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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第四章
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86話「不安を乗り越えて」

 私はソファに座ったまま、改めて目の前の男を見た。

 今なら、はっきりと理解できる。


 この男は、元担任の長瀬克也ではないと。

 姿形こそ長瀬克也その人だけど、明らかに別人だ。


 ……いや、再会した直後から明らかに怪しいとは感じていたけれど。


「いつからですか?」

「それは、私がいつから『長瀬勝也』ではなく『アルヴィース』だったかということでいいのかな? ふむ、そうだね……少なくとも、君の担任を務めていた時期は、長瀬勝也がこの身体の主だったと考えて構わないかな。長瀬克也の自我が主導権を握っていたからね」


 意味深な物言いだけど、つまりは私がブラギルフィアへと転移する前は、長瀬先生本人だったと考えるべきか。


「私の出自については、兄から何か聞いたかな?」

「はい。アークヴィオンとテオセベイアが……その、自分たちの細胞から、貴方を生み出したと」

「そうか、それなら話が早い。元来、私は人造人間(ホムンクルス)だ。肉体も魂も、人工的に生み出されたものだよ。存在の核となる魂さえ無事なら、相性はあるものの器になる肉体のほうは融通が利く。……君を捜すためにこちらにやって来たはいいけれど、見つけるまで十年以上の月日を要したよ。その間、猫や烏に身をやつしつつ過ごして、最終的には長瀬勝也の肉体に移った。私がこの肉体が馴染んで、長瀬勝也の自我を追い出してから話を切り出そうと思っていたのに、まさかあんなことになるとはね。お陰で、十一年も余計に待つことになった」


 そう言って彼は、大仰に溜息をついてみせた。

 その話を聞きながら、私はある違和感を覚える。

 アルヴィースの言葉通りに捉えるなら、それはつまり……直接的な方法ではないにせよ、長瀬先生を殺したということ?


 思わず口を開きかけた私だけど、直前で思い止まった。

 抗議したい気持ちもないではないものの、私がそうしたところで反省するような男とは思えない。

 何しろ、アスヴァレンの父親なのだから。


 それに、アルヴィースに対しては色々と聞きたいこともあるとは言え、あまり長話をしていられる状況でもない。

 私は本題を切り出すことにした。


「ここに至り、貴方が私の前に現れたということは、私に何かさせたいことがあるということですね。母の手作りの、兎のぬいぐるみに憑依していた幽霊も関与しているのですか?」

「おいおい」


 そんな私に、アルヴィースは困惑した様子を見せた。

 嘆息交じりに、私の正面のソファへと腰を下ろす。


「せっかちというか何というか。まず他に言うことがあるだろう。ほら、色々と」

「私は一刻も早く、ブラギルフィアに……陛下のところに帰りたいのです。陛下にお会いして無事を確認することはもちろん、やらなければいけないことがありますからね。ですが、私に一度こちらへと赴くように指示したのは、あの兎に憑依していた何者かです。でしたら、貴方とのタイミングの良すぎる再会は、ただの偶然ではないのでしょう?」

「気持ちはわからないでもないけれど、生まれて初めての父との邂逅にしては淡泊すぎないか? 再会を祝して盃を交わそうとは思わないのかな?」

「思いません」

「……そうか」


 私の率直な感想に、アルヴィースは素直に頷いた。

 確かに、私はまだ見ぬ父や兄に想いを馳せ、家族の再会に憧れていた時期もあった。

 何しろ、当時の私には何の後ろ盾もなく、信じられるのは自分自身だけだったから。

 故に、私にとっては未知の存在である父や兄に対して過度な幻想を抱いていたのだ。


 人間とは、夢や希望もなく生きられるほど強くはない。

 辛い境遇に置かれていれば猶更である。

 けれども私は陛下と出会い、紆余曲折あったものの彼の愛を手にすることができた。

 もう、ここでない場所への希望や不確かな未来への幻想を糧にする必要がなくなった今、私が守るべきは陛下と共に歩む現実である。


 アルヴィースは再び嘆息し、伏せ目がちに呟く。


「……君には申し訳ないことをしたと思っていたんだけどね。あまり心配することもなかった、かな」

「いえ、それはそれ、これはこれです。貴方には言いたいことが山ほどあるので、後で覚悟しておいてください。でも、今の最優先課題は陛下のことです」


 私の言葉に、彼はやれやれと言わんばかりに肩を竦めた。


「君のこの性格は誰に似たのだろうね? ……まぁ、いいか。エルくんを守りたい気持ちは私も同じだからね。まず確認しておくけど、君、その能力はもう使いこなせるかな?」

「え……」


 今度は私が怯む番だった。

 陛下を「送還」したのが私だとしても、その時の記憶や自覚はない。

 陛下をこちらに連れて来た時も、具体的にどうやって行ったのかまではわからない。


 そんな私を見たアルヴィースが「困ったなぁ」と呟のが聞こえて、思わずむっとした。

 そう言われても、わからないものはわからないのだ。

 自分が持つ力の使い方について、マニュアルがあるわけでもなければ、指導してくれる先生がいるわけでもないのだから。


 彼は全く意に介することなく続ける。


「あの兎に憑依していたのは、テオセベイアさ」

「テオセベイア……」


 何か言ってやりたい気持ちは山々だったけれど、一先ずそれは脇に置いておくことにして、彼の言葉を反芻する。

 あの時見た女の幽霊……らしきものは、やはりテオセベイアだったのだ。

 多分そうなのじゃないか、と思っていたから特に驚きはしなかった。


「ですが、テオセベイアにしては何と言うか……酷く脆弱に感じました。彼女は仮にも神なのでしょう? あるいは、テオセベイア本人ではなく……残留思念、のようなものでしょうか?」

「ああ、そんなところだね。彼女は死地に赴く直前に、君のお気に入りだったぬいぐるみに自身の魂の一部を移した」


 私の問いにアルヴィースは頷き、そう話してくれた。

 それを聞いて合点がいった。

 彼女のことは、二度ほど見かける機会があったけれど、存在感そのものはとても希薄だった。

 ただ、何かを訴えたがっていることだけは強く感じられた。


(今すぐニホンに行って、お願い、連れて来て)


 最後に私の前に現れた彼女は、消え入りそうな声で、けれども確かにそう言った。

 そこに秘められた意図こそわからなかったけれど、彼女がテオセベイアなのだとしたら、必ず私がそうするだけの理由がある筈だ。


 私は私の中に生まれた確信に従い、こちらの世界へと帰ることにした。

 陛下まで一緒に移転することになったのは、嬉しい誤算だったけれど。


 アルヴィースは、どこか遠くを見つめるような目をした。


「アークヴィオンとテオセベイア、あの二大馬鹿がやらかしたことのせいで世界は滅茶苦茶になったよ。二人は国を守るために命を賭したけど、完全とは言えなかった」

「深淵との間に障壁を張ったと聞き及んでいますが、それは不完全な代物なのですか?」

「うん。何しろ即興だったからね」


 アークヴィオン、つまり私とアスヴァレンの祖父にあたる人物は、自分とテオセベイアの細胞から人造人間を創造した。

 更に、アルヴィースと稀人の女性……母との間に、私たち兄妹を産ませた。

 テオセベイアの神性は、男児であるアスヴァレンには受け継がれることがなく、私こそが第二のテオセベイアだ。


 そして、私の存在が六柱の神々の怒りに触れた結果、彼らはブラギルフィアを深淵へと堕とそうとした。

 主神と私たちの祖父母によって、ブラギルフィアの滅亡こそ免れたものの、六柱の神々はミストルト王家に呪いをかけた。

 その呪いこそ、エレフザード陛下を苦しめている元凶そのものである。


 アルヴィースは言葉を切ると、私へと視線を向けた。

 もしかしたら、彼が私をまともに見るのはこれが初めてかもしれない。

 再会を果たしてからというもの、彼の目はいつだって私ではなく陛下を追っていたから。


「そこで、最後の鍵となるのがこの私というわけだ。ブラギルフィアを守る障壁は、そろそろ限界だ。しかし、私ならば半永久的に効力が続く障壁を張ることができる。だからね、最愛の娘よ、私をフラルヴァーリへと……いや、ブラギルフィアへと連れ帰っておくれ」


 私はすぐには答えることができなかった。

 いくつもの言葉が脳裏に浮かんだものの、構築しようとしたところで打ち消すということを何度か繰り返した後、ようやく声として発した。


「承知いたしました。……お父様」


 私の言葉にアルヴィースは苦笑を浮かべたけれど、「お父様」呼びについては敢えて何も言わなかった。


「じゃあ頼んだよ。準備が整い次第、まだ声をかけてくれたまえ」

「……はい」





 私たちが……持ち主がいなくなった後、この家はどうなるのだろうか。

 考えても詮無いことだと知りつつも、そう思わずにはいられない。


 一人きりになった家の中で、私は後片付けをしている最中だ。

 綺麗に使っていたとは言え、冷蔵庫や戸棚の中にはまだ使い差しの食材や調味料が入っている。

 完全に無人になるなら、全て処分するべきだろうか。

 あるいは、この家が「長瀬勝也」の名義になっているなら彼の家族が引き続き使用するのだろうか。


 その辺りのことも聞いておけば良かったのだけど、何となく聞きそびれてしまった。

 あるいは、彼はそういうことにはとことん無頓着な気がしないでもない。

 どこまで整頓するべきか悩んだ末に、「旅行で暫く家を空ける」状況を目安にすることにした。


 一頻りの片付けを終えた私は、シャワーを浴びて身支度を整えた。

 何を着るか迷ったけれど、一番お気に入りのスカートに合わせてニットを選び、その上からトレンチコートを羽織った。

 特に持って行かなければならないものはないけれど、陛下がクレーンゲームで手に入れた狸のぬいぐるみだけはコートのポケットに入れておくことにした。


 これで、もう自分自身への言い訳材料がなくなった。

 ぐずぐずしていられないことは重々承知ながら、片付けや後始末には先延ばしの意味も含まれていた。


 アヴィスとは、生身の人間には踏み込むことができない領域だ。

 そして、程度の差はあれども、アヴィスへの干渉を可能にする能力こそ巫祈術。

 アヴィスを渡る能力もまた、高位の巫祈術である。

 私は何度か、無意識のままにその能力を行使したことがある。

 だから、できない筈がない、そんなことは有り得ない。


 ……頭でそう理解していても、躊躇う気持ちが生じてしまう。

 初めてアヴィスを渡った時は、完全に無意識だった。

 次にブラギルフィアから日本へと帰る際には、アスヴァレンの転移装置の力を借りてのことだった。

 陛下を連れて来てしまったのは、今から思うと非常に危険なことをしたものだと怖くなる。

 五体満足でアヴィスを渡れたから良かったものの……。


 誰の助けもなしに、私だけでこの力を行使することなどできるのだろうか?

 もし失敗したら、私はどうなってしまうのか。

 恐怖と不安が私の心を蝕んでいく。

 そこに一条の光が差すとしたら、それは陛下と過ごした時間の記憶に他ならない。


「……」


 すぅ、と大きく息を吸うと、コートのポケットから例のぬいぐるみを取り出した。

 陛下から初めていただいたプレゼントである。

 彼はこのぬいぐるみを、ブラギルフィア王城の自室に飾ることを提案した。

 あの時点で、陛下もまた私なしの未来など考えられなかったのだ。


 そして、ついに陛下は私の手を取ると決意してくれた。

 ならば、私にできることは?


 ……決まっている。

 何があっても、その手を決して離さないことだ。

 ならば、何を迷う必要があるだろうか。

 陛下と離れ離れになること以上に恐れることなど、何一つとしてない。

 今すぐ陛下のところへ帰ろう。彼の隣こそが私の居場所なのだから。


 私ならできる、絶対に。

 私がそう決意すると、先ほどまでの不安や恐怖はいつの間にか雲散霧消していた。


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