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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第三章
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60話「新たな決意と共に」

「私の無事と、幸せ」


 殆ど声に出さずに、アスヴァレンの言葉を反芻した。

 その言葉の意味を理解することを、脳が拒否している。

 けれども、いくら拒否したところで現実が変わるわけでもない。


「諦めるのですか? 陛下のことを」


 自分でも嫌なことを言っている自覚はあった。

 また、その言い方が適切でないことも理解していた。

 案の定、アスヴァレンはむっとした雰囲気で肩を竦めた。


「腹立つ言い方するね。……別に、諦めるわけじゃない。僕は、僕にできることをするよ……この先、何があっても」


 彼は独白のように言った。

 逆光になっていて表情こそ見えないけれど、茫洋とした目で遠くを見ている気がした。


 私は何も言えないまま、愕然として彼を見つめることしかできずにいた。

 まさかアスヴァレンがこんなことを言い出すなんて。

 私と彼の目的は一致している筈だし、これからも協力者でいてくれるものとばかり思っていたのに。


 それと同時に、アスヴァレンの覚悟を知って胸が締め付けられる思いだった。

 彼の陛下に対する想いの深さは察してあまりある。

 自分にできることをする、と彼は言った。

 愛する者の望みを受け入れ、その気持ちに寄り添う、それは時として足掻き続けるよりもよほど覚悟がいることなのではないだろうか。


 私は何とか気を取り直し、彼に食い下がる。


「それにしても、引き下がるのはまだ早いでしょう? 確かに、その……私は振られたことになるのかもしれませんけど、こうなったら形振り構っていられません。何か案はありませんか?」


 相手の意思を無視してそういう行為に及ぶのは、許されざる罪悪である。

 けれども、何らかの方法、薬や暗示で同意を引き出す方法もあるのではないか。


 ……我ながら褒められた方法ではないと自覚しながら、それでも止むを得ないのだ。

 アスヴァレンはゆっくりと私を振り返り、それから乾いた笑いを漏らした。


「……アスヴァレン?」

「無理なんだよ」

「え? それは、どういう……」


 私は、背筋がぞくりと寒くなるのを感じた。

 アスヴァレンはいつになく落ち着いた物腰だけど、今の彼は何やら只ならぬ気配を纏っている。

 どこか狂気めいたものを感じた。


 静まり返った部屋に、アスヴァレンが喉を鳴らして笑う声だけが響く。


「巫稀術を持つ奴は少ないけど、全くいないわけじゃないからね。エルが病魔に侵されてること、知ってる奴もいるんだよ」

「……? ええ」


 彼が何を言わんとしているのかわからないものの、一先ず相槌を打っておく。


「病魔に侵された身体は、そうそう完治はしない。奇跡でも起こらない限りね。その奇跡が起これば、あいつらは背景に何があるのか探り出すよ。そして、いずれは君の存在に行き着くだろうね」

「……あいつら、というのは他国の支配層ですか?」

「うん。ティエリウス国のサリクス殿下、グラニエル帝国の諸侯……今は微妙な均衡で和平を保ってるけど、いつどうなるかわかんないしね」

「そして、姫神の孫の存在は、その均衡を崩しかねない」

「うん。見掛けによらず、察しが良くて助かるよ」

「私は綺麗で頭も良いので」


 そんなことを口にしながら、頭の中ではこの事実を深刻に受け止めていた。

 陛下と交歓の儀を行うことで、あの方の身体を蝕む病魔を祓える可能性がある。

 僅かでも可能性があるなら行うべきだ、そう考えていた。


 けれども、実際はそう単純なことではなかった。

 テオセベイアがこの地を去って二百年、未だに彼女の影響は至るところに及んでいる。

 今日、市井に繰り出してみたことで実感として感じられるようになった。


「僕が間違ってるってことを痛感したよ」


 アスヴァレンの言葉が私の思考に覆い被さる。

 彼は椅子の上に両足を乗せて、膝の間に顎を置くという子供みたいな恰好をしている。


「テオセベイアの孫の存在を嗅ぎ付ければ、君のことをほっとかない連中が動く。エルが助かるなら、君なんかどうなっていいって思ってたんだけどね……僕はあの子の気持ちを考えてなかったよ。自分のせいで君に何かあれば、あの子はとても傷付く」

「……反省ついでに、少しぐらいはかわいい妹のことも心配していただけませんか?」

「ごめん、無理」

「そうですか」


 期待していたわけじゃないけれど、アスヴァレンの私に対する関心のなさは、いっそ清々しい。

 それにしても、と私は苦々しく考える。

 私がこの世界に留まるのは、考えていた以上に難しいことを痛感した。

 いや、不可能なのではないだろうか。


「ま、そういうことだから」


 そう言ってアスヴァレンは立ち上がり、大きく伸びをしながら欠伸を漏らした。


「ふわ、あ……転移装置の修復はもう済んでるから、帰ろうと思えばいつでも帰れるよ」


 私はそれ対して何も言わなかった。

 アスヴァレンも特に返事を期待しているわけではないようで、私の横を通り過ぎて廊下へと向かう。


「帰るまでの間、生まれ故郷になる筈だった世界を堪能するといいよ」


 それだけ言い残すと、彼は部屋を後にした。

 夕闇に染まる部屋に一人取り残された私は、暫くその場に佇んだ後、シルウェステルに買ってもらったぬいぐるみをチェストの上に置いた。


 それは、かわいらしくデフォルメ化したライオンのぬいぐるみだ。

 獅子王、それが陛下の二つ名であることを思い出しながら見ていたら、買ってくれたのだ。


 私は寝台に身を投げ出した。

 柔らかなシーツの上に俯せになったまま、微動だにしない。

 いや、できなかった。

 意識はしっかり覚醒しているのに、何も考えられない、身体が重たくて仕方ない。


 やがて、そんなこと考えたないのに、万策尽きたという思いが胸の内に広がっていく。


「どうしたら……」


 不意に呟いた時、枕元に置いた兎のぬいぐるみが目に入った。

 母の形見、そして彼女がブラギルフィアで過ごした時に作ったものだ。


 私にとってのお守りのようなもので、あちらの世界にいた頃は常に鞄に入れて持ち歩いていたから、転移した際にも持って来ることができた。

 私はぬいぐるみを両手で挟み込み、その黒い瞳をじっと見つめる。

 そういえば、このぬいぐるみから女性の幽霊……らしきものが現れたことがあった。

 果たして彼女はテオセベイアだったのか、わからないままだ。


 見間違いだった可能性も、ないとは言い切れない。

 しばらく黒い目を覗き込んでいたけれど、やはりぬいぐるみはぬいぐるみのままで、何らかの神託を下してくれるようなことはない。


 何を期待していたのだか、と自嘲気味に笑った。

 神頼みだなんて、私らしくもない感傷だ。

 いや、そもそもお守りとしてこんなぬいぐるみを持ち歩いていたこと自体、くだらない感傷に思えて来た。


 こんなものを後生大事にしていたことが馬鹿らしくなった私は、ぬいぐるみを無造作に背後に向かって放り投げた。

 乾いた音が響き、それに続いて床に転がる音が聞こえた。


 その直後、何かが猛烈な速度で私の頭に直撃した。


「えっっ」


痛い、と思ったけれども実際にはそれほど痛みはなかった。

 慌てて振り返れば、ぬいぐるみが床に落ちるのが見えた。


「どういうこと?」


 思わず声に出し、半身を起こした。

 その様子を見ていたわけじゃないけど、確かにぬいぐるみが床に落ちる音を聞いた。

 これではまるで、一度は床に落ちたぬいぐるみに何らかの力が働き、私の頭にぶつかったかのようだ。


 その時、ぬいぐるみから煙が立ち上るようにして、あの時の女性が現れた。

 前に見た時よりもずっと朧気な姿で、辛うじてその輪郭を保っているだけだ。


 彼女は、驚く私との距離を一気に詰めた。

 身構える暇もなく、耳元で何かを囁くのが聞こえた。


「……え?」


 我が耳を疑い、思わず耳を瞬かせる。

 聞き間違い、だろうか。


 彼女の顔を見ても、その表情は朧月のように不明瞭で、細部を伺うことはできない。

 それでも、私に何としても伝えたいという意思だけは明確に感じ取れた。


「今のって……」


 彼女が囁いた言葉を反芻する。

 それは、俄には信じられない内容だった。


 でも、彼女の正体が私の考えている通り、姫神テオセベイアなのだとしたら?

 もしそうなら、きっと何か理由がある筈だ。

 そして、それが打開に繋がる可能性もある。


全ては私の勘違いかもしれない……けれど、新たに見つけた可能性を無視することはできない。


「よし」


 私は詰めていた息を吐き出すと、決意を込めてそう呟いた。


 アスヴァレンは陛下の望みに寄り添うことを選んだ。

 もちろん、それが間違いだとは思わない。


 でも、私には私のやり方がある。

 私にしかできないことがまだあるのなら、とことん足掻こう。

 美少女とは、愛する人もお金も地位も、自分の幸せを実現するもの全てを手にするのだ。


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