58話「そう嫌いでもないかもしれない」
「は、はぁ?」
咄嗟に、私はそれだけしか言えなかった。
シルウェステルは鋭い目付きのまま、続く言葉を紡ぐ。
「このところ、陛下のご様子がおかしい。いや、表面上はいつも通り振る舞っていらっしゃるが、どことなく精彩を欠くように見受けられる。しかも、それはあんたのところを訪れた後に多い。さぁ、言え。あの方にいったい何をした?」
「あ、あのですねぇ」
まるで詰問するような口調だった。
全く予想していなかった問いかけに、私は目を瞬かせながら彼を見返す。
何やらとんでもない誤解を受けているみたい。
「ひ、人聞きの悪いことを言わないでください。私は何も……」
「本当だろうな? いや、やっぱり嘘だ」
「そんな、決め付けられても困ります。陛下のご様子がおかしいというのは、いったいどういうことですか?」
「もちろん、いつものように公務をこなし、その合間に鍛錬も欠かさず行っていらっしゃる。賓客へのご対応も、使用人たちへのお心遣いもいつも通りだ。でも、時折ふとお辛そうな顔をなさる。僕にはわかるんだよ、何しろ陛下の従騎士だからな」
「は、はぁ」
シルウェステルがブラギルフィア騎士団の一員、取り分けエレフザード陛下の従者であることを誇りに思っていることは、付き合いの浅い私にもわかる。
でも、従者だから私が原因だとわかるのだと言われても、困ってしまう。
心当たりが全くないでもないけれど、陛下が私を拒絶した件なら、むしろ私のほうが落ち込んで然るべきだ。
そう、私はあらゆる意味で陛下から拒絶された。
先ほども、交歓の儀を断られたばかりだ。
あの時のことを思うと、またしても瞼の裏が熱くなる。
「陛下に、その、抱いていただきたいと申し上げたところ、拒否されました。私に心当たりがあるとすれば、これぐらいですね」
何だか無性に腹が立って来た私は、完全に居直ると共にそう言い放ってやった。
この言葉に、シルウェステルは一瞬ぽかんとして、それから「なっ……!」と掠れた声で言った。
「陛下をいかがわしい遊戯に誘ったのか!」
「い、いかがわしいって……! いえ、健全な睦み合いですから!」
「どんなに言い繕っても、要するに、あー…何だ、イチャイチャすることに変わりはないだろ」
「イチャイチャ、って……アスヴァレンみたいなことを言いますね」
シルウェステルは、そういった方面には耐性がないのかもしれない。
妙に無邪気な言い様に、苦笑が浮かんでしまう。
「何にせよ、陛下は棄却なさいました。よって、私たちは清い関係のままです。残念ながら」
「ざ、残念ながら…?」
半ば自棄になって口にした言葉に、彼は予想以上に激しい反応を見せた。
がたん、と音を立てて椅子ごと身を引く。
文字通り、ドン引きということだろうか。
「じゃあ、あんたは機会があれば陛下といかがわしい遊戯を行うこともやぶさかじゃないってことか?」
「えっ? それは、その、えっと……聞かないでくださいよ、そんなこと。とにかく! 私と陛下との間には何事もありませんし、私があの方に何かしたということもありません。これは揺るぎなき事実です」
これでこの話は終わり、そんな意思を込めてきっぱりと言い放つ。
シルウェステルも一応は納得したのか、「そうか」と頷いた。
彼はそのまま考え込む様子を見せて、それから再び口を開いた。
「まぁ、何だ。疑って悪かった。というわけで、質問を変えよう」
「……本当に悪いと思っていますか?」
「陛下のご様子について、何か心当たりはないのか?」
「……思い付きませんね。何しろ、陛下は断った側ですからね。あなたの思い違いということは?」
悔しさを滲ませて頷き、今度は私のほうからそう尋ねた。
でも、シルウェステルは首を横に振る。
「いや、それはない」
「随分と自信たっぷりに言い切りますね」
「あの方との付き合いは決して短くないからな。……ところで、あんたは陛下のことをどう思っている?」
「えっ? ……は?」
一瞬きょとんとして、それから露骨に顔を顰めてみせた。
「あなたには関係ありませんけど」
「いかがわしい遊戯、じゃなかった、健全な睦み合いとやらに誘ったんだろ? それとも、あんたは陛下じゃなくても誰でも誘うのか?」
「そんなわけないでしょう? 後にも先にも陛下しか……」
ムキになって反論しかけたものの、そもそも、自身の性経験や貞操観念について何故この男に詳細を話さなければいけないのか。
そう思うとますます腹が立つ。
途中で言葉を濁し、そっぽ向いた。
「あー、悪かった。言葉選びが下手だったと認めるよ」
立ち上がろうとする私に、シルウェステルは意外なほどあっさり謝罪を口にした。
逆に私のほうが面食らってしまう。
彼は申し訳なさそうな渋面を作りながら、中途半端に立ったままの私を見上げる。
「幼い頃から剣の腕を磨くことに余念がなくて、変性魔術の才能があるとわかってからはその訓練も加わった。とにかく、騎士としての生き方しか知らなくてな。こうして女性と一対一で話した経験もないため、正直、扱い方ってやつがわからないんだよ。気を悪くしたなら謝る」
「はぁ」
すっかり毒気を抜かれた私は、曖昧に頷いて、少し逡巡した後に再び着席した。
彼との会話を続けたいわけじゃないけど、もう注文も済ませてしまったし、それなら食べるもの食べて帰ろう。
それに、シルウェステルについて、二つわかったことがある。
一つ目は、あまり気が利くほうではないし、失礼な男だけど悪意はないということ。
もう一つは、愚直なまでに陛下に忠実、言い換えれば彼のことを慕っているということ。
陛下を慕う者に悪い者はいない、これは大自然の摂理だ。
もちろん、クラヴィスのように勝手な解釈で陛下像を歪めて彼を貶めるような者は除外する。
つまりシルウェステルも悪い者ではなく、ならば嫌うべきではないということになる。
「私は寛大ですからね」
「自分で言うのか? とにかく、あんたは陛下をお慕いしてるってことでいいんだな?」
「ええ、はい。それはもう」
見込みがないことを痛感した今でも、その気持ちに嘘偽りはない。
陛下ご自身がいないところでとは言え、口に出すと気恥ずかしさのほうが勝った。
思わず明後日の方向へと視線を向ける。
そうこうしている内に、先ほどの女給が私たちの注文した品を持って戻って来た。
彼女が慣れた手付きで、円卓の上に食器を並べて行く様子を何の気なしに見て、その手が荒れていることに気付いた。
マルガレータの手は手入れが行き届いていて、侍女でも綺麗な手を保てるのだなと思っていた私としては、意外だった。
「ご注文分は以上でよろしいでしょうか」
「はい、以上です」
シルウェステルの返答を聞くと、彼女は一礼して引き下がった。
私の目の前の皿の上には、三種類の菓子が乗っている。
アイシングで真っ白にコーティングし、その上に紫色の菫が飾られたリング状のケーキ。
菫をイメージしたと思しき薄紫色のマカロンが二つ。
それに、菫のジャムを添えたスコーン。
「……美味しそう。それに、とても綺麗」
「菫の砂糖漬けを使ったお菓子が、今の時期の名物らしい。もう少しすれば、苺が中心になるだろうな」
何気なく呟いた言葉に、シルウェステルはそう被せた。
そういえば、彼はお茶以外何も頼まないのだろうか。
何気なく相手の様子を伺うと、ほんの一瞬、こちらの手元の皿に物欲しげな視線を向けるのが見えた。
それから何でもないような顔をでニーヴェ茶を一口飲むと、僅かに眉根を寄せた。
ニーヴェは独特の癖が強い香草だし、それから抽出したお茶となると、好みが別れるのではないだろうか。
(この人、もしかして……)
自ら注文した品を、そこまで楽しんでいないのではないか。
そんな気がした。
「シルウェステル様は、他に何も注文しないのですか?」
「いらない」
素っ気なく答える彼に、「そうですか」と頷いてケーキを一口食べる。
「とても美味しいのに。甘い物は好まないのですか?」
「僕はブラギルフィア騎士団の聖騎士、しかもエレフザード陛下の従者だぞ。そんな甘いもの、食べるわけがないだろう。女子供じゃあるまいし」
「はぁ。甘い物を食べるのに、性別や肩書きがそれほど重要なのですか」
適当に相槌を打ち、今度はジャムを乗せたスコーンを口に運ぶ。
確かに菫の味がする。ざらりとした、それでいてコクのある甘さが口内に広がり、自然と笑みが零れる。
またしてもシルウェステルの目線が動いた。
先ほどは気のせいかと思ったけど、どうやらそうじゃないみたい。
私は逡巡した後、女給を呼んで同じものをもう一つ頼んだ。
「よく食べる女だな」
「……陛下には、何でも美味しそうに食べると誉めていただきましたが」
「誉められているんじゃなくて、食い意地が張っていると指摘されただけだろう」
「そんなことはありません」
そんなことを言い合っていると、注文した品が運ばれてきた。
陛下のことを口にした途端、胸に刺すような痛みを覚えた私としては、正直ほっとした。
それをシルウェステルに差し出すと、彼は怪訝な顔でこちらを見た。
「……とは言え、さすがに頼みすぎてしまいました。私はもう食べられないので、貴方にあげます」
「いや待て、何故そうなる。いらないと言ったばかりだろう」
「そうは言っても、私はもう食べられませんからね。となると作り手の労力も食材も無駄になってしまいます。それは、ブラギルフィア騎士団所属の聖騎士、そしてエレフザード陛下の従者として、看過していい事態ではないでしょう?」
「……それもそうか。致し方ない」
そう言いながら、シルウェステルは意気揚々とした様子でフォークを手に取る。
やはり、私が考えた通りだったというわけか。
堪え切れなくなって、思わず妙な笑いが漏れてしまった。
「……何だ」
「いえ、別に」
不機嫌そうに、それでいて頬を染めながら決まり悪そうにする彼に、笑いを噛み殺しながら言った。
「ただ、その。意外と単純だな、と思っただけです」
「……チッ。やっぱりあんた、気に障る女だよ」
「それはどうも」
初対面と同様の失礼な物言いにはかちんとくるものの、それでもシルウェステルに対する敵愾心はいつのまにか大幅に低下していた。
存外、そう嫌いでもないかもしれない、彼のことをそのように再評価する。




