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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第四章
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72話「水族館デート」

 この生活を始めてから半月ほど経ったある日、私たちは再び都心部を訪れた。

 先生を抜きに、二人だけでこんなに遠出するのは初めてだ。

 朝早く起きて、電車で一時間ほどかけてやって来た。

 先ず向かう先は、水族館だ。


「これは……」


 予想通りと言うべきか、陛下は言葉を失って立ち尽くしている。

 ここは館内に入ってすぐの地点である、水槽のトンネルだ。

 私たちの頭上、それに左右を色とりどりの魚が縦横無尽に泳いでいる。

 陛下は恐る恐る水槽のガラスに触れる。


「これは……『てれび』と同じものなのか? まさか、本物の魚ではないだろう?」

「全て本物です」

「何?」

「これは途轍もなく巨大な水槽なのです。それに水を満たし、魚を泳がせているのです」


 彼は金色の双眸を大きく見開き私を見つめ、それから再び水槽へと視線を戻した。


「これが水槽……だと? これだけの水圧に耐えるほどの強度とは驚きだ」


 心底驚くその様子が微笑ましくて、私は思わず笑みを零してしまう。

 ふと振り返れば、私たちの背後で人が渋滞している。


「陛下、先に進みましょう。まだまだこれから、もっと多くの生き物を見ることができます」


 ここに至り、陛下は通行の妨げになっていることに気付いたようで、慌てて背後にいる人たちに頭を下げる。

 とは言え、特に誰も苛立っている様子はなく、むしろ陛下の様子に興味を引かれたようだ。


「お連れさん、外国の人よね? もしかして、水族館は初めて?」

「ええ、はい。彼の出身国にはなかったようです」


 話しかけてきた女性に、適当なことを言って誤魔化しておく。

 決して嘘は言っていない。

 私はこれ幸いに……というわけではないけれど、陛下の腕に手を添えて先へと促す。


 陛下はどのエリアの、どの展示スペースでも興奮した様子を見せ、私に様々な質問を投げ掛けた。

 スペースに表記されている説明文を読んだり、時にはスマホで調べたり、何だかまるで陛下の専属ツアーガイドになった気分だ。

 これはこれで悪くない。

 それにしても、私たちほど時間をかけて館内を回る客もそうはいないのではないか。


 見て回っている内に昼食時になり、そのタイミングで館内カフェを見つけたため、そこに入ることにした。

 メニューの種類も質もそう充実しているわけではなく、値段以外は中の下といったところだけど、「陛下と一緒に水槽と眺めながら」という状況のお陰で、実際以上に美味しく感じられた。


「ははっ、かわいらしいな」


 運ばれて来たプレートを見て、陛下が笑みを零した。

 彼が注文したのはペンギンプレートというメニューで、ペンギンの形をしたモノクロカラーのパンと、熱帯魚に見立てたオムレツやフライドポテト、そして小さな容器に入ったサラダが乗っている。

 私が頼んだのは、パンダカレーである。

 深さのある皿に、海苔を使ってパンダを表現したおにぎりが三つ乗っていて、それにカレールーをかけたというもの。


 陛下は何かを思い出したように、「そうだ」と呟いた。

 それからスマホを取り出したかと思うと、プレートの写真を撮った。

 次いで、今度は私のパンダカレーにスマホを向けて、再度撮影ボタンを押す。


「陛下、すっかり現代日本での生活に馴染んでいらっしゃいますね」

「このシャシンというのは、実に面白いな。たったこれだけの動作で、目にしたものを記録できるとは素晴らしい。思い出は決して消えないとはよく言うが、シャシンとして共有できる形で残すのも良いものだ」

「……そうですね」


 私は目を細めて言った。

 今まで、あまりそんな風に考えたことはなかった。

 私にとって「今」とは、常に抗わなければならない対象で、思い出を残そうという発想がなかった。いや、そもそも残したい思い出などなかった。

 でも、陛下がいるというだけで、何もかもが色付いて見える。この世界は、こんなにも良い場所だったのか。


「ほら、見てくれ。こんなにも溜まった」


 そう言って陛下は、嬉々としてスマホのアルバムページを開いた。

 そこには、この半月の間に撮り溜めた写真が並んでいる。

 見れば、大半が私の写真を締めていて、くすぐったさを感じてしまう。

 でも、陛下にとって形として残したい思い出の上位が私だというのは、純粋に嬉しい。




 ゆっくりと時間をかけて館内を回った私たちは、今度は水族館に隣接する総合型アミューズメント施設へと移った。

 様々な雑貨や土産物を売る店の他、ゲームセンターなども充実している。

 陛下は、とあるガラス張りの機械の前で足を止めて、何やら興味津々の様子で見入っている。


「陛下? どうされました?」

「美夜、あのぬいぐるみを見てくれ」


 ガラス張りの機会、確かクレーンゲームと呼ばれるものだったか。

 陛下が指差しているのは、その景品の一つであるぬいぐるみだ。


「狸ですね」

「あれが欲しいのだが、売り物ではないのか?」

「えっ? そ、そうですね。あの、腕のような……アーム、と呼ばれるものを操作して、上手く掴んで穴の中に入れることができれば自分のものになるという遊びですね」


 詳しくないなりに説明した後、陛下が欲しがっているぬいぐるみに視線を向けた。

 かわいいと言えばかわいい……けど、それほど品質は良くなさそうだ。

 百円、あるいは三百円ショップに売られていても違和感がない。


 でも……。


「せっかくですものね。挑戦してみましょう」


 ここで引いたら美少女が廃るというもの。

 私は早速五百円玉を投入し、アームを操作して……取れなかった。

 な、何これ。

 思った以上にアームの力が弱い!


「お、おかしいですね?」


 五百円投入すれば、六回プレイできる。

 六回も挑んで取れないとは、そもそも取れない仕様なのだろう。

 そう納得しかけた時、その歓声はすぐ間近で聞こえた。

 隣と見れば、同じ型のクレーンゲームの前に一組のカップルがいて、取れたばかりの景品を掲げて喜び合っている。

 奇しくも、陛下が欲しがっているものと同じ狸のぬいぐるみだ。


「……」


 すぅ、と私は息を吸い込んだ。

 それから、決意を込めた目で陛下を見上げる。


「少しだけ時間をいただけますか」


 そう伝えて、私は両替機へと走った。




 ……それから数十分後。


「え、ええええぇ……」


 私は困惑とも絶望ともつかぬ呻き声を漏らした。

 この短時間で、あっという間に何枚かの紙幣が消えた。

 総額は……ああ、考えたくない。


 なのに、まだ取れない。

 いったいどうして?


「……ふむ」


 陛下が小さく呟くのを聞いて、私は項垂れながら彼を振り返る。


「陛下……」


 さすがにこれ以上お金を投入するのは気が引ける。

 とは言え、陛下に諦めて欲しいと伝えるのも心苦しい。


「なるほど。何となくだが、コツが掴めたかもしれない」

「え?」

「美夜、俺も一度やってみてもいいだろうか?」

「は、はい。もちろんです」


 私は百円玉を投入すると、場所を譲った。

 陛下がアームを操作し、微調整を加えた後、景品を狙って下ろした。

 すると。


「あっ」


 私は驚いて声を上げてしまった。


 アームは見事に狸を掴み上げ、そのまま取り出し口へと落とした。

 私があれほど苦戦したのが嘘のように、呆気ないほど簡単に取れた。

 その鮮やかな術に、言葉を失うしかない。

 けれども、当の陛下はあくまでいつもと変わらぬ平静さで、狸のぬいぐるみを手に取る。


「美夜、これで入手できたということになるのか?」

「は……はい、その通りです。もう陛下のものになりました。お見事です」

「いや、美夜が手本を見せてくれたお陰だ。あのあーむというものの弱点も、微細なコツも、ようやくわかってきた」

「いえ、それでも凄いです」


 感心するべきか、放心するべきか。


 いや、実際にはその両方を同時に感じていた。

 ああ、本当に有能な人というのは、何をさせてもすぐにできてしまうものなのか。

 この半月で現代社会に馴染んだばかりか、文明の利器にも慣れ親しみ、娯楽まで上手にこなしてしまうとは。


 獅子心の騎士王、恐るべし。


「美夜」

「え?」


 呆然とする私に、陛下は入手したばかりのぬいぐるみを差し出す。

 私は別に欲しかったわけでもないし、困惑してしまう。   


「実は、美夜に似合うと思ったんだ」

「そ、それは……その、ありがとうございます」


 ぬいぐるみを受け取りながら、お礼を口にする。

 思ったよりも手触りが良い。それに、改めて見てみるとなかなかにかわいい。

 もちろん、陛下が取ってくれた景品という補正があることは否めない。


「ほら、美夜に似ているだろう? だから、一目見た時から気に入った」

「え、えぇ……」


 陛下は嬉々とした口調で言ったけど、私はその内容に思わず顔を引き攣らせてしまう。


「た、狸ですか。私が」

「ああ、美夜は狸によく似ている。かわいいところがそっくりだ」

「は、はぁ。ありがとうございます」


 これは、誉め言葉として受け取っておくべきなのだろうか。

 複雑に思いつつも、肯定的に受け止めることにした。


「美夜の部屋に、獅子のぬいぐるみが置いてあっただろう? その隣に飾ってくれ」

「……え?」


 陛下の言葉に対して、思わず上擦った声が出てしまう。

 相手の双眸を見つめて、何度か目を瞬かせた。


「それは、つまり、私もブラギルフィアに『帰る』ことが前提なのですか?」


 私の反応を見て不思議そうにしていた陛下だったけど、私がそう言った途端、はっとしたような顔をする。


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