57話「貴様、陛下に何をした?」
シルウェステルは再びベンチに腰をかけ、持参した本を読み始める。
礼を言うべきか悩んだけれど、彼のほうも特にそういったやり取りは求めていないようだし、一先ず保留にした。
彼が私に背を向ける格好となるため、こちらとしてはありがたい限りだ。
とは言うものの、先ほどの一件によってすっかり涙は止まってしまった。
もう、泣こうと思っても当分は泣けそうにない。
それでもすっかり疲れてしまった私は、膝の上に頭を預けた状態で暫しぼーっと過ごす。
さて、これからどうしようか。
シルウェステルの側を横切るのも何だか気まずいし、それに今はまだ部屋に戻りたくない。
シルウェステルがどこかに行くまで、ここで過ごすことにしよう。
私がそう決めた時、声がかかった。
「王女殿下……」
「はぁ」
どこか遠慮がちな声に、曖昧な返し方をする。
声の主は、もちろんシルウェステルだ。
彼は私と会話がしたいのだろうか?
こちらとしては、あまり話すこともないのだけど。
それきり、彼は何も言おうとしない。
ただ呼んだだけで、特に用があったわけでもないのだろうか、そう思い始めた時になって彼は続く言葉を口にした。
「今から街に出ませんか?」
「……は?」
思いも寄らぬ申し出に、私は真の抜けた声を出したのだった。
それから暫く後のこと。
どういうわけか、私は王城の敷地を出て城下町に繰り出していた。
すぐ隣にはシルウェステルの姿がある。
いったい何がどうしてこうなったのか、自分でもよくわからない。
ただ一つわかるのは、今、自分が高揚しているということだ。
海外の街並みにも似た、それでいて見たこともない景色が目の前に広がっている。
足元には綺麗に整備された石畳が広がり、道の両脇にはかわいらしい建物が立ち並ぶ。
年季の入った建物も多いようで、この国の歴史を感じさせる。
建物は店舗を兼ねているものも多い。
また、開けた場所には露店が立ち並び、果物や小物を売る商人たちが通行人に呼び掛けている。
整然とした王宮とはまた異なる、鮮明な営みや息吹がそこにはあった。
人込みは嫌いなほうだけど、この時ばかりはテンションが上がった。
それでも、この景色の一部……即ちただのモブになって、来る日も来る日も庶民としての日々を送るのは絶対嫌だけど。
「あまりウロウロしないでくださいよ。それと、余所見しないでちゃんと前向いて歩くこと」
「う……言われずとも」
呆れた様子を見せるシルウェステルを、不満を込めて一瞥してやる。
まるで私が浮かれているみたいに、この男に思われるのは心外だ。
……実際、浮かれていることは否めない側面もあるのだけど。
とは言え、ブラギルフィア国の城下町を訪れるのはこれが初めてであり、気持ちが浮つくのも無理からぬこと。
陛下の手前と私の立場上、あまり人前に出るべきではないと理解していたからこそ、陛下に外出を願うことはなかった。
それでも、王城の外に全く興味がないわけでもなかった。
「……今更ですが、本当によろしいのですか? わたしを陛下に無断で連れて来たりして」
シルウェステルの申し出を受けた私は、迷いはあったもののすぐに承諾した。
でも、後になるにつれて不味いことをしているのではという不安も強くなってきた。
自分で考える以上に意地悪な質問だったかもしれない。
彼は、しかめ面で私を見た。
「あまりよろしくない……というより、非常に不味いことをしている自覚はある」
「……そうですか」
だったらどうして、と聞くほど私は空気の読めない馬鹿じゃない。
早い話が、私を励まそうという彼なりの気遣いだ。
私のような絶世の美少女が泣いているのを見れば、敬愛する主君に嘘をつき、禁を破ってでも何とかしてあげたいと思うのは当然のことだ。
そして、その厚意を受け止めるのは、私のように類稀なる美貌に恵まれた者の務めである。
私が厚意を受け止めることで、彼らは様々な面で進歩・成長していく。
即ち、美少女とは男たちの成長を促す存在なのだ。
美少女の存在が、この世をより良い場所に発展させる。
……あれ?
よく考えれば、これって姫神テオセベイアに纏わる神話そのものだ。
「わかりました。それで、どこに案内していただけるのですか?」
「……こっちです」
私は敢えて嬉々とした口調で尋ねた。
歩き出すシルウェステルに促されるままに、私も後へと続く。
私がちゃんとついて来ているか、何度も肩越しに確認しながら「迷子になるならないでくださいよ」と忠告した。
やれやれ、と肩を竦めながらも私はそれに従うことにした。
扱いがぞんざいというか、態度が姫君に対する騎士のそれではないことに引っ掛からないでもないけれど、まぁ大目に見てあげようと思った。
緩やかな坂を進み、やがてやって来たのは白と水色を基調にした外観のカフェである。
小高い場所にあるため、見晴らしがとても良い。
私たちがテラス席に座ると、エプロン姿の女給が注文を取りに来た。
「私はニーヴェ茶を一つ。……えーっと、何になさいますか?」
簡単な注文をした後、シルウェステルは私に視線を向ける。
私に対する呼称で悩む素振りを見せてから、そう尋ねた。
でも、そう言われてもどう答えて良いかわからない。
黒板にメニューらしきものが書かれているものの、字の癖が強すぎて解読不可能だ。
「今のおすすめは何でしょう?」
「菫の砂糖漬けのデザートプレート、ですね」
女給の代わりにシルウェステルが答えた。彼は殆ど独白のように言葉を続ける。
「寒い時期に砂糖漬けにした菫が、そろそろ食べ頃を迎えますから。それを利用した菓子類は見た目にも綺麗で、毎年人気ですよ」
「随分とお詳しいんですね。もしかして、以前にもご来店いただいたことが?」
「……知り合いの女性からそう聞きました」
嬉しそうに尋ねる女給に、彼は素っ気ない口調で答えた。
菫の砂糖漬け、か。
あまり馴染みがないけれど、何だか美味しそうだ。
私はそれを注文することにした。
注文を聞いた女給が去った後、彼は居住まいを正して「さて」と言った。
私を真っ直ぐに見詰める視線の強さに、思わずこちらがたじろぐ。
「実は貴女と一度話がしたいと思っていました。二人きりで」
彼の薄青色の瞳は、小揺るぎもせずに私を捉えたまま話そうとしない。
私は、「そうですか」と無感動に返す。
ああ、何だかこの時点で既に嫌な予感しかしない。
言葉こそ甘やかだけど、そこには硬質な響きがあるばかりだ。
彼は純粋に、私を励ましたい、元気付けたいという動機だけで私を連れ出したわけではないと見える。
私に向けたままのシルウェステルの視線が鋭さを増す。
「貴様、陛下に何をした?」




