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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第三章
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59話「僕はあの子の望みを叶えるよ」

 そういえば、とふと思った。

 陛下は、使用人たちの名前まで一人ずつ覚えている。

 私がそのことに感心を示すと、彼は大したことじゃないと笑ったっけ。


 秘訣を聞いたところ、自分はアスヴァレンのような天才的な記憶力はないから、その人物をよく見て人となりを理解するように努めるだけだと言っていた。

 正直、私にはあまりよくわからなかったけれど、少しだけわかった気がする……かもしれない。


 ちらり、と向かいに座るシルウェステルを伺う。

 今まで私の中で、彼は「陛下の従者」という記号に過ぎなかった。

 映画や小説で言えば、通行人Aのような扱いの、脇役ですらない存在だったのだ。

 考えてみれば当然のことだけど、彼には彼の人生があり、そこで培われた価値観があって然るべきだ。


 我ながらお人好しすぎる自覚はあるものの、もう少し人間扱いしてあげてもいいかなと考えた。



「あのー」


 遠慮がちな声が聞こえて、思考を中断して顔を上げると、先ほどの女給が佇んでいた。


「もしよろしければ、これ、お土産にどうぞ」


 そう言って私に差し出したのは、小さな紙製の袋だ。

 手に持つと、ほんのりと温かさが伝わって来る。


「今、焼いたばかりのクッキーです」


 彼女の説明を受けて、私はぱっと顔を輝かせる。

 それから、少しオーバー気味に喜んでみせた。

 その一方で、冷静に彼女を観察する。


「まぁ、嬉しい! いただいでもよろしいのですか?」

「ええ、どうぞどうぞ。今日、注文してもらったものとはまた違うんですよ」


 私の反応に、彼女もまた顔を綻ばせた。

 相手の厚意を素直に受け取っておくのは、美少女の務めというものだ。

 でも、彼女の意図はいったいどこにあるのだろうか。

 捌き切れないまま、賞味期限切れを迎えそうになる余りものをプレゼントと称して客に渡すのは納得できるけれど、焼き立てというのは本当みたい。


「ありがとうございます。ありがたく召し上がります」

「はい」


 彼女の返事は簡潔だった。

 とは言え、素っ気ないとかそういう雰囲気でもない。

 何だか、どこか茫洋とした表情で私を凝視している。


 ……何だろう。

 私の顔に何か付いているのだろうか?

 不安を覚えた私の胸中を察したらしく、彼女が慌てて「ごめんなさい」と言った。


「その、つい……見惚れていました。あまりにも、お綺麗なので」

「えっ」


 思わず目を瞬かせる。

 好意的な意味合いでそう言われることは、結構珍しい。

 ましてや、初対面の相手となれば尚のことである。


 ふむ、なるほど、と胸中で呟く。

 どうやら彼女は、素敵な内装の店を運営し、美味しいものを提供するという立派な仕事をこなしているだけあって、至極真っ当な人間のようだ。

 真っ当な人間というのは、老若男女関係なく、私のような美少女を好きになるものだ。


「ありがとうございます」


 もちろん、そう言われて悪い気はしない。

 私は無償の献身として、花の顔に女神のような笑みを浮かべた。

 彼女は少しはにかんだように目を伏せ、こう言った。


「何だかまるで、テオセベイア様に似てらっしゃる気がして。もちろん絵の中でしか見たことないですけど」





 店を出た私たちは、王都の美しい石畳の上を歩いていた。

 私の前を歩くシルウェステル曰く、連れて行きたい場所があるのだとか。


 キョロキョロしすぎないように景色を眺めながら、先ほどの彼女の言葉に考えを巡らせる。

 テオセベイアは私の祖母なのだから、確かに似ていてもおかしくはない。

 けれども、祖母と会ったことがない、そして私と彼女の関係性を知る筈もない人物がそういう印象を抱いたことに驚く。

 それだけ、テオセベイアへの信仰心や思慕の念は、ブラギルフィアの人々の心に強く根付いているということか。


 私が、彼女の孫がこの地に舞い戻ったとなれば、民はどんな反応を示すのだろう?

 きっと喜んで迎えられる……とは思う。

 でも、そうなった時、私がこの世界に与えるであろう影響は私が思っているより大きいのかもしれない。とはいえ、そのことをどう捉えて良いかまではわからない。



 茶屋の次に立ち寄った店は、所謂ファンシーショップのような店だった。

 外観も内装もかわいらしい建物で、ぬいぐるみや服飾品などがたくさん並んでいた。


「侍女たちの間でも噂になっている店だ。多分、あんたはこういうのが好きなんじゃないかと思ってな」


 そう言いながら、シルウェステルは落ち着きない様子で店内へと視線を巡らせていた。

 どうやら私のことは口実に過ぎず、他ならぬ彼自身が来てみたかったように見受けられる。

 かく言う私も、決して嫌いではないのだけど。

 その店でシルウェステルにぬいぐるみを買ってもらい、それ以上は寄り道をすることなく王城に向かった。





 私たちが王城に着いたのは、日が西の空へと傾きかけた頃だった。

 今更ながら、部屋を飛び出した時のことを思い出して気が重たくなる。

 まだ陛下と顔を合わせたくない。

 それに、クラヴィスともアトルシャン殿下とも。

 渡り廊下を歩きながら、気付けば足を地面に縫い付けられたかのように歩みが止まっていた。


「王女殿下」


 先を行くシルウェステルが、肩越しに声をかけた。

 私は押し黙ったまま、そこから一歩も動けずにいた。


「どうされたのですか」


 シルウェステルは、王城内と外とでスイッチが切り替わるのだろうか。

 敬語に戻った彼の声を聞きながら、そんなくだらないことを考えてしまう。


 帰りたくない、というのが本心ではあるけれど、だからといって代替案があるわけでもない。

 シルウェステルの住居に転がり込むわけにもいかないし、そもそも私が嫌だ。

 子供みたいに駄々をこねるわけにもいかず、鉛のように重たい足で一歩を踏み出す。


「お帰りー。思ったより早かったね」


 どこからともなく、能天気な声が聞こえた。

 顔を上げると、アスヴァレンがてくてくと歩いて来るのが見えた。


「アスヴァレン」


 私は抑揚のない口調で言った。

 出迎えとは、何だか彼らしくない。

 いや、アスヴァレンが何の思惑もなく私を出迎える筈がない。


 彼はもう、陛下に交歓の儀を断られた件を知っているのだろうか。

 ……おそらくは知っていると見て間違いないだろう。


「シルウェくんもお疲れちゃん。あ、エルから君へ伝言を扱ってるよ」

「陛下から……?」


 お咎めや叱責を覚悟してか、シルウェステルの声音に緊張が混じる。


「うん。えーっとね、『休暇だというのに、美夜のわがままに付き合わせて申し訳ない。護衛とお守りを務めてくれて助かった』だってさ。多分、特別手当が出るんじゃないかな。おめでとー」


 そう言ってアスヴァレンはへらへらと笑うけれど、シルウェステルは喜ぶよりも困惑している。

 てっきり何らかの処罰があると思っていたところ、労いの言葉をかけられたことが腑に落ちないみたい。


 そんな彼の傍らで、私は「そういうことか」と納得していた。

 アスヴァレンによる伝言は勝手に脚色済みだけど、凡その意味は合っている筈だ。

 陛下は、街に繰り出したいと言う私に、護衛としてシルウェステルを同行させたという体にするつもりなのだ。

 これなら、彼は禁を破って私を連れ出したのではなく、あくまで主君の命を受けて行動したことになる。


「さて、美夜、部屋に戻ろっか。じゃあまたね、シルウェくん」

「……はい。それでは失礼いたします、アスヴァレン殿」


 彼はまだ納得できたわけじゃないようだけど、それでも頭を深々と下げて私たちを見送った。



 アスヴァレンと廊下を歩いている間、特に会話らしい会話はなかった。

 彼はいつものように鼻歌を歌いながら、どこからともなく取り出したお菓子を齧っている。

 少なくとも表面上は、完全にいつも通りにみえる。


 やがて、数時間前に飛び出した自室へと辿り着いた。

 今朝までは安息の場所に思えた部屋も、今は酷く余所余所しく思えてならない。

 いくら私がこの世界に留まりたいと言っても、陛下がそれを拒む以上、本当の意味で私の居場所には成り得ないのだ。


「いいもの持ってるね」


 そう言うと、アスヴァレンは何の断りもなく私の手から紙袋をもぎ取った。

 窓際に置いた椅子に座ると、遠慮の欠片もなくその中身を食べ始める。

 私は咎めることもできず、茫洋とした目を向けるばかりだ。


「アスヴァレン……」

「エルから聞いたよー。君、フラれちゃったんだってね?」


 私が口を開きかけたと同時に、彼は言葉を発した。

 いつも通りの軽妙な口調だ。


 沈みゆく太陽が放つ最後の輝きにより、窓の外は茜色の光に彩られている。

 けれども、夕暮れ時を迎えた今、明かりのない室内は仄暗くアスヴァレンの表情を伺うことはできない。


「エルにめちゃくちゃ怒られたよ。美夜を巻き込むな、って」


 そう言って大仰に肩を竦めるのが見えた。

 ぽり、とクッキーを噛み砕く音がいやに大きく響いた。


 私は私で、心臓が早鐘を打つのを感じる。

 陛下は私の申し出を棄却した。

 万策尽きたと感じつつも、それを認めたくはなかった。


 アスヴァレンが窓の外へと顔を向ける。

 窓の外には姫神テオセベイアの庭が広がっているけれど、彼の目には何も映っていない、そんな気がした。


 アスヴァレンは、そんな陛下にどう答えたのだろう。

 早く知りたい、でも知るのも怖い。


「前に君に聞いたよね。愛する人の命と望み、どっちを優先するかって」

「……はい」

「君は相手の気持ちや価値観、その他諸々完全無視で、とにかく君のために生きて欲しいって言ったっけ。僕はそこまで自分中心にはなれなかったよ」


 それを聞いた瞬間、心臓に氷を押し付けられたような気がした。

 アスヴァレンは詰めていた息を吐き出して、それから言葉を紡ぐ。


「僕はエルの望みを叶えるよ。あの子の望みは、そう」


 窓の外を向いていた彼は、私へと向き直った。


「君の無事と幸せだよ」


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