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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第四章
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62話「私たちは一人じゃない」

私は信じられない思いで、陛下のほうに身を乗り出し、その頬に触れていた。

 指先に、確かな温もりが伝わって来る。


 ああ、間違いなく本物の陛下だ!

 陛下と離れる辛さに、クラヴィスのように自分に都合の良い幻覚でも見ているのではないかと心配したけれど、これは現実だ。


「陛下……!」

「美夜、これはいったい……?」


 安堵と喜びで胸がいっぱいになる私とは対照的に、陛下は至って冷静だ。

 そこで私は我へと返った。

 周囲を見回すと、小さな子供を連れた女性たちが唖然とした顔で私たちを眺めている。

 彼女たちからすれば、私たちは不審なことこの上ない筈だ。

 とは言え、適当な言い訳など思い付く筈もなく、私は陛下を促してこの場から離れることにした。






 公園を出た私たちは、そこから程近い神社へとやって来た。


 石段を、階数にすると三階分ほど登ったところにあるこの神社は、ごく小さな境内の他に灯籠が二つと狛犬が二体あるだけの、ごく小規模な神社だ。

 けれど、滅多に人が来ることもなく、木々が生い茂る小高い丘に建ったこの場所は妙に落ち着くこともあって、私のお気に入りの場所だった。


 境内の内側に陛下と並んで座り、状況整理をした。

 陛下が言うには、アスヴァレンが虚空に紋章を描き何らかの術式を発動させた直後、私の姿が掻き消えたらしい。

 ところが、その直後、陛下の視界が漆黒の闇に包まれたと言う。

 そして、暫くするとあの場所にいたというわけだ。


「私と同じ状況ですね」


 どういうわけか、転移装置の外にいたまで私と一緒に転移したということらしい。

 アスヴァレンのことだから、転移装置に不備があったとは考えられない。

 彼は適当を絵に描いたような男だけど、陛下に関することでいい加減な仕事をする筈がない。

 陛下も同じことを考えたみたい。


「アスヴァレンにさえ想定できないことが起きたというわけか」

「……だと思います」


 そう言ったきり、沈黙が落ちた。

 こうして落ち着いて考えれば、由々しき事態である。

 一瞬、陛下と離れずに済んだと喜んだものの、喜んでばかりもいられない状況だ。

 何しろ、陛下はこの世界において身分を証明する術がないのだから。

 もし、職務質問などを受けることになったら、かなり不味い。


 それに、陛下がいなくなってブラギルフィア国は大混乱だろう。

 特にアスヴァレンは、今頃半狂乱になっているのではないか。

 つまり、陛下がここにいることは、陛下にとってもブラギルフィア国にとっても良くないことだ。

 そう考えると、喜んでいる場合ではない。


 ……落ち着け、私。

 そうだ、私には深淵を渡って別世界に行く力がある。

 同様に、別の誰かを転移させられる……筈だ。

 どうしたらいいのかはわからないけれど、試しに鈴木サヤカに対して行ったように、空間に「穴」を空けてみようと試みる。


 ……ところが、何も起きなかった。

 あれ? どうして?

 あの時はごく自然にできたのに。


「美夜?」


 私の様子を不自然に思ったか、陛下が声を掛けた。

 私は、母が私に語ってくれたこと……私には自分の意思で異なる世界に行く力があること、禍女と対峙した際に起きたこと、そしてその力で陛下だけでもブラギルフィア国に戻せる可能性があることについて話した。


 陛下は少し思案顔をして、それから言った。


「そうか。つまり、美夜は自分の意思で二つの世界を行き来できるのだな。転移装置の力を借りずとも」

「それは、その……でも、陛下が戻って来るなと仰るのなら、勝手に戻って来る気はなかったと言いますか。私の存在が、陛下にも国にも迷惑をかける恐れがあることは理解しているつもりです」

「いや、違う。責めているわけではないのだ」

「は、はい。ただ、今はそれもできないみたいです。というか、今まで自分の意思で転移できたことはありませんでしたけど」

「ふむ」


 陛下は頷き、それから少し考え込んだ。今度は、次に口を開くまでそう長くかからなかった。


「美夜、自宅はここから近いのか?」

「はい、もうすぐそこです」

「一度、ご家族のところに顔を出したほうがいい。何しろ、数ヶ月、下手をすれば一年も行方不明という扱いなのだろう? さぞや心配している筈だ。それに、美夜自身もまず状況を見極めて、身を落ち着けるようにするのが先決だ」


 確かに、陛下の言うことは理に適っている。それでも、まだ懸念がある。


「ですが、陛下は……」

「俺はここで待たせてもらう、ということでどうだろう? 今、俺が一緒に行けば余計に事態をややこしくしかねない。美夜の状況が落ち着き次第、美夜とご家族に頼らせてもらうことになるだろうが」


 それを聞いてはっとした。

 陛下は既に、今の状況や自分の立場を正確に理解している。

 そうだ、陛下は今、私以外に頼る者がいない状況なのだ。

 私がしっかりしなければいけない。

 彼を元の世界に送還することができれば一番だけど、それもできないようだし……。


「わかりました。少しだけ待っていてください」


 私は決意を込めて言った。

 養父母との再会は、正直気が重い。

 でも、テオセベイアの孫と言っても、こちらの世界の私は所詮は未成年に過ぎない。

 陛下の住む場所を用意するにしても、保護者の協力なしには不可能だ。


 どう説明すればいいだろう。

 そもそも、久々に会う私を前に、彼らはどう反応するのだろう。

 多分に緊張を抱きながら、それでも心を強く持って自宅へと向かった。






「……どういうこと?」


 約三ヶ月ぶりの自宅を訪れた私は、唖然として呟いた。

 正確には、自宅があった場所というべきか。

 そこは、駐車場になっていた。


 まさか場所を間違えただろうかと思ったけれど、自宅が駐車場になっている以外は見慣れた町内のままである。

 流動性の低い土地柄だから、住む人も建物もあまり変わらないのだ。

 私が不在の一年の間に、養父母一家はどこかに引っ越したということだろうか。


 だとしたら、次はどうするべきか?

 先ず思い付いたのは、学校に行くという手段。

 今の私はブラギルフィア国に来た時同様の制服姿で、鞄の中身もそのままだ。

 ただ、母の形見だった兎だけはあの部屋に置いて来た。

 何となくだけど、そのほうが良い気がしたのだ。

 定期券は切れているかもしれないけど、お金ならいくらかある。


 陛下にその旨を伝えに戻ろう、そう思った時、向かいの家の玄関が開いた。

 出て来たのは、見知らぬ女性だった。

 確か、お向かいには養父母よりもやや年配の夫婦と、その息子が暮らしていた筈だ。

 この女性は見たことがない顔だけれど、表札は前と同じのままだ。


「あの……恐れ入ります」

「はい?」


 私が話しかけると、彼女は不思議そうな顔で私を見た。

 私の姿がよほど珍しいのか、目を白黒させている。

 その様子に違和感を覚えたものの、今すべきことを優先させる。


「昔、こちらに皇さんという方のお宅があったことをご存知ではありませんか?」

「皇? ああ、あの皇グループの社長さんだっけ?」

「あ、はい。皇隆俊……さん、と言うのですけど」

「あー、あの! イケメンの! そうそう、逮捕された時に奥さんと離婚したんだってね。私がこっちに来る前だったからよく知らないけど、何でも逮捕前から連日揉めてたらしいよぉ」


 彼女はお喋り好きな性格らしく、こちらが根掘り葉掘り聞く間でもなくペラペラと話し始める。

 そして、その内容は私を吃驚させるには十分だった。


「えっ! 逮捕? それに、離婚って……」

「あの人、妹の娘……いや、お姉さんの娘だっけ? とにかく、自分の姪を引き取って育ててたのは知ってる?」

「……はい、話には聞いています」

「脱税か何かで家宅調査が入った際に、姪に性的虐待を加えてたことが発覚したんだってさ。姪はそれより前に家出したらしいけど、まぁ、それが理由だろうね。そのことで連日、奥さんと喧嘩が絶えなかったみたい」

「それで、隆俊……さんは、今……?」

「あれ、知らない? その後、脱税がクロだってわかって逮捕されてたじゃん。で、出所した後、飲酒運転して海に落ちて死んだってさ」

「……なるほど」


 早鐘を打つ心臓を宥めながら、私は頷いた。

 驚きの事実の連続で、一周回って冷静さを取り戻した。

 状況を全て理解できたわけではないけれど、一つだけ確信したことがある。


 それを確かめるのが怖い、でも避けて通るわけにもいかない。


「今は、何年ですか?」

「はっ?」


 彼女は怪訝な顔をしながらも、その質問に答えてくれた。

 ところが、それは私の知らない元号だった。


 ご丁寧に西暦に言い直してくれたお陰で、全てがはっきりした。

 今いるこの世界は、私がブラギルフィア国に転移する前から十一年も経過していた。

 何だか頭がクラクラして来た。


「あれ、お客さん?」


 唐突に聞こえた男性の声で、私は我へと返った。

 声がしたほうを見ると、一人の男性が歩いて来るのが見えた。


 年の頃は三十代の前半といったところか。

 見覚えのあるその顔を見て、誰なのかぴんと来た。

 彼は私を見て、そして固まった。


「まーくん、お帰り。って、どうしたの?」

「え? この子、まさか……いや、でも……」


 まーくんと呼ばれた男性は、信じられないといった顔で私を見つめながら不明瞭なことを呟いている。

 皇家の向かいの家は、林家である。

 林家には大学生の息子がいて、彼は母親から「まーくん」と呼ばれていた。

 特に親しかったわけではないけれど、顔を合わせれば挨拶する仲だったから、私のことを覚えていても不思議はない。

 何しろ、これほどの美少女なのだから。

 林宅から出て来た女性は、きっと彼の妻なのだろう。

 私は「ありがとうございました。失礼いたします」とだけ言って、小走りにその場を去った。





 

 陛下のところに戻った私は、たった今知ったばかりのことを掻い摘まんで説明した。

 とは言え、先ほどの女性から話を聞いている間は辛うじて冷静さを保っていたものの、改めてその事実を噛み締めた途端に激しい動揺に襲われた。

 正直、上手く説明できた自信はない。


「なるほど。話はわかった」


 私の辿々しい説明を聞き終えた陛下は、鷹揚に頷いた。


「つまり、今いるこの世界は美夜がいた時よりも十一年も未来。そして美夜の伯父上は死去。他の家族については行方不明。……現状、美夜には頼れる身内がいない。こういうことだな」


 私は無言で頷いた。

 陛下は、急かすことなく私の話を聞いた上で、正確に理解してくれたようだ。


「これからどうすれば……」


 つい弱音を零してしまう。

 母が何年か行方不明になり、その間に生まれた子として、常に好奇の目で見られて来た。

 その当人もまた行方不明になれば、帰還した後は、さぞかし無責任な噂の的にされるであろうと覚悟していた。

 養父母にも、あらぬ疑いをかけられ責められるだろうと思っていたけれど、さすがにこんな事態は想定外だ。

 祖父母の兄弟は既に亡くなっているし、その子供……母と伯父の従兄弟は、遠方に住んでいるためあまり交流がない。


 何だか全身に力が入らない。殆ど崩れるように、境内の内側へと腰を下ろした。

 明確な対象のない、漠然とした恐怖と不安が私の心を蝕んでいく。

 半ば無意識の内に、スカートの裾を強く握り締めていた。


「美夜」


 陛下が私の隣に座り、肩を抱いてくれた。その温もりに、少し救われる気がした。


「これを」

「え?」


 陛下がもう片方の手を、私の眼下に差し出した。

 見ると、彼の掌には数枚の金貨のようなものが乗っている。


「これは……」


「純金製の釦だ。普段は服の内側に縫い付けておいて、いざという時には貨幣代わりにする。こちらの世界でも、金に価値があるなら使い道がある筈だ」

「金は、はい、価値があります。でも……」

「ああ、それは良かった。是非とも使ってくれ。どんな時も、金銭というのは心強い味方になり得る」


 そう言って陛下は柔らかな笑みを浮かべた。途端に、先ほどまでとは違った意味で胸が苦しくなってしまう。


「あ、ありがとうございます」


 私は一瞬の逡巡の後、それを受け取ることにした。

 指先が触れた瞬間、心臓が跳ねるのを感じた。


「申し訳ありません。陛下のほうこそ、いきなり見知らぬ世界に来てしまって、その……」

「確かに不安もあるが、それでも一人ではないからな」


 そう言って彼は、私の肩に回した手に力を入れた。

 ああ、そうだ。

 陛下の言う通り私は……私たちは一人じゃないのだ。

 そう気付いたら、先ほどまでの不安や恐怖が消えて、何だか元気が出て来た。

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