87話「人形から生まれた娘」
すっかり日が暮れた頃、私はリビングにて再びアルヴィースと対面していた。
「もう準備はできたのかな?」
「はい」
平静を装いながら頷いてから、改めて目の前の男を見つめた。
やはり、実父だと言われても実感など沸かない。
肉体が赤の他人のそれだからか、あるいは別の理由か。
実父との再会を夢見ていた頃、その瞬間にはきっと心に花が咲き乱れるような幸せな気持ちになるのだろうと思った。
けれども、実際にはそんなことは全然なくて。
「どうかしたかな」
「……『お父様』に、一つだけお伺いしたいことがあります」
私の言葉に、彼は眉一つ動かさない。相変わらず茫洋とした笑みを浮かべたままだ。
人造人間、という言葉が……彼が自らを指して口にした言葉が、脳裏に浮かんだ。
「貴方は、母を……ミオコ=スメラギについて、どのようにお考えですか?」
実を言うと、「愛していましたか」と尋ねたい気持ちもないではなかった。
でも、それはあまりにも私らしくないというか、口に出すことに抵抗があった。
ところが、
「それはつまり、愛していたか否かという意味でいいのかな?」
「はっ? ええ、まぁ……そう捉えていただいても間違いはないとは思います……が」
「簡潔に答えよう。私は彼女のことを愛してなどいなかった」
「え……」
一瞬、何を言われたか理解できなかった。
彼の言葉通り簡潔な返事にも関わらず、あるいはそれ故にか、その意味が脳に浸透するまで時間がかかった。
理解すると同時に、愕然とした面持ちでアルヴィースを見た。
この時、私の胸に去来した思いをどう表現するのが適切だろうか。
怒り、憤り、軽蔑、落胆、失望、悲哀……どれも違う、気がする。
どの感情も、全くの見当違いではないけれど、違うのだ。
いや、自分でもわからない。
パシッ
乾いた音が室内に響いた。
気付けば、私は彼の頬を打っていた。
そうしようと思って手を上げたのではなく、本当に身体が勝手に動いていたのだ。
私は他ならぬ自分自身の行動に驚いたけれど、打たれた当人のほうはそうでもない。
痛みを感じる素振りすらなく、平然とした面持ちで私へと目を向ける。
そこには、怒りも驚きも浮かんでいない。
……いや。
彼は不意に唇の端を持ち上げ、くつくつと笑い出した。
「……何ですか」
「いや」
曖昧に答えて、軽く肩を竦める。
「面白いと思ってね」
「何が面白いのか、私には理解いたしかねます」
私が睨むような目を向けても、アルヴィースは低く笑うのを止めようとしない。
その笑い声を聞いていると、名状し難い不安感を煽られるのを感じる。
相手の心境が全くわからない私には、彼のことが何だか薄気味悪く思えた。
やがて彼は、ゆっくりと顔を上げて私を見た。その視線に射抜かれた瞬間、蛇に睨まれた蛙にでもなった気がした。
切なそうな表情、というのが最も近い表現になるのだろうか。
相変わらず茫洋とした笑みを浮かべながら、けれどもそこには苦悶にも似た色が僅かに混じっている。
眩しいものでも見るみたいに目を細め、暫く私を見つめた後、呟いた。
「‘人形’から生まれた者にも、そういう感情は宿るのだね」
「は……」
その目に浮かぶのは、羨望……だろうか。
ああ、そうか、と内心で呟いた。
アスヴァレンから、父の出自や祖父母の行いについて聞いた時、私は憤りを覚えた。
まるで、母が実験動物か何かのように思えたのだ。
今もまた、その時の同じ感情を抱いた。
そして、それは目の前の父へと向けられた。
けれども、彼もまた私とよく似た立場なのだ。
にも関わらず、彼は私のような感情を抱くこともできなかった……のかもしれない。
もちろん、あくまで私の想像に過ぎないし、本当の意味で彼の胸中を推し量ることはできない。
私は何と答えて良いかわからず、ただ相手を見つめ返す。
アルヴィースは、どこか遠くを見るような茫漠とした面持ちで言葉を続ける。
「自我が芽生えた瞬間から、私は生みの親の複製品に過ぎなかった。容姿も能力も、私を構成する何もかもがアークヴィオンの複写だよ。あの男との相違点があるとすれば、テオセベイアの遺伝子情報を宿していることのみ。……テオセベイアの遺伝子を持つ子供を誰かに産ませること、それだけが私の存在意義だったのだよ」
それは、内容とは不釣り合いなほど淡々とした口調だった。
彼の言葉に耳を傾けながら、昨日陛下から聞いたことを思い出す。
約二百年前、六柱の神々の怒りを受け、深淵との間にいくつもの穴が空いたことで禍女や稀人がフラルヴァーリへとやって来た。
稀人はあちらの世界の男と結ばれ、子を成し、有性生殖によってテオセベリアと同じ性……つまり、女が生まれるようになった。
アスヴァレンから母と父の「馴れ初め」について聞いた時、どうして同じ世界の女性ではいけないのだろうかと不思議に思った。
何てことはない、その時代にはまだ女性が存在していなかったのだ。
「……『だった』ということは、今は違うということですか」
そう問いかけながら、その答えについて私は確信に近いものを抱いていた。
アルヴィースは、遠くを見つめるような目で「ああ」と頷く。
「『兄』であるエブラールに、子が生まれたからね。自分の甥と言っても、最初は実感が沸かなかった。でも、あの子を腕に抱いた瞬間……初めて世界が色付いた気がした」
そう語るアルヴィースの表情は、温かな血を宿す者のそれだった。
いや、表情のみならず声音もである。
これまでの彼は……そう、どことなく存在感が希薄で、それこそ人形めいた印象があった。
「甥ということは、私とアスヴァレンの従兄……そして、エレフザード陛下の前世の」
「ああ、エルくんだ」
わかっていたことではあったけれど、彼、即ち私の父もまた兄同様にエレフザード陛下のことが大好きらしい。
私は完全な無表情になり、言葉を続ける。
「ご存知かどうかはわかりかねますが、今の彼は貴方の甥ではありません」
「ああ、わかっているさ。それでも、あの子と同じ魂の持ち主だ。いや、声も容姿も性格も何もかも酷似している。かわいい。超かわいい」
熱のこもった声で語る彼を、半眼で冷ややかに見つめるけれど、本人は全く意に介する様子もない。
恍惚とした表情で「エルくん相変わらずかわいかったなぁ」などと呟いている。
……妻子への関心や愛情はともかく、エレフザード陛下への想いだけは疑う余地もないようだ。
今の様子を見ていれば、総額で数百万円もする服や腕時計を惜しみなく買い与えるのも納得である。
その一方で、私が一万円を超えるワンピースを欲しがると間髪入れずに「高いから却下」と言ったけれど。
「では、貴方がフラルヴァーリへと戻るのは、全て陛下のためなのですか?」
「当然だろう? 私はアークヴィオンとテオセベイアのやったことの後始末を付けて、エルくんがいる世界を何としても守る」
「そうですか」
私は相変わらず無表情のまま頷いた。
要するに、彼はアスヴァレンの同類なのだろう。
自分の甥、つまり後の英雄王こそが行動原理そのもので、故に彼の生まれ変わりである陛下が今現在の生きる理由なのだ。
父親としての愛情などは全く期待できそうにないけれど、少なくとも私の障害には成り得ない。
何しろ、愛して止まない「エルくん」の大事な女性なのだから。
母も私も、この男に利用されている感は否めないけれど、それでも私の場合は彼と利害関係が一致している。
「では、戻りましょうか。……私たちの故郷へ」
「ああ。エルくんが待っている」
アスヴァレンについては、やはり一言も触れようとしない。
そういえば、母が事故で死んだことは既に知っているのだろうか。
そう思った時、ふと、サリクスが私に告げた不可思議な言葉のことを思い出した。
彼の言葉通りに受け取るなら、母はまだ生きていて、しかもティエリウス国に身を寄せていると考えるべきなのか。
……そこまで考えて、私は小さく頭を振った。
今、そのことについて考えるのは止そう。
フラルヴァーリへと転移すること、そのために巫祈術を行使することに集中しなければ。
私は心を静め、自分の内側へと意識を集中させる。
やがて――……見つけた。
自分の能力の源を。
そこからのことは、言語化するのは非常に難しい。
自身の内側に渦巻く力を表に引っ張り出し、そして空間へと干渉した……というのが、だいたいの流れである。
空間に干渉、というのははっきり言って私の既存の概念を超えていた。
私たちが住む地球を大気圏が取り巻き、その大気圏の先には宇宙空間が存在していることは周知の事実だけど、深淵というのはまた異なる領域だ。
普段、私たちが住む世界とは、完全に断絶されていて交わることは有り得ない。
いや、あってはならない。
そんなことになれば、それこそ二百年前の災厄と同じ事態を引き起こしてしまう。
内側から引き出した能力がナイフだとすれば、空間は崩れやすいケーキのようなものだ。
慎重に空間に切れ目を入れると、そこから金色の靄が立ち上る。
切れ目の向こうに広がるのは深淵そのものだ。
そして、深淵が私たちを呑み込んだ。
「……った」
地面に転がった私は、思わず小さく叫んだ。
視界がブラックアウトしたかと思うと、いつのまにか全く違う場所へと放り出されたようで、周りの景色が一変していた。
私が今いるのは屋外だ。
緑に囲まれた場所だけど、森や山といった場所ではなく、人の手が入っている様子が覗える。
多分ここは、広い庭の一角……そう、ブラギルフィア王城の敷地内だ。
皓々とした月に照らされながら、私は暫し呆然と立ち尽くしていた。
空間に意図的に綻びを作り、そこから深淵に飛び込んで時空を超える……という、なかなか危険なことを行ったけれど、上手くいった。
そうだった、よく考えれば当然の結果だ。
私が成功しない筈がないのだ。何しろ、無自覚とは言え既に一度渡っているのだから。
安堵を感じた私は、詰めていた息を吐き出した。
次いで高揚感が込み上げて来る。
紆余曲折あったけれど、無事にブラギルフィアへと帰って来ることができた。
しかも、今度は陛下からの永久滞在許可を得た上での帰還だ。
いや、それどころか彼の妃にと求められている。
早速陛下に会いに行こう。
さて、どちらに向かえばいいだろう。
一先ず明りの見えるほうに向かおう、そう思って歩き出して暫くした後のことだった。
こつ、こつ、と規則正しい音が前方から聞こえて来ることに気付いた私は、思わず足を止めた。
庭師や見回りの兵士だったとしても、事情を話せばわかってくれる筈だ……と、自分を落ち着かせようとしたけれど、現れたのは意外な人物だった。
「おやまぁ……!」
相手もまた、ここで私と遭遇するのは予想外だったのか、片方だけの目を大きく見開いている。
呼吸が浅くなるのを感じながら、殆ど反射的に後退りしようとしたものの、何者かに阻まれた。
見れば、いつの間にやら、私の両脇を固める形で二人の少女が立っている。
前方に立つ男……サリクスが、不自然なまでに笑みを深くして、杖を突きながら私へとにじり寄っる。
どちらか一方が手を伸ばせば届くというところまで接近して、彼は言った。
「何と有難い。貴殿をいつか我が居城へ招待したいと思っておりましたが、まさかそちらから出向いていただけるとはね」




