64話「パクチーと山椒たっぷりの激辛担々麺」
「少し、お腹が空きましたね」
「言われてみれば、確かにそうだな」
店を出た私たちは、繁華街を歩きながら他愛もない言葉を交わす。。
服を着替えると、さすがに先ほどまでのように無遠慮な視線に晒されることはなくなった。
そのことに安堵を覚えていると、隣を歩いていた陛下がいないことに気付いた。
慌てて振り返ると、彼は数メートルほど後方にいて、とある店の看板を眺めているところだった。
「陛下! 私から離れないでください」
「ああ、すまない」
申し訳なさそうにする彼に肩を竦めてみせて、それからその看板へと視線を向ける。
どうやらラーメン屋のようで、看板には秘伝のスープに纏わる熱意と拘りが、写真付きで掲示されている。
「美夜、これはこの世界の食べ物なのか? 麺なのかスープなのか、どっちなのだろう」
「それは、えーっと、両方ですね」
「両方? つまりは、麺とスープとを一緒に食べるということか?」
「はい、そんな感じです。……食べてみたいのですか」
「それは、是非とも」
私は内心で唸った。
ラーメンが嫌いというわけではないものの、意中の人と初めて入るには不向きというか個人的に納得いかないというか。
でも、こんなキラキラした目を向けられては嫌と言える筈もなく、入店することにした。
夕食にはまだ早い時間ということもあって、店内は空いている。私たちは、店の奥のほうの壁際の席へと着いた。
陛下はメニューを逆さに眺めながら、首を傾げている。
「陛下、向きが逆です」
「ああ、そうか。にしても、絵があっても何が何やらわからないな。美夜はどれにするかもう決めたのか?」
「そうですね、私はパクチーと山椒たっぷりの激辛担々麺にしようと思います」
陛下はもっと癖のない味のほうがいいだろう。
そう思ってメニューに視線を走らせていたら、陛下が思わぬことを言った。
「じゃあ俺もそれにする」
「えっ?」
思わず目を瞬かせながら彼を見た。
ブラギルフィアで過ごした日々を思い起こすと、陛下はあまり癖の強い香草類が得意ではなかった。
それに、辛いものは平気なのだろうか?
「陛下、これは相当に辛いです。また、ニーヴェやセルベルによく似た香辛料を使っていますので、陛下にはあまりお勧めできない気がするのですが」
「いや、問題ない。美夜と同じのがいい」
「は、はぁ。わかりました」
大丈夫だろうか、と懸念を抱きながらも同じものを二つ注文した。
料理が出て来るまで、そう時間はかからなかった。
激辛と銘打っているものの、そこまで辛くはないと感じた。程好い辛味が香草の風味と混ざり合い、絶妙な味わいを生み出している。
それらがスープにコクを与え、適度な固さの麺に上手く絡む。
陛下との初の外食がラーメンというのは、あまり気は進まなかったのだけど、味は全く問題ない。
というか美味しい。
これぐらいの辛さなら、きっと陛下も大丈夫の筈。
顔を上げ、正面の席に座った彼を見た私は仰天した。
「陛下?」
彼は顔を伏せ、ぷるぷると肩を震わせている。
その手に握り締めたコップが空になっていることに気付き、慌てて水を注ぐ。
「陛下、大丈夫ですか? やはり、辛かったのでは……」
余談だけど、私の「辛くない」とホラー物に対する「怖くない」は当てにならないことで一部では有名だ。
でも、彼は顔を上げると力なく笑った。
「いや、大丈夫だ」
「は、はぁ。あの、どうか無理はなさらないでください。残しても構いませんから」
私は本気で心配したけれど、陛下は「大丈夫」「問題ない」を繰り返しながら完食した。
「陛下、本当に大丈夫ですか? その、ご気分が悪くなったりは」
お会計を済ませて店を出た後、私は隣を歩く陛下にそう尋ねた。
「すまない、心配をかけたな。だが、もう大丈夫だ」
「……ならばいいのですが」
朗らかに笑う陛下を見ながら、それでもまだ心配である。
後々、身体を壊すようなことがなければいいのだけど。
「……さすがに、次からは美夜の忠告を聞き入れようと思う。だが、お陰でいい経験になった」
「は、はぁ」
「……それに、やっと見返してやれた気がする」
「え?」
見返す?
いったい何の話だろう?
きょとんとする私に、陛下は苦笑して「何でもない」と首を横に振った。
うーん、何だか気になってしまう。とは言え、
今は他にやらなければならないことがある。
話し合って、これからのことについてはいくつか案を出した。
と言っても、いずれも陛下の提案だったりするのだけど。
まず、住む場所の確保。
そろそろ日も暮れるし、やはり身体を休める場所は必要だ。
幸い、この辺りは観光地としての需要も高いため、宿泊施設は多い。
繁華街に行けばビジネスホテルも色々とあるけど、私たちが進むのは逆の方向だ。
駅から外れた場所には、安価で泊まれるゲストハウスもある。
正直、陛下をそんなところに泊まらせるのはどうかと思うし、私自身も嫌だけど、状況が状況だから仕方ない。
お金を節約にするために相部屋にするつもりだ。
でも、これは別に下心などない。
……本当に、ない……と思う。
多分。
そして、住む場所を確保した後は情報収集だ。
私が持っていたスマホは、既に充電が切れていて使えない。
充電したとしても、今の時代で使えるだろうか。
ゲストハウスに行けば、インターネットなどの設備もある筈で、それを利用しようと思う。
今の状況がいつまで続くのかは不透明だし、場合によっては何らかの手段で日銭を稼ぐことも考えなければいけない。
最終手段としては……あまり気は進まないけど……養母である倫香や公的な機関を頼ることになるかもしれない。
不安はあるものの、陛下の手前もあってそれを表に出さないように努める。
実際のところ、自分でも不思議に思うほど、そんなに不安に思ってはいなかった。
住所不定で細々と日銭を稼ぎながらの生活など、以前の私なら惨めに思っただろうけど、それも悪くないという気がする。
もちろん、陛下が一緒ならばという条件付きだ。
道を歩きながら、陛下は興味深そうに周囲を見回している。
電信柱や街頭、郵便ポスト、目にするもの全てが物珍しくて、その度に私に尋ねる。
その様子が何だか微笑ましくて、ただこうして歩いているだけで楽しい。
その時、前方から車が走って来た。
私にとっては何てことのない出来事だけど、陛下は違った。
「美夜!」
険しい声で叫ぶと、私を道の端に引っ張り、それから背で庇う位置に移動する。
陛下と、その背後で目を白黒させる私たちに構うことなく、車は素通りして行った。
陛下は去り行く車を油断なく眺めている。
「何だ、あの生き物は……? 人が取り込まれていた」
「あの、陛下? どちらへ?」
「助けなければ」
「えっ? ま、待ってください。あれは生き物ではありません。自動車と言って……そう、馬なしで動く馬車のようなものです」
「何……?」
私を振り返った陛下の顔には、困惑が浮かんでいる。
「ジドウシャ……馬車? そういえば、確かに車輪が付いていたな。それに、幌のようなものもあったか」
「そう。中に人がいるのが見えましたね? その人が操って、ああして動いているのです」
「それにしても、凄い速さだった」
「そうですねぇ」
そんなことを話していると、先ほどの車がUターンして戻って来た。
私の説明を聞いた後とは言え、やはり条件反射のようなものか、陛下は車に対して身構えた。
車は、私たちのすぐ側で停止した。
通り過ぎた車がわざわざ戻って来る理由に心当たりなどなくて、私もまた訝しく思いながら成り行きを見守る。
ドアウィンドウが開き、車を運転していた人物が顔を覗かせる。
見覚えのある顔を見て、私は思わず目を見開いた。
「まさか……皇さん?」
「えっと……」
彼がその名を呼んだことで、勘違いではないことが証明された。
とは言え、肯定していいものかと悩んでしまい、思わず言葉を濁す。
でも、あちらは確信を抱いたみたい。
「やっぱり皇さんだ! うわぁ、久しぶりだなぁ。あ、私のことは覚えてるかな?」
ここまで来れば、知らぬ存ぜぬを貫き通すのは難しい。
何より、この時代で知り合いに会えたことに安堵を覚える自分がいるのも事実だ。
観念した私は、陛下の陰から出て彼と向き合うことにした。
「お久しぶりですね。もちろん覚えています……長瀬先生」
そう。
車を運転していたのは、私の担任……いや、元担任の長瀬先生だった。




