない笑顔でそう言った。

 はい、と頷きながらも、胸の内では複雑な感情が渦巻いていた。

 上手くは言えないけれど、何だかとても他人行儀な気がしたのだ。

けれども、そんなことが言える筈もなかった。




 まだまだ話したいことはあったけれども、母はそろそろ切り上げようと提案した。

 穏やかな物言いではあったけれど、有無を言わせぬ響きがあった。

 入浴を済ませた後、ベッドに入った私は、今日という日を改めて振り返った。


 ……稀なほどに長い一日だった。

 一昨日の私ならば、全く予想しなかったことが次々と起きた。

 陛下と想いが通じ合ったかと思いきや、その余韻に浸る間もなく、クラヴィスが見せた悪夢に苦しんだ。


 ……いや、あの「悪夢」の正体も、私が為すべきこともわかっている。

 そう考えると、居ても立ってもいられない気持ちに駆られる。

 でも、ようやく再会した母を、二度と会えぬものとばかり思っていた母を置いていくことは、どうしてもできない。


 羽根ペンとインクを見つけた私は、慣れないブラギルフィア語でアスヴァレンに宛てた手紙を綴った。

 陛下に宛てなかったのは、彼宛ての封書の量を見越してのことである。

 もしかしたら、紛れてしまってすぐには読んでもらえないかもしれない。


 それと……想像さえしたくないことだけど、陛下が今も「不在」のままということもあるかもしれない。

 そこまで考えて、思わずぞっとした。

 ああ、そうだ、そんなことは有り得ない。陛下は、無事にブラギルフィア王国に帰還している。

 そうに違いない。


様々な考えが脳裏を過り、この日はなかなか寝付けなかった。


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