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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第四章
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83話「必ず無事で」

 陛下に促され、ベッドへと戻った私はこれまでの経緯を聞いた。


 ……事が終わった後、私が寝入ったのを見届けた陛下は私に寝間着を着せて、自らも同じベッドで眠りに就いた。

 それから数時間後、私が魘されていることに気付いて目を覚ました。

 ところが、私のほうは何度か起こそうとしても目を覚まそうとしない。

 それに、発熱もあったため、濡れタオルで額を冷やすなどして看病してたところ、再び落ち着きを取り戻した。


 そのまま朝まで私の容態を見守り、スーパーマーケットやドラッグストアの開店時間となった頃を見計らって、薬や食料を買いに行った。

 そして、目を覚ました私と鉢合わせた……という次第だ。



「そ、それは……大変申し訳ありませんでした」

「いや、別にどうといういうことはない。それより、まだ熱があるだろう? 今日は、というか元気になるまで安静にしていなさい。色々と役立つものを買って来た。そうだ、腹は空いているか?」

「ありがとうございます」


 お礼を言ってから、自分の身体の状態に思いを馳せる。

 全身が気怠く、それに陛下の言う通り熱っぽい。


 ……この気怠さが、寝入る前の体験がもたらしたものであれば良いのだけど、残念ながらそれだけが理由ではなさそうだ。


「お腹は……あまり空いていない、と思います」

「そうか。それでも少し何か食べて、それから薬を飲んだほうがいいな。待っていてくれ、すぐに準備する」

「はい」


 陛下はそう言って、部屋を後にした。

 それに続き、階段を降りる足音が聞こえて来る。


 ややあって、盆を持った陛下が戻って来た。

 盆の上には、お粥とほうじ茶、水の入ったコップが乗っている。

 お粥には擦った生姜が入っていて、爽やかな風味が口内に広がると同時に身体が暖まる。

 ほうじ茶は、スプーン一杯分ぐらいの柚子茶を加えたようで、仄かな甘さと柑橘の香りがする。


「美夜、他にもゼリーやプリンも買って来た。欲しいものがあれば、すぐに言ってくれ」

「ありがとうございます。今はこれだけで十分です」


 私は胸の内に込み上げてくるものを感じながら、陛下にお礼を言った。

 こちらの世界に来てから、持ち前の好奇心と呑み込みの早さで読み書きを覚えているものの、然るべき教育を受けて学んだわけではない。

 何より、まだまだ日が浅い。

 多少は現代日本の生活にも馴染んだとは言え、一人で慣れないものを買うのは大変だっただろう。


 それに、作ってくれた食事もどれも今の私の体調を慮ったものばかりだ。

 生姜は身体を温めて免疫力を高めてくれるし、柚子茶には当然ビタミンCが豊富に含まれている。

 改めて陛下の優しさに触れたことで、より一層のこと昨夜見た「夢」を鮮明に思い出した。


 ……もちろん、あれはただの夢なんかじゃない。

 別次元とでも言うべき場所へと訪れたのだ。

 そして、あの世界を構築しているのはクラヴィス=クレイスという女。

 あの女のことを思い出すと、自然と顔が険しくなり、スプーンを持つ手に力が入ってしまう。


「すまない、美夜。もう少し、貴女の身体に……配慮するべきだった」

「え?」


 聞こえた言葉に顔を上げれば、申し訳なさそうに目を伏せる陛下の顔が見えた。

 憂いを帯びた顔もまた一段と美しく、それにどこか色気があるような……って、そうじゃなくて。

 私は一拍遅れて、慌てて首を左右に振った。


「いえ、違います。そんなことはなくて……陛下のせいなどでは、決してありません。その、巫祈術を行使した影響です」

「巫祈術?」

「……はい」


 私は自分が直近の「夢」で見たものの他、幼いから無意識の内にこの能力を行使していたと思われる経験について話した。

 ただ、クラヴィス=クレイス及び彼女の別人格であるアトロポス王女については敢えて触れなかった。

 何しろ、彼女は陛下の弟殿下の生みの親であることは確かなのだ。

 陛下にとっても義理の母親と言える女を、彼の前で悪し様に言うことは気が引けた。

 後々、説明しなければいけない時が訪れるだろうけど、今はまだ彼女がそれを行っているという証拠を提示できない。


 悪趣味な人形劇や、化け物が徘徊する湿地帯、それに死体安置所といった、私が「訪れた」場所の説明を、陛下は真剣に聞き入っていた。

 最後に、「私の立てた仮定ですが」と前置きして告げる。


「おそらく、陛下の魂の一部がその死体安置所に囚われているのではないかと考えます。それこそがミストレス王家にかけられた呪いなのか、あるいは他に術者がいて、その者が呪いを利用して力を得ているのか……」

「……なるほどな」


 陛下は頷いた後、熟考するように視線を明後日の方向へと向ける。

 それから私へと向き直った。


 彼が私を見つめる目を、どのように表現すればいいだろうか。


「あの、陛下?」

「いや……」


 彼は返答に窮するように言葉を濁した。

 それから再び私を見つめると、そっと頭を抱き寄せた。

 小さく心臓が跳ね上がるのを感じた。


「陛下?」

「すまない」


触れていたのはほんの一瞬で、すぐに腕を解いて元の位置に戻る。


「何と言ったらいいだろうな。今の気持ちを表現するには、いくつ言葉を重ねても足りない気がした」

 私を見つめながらそう言って、それから少し顔を曇らせる。


「美夜がそんな大変な目に遭っている時、何もしてあげられなかったことが悔やまれてならない」

「ええ、はい……でも、あくまで夢の中のことですから」

「夢と言っても、ただの夢ではないだろう? 美夜の魂は、確かにその場所に……俺には決して辿り着けない領域に在った筈だ」

「……はい」


 きっぱりとした物言いに、私は素直に頷いた。

 陛下は私から目を逸らすことなく、言葉を続ける。


「巫祈術というのは、希有な力だ。故に、術者本人しかわからない部分も多い。変成術や錬金術で起こす奇跡のように、他者から見えるわけでもない。例えば、大がかりな変成術を行使したものが体調を崩せば、その因果関係は誰の目にも明らかだが……」


 それを聞いて、私ははっとした。

 陛下の言わんとすることの本質を、ようやく理解できた。


 お粥が入っていたお椀は既に空っぽで、私はトレイごとサイドテーブルの上へと置く。

 陛下の手が私の手に重なった時、再び心臓がとくんと鳴った。


「美夜、貴女は自分で思っている以上のことを成し遂げてくれた。この数年、アスヴァレンがどれほど努力と試行錯誤を重ねても、辿り着けなかった領域だ。それだけのことをしてくれた貴女に、何と言えばいいのだろう? 感動、などという言葉ではとても足りない」

「……っ」


 率直な物言いに、思わず言葉を詰まらせてしまう。


 否、言葉だけではない。

 胸がいっぱいになり、感情そのものがつかえてしまっているかのよう。


元の世界にいた頃、常人には見えないものが視えるからと言って特にメリットを感じることはなかった。

 むしろ、単純に薄気味悪いことや、時に何が視えざるものなのかわからないことなど、足かせにしか感じられなかった。


 それに、ブラギルフィアでさえも、その性質上、巫祈術とは評価されにくい能力なのだろう。

 でも、それが何だと言うのか。

 陛下にそれだけの気持ちを向けてもらっていれば、他の者からの評価など私の知ったことではない。


「別に、そんなこと……大したことでは」


 言いかけて言葉を噤んだ。それから一呼吸置いた後、再び言葉を紡ぎ出す。


「私にできること……あるいは私にしかできないことで、陛下のお役に立てるのなら、それ以上の喜びはありませんから」


 視線を外し、なるべくさり気なさを装って言ったものの、やはり口に出すと気恥ずかしさを禁じ得ない。

 私が今どう感じているか、悟られなければいいのだけど。


 不意に頬に触れるものを感じた私は、驚いて視線を持ち上げた。

 私の頬に手を添えた陛下が、僅かに眉を顰めるのが見えた。


「あの、陛下」

「やはりまだ熱がある」


 彼は嘆息混じりに言って、それから少しの間私を見つめた。

 一拍置いた後、再び口を開く。


「……美夜は、ここで退くつもりはないのだろう?」


 そう問われた私は、目を瞬かせて陛下を見つめ返す。

 その意味を理解し、小さく頷いた。


 陛下は、巫祈術を行使したことで新たな手がかりを得た私が再び危険に身を投じるつもりなのかと問うているのだ。

 でも、問われる間でもなく、私の中では既に当たり前のことして確立している。


 陛下は一瞬だけ痛ましい表情を浮かべ、「そうか」とだけ言った。


「……巫祈術は、本来なら人の身では踏み込めぬ領域への干渉を可能とする能力だ。ましてや、美夜ほど奥深くまで到達できる者は歴史を振り返ってもそう多くない筈だ。……いや、テオセベイア以来の術者なのかもしれないな」

「そう、ですね。何しろ、私はテオセベイアの孫にして、彼女の神性を継ぐ唯一無二の存在ですから」


 私は努めて平然と、いや、傲然と言い放つ。

 言外に、陛下に心配しないで欲しいと伝えたかった。

 私の意図を汲んでくれた陛下は、きっと内心では思うところが沢山あるのだろうけれど、敢えて多くは語らなかった。


 自分の手の下にある私の手を握り締める。


「必ず無事でいてくれ」

「……はい」


 私は簡潔に、けれども力強く頷いた。


 次に打つ手について、具体案があるわけではないけれど、自分のやろうとしていることに多大な危険が伴うことは理解できた。

 陛下もそれを知った上で、それでも私を止めようとはしない。


 言う間でもなく、我が身かわいさに呪いを解く可能性に賭けているのではなく、私の気持ちを汲んでのことだ。

 私の中に、危険に飛び込むことへの恐れがあれば彼は絶対に止めていた。


 でも、私が何よりも恐れることは陛下を失うことであり、私たちの未来の障害は全て排除するつもりだ。

 もちろん、何が相手でも負ける気など更々ない。


「陛下に、お伺いしたいことがあります」

「ああ、何だ? まだ美夜は本調子ではないのだから、あまり長くは話せないが」

「……アトロポス殿下のことです」

「アトロポスの?」


 弟殿下の名前が出たことは、陛下にとって意外だったようだ。

 一瞬だけ驚いた顔を見せて、それから頷いた。


 あの「夢」の中で、湿地帯から死体安置所に移動した際の詳細はまだ話していない。もちろん、あの時助けてくれた少年のことも。

 でも、私の予想が正しければ、彼はきっと……。


「先ほどお話しした湿地帯の中で、私は絶体絶命の危機に陥りました。そこで一人の少年に助けられ、彼の導きで……その、『陛下』のところへと辿り着きました」

「……そうか、それがアトロポスではないかと思っているのだな?」

「はい。金褐色の髪をした、十歳前後の華奢な少年でした」

「間違いない、アトロポスだ」


 陛下がいつもより上擦った声で言った。

 やはり私の予想は当たっていた。


「彼は、『陛下』の側に寄り添うかのような……私の考えが正しければ、アトロポス殿下がずっと陛下を守ってくれているのだと思います」

「……そうか」


 陛下は吐息に忍ばせるように言って、それからそっと自分の左腕に触れた。

 視線を落とし、小さく呟く。


「時々、亡くなった弟の存在を近くに感じることがあった。罪悪感から来る錯覚かとも思っていたが、そうではなかったのだな」

「だと、思います。あの、罪悪感というのは……?」


 これまで、アトロポス殿下に関しては話題に出してはいけない雰囲気を感じることが多々あった。

 故に私も陛下に尋ねたりしなかったのだけど、今となってはそうも言っていられないだろう。

 陛下は金色の双眸を持ち上げ、私を見つめて言った。


「弟に関して、俺が話せることは殆どないが、それで良ければ美夜には聞いて欲しい。……何しろ、何もしてやれなかったからな」


 そう言って寂しそうな笑みを浮かべる彼に、私は真剣な面持ちで頷いてみせた。


「……はい。是非とも、お願いします」


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