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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第四章
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78話「来たるべき時」

 片足を軽く持ち上げ、それからまたお湯の中へと戻す時に、ちゃぷんと水音が響いた。

 白乳色をしたお湯からは、甘い花の香りが立ち上る。

 リラックス効果を謳った入浴剤だけど、今の私はリラックスするどころか気持ちが昂って全く静まってくれそうにない。


 今日という日を振り返ると、本当に色々なことがあった。

 インターネットで「デート おすすめ」と検索して、水族館が人気だと知ったのが昨日のことだった。

 なるべくさり気なさを装いながら陛下に誘いをかけたところ、拍子抜けするほどあっさり承諾を得られた。

 まぁ、当然と言えば当然かもしれない。

 何かと好奇心旺盛な人だし、それに私が行きたいという場所への同行を断るとも思えない。


 楽しく、そして何の進展もなく終わる筈だったのに、事態は思わぬ方向へと進んだ。

 それも、驚くほどのハイスピードで。

 変な男たちに絡まれ、危うく強姦されるという災難に見舞われたものの、皮肉にもそれが転機となった。

 帰宅後の陛下とのやり取りを思い出すと、どうにも気分が浮付いていても立ってもいられないような気になる。


「……」


 ブクブク、と音を立てながらお湯の中に潜る。

 いけない、こんなことをしていたら上せてしまう、慌てて水面に顔を出した。


 しかも、今日という日はこれで終わりではないのだ。

 湯船の縁に背を預けながら、先ほどの陛下の言葉を思い出す。

 陛下が用意してくれた夕食をいただきながらのことだ。



「美夜、後で話したいことがあるのだが、構わないだろうか?」


 それを聞いた時、心臓が跳ね上がるのを感じた。

 でも、私はそんなことはおくびにも出さずに言った。


「もちろん構いません。ですが、今は話せないことなのですか?」

「ああ、少し時間を置いてからのほうがいい」


 陛下はそう答えて、一瞬だけ間を置いた後に再度口を開いた。

「何しろ、交歓の儀に関することだからな」


 先よりもずっと大きく心臓が跳ね上がった。

 それこそ、口から飛び出すのではないかと思えるほどに。

 急速に高まる鼓動を感じながら、「わかりました」と頷いて食事を続けたけれども、何を食べたのかは覚えていない。


 その後も、食事をいただきながら陛下と言葉を交わした。

 主な話題は水族館で見た水棲哺乳類や魚のことで、彼にとっては生まれて初めて目にする生き物も多かったと言う。

 普段と変わらない、ごく普通の会話。

 でも、私たちの関係は、昨日のこの時間から確実に変化していた。


 陛下は私にお風呂に入るように言って、自分は後片付けに取り掛かった。

 お風呂に入れば気持ちを落ち着かせられるかもしれないと思ったのに、沈静化する兆しは全く見られない。



 お風呂から出た私は、その旨を陛下に告げて今は自室にいる。

 いつもより念入りにケアを済ませた後、ベッドに腰掛けながらスマホを手に調べものを始める。

 調べるのは、その、なんていうか……男女のあれこれに関することである。

 調べ方が悪かったらしく、いきなり大人の男性向けのページに飛んでしまった。

 これは違う気がする。


 私こと皇美夜は、十五歳の女子高生である。

 少女小説(フィクション)主人公(ヒロイン)じゃあるまいし、この年になって子供の作り方や性行為という概念を知らないほど馬鹿でも無知でもない。

 とは言え、その詳細については完全に未知の世界である。


 スマホの小さな画面でそういった方面に関することを調べながら、それ自体に対しては冷静でいられる自分に気付いた。

 画面いっぱいに広がる肌色も、あられもない姿でまぐわる男女の姿も、目にしたところで特に何も感じない。

 あくまで知識は知識、記号に過ぎない。


 以前なら、自分のこととして置換えたところで、大して何も思わなかっただろう。

 受験勉強と同じで、嫌だけども通り抜けなければいけない通過点程度にしか感じなかった筈だ。


 でも、陛下が関わってくるとなると話は別だ。


「陛下と……こんな……」


 思わず口に出していた。

 以前、交歓の儀の話を持ち掛けたのは確かに私のほうだったけれど、それはつまり「こんなこと」をするわけだ。

 半ば無意識の内に低く唸っていた。


「……うん」


 私は唐突に真顔になると、スマホの画面を暗転させて充電器に差し込む。

 あまりに刺激が強すぎたため、現実逃避することにした。

 寝台に寝転がり、狸のぬいぐるみを抱き締める。

 今日、陛下がクレーンゲームで獲得してくれた例のぬいぐるみだ。

 狸を抱き締めたまま、見るともなく天井を眺めてぼうっと過ごす。


 そういえば、昨日の夜は陛下とゲームをして過ごした。

 架空の世界で木を切り倒して木材を集め、森を拓いて畑を作り種を撒いた。

 明日は作物を収穫して料理を作り、新しいマップの探索をしようと話していたっけ。

 でも、今日はとてもゲームを起動しようなんて気にはなれない。


 我へと返ったのは、扉を叩く音が聞こえたからだ。

 私は慌てて半身を起こし、ベッドの縁に腰掛け……いや、と思い直す。

 これだとあまりにも「準備万端」と言わんばかりじゃないだろうか。

 パジャマの上に纏ったガウンを整えた後、扉を開けに行く。


 そこには、入浴を済ませて寝着に着替えた陛下が立っていた。

 いつもと雰囲気が違うというか、色気が増した気がするのはお風呂上り故だろうか。

 そう考えるとまたしてもドギマギしてきた。


「あの、何か」


 緊張しすぎて、思わず突き放すような物言いになってしまう。

 陛下は一瞬だけ目を見開いて、すぐに気を取り直して言った。


「さきほど言った通り、話しておきたいことがある。……ここでは少々不味いな。美夜、げーむのある部屋に来てもらってもいいか?」

「え? いえ、それは……」


 その提案に迷いを覚える。

 この家で生活を始めてからというもの、私が夜中に陛下のベッドに潜り込んだあの日を除き、お互いの寝室には立ち入っていない。

 夜、寝るまで一緒に過ごすこともあるけれど、いつも共有スペースで行って来た。

 今まではそれで良かったとは言え、やはり今まで通りというわけにもいかない。


「ど、どうぞ。ここのほうが、いいです」


 言いながら、身体を横に寄せて陛下の通り道を作る。

 私は決意表明の意味も込めて、陛下を自分の寝室へと招き入れることにした。


「失礼する」

「はい。……えっと、ではここに」


 陛下にはソファに座っていただくことにして、私は結局寝台に腰を下ろした。

 ソファには一応二人で座れるものの、居間に置いてあるものに比べると小さくて、必然的に距離が狭まってしまう。

 それでは緊張しすぎて、対話どころではない。


 陛下は、ソファに座ってもすぐに話を切り出そうとはしなかった。

 どれほど時間が経ったわけでもないというのに、私は既に落ち着いていられない。


「あの、何か飲み物でも……」

「いや、今はいい」


 理由を付けてその場を離れようとする私を、陛下は静かな声で制した。

 けれども、そこには有無を言わせぬ響きがある。

 それから彼は、私を見つめて言った。


「それより美夜、こちらに来てくれないか。いや、俺のほうから行ってもいいが」

「は……い、いえ」


 肯定なのか否定なのかわからないことを言いながら、戸惑いながらも陛下の言う通りにする。

 ベッドに並んで座るというのは、さすがにまだまだ抵抗があった。

 ソファは二人で座るには狭く、ただ腰を下ろしただけで身体の側面が触れ合うことになる。


 布越しに伝わる体温を意識して、ますます鼓動が速くなる。

 陛下の顔をまともに見ることができず、明後日の方向へと顔を向けていると、肩へと手を回されるのを感じた。


「美夜、俺と目を合わせてくれ」

「……は…」


 はい、と答えたつもりがその声は随分と掠れていた。

 多分に緊張しながら視線を持ち上げ、恐る恐る陛下の顔を見た。

 神々しいまでに美しい貌を前に、私はらしくもなく萎縮してしまう。

 陛下はそんな私の様子を見ながら、笑みを零すと共にこの手を取った。


「遠ざけなければならない、そう思っていた時はいつも俺の心を掻き乱して決意を揺るがしに来た癖に、いざ捕まえようとすれば逃げるのだな」

「そ、そういうわけでは……ない、と言いますか、何て言うのか、えっと」

「ただ、これだけは覚えておいて欲しい」


 陛下は不意に笑みを消して、私を真っ直ぐに見つめる。

 その射貫くような眼差しに心まで絡め取られる気がして、呼吸することさえ忘れて相手を見つめ返す。


「この先、何があっても俺は美夜を離しはしない」


 逃げることは許さない、言外にそう言っているのだ。

 そう理解した私は、小さく喉を鳴らした。

 実際、今もこうして強引とも言える力強さで私を捕まえにかかっている。

 文字通り、逃げることは許してくれないだろう。

 それから陛下は表情を和らげて言った。


「だが、貴女を傷付けるようなことは決してしない。絶対に、だ」


 私は無言で頷いた。何か言わねば、そう思うのに上手く言葉が出て来ない。

 ただ、陛下を拒絶する気持ちがないことは伝えておきたくて、狭いソファの上で身を寄せた。

 それが伝わったようで、肩に回した腕に力が入り、ぐっと引き寄せられる。


「今日、その。するのですか?」


 先ほどからずっと早鐘を打つ心臓は、そろそろ限界を訴えている。

 手順も駆け引きも何もかも飛ばして、思い切ってそう尋ねた。


「……ブラギルフィアでは婚前交渉はあまり一般的ではない」

「え……?」


 高鳴り続けていた心に、ひやりと隙間風が流れ込んだ気がした。

 顔を曇らせる私に、彼は「とは言え」と続ける。


「全くない、というわけでもない。婚姻を結ぶ覚悟もないまま女性と契るなど、あってはならない愚行だが、既に婚約が成立している場合はその限りでもない。また、国民すべての行動を法の目で監視できているかと言うと、もちろんそんなことはない」


 妙に回りくどく語りながら、陛下はいつのまにか視線を明後日の方向へと向けていた。


「つまりは……」


 何かを言いかけて、そのまま口を噤む。

 暫く沈黙が続いた後、彼は目を覆いながら深々と嘆息した。


「すまない。もっと洗練された言葉で伝えられれば良かったのだが……」


 陛下の言葉はそこで途切れた。

 同時に、金色の双眸が吃驚と共に大きく開かれる。

 ……我ながら情けないことに、陛下の言葉に耳を傾けながら私は何も言えずにいた。

 何か言わねば、そう思っても紡ぐべき言葉は思い付かなくて、以前と同じ行動に出た。


 つまり、自ら陛下に口付けた。

 がむしゃらに唇を押し付けるだけの稚拙な口付けは、すぐに終わった。

 緊張が限界に達する中、私は肩で息を息をしながら言った。


「あのっ。今度こそ、交歓の儀をしていただけますね?」


 私の突飛な行動、そして言葉に陛下は面食らった顔をした。

 それから、小さく笑みを零して改めて私を見つめる。


「こちらからもお願いしたい。……が、俺としては交歓の儀関係なく美夜が欲しい」


 その言葉に、私は無言で頷くことしかできなかった。

 更に強く引き寄せられ、陛下が「美夜」と囁く声が聞こえた。どちらからともなく瞳を閉じ、互いの吐息が重なるのを感じた。


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