73話「何より心地良い時間」
「それは」
陛下は何かを言いかけて口を噤んだ。
彼がこんなに狼狽するのは珍しいことだ。
私はと言えば、満足感を覚えつつも、どこか冷静に受け止めていた。
以前から確信はあった、と言うべきか。
私は微笑を浮かべて陛下を見つめる。
「ついに本心が出ましたね」
「……すまない、美夜」
「何に対しての謝罪なのでしょうか」
「それは」
陛下は先ほどと同じ言葉を繰り返し、そして再び言葉に詰まる。
苦悩を滲ませるように眉根を寄せ、それから息を吐き出した。
「今のは失言だった。できれば、忘れて欲しい」
「……わかりました」
陛下の言葉に、私は花のかんばせに微笑みを湛えたままそう答えた。
素直に是と言ったのがよほど意外だったのか、陛下の表情に驚きが混じる。
わかった、とは言ったけれど言われたことに従うとは言っていない。
つまり、そちらの言い分はわかったという意味である。
陛下だって、私を欲している筈だという確信があった。
とは言え、私から手を伸ばしても、彼がその手を取ろうとしないのなら進展は見込めない。
私は、そのことがもどかしくて仕方ない。
でも、彼が思わず本心を零したからと言って、そこに一気に畳み込んだところで勝機を掴めるとは思えない。
一先ずここは、本心を聞けただけでも良しとしておこう。
些細なことに思えるけれど、これだって立派な進展の筈だから。
陛下は、私が珍しく追及して来ないことを訝しんでいる様子だったけど、もちろん彼のほうから尋ねるようはことはしない。
つまり、何事もなかったようにデート続行中である。
……いや、そもそもこれはデートなのだろうか。
誰かと一緒に遊びに出掛けた経験自体がないから、その基準が全くわからない。
ゲームセンターで遊んだ後、ショッピングモールを見て回った。
そんな折、不意に陛下が足を止めたことに気付いた私は、彼のほうを伺う。
「陛下? どうなさいましたか?」
今、私たちがいるのは一階フロアの広場になった場所だ。
頭上は吹き抜けになっていて、ここより上の階の様子を見上げることができる。
陛下は、広場に置かれた背の高いツリーを見上げていた。
「これは、モミの木……なのか?」
「はい。本物ではなく模造品ですが、モミの木を模したものですね」
それは、俗にクリスマスツリーと呼ばれるものだった。
そういえば、もうそんな時期だったと改めて認識する。
今、季節は既に十二月に入っていて、当然ながら至るところにクリスマスを連想させる飾り付けが施されている。
私たちが間借りしている家は田舎にあり、そういった雰囲気とは無縁だけど、都心に出て来れば否応なしに季節イベントというものを意識させられる。
舶来もののイベントながら、私が生まれるより何十年も前に日本国内で定着したこのイベントは、特定の人には大きな意味を持つものらしい。
とは言え、生まれてから十五年、私には縁遠いものだった。
倫香や双子たちが人を呼んで、馬鹿騒ぎをするお陰で後片付けが大変な日というのが、私がクリスマスに対して抱く印象だ。
「そういえば、街へ出て来るとこういった飾り付けをよく見るようになった。……もしかすると、あれらもこのモミの木の模造品と関連があるのか?」
そう言いながら、陛下は周囲へと視線を巡らせた。
彼の言う通り、この施設の中でも赤や緑、それに金色を用いた様々な装飾が見られる。
「クリスマス、と呼ばれる祝祭に繋がるものですね」
「クリスマス?」
「はい。今月の二十四と二十五日……年越し手前に行われる祝祭ですね」
「なるほど。無事に一年を過ごせたことに感謝し、新しい年を迎える祝祭か」
「うーん。少し違うかもしれませんね」
私は少し困ってしまい、曖昧に笑う。
考えてみればおかしな話だ。
クリスマス発祥の地であるヨーロッパ圏では、多くの場合、クリスマスと年末年始は密接な関りがある。
ところが、日本国内ではハロウィンが終われば街はクリスマスムード一色になり、二十五日の終盤からは一気にお正月ムードとなる。
特に、クリスマスからお正月に向けての切り替えの早さは、坂道を転がるかのようだ。
「クリスマスとは、元は異国の、あるいは異教の祝祭なのです。我が国には我が国なりの年末年始の行事があったのですが、商売魂逞しい人が信仰心や伝統とは関係なく、このクリスマスを新たな行事として組み込みました。クリスマスの発祥の地ではクリスマスという祝祭そのものが年末年始の行事なのですが、我が国では後付けで組み込んだため、年末年始とは別の扱いです」
「それは、何と言うか、一年の終盤が慌ただしくなる気がするのだが」
「ええ、仰る通り。今でこそ、モミの木や柊、それに赤と緑の装飾が施されていますが、二十五日を過ぎれば一気に雰囲気が変わります」
「ははは、それは随分と忙しいな。しかし、そうしてまで異国の祝祭を自分たちの文化に取り入れるとは、この国の人は祭りが好きと見えるな」
そう語る陛下の目はあまりにも優しく、私は自分でもよくわからないまま口を噤んだ。
何だろう、今、何故か胸の辺りにつきんとした痛みを感じた。
気のせいだと思おうとしたけれど、それはまだ小さく疼いていて、気のせいなんかじゃないと主張しているみたいだ。
「陛下も、お祭りは好きですか」
殆ど無意識の内に発した問いに、陛下は「ああ」と頷いた。
「祭りは嫌いではないな。民が活気付くのは良いことだ」
「そうですよね」
私は平然と……少なくとも、表面上は何一つ動じることなく答えた。
陛下の言葉を聞いて、霧が晴れるように先ほど感じた痛みの正体が見えて来た。
(私は好きではありません)
途中まで出かけた言葉を、すんでのところで呑み込んだ。
クリスマス、ハロウィン、カウントダウン、花火大会、運動会、文化祭、遠足……一年の内に様々な祭りや行事があるけれど、私はどれ一つとして好きではない。
「……少し暑くなって来ました。一度外に出て、どこかに座ってもよろしいでしょうか?」
「ああ、もちろんだ」
さり気なく話題を変えると、陛下は疑いもなく承諾してくれた。
実際、館内は暖房の効きすぎていて、コートを着たまま歩いていると暑いぐらいだ。
それに、少し座りたいとも思った。
歩きながら、意識はどうしても先ほどの陛下の言葉へと向いてしまう。
当たり前と言えば当たり前のことなのだけど、やはりこの方は一国の王なのだと実感してしまった。
ブラギルフィアにいる時も、二人で過ごせることが多かったから錯覚してしまいそうになるけれど、本来なら多くの臣下や民に囲まれて中心にいる方なのだ。
対して、私はと言えば人が集まる場所はなるべく避けたい。
祭りが好きではないのも、こういう気質に由来している。
彼は「民が活気付くのは良いこと」と言ったけれど、私は自分がその中にいるのを想像することができない。
何だか、途端に陛下が遠くなったように感じる。
「美夜、ここでいいだろうか?」
「……えっ? あ、はい」
気付けば、私たちは館内を出ていた。
そこから暫く歩いて、ベンチがある場所までやって来た。
「あの、飲み物を買って来ます。少し、ここで待っていたいただけますか」
特に喉が渇いていたわけではないけれど、気分を変えたかった。
そのためにも、少しだけ、ほんの短時間だけ陛下から離れたいと思った。
「一人で大丈夫なのか?」
「はい。では、行って来ます」
そう言って歩き出そうとした私を、陛下は「美夜」と呼び止めた。
もしかして、私の胸中に気付かれたのではないかと不安になったものの、努めて平静を装いながら彼に顔を向ける。
「どうされましたか」
「……先ほどの話の続きだが」
陛下はそう言うと、口を噤んで考え込む仕草をした。
私は、心の内に生じた不安が膨らむのを感じた。
やはり見透かされているのだろうか。
「国王の立場としてなら、あの言葉に嘘偽りはない」
「祭りが嫌いではない、ということでしょうか?」
「ああ。……いや、個人としても別に嘘を言ったわけではないが。ただ、俺自身はあまり賑やかすぎるのは好きではない」
「……少し、意外です。その、陛下はいつも多くの方に囲まれているという印象がありましたから」
逡巡しながら紡いだ言葉に、陛下は苦笑を浮かべる。
「それも確かに間違いではないな。人々が活気付き、多くの笑顔が生まれるのは喜ばしいことだ。……しかし、自分自身がその中にいるというのは、実は居心地が悪く感じることもあってな。できれば、少し離れた静かな場所で見ていられればとも思う」
「そうですか」
私は短い言葉と共に頷いた。
それから一拍置いた後、新たに言葉を紡いだ。
「実はお一人で過ごすことも、嫌いではなかったりしますか」
「そうだな、本来ならそのほうが性に合っていると思う。立場上難しいが」
「でしょうね」
陛下はそこで言葉を切り、そして私へと視線を向けた。
金色の双眸と視線が絡んだ瞬間、心臓が跳ねるのを感じた。
「こんなことは、アスヴァレンにも話したことがない」
「それは、その。どうしてですか?」
「……美夜と過ごす時間が、何よりも心地良いからだろうな。今までの人生で、文字通りの意味で一人になれたことは少ないが、それらの時も含めて、今までのどんな瞬間よりもだ」
私は呼吸することさえ忘れて陛下を見つめる。
いや、呼吸の仕方さえ忘れてしまったのではないかと思えた。
笑い出したいような、泣き叫びたいような、名状し難い感情が胸に満ちていく。
何か言わねばと思うのに、いくつかの言葉が脳裏に浮かんだものの、それらは意味を成さないまま崩れて行く。
いや、どんな言葉を用いても、今の胸中を正確に表現することはできないだろう。
「陛下にそんなことを言っていただけるなんて、嬉しいです」
それでも何かを伝えずにはいられなくて、極めて簡潔な言葉を口にした。
次に陛下と目が合った瞬間、再びどきりとした。
ああ、またあの目だ。
愛しい存在に向けるような眼差し。
どうにも落ち着かなくなった私は、「行って来ます」と言って、今度こそその場から離れた。




