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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第四章
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68話「同棲生活二日目」

そして迎えた翌朝。


 私は今、陛下のベッドの端に腰掛けた状態で項垂れている。

 そして、そんな私を陛下が見下ろすという構図だ。


 長い髪がカーテンのように顔を覆っているため、陛下が私の表情を伺うことはできない筈だ。

 私は少しだけ顔を上げ、視線だけで陛下の顔を伺いながら、消え入りそうな声で「不快にさせて申し訳ありませんでした」と言った。


「美夜………」


 陛下が、苦しさに呻くような声で私の名を口にした。


「決して不快とかそういうわけではなくでだな」

「……」

(ええ、わかっておりますとも。貴方の仰りたいことぐらい)


 つまりは「自分を大切にするべきだ」とかそういうことなのだろう。


 状況を軽く説明すると、私は陛下に諫められている最中である。

 昨日、彼のベッドに潜り込んだ私は、そのまま朝まで寝た。

 そして、私より先に目を覚ました陛下にそのことがバレたという次第だ。

 私が起きるのを待って、お説教タイムの開始で今に至る。

 ……当然、こうなることはわかっていたけれど。

 私としては、あまりというか全然反省はしていなかったりする。


「怖い夢を見てしまって、それで……自分でも、子供のようなことを言っているという自覚はあります。でも……」

「いや……」


 陛下はいつになく歯切れが悪い。

 何しろ、私に腹を立てて怒っているわけではないのだ。


「あまり軽率なことはするべきではない。……その、相手によってはこういった行動を自分の都合の良いように受け取ることも有り得るからな。美夜に身に何か起きてからでは遅い」

「都合の良いように、とは?」

「そ、それはだな」

「相手によっては、ということは陛下は違うということでしょうか? 陛下の寝床になら潜り込んでも特に何か起きないということでしたら、この場合に限っては安全という解釈で問題ないと思うのですが」

「……美夜」


 陛下の声音が苦笑を帯びる。

 どうやら、実は反省していないことがバレてしまったみたい。

 彼は小さく嘆息してから言葉を紡ぐ。


「とにかく、今後は必ず自分の寝台で寝ること。美夜は賢いから、俺の言いたいことはわかるな?」


 ……わかる、けれど納得できるかどうかはまた別の話だ。私は上目遣いで、不満を込めた視線を陛下へと向ける。


「私が隣で寝ていると、『立つ』からですか?」


 相思相愛同士が二人きりで暮らして、今後も何も起こらないというのだろうか。

 いや、そんなことはあってはならない。

 陛下には、朝起きたら想い人が隣で寝ていたという状況をもっと素直に喜んで受け入れていただきたい。


 そんな不満を込めて、敢えて品のない表現を用いたのだけど、陛下が示した反応が私が期待したそれではなかった。

 彼は困惑した顔で首を傾げる。


「確かに、すぐに起きて立ち上がったが……?」

「えっと、いえ、何でもありません」


 意味がよくわからない、という様子の彼から目を逸らしつつ誤魔化した。





 

簡単な朝食を済ませ、本日の予定について話し合っていたら、長瀬先生がやって来た。


「やぁ、おはよう」

「おはようございます、先生」


 先生は私には目もくれず、陛下に笑いかける。


「昨日はよく眠れたかな」

「……はい。お陰様で」


 一瞬の間は、今朝の出来事を思い出したからだろうか。

 先生は「そうかそうか、それは良かった」と返しながら、えらくご機嫌な様子だ。


「枕がエルくんに合っているかどうか心配したんだよ」


 ……え?

 今、何て……。

 私は言い様のない違和感を覚えた。

 いや、この時に限らず、ずっと引っ掛かっていることがあった。


「先生、どうして彼の名前をご存知なのですか? それに、彼はこの世界の方とは言葉が通じませんでしたが」

「あー、うん、まぁね」


 先生は私のほうを振り向こうともせず、言葉を濁した。

 言いにくそうにしている……というより、何だか面倒臭そうだ。


「昨日も言った筈だ。そんなことを論じて、いったい何の益になるのか、と」


 陛下に対する時とは打って変わって、冷淡なほど素っ気ない物言いだ。

 私は驚くやら腹を立つやらで、咄嗟に返す言葉が出て来ない。

 一つわかったのは、こちらがどんな疑念や違和感を抱こうとも、彼は全く取り合う気がないということだ。

 憤懣やる方ない私をそっちのけで、先生は陽気な声で「それより!」と言った。


「今から買い物に行こうか。エルくんのための服や小物、それに必要なら娯楽用品も。ゲーム機とかさ。それに、お菓子とかお酒も買わないと」

「しかし」


 うきうき、という擬音が聞こえて来そうな先生とは対照的に、陛下は困惑気味だ。


「住居を用意していただいた上に、そんなことまで……」

「いいんだよ、そんなの! 私は車を用意するから、準備が済んだら表まで出て来もらえるかな。ああ、ゆっくりでいいから」


 そこで私が口を挟んだ。


「では、お言葉に甘えて。私は今から軽くお風呂に入りたいので、少々お時間をいただくかもしれません」

「ええっ? ……仕方ないなぁ、なるべく早くね」

「……」


こ、この男……!

 私と陛下とで、えらい温度差である。

 そう、まるでアスヴァレンのように。


 あくまで何となくで、根拠らしい根拠はないけれど、私には彼の正体が掴めて来た気がする。

 まさか、長瀬先生……少なくともそう名乗っている彼との邂逅こそ、私がこの世界に帰らなければならない理由なのだろうか?

 兎のぬいぐるみに取り憑いた霊の言葉を思い出しながら、首を傾げるのであった。



 それから約一時間後、私たちは先生の車に乗り込んでいた。

 先生は陛下を助手席に座らせたがったけれど、私がそれを阻止して一緒に後部座席に座っている。

 この辺りは、本当に長閑な田舎だ。

 車を走らせている内に徐々に景色に変化が現れ始め、高速道路を抜けて暫く進むと都市部に入った。


 先生が車を止めたのは、某大型百貨店の駐車場だった。

 陛下はもちろん、私はこの辺りにあまり土地勘がなく、先生に促されるままに付いて行った。

 先ず向かった先は、あるブランドの紳士服を扱う店舗だった。

 先生は私などそっちのけで、店主を捕まえると陛下に合いそうな服を見繕って欲しいと頼んだ。

 店主は陛下を見るなり感嘆の溜息を吐き、それから「畏まりました」と恭しく頭を下げて服を用意し始めた。


 陛下は当惑を隠せない様子ながら、促されるままに用意してもらった服を手に試着室へと入って行った。

 そして待つこと数分後。

 真新しい服を纏って姿を現した陛下を前に、私と先生と店主は同じ気持ちだったに違いない。

 丈の長いチャコールグレーのトレンチコートと、黒いスラックス、そしてコートの襟元から覗くニットはダークブルー。

 全体的に落ち着いた色合いで纏めているけれど、地味という印象にはならない。

 控えめに言って、驚くぐらい似合っている。


「美夜、どうだろう?」

「……よくお似合いだと思います」

「もーっ、美夜は語彙力ないなぁ。エルくん、いいよ! すっごく似合ってる! 何かもう、服が君を待ってたみたい! はい、お買い上げけってーい!」

「先生もあまり人のことを言えないようですね」


 ぼそりとツッコミを入れながら、私への呼称がいつの間にか「美夜」になっていることには敢えて触れなかった。

 その後もまるでファッションショーのように、陛下には何着か試着していただいた。

 先生は、その店で試着したもの全てと、別の店でも相当な枚数を購入していた。

 因みに、私の服を見たいと申し出た時の彼の態度は非常に淡白だった。

「カード渡したよね? あれを好きに使ってくれて構わないから、何か見て来たら?」

 と、こんな調子だ。

 しかも、「あんまり高いのは駄目だよ。上限一万円までね」とまで言った。

 ……陛下の服を選ぶ時には、文字通り金に糸目を付けなかったというのに。

 何となく値段を見たところ、コート一着で安めの軽自動車が買えそうな金額が記載してあって驚いた。

 総額は数百万になるだろうけれど、よく考えたら一国の王のお召し物なのだから、それぐらいは出して当然か。


 先生はともかく、陛下は私の買い物にも快く付き合ってくれた。言う間でもなく、ブラギルフィアと日本ではファッションの傾向も全く違う。

 ブラギルフィアでは一定年齢に達した女性が膝を出すべきではないという考え方が常識で、ミニスカートなんてものはない。

 ズボンは、場合によっては履くこともあるけれど、何らかの肉体労働を行う場合に限られる。

 陛下は興味深そうに、時には戦きながら店頭に並ぶ商品を眺めていた。


 ……陛下に、似合う服を選んでもらうというシチュエーションに期待しないでもなかったのだけど、さすがに感覚が違いすぎて酷だろうか。

 因みに、余談ながら、陛下をちらちらと伺う女性店員に「彼氏さんですか?」と聞かれたり、「彼氏めっちゃイケメンですね!」「優しそうな彼氏でいいですねぇ」と言われることが何度かあった。


 ふふん、羨ましかろう。

 ……まぁ、実際のところは恋人というわけではないのだけど……まだ。

 そう、今はまだ。

 


 そして、当面で必要となる日用品や食料品を買い込んだ後、私たちは帰宅した。

 先生は本邸のほうへ戻り、再び二人きりになれた。

 買って来たものを然るべき場所に収納したり、食材を適切な方法で保存したりといった作業は私一人でやるつもりだったのだけど、陛下は手伝うと言ってくれた。

 いや、正確には協力したいと。


「いつブラギルフィアに戻れるかわからない以上、俺もこちらの世界でことを学んでおく必要がある」


 そう言われると、確かに道理だと思った。

 今まで、私の回りには怠惰な者しかいなかったから、何だか新鮮に感じてしまった。

 陛下は少し間を置いて「それに」と付け加えた。


「それに?」

「何と言うか、美夜と多くのことを共有したいからな」


 その言葉に、私は咄嗟にどう返して良いものかわからなかった。

 有り体に言えば、照れてしまったのだ。

 そうですか、と頷くだけに留めて必要な作業とその説明に取り掛かることにした。



 衣類や服飾小物、その他日用品をどこに週のするか決めて、食材は小分けにして保存した。

 すぐに使わないものは冷凍室行きだ。これで、当面は食料に困らずに済む。

 また、徒歩で三十分近くほどの場所にスーパーマーケットもある。少し遠いけど、宅配サービスもあるようだし、今後はその店を活用しようと思う。


 そう言った作業を終わらせた頃には夕刻近くになっていて、私は夕食の支度に取り掛かることにした。

 お米は予め研いでおいたから、炊飯器のスイッチを入れるだけだ。


 先ずは水を張った鍋を火にかける。沸騰するのを待つ間に、別の鍋で出汁を取り始める。

 お湯が似たって来たら、小さめのトマトを二つ湯剥きして、それから先ほどの出汁の中に加えて煮る。

 湯剥きに使った後の湯に春菊をくぐらせた後、適当な大きさに切って器に盛り付ける。

 先ほどの出汁に、味醂と醤油を加えて味を調えたもので和える。

 その間にボウルに卵を割って掻き混ぜ、別の器に取って置いた出汁を加える。

 そこに更に塩と醤油を適量加え、お箸の先を使って混ぜ合わせる。

 そうしている内に、トマトがいい具合に煮立った。それぞれ小さな器に乗せると、一品完成だ。

 イタリアンのイメージが強いトマトは、意外と和風の味付けにもよく合う。

 私は皮付きで食べるほうが好きだけど、湯剥きするほうが出汁の味が染み込みやすいのだ。


 トマトを似た出汁に今度は豆腐を加えて軽く煮て、簡単湯豆腐とする。

 帰宅後、すぐにタレに漬け込んでおいた鰤の切り身をフライパンに乗せる。

 タイミングを見計らってタレを加えつつ、別のフライパンで溶き卵を焼き始める。

 卵焼きが完成する頃、鰤の照り焼きもいい具合に焼き上がった。


 それらを見合った食器に盛り付け、トマト煮に刻みネギを、春菊のおひたしに鰹節をかければ出来上がり。


「……ふぅ、できた」

「手慣れたものだな」


 その声は予想以上に近くから聞こえた。

 驚いて振り返れば、リビングにいた筈の陛下がいつの間にかすぐ側に立っていた。


「陛下、見ていらっしゃったのですか」

「ああ。美夜は実に手際がいいな」

「ええ、まぁ」


 と、私は言葉を濁した。


 綺麗で頭もいい私は、もちろん料理上手でもある。

 家庭の事情により、長年家事をして来たからというのもあるけれど、地頭がいいのだ。

 そうでなければ、料理というのは上達しない。


 ……ただ、そのことを誇っているかというと微妙かつ複雑だったりする。

 はっきり言うと、家事全般が全くできない、しかもそれを許されるお嬢様という立場に憧れがある。


 見れば、テーブルの上には取り皿や箸といった食器類が並べられ、既に準備が整った状態だ。

 陛下はどこに何があるかを既に把握していて、どんなものを用意するべきかも理解している。


 例えば、箸。

 昨日、ラーメン屋に入った時こそ奇異な目で見ていたけれど、今はもうフォークやスプーンといったカトラリーと同じ用途だと受け入れ、それどころか積極的にこちらの文化に慣れようとしている。

 テーブルの上には、二膳の箸があった。


「ありがとうございます。助かります、陛下」

「もう運んでも構わないだろうか?」

「はい、お願いします」


 陛下は料理をテーブルの上に並べると、改めてそれらを眺めて目を細めた。


「見た目にも実に綺麗だ」

「ありがとうございます。では、冷めない内にいただきましょう」


 それぞれテーブルに着き、いただきますと言って食事を始める。


「これは、もしかして米なのか?」

「はい。お米に、何種類かの雑穀を少量混ぜて炊いたものです。この国では、こうしてお米を炊いたものが主食となります」

「こんな調理法はブラギルフィアではお目にかかれないな。んっ、味も食感もブラギルフィアで食べる米とは全然違う」

「でしょう? ブラギルフィアでいただく食事はどれも美味しかったのですけど、こうやって炊いたご飯が恋しくなることもありました」

「……美夜がそう思うのも無理もない。ん、これらの料理はこの米とよく合うな。ブラギルフィアでは食べたことのない味付けだが、そういえば不思議な調味料を使っていたな。黒い液体や、粒状の……」

「はい。あの黒い液体は醤油と言います。粒状のは、顆粒だしと言いまして、何かと便利な調味料なのです。そうですね、和食……この国の伝統的なお料理は、これらを使うことが多いですね」

「そうなのか。とても美味いな。初めて食べる味なのに、不思議と懐かしい気がする」

「……和食がお口に合ったようで良かったです」


 私は、少しばかり気恥ずかしさを覚えながらそう言った。


 陛下の言葉に、心がじんと温かくなる。

 はっきり言って、とても嬉しい。


 料理を初め、家事全般ができてしまう自分に複雑な思いを抱くこともあったけれど、何だかどうでも良くなってしまった。

 そんなことより、陛下に喜んでもらえて良かったと心から思う。


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