81話「脱出」
松明を持った少年の後を追いながら、周囲の様子に注意を向ける。
先ほどの鎧ゾンビたちは、特にダメージを受けた様子もなく、相変わらず唸り声と鎧の音と立てながら追いかけて来る。
それに、頭上からはカボチャ頭の耳障りな哄笑が聞こえて来るし、それにどこからともなく現れた青白い人魂の群れまでもが私たちの周囲を漂っている。
何とも居心地の悪い状況だけど、意外にも何も起きない。
あの化け物たち、一定距離以上は私たちには近付けないみたい。
おそらくだけど、あの少年が結界か何かを張っているのだろう。
逆に言えば、彼には目の前の敵をなぎ倒すほどの力はないということか。
今から覚えば、先ほど陛下の姿が見えた気がしたのも、彼が術か何かを行使したのだろう。
子供の頃に読んだ魔法使いの少年を主人公にした物語に、守護霊を召喚して悪霊から身を守る魔法というのが登場した。
彼が使った術も、それに似たものに違いない。
すると、彼は陛下の縁者ということだろうか?
ここに至り、彼の名前を知らないどころか、自分自身も名乗っていないことに気付いた。
「私は美夜」
ごく簡潔に、名前だけを伝えた。
けれど、前方を行く彼は何の反応もしない。
「ねぇ、貴方は……」
言いかけたところで口を噤む。
先ほど、彼は私に何か伝えようと口を動かしたものの、そこから言葉が発せられることはなかった。
口が聞けないのかと思ったけど、もしかすると私たちの声はお互いに対して届かないのではないか。
……まぁ、いい。
彼が何者かはわからないけど、少なくとも鎧ゾンビやカボチャ頭ほど敵対的というわけではない。
今のところ、彼と行動を共にする以外の選択肢はない。
その時、頬を何かが掠めた。
我へと返ってそちらを見ると、青白い人魂が私の顔の横を飛んでいるのが見えた。
何とか私に近付こうとして、見えない障壁に阻まれて後退するという動作を繰り返している。
先ほど頬を掠めたのは、その際に生じた風圧だったみたい。
もしかすると、見えない障壁の威力が弱まっているのだろうか。
私を、というか後方を振り返った少年の顔に、焦りと苛立ちが浮かぶ。
その手に持った松明は、随分と短くなっている。
少年が口を動かし、私に何かを訴える。
同時に、走る速度を一気に上げて全力疾走へと移行する。
急げ、ということだろうか。困惑を押し殺し、私も彼に倣った。
ところが、走る速度を上げるに比例して、彼が手にした松明の燃え方も速くなる。
そして、松明が短くなればなるほど、私たちを取り囲む化け物たちは距離を狭める。
もし、あの松明が燃え尽きてしまったら……?
自分の考えにひやりとしたその時、少年が唐突に立ち止まって大木の根元を指差した。
見れば、その根元には穴が空いている。
彼は乱暴な仕草で穴を指差しながら、頻りに何かを訴えかける。
これはつまり、この穴に入れということか。
とは言え、穴の入り口はかなり狭くて小柄な私でも果たして入ることができるだろうか?
その時、私の背後、それもかなり近くで鎧ゾンビの咆吼が聞こえた。
このままでは、追い付かれるのも時間の問題だ。
……迷っている暇はない。
私は意を決して、大木の根元の穴へと頭を入れた。
うう、地面がぬかるんでいて気持ち悪い。
頭部は難なく入ったけれど、肩まで来るとさすがにきつい。
限界まで肩を狭めつつ、身体を左右に振りながら何とか奥へと進もうとする。
Fカップが圧迫されて、非常に苦しい。
狭いのは入り口だけで、少し進めば広くなっているようだ。
今、穴の外から見ると、私のお尻より下だけが地面から出ている状態だろうか。
仕方がないとは言え、かなり間抜けな光景だ。
ところが、どうやっても骨盤部分が抜けない。
狭い穴の中では満足に身動きを取ることもできず、力が入らない。
どうしよう、と思ったその時、お尻に衝撃を感じた。
誰かが、というか間違いなくあの少年が私のお尻を蹴って、靴底で押している。
「ちょ、ちょっと……!」
あまりにも乱暴な仕打ちに思わず抗議の声を上げるけれど、果たして聞こえているだろうか。
でも、文字通り後押ししてもらったことで、私の身体は確実に穴の中へと沈んで行った。
上半身がある場所は、穴の入り口部分よりは広さがあり、肘で身体を支えつつ前進する。
お尻さえ抜ければ、楽に匍匐前進ができるようになった。
……いや、決して楽ではない。
真っ暗な穴の中を這って進むというのは、相当な苦行だ。
そういえば、彼はどうなったのだろうか。
気になって背後を振り向いたけれど、そこには真っ暗な空間が広がるばかりだ。
あの穴は塞がれてしまったのだろうか。
まさか、彼は……。
ひやりとした恐怖が、私の心臓に触れる。
それを合図にしたかのように、心臓が早鐘を打ち始める。
恐怖と焦燥に駆られて、頭がおかしくなってしまう気がした。
……少し落ち着こう。
私は深呼吸して、それから自分の周囲の状況を手探りで確認した。
やはり、私が今いるのは這って進むのがやっとという狭い穴の中だ。
どこまで続くのか、どこへと続くのか、それに酸素は持つのだろうかと様々な疑問がある。
でも、今の私にできることは這ったまま進むことだけだ。
呼吸を整えた後、私は匍匐前進を再開した。
進むこと、今はそれ以外を考えないほうがいい。
気力と体力を消耗してしまうだけだ。
私は腹ばいになったまま、手と膝で地面を擦りながら進む。
掌と肘がひりつくような痛みを訴え始める。
今頃、擦り剥けて血が滲んでいるかもしれない。
唯一の救いは、あの湿地帯にいた時のように敵意のある存在が襲って来ないことだ。
そう考えると、地上にいた時よりはマシ……かもしれない。
やがて、前方に朧気な光が見えた。
最初は目の錯覚か幻影かと疑ったけれど、どうやらそうではなさそうだ。
逸る気持ちを抑え、無理のないペースを保ちながら前進を続ける。
間違いない、ある一点から光が漏れている。
でも、果たしてその先には何があるのだろう?
間近まで来て、面格子がはまっていることに気付いた。
面格子越しに向こう側の様子を覗くと、石畳が見える。
それに、木箱や樽といった、文明の匂いを感じさせるものも置かれている。
つまりここは、床近くに設けた通気口のようなものだろうか?
ここがどこなのかはわからないけれど、少なくとも化け物が跋扈する沼地や地面の中よりは危険が少ない……筈だ。
面格子に手を掛け、力を入れると意外にもあっさりと外れた。
慎重に周囲の様子を伺いながら、身体を潜らせていく。
上半身だけ室内に入れた状態で辺りを伺ったところ、どうやらここは厨房だということがわかった。
と言っても、近代的な設備ではない。
床だけではなく壁も石造りの広々とした厨房だ。
竈では薪が勢い良く燃え上がり、大きな鍋がぐつぐつと煮えている。
まな板の上には切りかけの具材が並び、今し方まで大勢の人が働いていたらしい雰囲気があるにも関わらず、誰の気配もない。
名状し難い薄ら寒さを感じながらも、完全に穴から這い出た私はゆっくりと身を起こした。
改めて見回しても、広々とした部屋には誰もいない。
厨房から廊下へと出たところで、私は二人の侍女と遭遇した。
一瞬驚いたものの、すぐにそれは安堵へと変じた。
彼女たちはマルガレータと同じ衣装を身に着けていて、そのことからここがブラギルフィア王城だと覗える。
「ねぇ……」
お喋りに興じる彼女たちに声をかけたところで、ふと違和感を覚えた。
二人は私に目もくれず、会話を続ける。
『ねぇ、聞いた? クラヴィス様のこと』
『ええ、聞いたわ。エレフザード陛下の初恋の女性なんですってね。亡くなられた今でも好きらしいわね』
『幼少の頃の初恋の人を今でも想い続けているなんて、陛下って一途なのね。だからこそ、クラヴィス様の忘れ形見のアトロポス王女をあんなに大事にしておられるのね』
『王女ったら、すっかり兄君に夢中みたいよ。お兄様みたいな人でないと結婚しないーって。ま、無理もないわよねぇ』
そう言って侍女たちは、声を上げて笑った。
捉えどころのない恐怖を覚えた私は、思わず後退ってしまう。
彼女たちは生身の人間ではなく、あの劇場の舞台に立っていた人形そのものだった。
彼女たちを動かすのは天井から伸びた糸で、その動作はぎこちない。
合成音めいた声は、いったいどこから出ているのだろうか。
不意に、慌ただしい足音が近付いて来ることに気付き、はっと顔を上げた。
身構える私の前に現れたのは、あの少年だ。
私とは別の道からここまでやって来たのだろうか?
何にせよ、彼も無事だったようだ。
彼は私を見つけると、一瞬だけ安堵の表情を浮かべ、それから咎めるような目を向けた。
どこに言っていたんだ、とでも言いたげな顔だ。
とは言え、責められても困る。
私は彼の指示に従って動き、その結果、ここに出て来たというだけなのだから。
身振りで「来い」と促す少年に反感を覚えないこともないけれど、少なくとも彼のお陰で窮地を切り抜けることができたのも事実だ。
私は促されるまま、ついて行くことにした。
私たちが今いる場所は、どこからどう見てもブラギルフィア王城だ。
でも、途中で擦れ違う兵士や侍女はいずれも人形ばかりで、私たち以外に生きた人間を全く見ない。
ということは、城中どこに行っても人形しかいないのだろうか。
そう考えると、何とも言えない薄気味悪さを覚えずにはいられない。
美しい庭を通り抜け、渡り廊下を進み、やがて辿り着いたのはクラヴィス=クレイスの部屋の前だった。
「ここは……」
この「夢」の中で見たものを思い起こすと、前にアトロポス王女……クラヴィスの別人格が語った妄想をなぞっているように思えた。
ということは、クラヴィスが何らかの形で関与している可能性がある。
むしろ、今までどうしてそこに思い至らなかったのだろう?
ということは、この扉の向こうでクラヴィスと対峙することになるのだろうか。
逡巡する私にお構いなしに、少年は扉を開けて私を中へと促す。
そうだ、立ち止まっている場合じゃない。
あのふざけた人形劇がクラヴィスの仕業なら、文句の一つも言ってやらなければ美少女が廃るというものだ。
ところが、扉の向こう側には思いも寄らぬ光景が広がっていた。




