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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第五章
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92話「母と娘」

母から目を離せぬまま、呆然とする私を尻目にサリクスは彼女へと向き直る。


「美桜子殿自らここにいらっしゃるとは珍しいですな。ましてや、こんな時間にとは」

「ええ。ちょっと気になることがあったの。サリくんだったら何か知ってるんじゃないかなーって」

「気になること、ですか? ああ、立ち話も何ですからな。どうぞ、お掛けください」

「じゃ、遠慮なくお邪魔するわね」


 八年経った今も、母は母だった。

 仕草も雰囲気も、あの頃から何一つ変わらない。

 今、何歳なのかはわからないけれど、相変わらず少女のような雰囲気だ。

 サリクスと親しげに言葉を交わした後、母は視線をソファへと向けて、私に気付くと目を瞬かせた。


「あら、サリくんのお友達?」


 母は首を傾げて、それから柔らかな笑みを浮かべて「初めまして、私は美桜子よ」と言った。

けれども、私は一言も発することができぬまま、母を見つめるばかりだ。

 母はそんな私を不思議そうに見つめ返していたけれど、不意に弾かれたように顔を上げた。


 改めて私の顔をまじまじと凝視した。

 やがて、常でさえ大きな瞳が、零れ落ちんばかりに開かれていく。


「まさか……」


 母が息を呑む音が聞こえた。

 喫驚の表情を浮かべる彼女を見つめ返しながら、私はぎこちなく笑った。

 それから、足下が覚束ないままによろよろと立ち上がる。


「お母様、私です。美夜です。その……お久しぶりです」

「そんな、まさか……まさかとは思ったけれど……ほ、本当に……?」


 母が途切れ途切れに言葉を紡ぐけれど、彼女の声も酷く上擦っている。

 この様子だと、サリクスは私のことを彼女に伝えていなかったようだ。

 私は大きく頷いた。


「……はい」

「ああ、本当に美夜ちゃんなのね」


 母は、確信を込めた口調で嬉々として言った。

 それから我へと返ったように、小走りで私の側までやって来た。


「まぁ、こんなに大きくなって! じゃあ、やっとこの世界に来ることができたのね? ねぇ、今いくつなの? もしかして、もう中学校に入ったの?」

「えっと、それは……」


 矢継ぎ早に質問を受けた私は、咄嗟のことで対応できない。

 そんな娘の様子にもお構いなしに、更に言葉を続ける彼女に、サリクスが声をかけた。


「美桜子殿、少々よろしいだろうか」

「あら、なぁに?」


 サリクスは母に視線を向け、口の端を吊り上げて笑みを形作る。

 けれども、彼の双眸を見た瞬間、ぞくりとしたものを感じた。


「ご息女は少々戸惑っておられるようだ。差し支えがなければ、場所を移動して親子水入らずの時間を楽しまれてはいかがかな」

「あらやだ、私ったら! 自分からサリくんのところにお邪魔しておいて、恥ずかしいわ」


 言外に「さっさと帰れ」というサリクスの、その皮肉に気付いているのかいないのか。

 母は頬に手を当てて恥ずかしがる素振りをした。


 不意に、私の脳裏をある疑問が掠めた。

 随分と親しげだけど、彼女はサリクスがどういう男なのかを知らないのだろうか。

 ……今の様子を見る限り、全く想像だにしていないと見るべきだと思えた。

 母は昔から、良くも悪くも裏表のない素直な性格だった。


 母がどうしてサリクスの毒牙にかからずにいるのかはわからないけど、この男に近付けるべきじゃないことだけは確かだ。


「お母様は今、ティエリウス王城にお住まいなのですか?」

「ええ、そうよ~。右も左もわからなくて困ってたところを、ベレス様……あ、この国の王様でサリくんのお父様なんだけど、その人に助けていただいてね。お城の中に住む場所まで用意してくださって、ずっとそこで暮らしてるの」


 それを聞いた私は、ほっと胸を撫で下ろした。

 サリクスから母のことを聞いて以来、この世界にいるのか半信半疑だったとは言え、ずっと気になっていた。

 母が本当にティエリウスにいるのだとしたら、どのような待遇を受けているか心配だったけれど、どうやら杞憂に過ぎなかったみたい。


 私はサリクスと双子の少女の動向に注意しつつ、母の連れと思しき男性に視線を向ける。

 赤みがかった褐色の髪の二十代半ばほどの男性だ。

 葡萄酒色をした切れ長の目は鋭さを感じさせる。


 身に纏う紫紺色の軍服、腰に差した剣を見る限り、それなりの地位にあることが伺える。

 筋骨隆々というほどではないにしても、服の上からもそれとわかる鍛えられた身体付きをしている辺り、文官ではなさそうだ。

 いざとなれば、人外の力を持つ少女たちから守ってもらえる筈だ。


「美夜ちゃん、彼はグレンっていうの。近衛兵の一人でね、今は私の護衛官を務めてくれてるのよ」

 母がそう言うと、グレンは表情一つ変えず私に向かって一礼した。

「グレン・ハーストと申します。美桜子様の従者を務めさせていただいております。以後、お見知りおきを」

「初めまして。私は美夜、母……美桜子の娘です」


 娘、と言った瞬間、グレンの目が鋭さを増した気がしたのは気のせいだろうか。

 自己紹介をしながら、近衛兵、護衛官、それらの言葉を頭の中で反芻する。

 護衛を付けてもらえる辺り、思った以上に好待遇を与えられているのかもしれない。


「お母様、私もお母様のお住まいにお邪魔してもよろしいでしょうか?」

「ええ、もちろんよ。っていうか、いつ美夜ちゃんが来てもいいようにってお部屋の準備もしてあるのよ」


 それは僥倖である。

 にしても、わざわざ部屋まで用意していることからして、彼女は私との再会を信じて疑わなかったみたい。

 覚えている限り、母はあまり悩んだり考え込まない人だった印象が強かったけれど、今も変わりなさそうだ。


 サリクスのほうを伺うと、彼は母のことを凝視していた。

 口元は微笑を形作っているものの、仮面の奥の目は全く笑っていない。

 そこに宿る感情が何なのか、私にはわからなかった。

 私の視線に気付いた彼は、僅かに口の端を吊り上げた。


「母君と再会とは、全く喜ばしいことですな。この際、母君に存分に甘えられてはいかがですかな」

「……はい、そういたします。サリクス殿下、お世話になりました」




 私は完全に抑揚を欠いた声音で言って、彼に頭を下げてからその場を後にした。

 サリクスの屋敷を出た私は、心の底から安堵すると同時に、詰めていた息を吐き出した。


 あのタイミングで母が来てくれなければ、私は今頃地下室に連行されて身体を切り刻まれていたかもしれないのだ。

 そこまで考えて、思わず身震いしてしまう。


「あら、美夜ちゃん、お疲れかしら?」

「そういうわけでは」


 私と母とが並んで歩き、そしてその後ろにグレンが続く。


 何だか不思議な気分だ。

 死に別れたと思っていた母と、こうして並んで歩いているなんて。

 母やグレンは、あの二人の少女の正体や、サリクスの行いについてどこまで知っているのだろう。もしかしたら、何一つと知らないということもあり得る。

 だとしたら、不用意なことは言わないほうがいい……かもしれない。


 母は好待遇を受けているようだけど、その裏ではどんな思惑が渦巻いているかもわからないのだ。

 ここにいるグレンだって、信頼に足る男かどうかわからない。

 もう少し状況を把握するまで、余計なことは言わないでおこう。

 考え込む私に、母は申し訳なさそうに苦笑を浮かべてみせた。


「ごめんなさい、ちょっとだけ長く歩かせてしまうわ」

「いえ、そんな」


 正直、少し不満がないでもなかったけれど、母を困らせたくない私は首を左右に振った。


「城内でも、離れた場所に行く時は馬車を使うのだけど、今回は急なことだったからね」

「急なこと、ですか。そういえば、サリクス……殿下のお屋敷を訪れることはあまりないとのことですが、今日に限ってどうして?」

「美夜ちゃんに会えるかもしれなかったからよ」

「え?」

「そしたら、本当に会えた」


 そう言って母は、嬉しそうに微笑んだ。

 何を根拠にそう思ったのかはわからないけど、そういえば母は昔から独特の鋭さを持った人だった。


 きっと理屈ではないのだろう。

 それに、屈託なく笑う母を見ていると、あれやこれやと追及する行為こそ野暮に思える。

 母は私に顔を向けると、目を細めて慈しむような表情を浮かべた。


「あんなに小さかった美夜ちゃんが、こんなに大きくなって……背もすごく伸びたわね。もしかして、クラスで一番高かったりする?」

「……いえ、前から三番目です」

「そうなの? そういえば、さっきは聞きそびれちゃったけど、今いくつなの?」

「十五です。今年、高校に入学しました」

「あら!」


 母は驚いた面持ちで、口元を手で覆う。

 そういえば先ほど、私がまだ小中学生であるかのようなことを言っていたことを思い出す。


「お母様こそ、あの頃から何も変わりませんね」


 とは言え、実年齢より若く見られることは慣れているし、自覚がないわけでもない。

 だからと言ってこの話を続けたいわけでもないので、話題を変えるべく率直な感想を口にした私に、母は相好を崩して喜んでみせた。


「あら、本当? 嬉しいわぁ」




 広々とした庭を抜けて、やがて城内へと辿り着いた。

 ティエリウス王城は、ブラギルフィア王城とは趣の異なる建築物だという印象を受けた。

 瀟洒な印象が強いブラギルフィア王城に対し、ティエリウス王城はもっと重厚で無骨な印象を受ける。


 そういえば、ブラギルフィア王城はテオセベイアの居城だったそうだから、彼女の趣味・嗜好が反映されているのだろう。

 母に促されるまま長い廊下を歩き、屋外に面した回廊を通って別棟へと移動し、ようやく目的地に着いた。


「ここが美夜ちゃんのお部屋よ。私のお部屋の隣なの」


 いつの間にか私たちから離れていたグレンが、三人の侍女を連れて戻って来た。

 鍵を開けてもらい、母と共に部屋の中に入った私は、その内装を見て目を瞬かせた。

 何と評するべきか、言葉に悩んで立ち竦む私に、母は嬉々として言った。


「ねっ? かわいいでしょう? 美夜ちゃんの好きなものばかり集めたのよ」

「はい。とても……かわいいです」


 私は偽らざる本心を口にした。

 その部屋は白と淡いピンクを基調にした内装で、寝具にはレースがあしらわれ、家具の把手を林檎の形にしていたりと、かわいらしい要素に溢れていた。


 ……言うならば、ローティーン以下の女の子の部屋といった風情で、高校生の私には少し子供っぽすぎる気もする。

 とは言え、好きか嫌いかで言えば好きな雰囲気だし、何より母をがっかりさせたくない。


「私がこのお部屋を使わせていただいて、本当によろしいのですか?」

「もちろんよ。だって、美夜ちゃんのために用意したんだもの。お兄様の家では、こんなかわいいお部屋にはさせてもらえなかったでしょう?」

「え……」


 思わぬことを言われて、私は言葉に詰まってしまう。


「あら、違った? てっきり美夜ちゃんは、お兄様の家に引き取られたと思ったんだけど」

「はい。叔父様のところでお世話になっておりました」


 そう言って頷きながら、内心では虚を突かれた思いだった。

 伯父は、所謂「かわいい」ものを子供っぽいと言って毛嫌いしていた。

 女性で言えば、背が高くスレンダーで洗練された都会的な女性を好み、私がその条件を揃えていないことについて常々不満を漏らしていた。


 私が小学五年生の時、お小遣いでぬいぐるみを買って「いい年してみっともない」とこっ酷く怒られたこともある。

 私が自分の部屋をかわいらしくしようものなら、自分名義の家……つまり、自分の財産への攻撃とみなし、怒り狂ったに違いない。

 私は長い間ずっと、自分の好みよりも伯父に非難されないものを選んできた。

 服装も家具も、台所用品に至るまで、何もかも。


 母は全て……私が伯父に引き取られたことだけでなく、あの家で抑圧されて育ったことも、何もかも見抜いている。

 そして、本心ではこういう部屋で少女時代を過ごしたかったことも。

 瞼の裏側がじんわりと熱くなり、慌てて瞬きを繰り返して込み上げてくるものを散らす。


「お母様、部屋の中も見たいです」

「ええ、今から一緒に見て回りましょう」


 もしかしたら、私の今の心境も母にはお見通しなのかもしれない。

 部屋を見て回り、家具を手に入れた場所や状況、このぬいぐるみは誰に作ってもらったか、クッションカバーの刺繍は母が手ずから刺した……といった説明を聞きながら、私は頭の片隅でそんなことを想った。


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