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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第五章
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88話「母の行方」

 落ち着け、私は自分にそう言い聞かせながら、静かに深呼吸を繰り返す。

 そして、改めて目の前にいる男を見た。


 兎を模した仮面で顔の上半分を覆っているため表情は読み取りにくいけれど、口元には深い笑みを形作っている。

 色素が抜けたように白い髪や肌とは対照的に、痩身を包む衣服は夜の闇に溶け入りそうな漆黒だ。白と黒との強烈な対比が、見る者に強い印象を与える。

 けれども、何よりも目を引くのは容姿そのものではない。

 右手に瀟洒な杖を持ち、その立ち姿や歩き方から左半身に障害があることを伺わせる。


 ブラギルフィア諸侯連合を統べる、ティエリウス王家の王太子。

 ああ、そうだ、大層な肩書に惑わされそうになるけれど、所詮はただの若い男に過ぎない。

 何を臆する必要があるだろうか。


 私だってミストルト王家の血を引く高貴な王女で、姫神テオセベイアの孫なのだから。

 何より、エレフザード陛下の恋人にして婚約者にして未来の妃なのだ。

 落ち着きを取り戻した私は、花の顔をサリクスに向けると、誰もが心奪われる極上の微笑みを浮かべた。


「お招きいただきありがとうございます、サリクス殿下。事前の連絡もなしの訪問、申し訳ありません」


 サリクスの言葉から察するに、ここはティエリウス国内……それも、ティエリウ王城の敷地内だ。

 王太子が夜の散歩に出て来るぐらいだから、相当に奥まった場所の筈。

 それこそ、ブラギルフィア王城内の私の自室から出入りできる庭ぐらいに。


 何にせよ、自分が置かれている状況が全くわからない。

 現時点ではっきりしているのは、私が十一年後の日本に帰った日から、それほど時間が経過していないだろうということぐらい。

 サリクスの容姿には、最後に会った時と比べても、に変化らしい変化は見られない。

 一先ず、現状を把握することが第一だ。


 サリクスは唇の端を吊り上げ、くっくと低い笑い声を立てた。


「ブラギルフィア国王の賓客が、供も付けずにこんな時間にお散歩ですか? 本来なら、不法侵入の廉で牢屋に放り込むべき場面ですが、それ以上にどのような経緯でここにおられるのか気になりますな。我が城の警備に不備があったと言うなら、衛兵を罰してやる必要がありますが、その前に貴殿から事情を聴かなくてはね。何しろ、貴殿は前にも何の前触れもなく私の前に現れたことがある」

「あら……」


 内心でぎくりとしつつも、大輪の花のような笑顔のままで首を傾げる。

 ああ、もう。

 天上の月さえも霞むこの笑顔を前にすれば、不法侵入がどうとか、それが可能か不可能かなど些末な問題だ。

 私の美貌の前に平伏し、最上級の客室に案内して持て成せばいいだけの話だというのに……やはり、この男はどこかおかしい。

 あるいは、美しさが常に正しく理解されるほど世の中甘くないということか。


 おかしいと言えば、彼の連れらしき二人の少女にも言えることだ。

 彼女たちは私を挟み込む形で佇んだまま、微動だにしない。

 十かそこらの女の子が、こんなにじっとしていられるものだろうか。

 ここに至り、少女たちが放つ強烈な違和感に気付いた。


 彼女たちからは、生気というものが全く感じられない。

 生きている人間が間近にいれば、何かしらの生命活動の気配……衣擦れなり、吐息なり聞こえる筈だ。

 なのに、この少女たちは物音一つ立てず、それどころか瞬きさえせずに佇んでいる。

 まるで、人形みたいに……。


 ……いや、今は考えるのは止しておこう。それよりも、目の前の問題に集中しなくては。


「ええ、私などの話でよろしければ、いくらでも聞かせてさしあげますわ。ですから、どこか腰を落ち着ける場所に案内していただいてもよろしいかしら?」

「これはとんだご無礼を、王女殿下。いつまでもこんな場所におられては、お身体が冷えてしまいます。お前たち、姫君を案内して差し上げるのだ」


 開き直った私が慇懃無礼な態度で要望を伝えると、彼もまた話を合わせてきた。

 二人の少女が小さく頷き、一歩前に出て私へと向き直る。


「王女殿下」

「どうぞ、こちらへ」


 無表情で用件のみを告げる彼女たちの声は、完全に抑揚を欠いている。

 やはり、見た目通りのただの少女ではなさそうだ。

 いったい何者なのだろう、と疑問を抱きながらも促されるままついて行くことにした。



 

 案内されたのは、庭の一角にひっそりと建つ小さな屋敷だった。

 小さな、と言ってもあくまで王城と比べればの話だ。

 日本の家屋を基準に考えれば、そこそこの大きさだ。


 ここは、敷地内に建てた別荘のようなものなのだろうか。

 瀟洒なアーチを潜り、吹き抜けの廊下を通り抜け、やって来たのは広々とした客間だった。

 白を基調とした部屋で、高い天井には青空の絵が描かれている。

 大きな窓には全て硝子をはめ込んでいるため、暖かな空気を部屋に閉じ込めながら美しい庭を鑑賞することができる。

 部屋の中央には、相当な大径木から切り出したと思われる一枚板を利用した長テーブルがあり、それを囲む形で座り心地の良さそうなソファをいくつか置いている。


 私はテーブルを挟む形で、サリクスと向かい合って腰を下ろした。

 長テーブルは、間近で見ると一層のこと美しい木目が目を引く。

 側面は、天然の樹木の表皮そのままだ。


 ……是非ともブラギルフィア城に持ち帰りたい、と思った。

 いや、テーブルだけではない。

 透かし彫りが美しいマントルピースも、壁に掛けられた絵画も、どれもこれも欲しい。

 というか、私にこそ相応しいのに。


「気に入っていただけましたかな? 私用の屋敷は」

「ええ、とても」


 貴方を追い出して占拠してしまいたいぐらいに。

 内心でそう呟くと共に、綺麗な笑顔をサリクスに向けながら頷いた。


「とても素敵なお屋敷ですわ。お庭も、敢えて手を入れすぎることなく自然の状態を残していらっしゃるのですね」


 それに、と言いかけて口を噤んだ。

 ここには魔力が満ちている。

 実際、この屋敷周辺の庭では他の場所よりも多くのマナを見かけた。


 ……何かしら、魔力が集まる工夫がされているのだろうか。


 サリクスは、仮面の奥の目を細めた。

 笑みを浮かべたのだと思うけど、その間も私を油断なく観察しているように見える。


「そう言っていただけて何よりです。貴殿にそう言っていただければ、我が祖先も満足でしょうな」


 意味深長な物言いだった。

 私は敢えて一拍置いてから、よく聞こえなかったとでも言うように、きょとんとした面持ちで「え?」と首を傾げた。


 サリクスがくつくつと笑い声を立てる。

 今のはいったいどういう意味だろう。

 以前、彼は私に「何者なのか」と問うたことがあった。

 私が別世界から転移した者だということは既に知られているけれど、それ以外はどこまで知っているのか。


 それに、エレフザード陛下が不在の間、その事実をどう扱われているかもわからない。

 そうそう公にはしないだろうけれど、サリクスの耳には届いているのだろうか?

 相手がどこまで把握しているのかわからない以上、迂闊なことはできない。

 私は話題を変える目的も兼ねて「そういえば……」と言った。


「以前、サリクス殿下は私の母のことをご存知だと仰いましたね? あれはどういうことなのですか?」


 サリクスはすぐには答えようとせず、口元に薄い笑みを浮かべながら私を見つめる。

 何だかわからないけれど、この男の目は凄く嫌な感じがする。


「母君にお会いしたいですかな?」

「……母は、本当にここにいるのですか?」


 緊張故か、私は知らずの内にテーブルの下で拳を握り締めていた。

 母が本当に生きている?

 まさか、そんな……でも……。

 ぐっと息を呑み、サリクスの続く言葉を待つ。


「今に会えますよ」

「ほ、本当に……」

「ええ」


 彼は朗らかとも言える笑みを浮かべ、頷いた。

 簡潔な返事だったけれど、そこにはこれ以上は何も言わないという強い意志が感じられた。


 落ち着いて対応しなければいけないとわかっていても、この時、私は既に気持ちが浮付いていた。

 母が生きていて、しかもここから遠くない場所にいるというのなら、今すぐにでも会いに行きたい。

 けれども、そう口にするのは憚られた。

 何しろ、今ここで主導権を握っているのはサリクスだ。謂わば、私は実質的に囚われの身も同然である。


 彼の機嫌を損ねたら何をされるかわからないし、到底逃げられるような状況でもない。

 彼が私についてどこまで知っているのかは不透明だけど、少なくとも何らかの関心なり利用価値は見出している筈だ。

 ならば、すぐに殺してしまうようなことはない……筈だ。

 一緒にこちらの世界に来た筈のアルヴィースの姿が見当たらないのは気になるものの、多分きっと悪い兆候ではない……と思う。

 今頃、エレフザード陛下のところへ馳せ参じている……かもしれない。


 不確定要素ばかりで不安なことこの上ないけれど、今は時間を稼ぐしかない


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