表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第三章
62/138

61話「 私は帰って来てしまった……元の世界に」

 陛下の症状のこと以外でも気にかかっていることはある。


 先ずは、サリクスが私に告げた意味深な言葉。

 彼の言うことが本当だとしたら、母はまだ生きて、彼の近くにいるらしい。

 でも、本当だろうか?


 母が亡くなった頃の記憶は、正直言ってあまり明瞭ではない。

 私自身も怪我を負って入院し、葬儀はその間に行われ、後から詳しい事情を聞いたのだ。

 つまり、私は母の遺体と対面していない。

 その母が、実は生きていて今は隣国にいる?

 俄には信じ難いけれど、あり得ないとも断言できない。


 ……けれど、私は今は敢えてこの件は先送りにすることにした。

 何しろ、陛下の症状には時間の猶予がないのだ。

 それに、私がサリクスと接触することで事態を余計にややこしくする恐れがある。


 次に、クラヴィス・クレイスと、彼女の別人格であるアトロポス王女のこと。

 クラヴィスのことは、考えることさえ腹立たしいというのが本音だ。

 クラヴィスの「娘」で、陛下の腹違いの妹という設定になっているアトロポス王女は、陛下のお側に置いておくべきじゃない気がする。

 アスヴァレンも、彼女について何か不穏なことを言っていたけれど、それを抜きにしても彼女の存在自体が何だか嫌な感じがするのだ。


アトロポス王女は、陛下のことを「自分が側にいてあげなければ王の重圧に耐えられない」などと好き勝手なことを言っていた。

 クラヴィスの子アトロポスは実際には男で、アトロポス王女という人格自体が虚妄に過ぎない。

 ならば、アトロポス王女の人格で何を喚こうとも、頭のおかしい女の戯言として聞き流せばいいだけなのだけど。


 ……にも関わらず、私は名状し難い不安を覚えずにはいられない。

 とは言え、クラヴィス・クレイスについても、その別人格についても、現状で私ができることは何もない。

 こちらについても、一先ずは先送りにしよう。





 次に陛下と会ったのは、その翌日の昼下がりだった。


「王女殿下、陛下がお見えです」


 部屋で本を読んでいた私に、マルガレータがそう声をかけた。

 最近……私が禍女と化した鈴木サヤカに手足を食い千切られた一件以来、彼女との距離が近くなった。


 以前はサーシャが私の側近のような立場だったけれど、立場が逆転したみたい。

 見たところ、理由は二つあるように思える。


 一つ目は、クラヴィス・クレイスの立場が不味くなったから。

 本来、見えない脅威から国と民を守るのは神使の役目だ。

 それが、王城内に禍女の侵入を許してしまったのは明らかな失態である。

 故に、クレヴィス及びその息のかかった者の地位が揺らいでいるのではないか。


 二つ目は、サーシャは変成術が使えないということ。

 徐々にわかって来たことだけど、この世界において、変成術が使えるか否かは大きな意味を持つ。

 時として、身分や家柄さえも凌ぐほどに。

 実際、マルガレータはあまり良い家柄の出身ではなく、サーシャほどの教養もない。

 本来なら、王城の侍女に就ける立場ではないのだけど、彼女は変成術の才があった。

 マルガレータは熱や炎を司るマナと相性の良い変成術師だ。

 それらは炊事場で重宝されるのはもちろん、いざという時は戦力にもなる。

 鈴木サヤカの事件が起きた際、いち早く現場に駆け付けて、時間を稼いだのは彼女とマティアスだという。

 二人とも、私が王妃になった暁には、それ相応にいい目を見させてあげてもいいと思う。


 陛下と顔を合わせることに、気まずさを覚える私とは対照的に、彼は普段と変わらぬ様子だった。

 金色の双眸が何かを探すように揺らぎ、ある一点で止まった。

 不思議に思ってその先を追うと、衣装箱の上に置いたライオンのぬいぐるみがあった。

 昨日、シルウェステルに買ってもらったものである。


「美夜、昨日は楽しかったか?」

「……ええ、まぁ」

「そうか、それは良かった」

「シルウェステル様は、今日もご一緒ですか?」


 扉のほうに視線を向けながら、何の気なしにそう尋ねた。

 部屋までは入って来ないものの、その向こう側で控えているのが常だ。


「ああ、今日も付き添ってもらっている。……彼に用なら、すぐに呼べるが」


 陛下は釘を刺すように言った。

 今、室内には私と陛下しかいない。

 陛下としては望ましくない状況だけど、私に襲われそうになればすぐ従者を呼べる、言外にそう言いたいのだろう。


 私は「いえ、結構です」と答えた。

 ……わざわざ忠告されなくても、はっきりと拒絶された今、再アタックするほどの度胸は私にはない。


「……まぁ、何だ。貴女を守るためとは言え、ずっと王城内に縛り付けたままにして悪かったと反省している。今後は、もっと美夜が不自由しないように取り計らおう。行きたい場所や見たいものがあれば、その都度伝えて欲しい。無制限にというわけにはいかないが、出来る限り要望に応えたい」

「……ありがとうございます」


 モヤモヤした感情を覚えながら言った。


 もちろん、私が言いたいのはそういうことではない。

 元々、室内で過ごすことに苦痛を覚えるほうではないし、こちらの世界に来てからの生活に特に不自由など感じていなかった。

 昨日は、確かにそれなりに楽しかったけれど、別に外出がしたかったわけではないのだ。


 陛下に拒絶されたことが何よりも哀しい。

 そして、彼はそれすらも私を守るためだと言う。

 母を亡くしてからの数年間、私を守ってくれる人はいなかった。

 そう、陛下と出会うまでは。

 この方の気持ちがとても嬉しくて、なのに、同時に何よりも私を傷付ける。


 無意識の内に、強く拳を握り締めていた。

 ああ、言いたくない。

 でも、言わなくてはいけない。

 時期を逃せば、決心など簡単に揺らいでしまうから。


「陛下……」

「ん?」

「昨日、アスヴァレンから転移装置の修復が完了したと聞きました。……私は、元の世界に戻ります」


 そう答えてから、一瞬の間があった。


「……そうか」


 陛下の返事は実に簡潔で、そこに込められた感情は読み取れない。


「随分と急だな」

「陛下も、そのほうがよろしいのでしょう?」


 それとも、もっと長く私といたいですか。

 そんな余計なことを言いそうになる自分を何とか押し止める。

 今度も数秒置いてから「承知した」と返事があった。


 ……わかってはいたことだけど、陛下はやはり少しばかりの迷いは見せても、引き留めてはくれないみたい。




 それからの展開は早かった。

 陛下はアスヴァレンを呼び寄せ、それから約一時間後、私たち……私と陛下、それにアスヴァレンは、城の地下のどこかにいた。


 どこか、というのは、どこを通ってどのように来たか、はっきりとわからないからである。

 隠し通路を抜け、厳重に施錠された隠し扉を潜り、螺旋階段を降りてここまでやって来た。

 暗くて圧迫感のある廊下を通り、目の前に現れた扉を潜ると、その中は開けた空間になっていた。


 開けた、といっても相対的にそう感じるだけで、広さとしては学校の教室ぐらいだ。

 私たちが現れた途端、蛍のような明かりが次々に点灯して中の様子を浮かび上がらせる。

 何とも不思議な空間だった。

 いくつものくすんだ金属のパイプが天井を通っている。

 壁に設置された棚には、実験に使うようなガラス器具や、得体の知れないものが入った瓶が並ぶ。

 部屋の隅には大きな机が置かれ、そこには分厚い紙束が乗っている。


 部屋全体から受けた印象としては、錬金術師の研究室にスチームパンク要素を混ぜたものが近いだろうか。

 壁は殆どが棚や器具で埋まっていたけれど、一角だけ何も置かれていない場所があった。


「ここはブラギルフィア城の最奥部と呼べる場所だよ」

「俺も訪れるのは初めてだが、何とも不思議な場所だな」


 陛下はそう言いながら、室内を見回す。

 彼の目にも、この部屋は異質なものに映るようだ。


「にしても、よくこんな短時間で帰る気になったよね?」


 アスヴァレンはまだ納得していない様子で言った。

 陛下が呼び付けてくれた彼に、帰還の意思を伝えた時も、えらく驚いていた。

 同時に腑に落ちないという顔だった。


 私は敢えて答えず、「空間転移装置はどこに?」と尋ねる。

 アスヴァレンは私の意図を計りかねているのか、訝しげな顔をしていたけれど、何も言わずに奥の壁まで歩いて行く。

 剥き出しになった壁に手を添えた途端、ヴン……という振動音と共に壁の一部が消えた。


 壁の向こう側は隠し部屋だった。

 ごく小さなその部屋は、エレベーターに近い形状だ。

 ただ、壁も床も深淵のような漆黒だ。

 足を踏み入れた途端、無限に落ちて行きそうな気がする。


「これが転移装置……ですか?」

「うん、そうだよ。転移させたい対象をこの中に入れて、錬金術師が外側から操作するんだ。さ、入って入って」

「はぁ……」


 私は曖昧に答えて、あまり気の進まないまま、その部屋に足を踏み入れる。

 恐る恐る爪先で触れたところ、固い感触が伝わって来た。

 ごつごつとした岩肌に近い感触だろうか。

 けれど、壁にも床にも私の影は映らない。

 正直、あまり長居はしたくない場所である。


「美夜」


 アスヴァレンに呼ばれて顔を上げると、いつになく真剣な面持ちの彼と目が合った。

 その後ろには陛下が控えていて、彼の姿を見た瞬間、胸を締め付けられる思いがした。


「これから君を元の世界に転移させる。君はここで三ヶ月以上過ごしたからね、その情報は体内年齢として刻まれてる」

「体内年齢……?」

「うん。簡単に言えば、その体内年齢よりも過去には遡れない……つまり、向こうの世界に戻っても、ここで過ごしただけの時間は経ってるってことだね」


それを聞いて、私はある重大なことを思い出した。


「そういえば、鈴木サヤカ……禍女と化した彼女は、私が転移した日より半年以上先から来たそうです。もちろん、その間も私は行方不明という扱いでした」

「うん。あくまで最低でもここで過ごしただけの時間が経過してるって話だからね。一年ほどの誤差は出るよ」

「……わかりました」


 一瞬の逡巡の後、頷いた。

 母は数年間行方不明になり、私を身籠もった身体で元の世界へと戻った。

 当然、その空白の期間について無責任な噂が多く飛び交った。


 私もそうなるだろう。

 でも、それが何だと言うのか。

 今までだって、不特定多数の好奇の視線と勝手な噂に晒されるだけの人生だったじゃないの。

 行方不明期間が数ヶ月だろうと、あるいは数年だろうと、大差はない。

 どの道、噂に尾びれ背びれが付くことは避けられないのだから。


 それに、私にとって元の世界に戻ることは、終点ではなく通過点だ。


「……美夜」


 慕わしい声に呼ばれた瞬間、心臓が小さく跳ねた。目を合わせぬまま、「はい」と答える。


「今までありがとうございました。お世話になりました」


 口調こそ平静だったけど、何とも言えない感情が次々に溢れ出し、私の胸をいっぱいにする。

 駄目だ。

 これ以上陛下と言葉を交わしたら、私の決意など簡単に折れてしまいそうだ。


「アスヴァレン、よろしくお願いします」

「美夜!」


 再び陛下が私を呼ぶ。アスヴァレンが、珍しく戸惑うような顔で私を見る。

 言外に決意を問う彼に、大きく頷いた。


「どうか、幸せに」


 陛下のその言葉を最後に、私たちを隔てるように扉が閉まった。

 私は完全な深淵に閉じ込められ、前後左右が全くわからない状態になった。

 足下の固い感触さえ、いつの間にか消えていて、自分が立っているのかどうかもはっきりしない。


 治癒の儀の時、あの不思議な水に揺蕩っていた時のことを思い出す。

 私という存在が希薄になっていくような、あるいは肉体が闇に溶け消えて意識だけの存在となってしまったかのような、何とも言い難い不思議な感覚だ。

 ついには、意識さえも朧気になっていく。


 自我が曖昧になっていく中、殆ど無意識の内に陛下の名を呟いていた。







 ずざざっ、と砂を擦る音がした。

 次いで、痛み感じた。


「う……」


 痛みの次に感じたのは、眩しいということだ。

 私は…………えっと?

 周囲で何か音が聞こえるけれど、どれも不明瞭で何の音なのかわからない。

 そんな中、私の耳は「貴方たち、いったい……」という音を拾い上げた。


 それは、自分に対してかけられた言葉なのだと理解する。

 同時に、自分が置かれている状況を思出した。

 私は俯せに倒れた状態のまま、何とか顔だけを上げて周囲を伺う。


 どこからともなく「ひっ!」と驚いた声が聞こえた。

 失礼な反応だわ、と感じたけれど無理もないのかもしれない。

 相手からすれば、私は何もないところから突如現れたように見えるだろう。


 見覚えのあるこの場所は、自宅近くにある公園だということを思い出す。

 太陽の位置からして、時間は十五時前後だろうか。

 小さな子供連れの女性たちが、引き攣った顔で私を見ている。


 どうやら、本当に元の世界に戻ることができたみたい。

 そう、私は帰って来てしまった……元の世界に。


 ……ん?

 え?


 先ほど、誰かが「貴方たち」と言わなかっただろうか?

 私のそんな疑問に答えるように、すぐ間近で呻き声が聞こえた。


「いったい、何が……」


 聞き覚えのある声に、心臓が止まりそうなほど驚いた。

 隣を振り返った私は、更なる衝撃を受けることとなる。

 驚きのあまり、咄嗟に声が出ない。

 彼もまた、私に気付くと驚いた様子で金色の双眸を大きく開いた。


「美夜?」

「は……」


 はい、と答えようとしたのに声にならなかった。


 私は帰って来てしまった……元の世界に。

 でも、今、私の隣にいるのはどこからどう見てもエレフザード陛下その人である。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ