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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第四章
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70話「共同生活を送るにあたって」

 ラベンダーの香りのバスソルトを入れた湯に浸かりながら、ゆったりと手足を伸ばす。

 じんわりと身体の芯まで熱が伝導し、凝りや疲れが解れていくのを感じる。


 陛下から入浴の準備ができたと聞いた時、驚きはしたものの、何の問題もなく給湯機を使いこなせているみたい。

 本当に、昨日の簡潔な説明と、私の一連の動作を見ただけで完璧に覚えていた。

 恐るべき適応力である。


 買い物というのは、楽しい側面もあるけれど、それなりに疲れるものである。

 特に、買い揃えるものが多くあると尚のことだ。今日は結構な数の店を渡り歩いた。

 それにしても、昨日と今日とで実に多くのことがあった。

 一昨日の自分に、二日後には現代日本にいて、陛下に沸かしてもらったお風呂に入っていると話しても絶対に信じなかっただろう。


 あれから何度か、空間を渡ることを試みたけれど、私の中に在る筈の「力」はうんともすんとも言わない。

 いつまでも陛下をここに留めておくわけにはいかないのに、焦りばかりが募って二進も三進もいかない。

 進退窮まるとは、まさにこのことだ。


 ……というのを口実に、現状を甘受しているわけでは決してない。

 絶対に、ない。


「……ふぅ」


 私は息を吐き出し、まだ真新しい天井を見上げる。

 先ほど知ったことについて、まだ完全に心の整理が付いたわけではない。

 それでも、こうして温かいお湯に身を委ねている内に、縺れていた心が解けてきた気がする。


 はっきり言って、あれらの事柄について私にできることはない。

 リラックスして頭の中が明瞭になったことで、当たり前の事実を改めて理解し、受け入れることができた。

 伯父が転落の一途を辿った原因は、もしかしたら私が行方不明になったことも関係しているのかもしれない。

 だからと言って、私に責任があるかというと、それは違う。

 私にとっても不可抗力だったのだ。


 無責任な人間たちの醜さ、愚かさを目にして憤りを覚えたけれど、よく考えたらそんなもの今更ではないか。

 この世に聖人君子など殆ど存在しないし、逆に極悪人というのもそれほど多くない。

 人口の大半を占めるのは、矮小で卑怯な凡百な人間である。


「……」


 湯船から立ち上がると、ぱしゃんと水音がした。最後にもう一度頭からシャワーを浴びた後、私は脱衣所へと出た。






 お風呂から出た私は、髪を乾かしてスキンケアをした後、部屋の中を軽く整えた。

 時計を見ればまだ二十二時にもなっていない。

 陛下もそろそろお風呂から上がる頃だろうか。

 そんなことを思っていると、扉を叩く音が聞こえた。


「は、はいっ」

「美夜、少々いいだろうか? もしまだ眠くなければ、話がしたいのだが」

「ええ、構いません」


 私は陛下を迎え入れようと扉を開けた。

 けれども、彼は隣の書斎のほうに移りたいようで、私もそれに従うことにした。


 便宜上、書斎と呼んでいるものの圧迫感はない。

 第二のリビングといったほうが近いだろうか。

 壁際に並んだ本棚には何百冊もの本が収納されているけれど、天井が高く、広々としているため開放感がある。

 大きな窓からの眺めの良さも、一役買っているだろう。


 私たちは、中央に置いたソファに腰を下ろした。

 着席した後も、陛下は暫く口を開こうとしなかった。

 その間に、私は二人分の飲み物を取りに行くことにした。


「陛下、どうぞ」


 私は日本酒をグラスに注ぎ、陛下の前に置いた。

 因みに、自分用にはルイボスティーを淹れて来た。


「ありがとう。……美夜は飲まないのか?」

「そうですねぇ、私はちょっと。この国の法律では、飲酒可能な年齢ではないのです」

「ああ、そうなのか。いや、よく考えたらブラギルフィアも十六歳からだったな」

「どちらにしても違法ですね」


 実のところ、理由は他にもあった。

 皇家の血筋らしく、伯父も祖父母もアルコールには非常に弱かった。

 私自身、洋酒入りのムースを食べた際に数時間に渡って頭痛に悩まされたこともあって、アルコールには苦手意識がある。


 ……一先ず、今のところは年齢を言い訳にしておこう。

 陛下は日本酒を一口飲み、目を見張った。


「清涼感があり、後味も良くて実に飲みやすいな。ブラギルフィアにはない酒だ」

「それは良かったです。まだまだありますから、いくらでもどうぞ」


 陛下は「ああ」と言って、一度グラスをテーブルの上に置くと目を伏せた。


「伯父上のことは……残念だった」

「え? ええ、まぁ……はい」


 何と答えて良いかわからず、思わず言葉を濁した。

 そこまで悲しいわけじゃないけれど、かと言って何も感じないわけでもない。

 この感情をどう表現すれば良いのか、私にはわからない。


「他に身内はいないのだったな」

「そうですね、こちらの世界には。ブラギルフィアには、兄がいますが」


 兄、という言葉に反応するように陛下が苦笑を浮かべた。


「今更ながら、あいつに妹がいるというのは何だか不思議な感じがする。あいつが「兄」とはな」

「私自身、あまり実感は沸きません。でも、確かに会った瞬間からある種の親しみのようなものを感じてはいました」

「貴女のような妹がいて、羨ましい限りだ」

「……そうでしょうか」


 それを聞いた瞬間、私が胸を刺すような痛みを感じた。

 羨ましい、とはいったいどういうこと?

 何となくモヤモヤするものを感じながら、それを上手く思考化できる自信がなく、口を噤む。

 その時、陛下のグラスが空になっていることに気付いてお酒を注いだ。

 ありがとう、と言ってグラスを傾ける陛下の様子を見守る。


「美夜」


 陛下がグラスを置いた時、ガラス同士が触れ合う澄んだ音が響いた。

 名を呼ばれ、相手の顔を見つめる。


「こんな時に酷だとは思うが、お互いのためにも、こちらの世界で生活するに際しての取決めを設けておきたい」

「取決め……ですか」

「そう。現状は、その……暫く二人だけで生活することになるだろう。その上での、決まり事だ」

「つまり、今朝のようなことですか?」

「ああ、そういうことだ。察しが良くて助かる」


 そう言って陛下は頷いた。

 この時、私には彼が何を言おうとしているのか何となくわかった。

 それ故に、不機嫌になって口を尖らせてしまうのも無理からぬことだ。


「お互いの寝室には立ち入り禁止、とかそういうことですか?」

「……そうだ。そこまでわかっているなら、話は早い」


 やはり私が思った通りだ。苦笑を浮かべる陛下を見て、確信を抱く。

 それから陛下は笑みを消し、真っ直ぐに私を見据えて言った。


「美夜、ああいうことをするべきではない」

「……一つ言っておきますと、私は若く美しく魅力的な女性としての自覚も恥じらいも貞操観念も持ち合わせています。陛下以外の人の寝床に潜り込むなど、絶対にあり得ません。ですから、自分を大切にするべきだとか、そういう類のお説教なら無駄です。そもそも、必要ありません」

「……美夜」


 陛下の声音に、困惑とも苛立ちともつかぬものが混じる。

 ムカムカと腹が立って来た私は、更に言葉を続ける。


「前に陛下は仰いましたね? いずれ出会う誰かのために、自分を大切にしろと。確か、交歓の儀を持ち掛けた時のことですね。……その「誰か」が誰なのかを決めるのは、陛下ではありませんけど」


 両者の間に沈黙が落ちる。数拍の後、陛下が溜息交じりに言った。


「美夜、あまり俺を困らせないでくれ」

「陛下を困らせるのは本意ではありません。陛下が、私になど全く興味がなく、何の魅力も感じないから迫られても迷惑なだけだと仰るのなら、すぐに引き下がります」


 私は半ば自棄になりながらそう言い放った。

 ……実際、そんなことを言われたら死ぬほど傷付いて立ち直れないだろうけれど。


 暫くは明後日の方向に目を向けたままでいたけど、我慢できなくなって横目で陛下の顔を伺う。

 陛下は苛立ちと憂いが入り混じった表情で、唇を引き結んでいる。

 それからどのぐらい時間が経ったのだろうか。

 沈黙を破ったのは陛下だった。


「……すまない。つまらないことを言ったな。今、俺が言ったことは全て忘れてくれ」

「えっ」


 予想外の言葉に面食らってしまい、咄嗟に返す言葉が出て来ない。

 横目で時計を見れば、分針が僅かに動いて程度だった。


「えっ、あの、どういうことですか?」

「取決め云々の件だ。それらの発言を全て取り消したい」

「では、取決めを設けないということ……ですか?」

「ああ。美夜が言った通り、俺が貴女を諫めて行動を制限させるというのが、そもそもおこがましい話だった」

「……詰まるところ、私の自由にしても構わない……という解釈でよろしいのでしょうか?」

「ああ」


 あっさり頷いた陛下に、私はまたしても面食らってしまう。

 自由……ということは、何をしても構わない?

 私の脳裏に、お世辞にも上品とは言えない考えがいくつか浮かんだ。


「美夜は賢く、物事をよくわかっている女性だ。俺が口出しするようなことは何もない」


 私は言葉に詰まった。

 ああ、そうか、そういうことか。

 つまりは押して駄目なら引いてみろという作戦だ。


 陛下公認で行動の制限を解除されたからといって、私に何ができるのかというと、はっきり言って大したことはできない。

 大手を振って、今日から遠慮なく陛下の寝床に潜り込む……なんてことは不可能だ。


 昨夜は、何と言うか、どうかしていた。

 どんな手段を用いてでも陛下と身体を重ねられれば満足というわけではない。

 あくまで、然るべき手順を踏んだ上で正式な恋人になりたいのだ。

 そのためには、相手の意向を無視するなどご法度である。

 陛下が、本心では私を欲しているにしても、それでも順序というものがある。

 私は、倫香のように、妊娠を利用して相手の意に反した結婚を迫るような女ではないのだから。


 私の性格を見抜いた上で、陛下はこんなことを言い出したのだろう。

 ……さすがは一国の王にして騎士団長だ。人を動かすことに長けている。

 狼狽する私に、陛下が静かな声で言った。


「ただ、これだけは言っておきたい」

「は、はい、何でしょう」

「俺は美夜と諍いを起こすことは不本意だ。共に生活をするにあたり、お互いが快く過ごせればいいと思っている」

「……仰る通りです」


 何だか上手く宥められている気がする。

 とは言え、反論できる根拠などある筈もなく、頷くしかできない。

 それから、言い訳めいた口調で付け加える。


「昨夜のことは、その、怖い夢を見たというのは本当でして。本来なら、あんなことをするつもりはなかったと言いますか」

「ああ、わかっている」


 と、彼は全てを悟ったような目で言った。

 全てを見透かされているようで、私は思わず内心で呻いてしまう。


「……昨日は美夜にとって、あまりにも多くのことが起きた日だからな。無理もない。こちらも配慮が足りず、すまなかった」

「……いえ」


 私は小さく呟くことしかできなかった。

 大変な思いをしているのは陛下としても同じなのに、こんな風に言われると自分の矮小さを嫌でも自覚してしまう。


「話は以上だ」

「はい……」


 私は素直に頷いた。それ以外、他にどうすることもできなかった。

 言葉通り、話をそこで終わりにするかのように、陛下が「ところで」と切り出した。


「美夜はもう寝るのか?」

「いえ、まだそんなに眠いわけでは」

「そうか。では、『これ』について教えてもらえないだろうか。先生が言うには、大層面白いらしい」


 陛下が「これ」と言ったのは、テレビ台の中にあるゲーム機だ。


「ゲームですか」

「ああ、確かそんな名称だったな。これは、どうやって使うものなんだ?」

「そ、そうですね。私もあまり詳しくはないのですが、少しやってみましょうか」


 あまりゲームには馴染みのない人生を送って来た。

 詳しくないなりに、おっかなびっくり起動する。

 ゲームソフトと呼ばれる……ディスクやカードが必要かと思いきや、ハード自体に既にインストールされているらしい。

 いくつかのタイトルの中から、私でも聞き覚えのあるタイトルを選択する。

 気が付けば陛下がすぐ間近にいて、心臓が跳ね上がった。

 彼は興味深そうに、画面を凝視している。

 気を取り直してそのタイトルを立ち上げ、プレイ開始。


 未経験者が初めてゲームに手を出した結果、非常に盛り上がった。

 いや、それどころか熱中しすぎた。

 ふと時計を見れば、時刻は既に朝の四時近くになっていて、それから慌ててそれぞれの寝室に向かったのだった。


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