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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第三章
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54話「こんな日々が永遠に続けばいいのに」

「いつか一緒にブラギルフィアに帰りましょうね。

美夜ちゃんのお父様とお兄様、それに未来のお婿さんも待っているわ」


 亡き母は、しばしば私にそう話してくれた。

 まるで、それが実現することに何の疑いも抱いていないかのような一点の曇りもない笑顔で。


 私はと言えば、幼い頃は何の疑念もなく母の話を受け入れていたけれど、成長するに従って「そんな都合のいい話があるものだろうか」と思うようになった。

 母から聞いた話に疑いを持ったわけではない。

 でも、ただ無邪気に、いつか幸せが実現する場所に行けると信じ続けることは難しかった。

 だからこそ私は、勉強して有名な進学校に入学し、国立大学を目指すという地に足の着いた生き方を選んだ。

 逆に言えば、「逃げた」ということだ。


 物心付いた時から「誘拐犯の子」「強姦で生まれた子」として好奇の目で見られ、不特定多数の人間から好き勝手な噂話をされる日々に耐えるには、とにかく上を、高学歴や高収入を目指すしかなかった。

 でも、母は違った。

 自分の両親も含めて、周りの者から憐れみの目で見られようと、頭のおかしい女だと言われようと、動じる素振りも見せなかった。

 今思えば、母はとても強い女性だったのだろう。





 意識は完全に覚醒しているにも関わらず、柔らかな寝具に包まれる心地良さを甘受して過ごす。寝台の中というのは、どうしてこうも気持ちいいのだろうか。

 治癒の儀が終わり、意識を手放してから丸一日経ったということを、先ほどやって来たアスヴァレンから聞いた。

 あの場から逃れるため、一時的に熱を上げる薬を投与したとのことだけど、その影響は既に消えている。

 ぐっすり寝たお陰で疲労感も完全に消えて、今はすこぶる好調である。

 もちろん手足の違和感もない。


 ちらり、と枕元に置いてあるぬいぐるみへと視線を向ける。

 いつの間にか、誰かが拾って置いておいてくれたらしい。

 禍女……いや、禍女と化した鈴木サヤカが現れる直前に起きた現象は、あれ以来見られない。

 あの時の髪の長い女性は誰だったのだろう。


 心当たりはある、というよりも彼女以外思い浮かばない。


「テオセベイア」


 その名を口にする。

 アスヴァレンの話によると、彼女はアヴィスの闇に呑まれて魂ごと消滅したという。

 でも、彼女は仮にも神だ。本当に完全な「死」を迎えたのだろうか?


 私はうさぎのぬいぐるみを手に取り、その黒い瞳を覗き込むけれど、やはり無機物は無機物のままだ。

 私の抱く疑問に答えてくれそうにはない。

 空腹を覚えるものの、自分から侍女を呼ぶのも何だか億劫に感じる。

 一人で静かに過ごせる時間とは、どんなご馳走にも勝るのだ。

 頭を悩ませる問題は他にもある。あの時のサリクスの言葉を思い出す。


「興味があれば我が居城を訪れるが良い。美桜子殿も娘との再会をお待ちかねだ」


 彼は確かにそう言った。

 今、私の母のことを知っているのは陛下とアスヴァレンだけで、彼らがサリクスに話すわけがない。

 それに、サリクスの言い様だとまるで……。


 私は頭を振って、脳裏に浮かんだ考えを振り払う。

 母が生存していて、しかもサリクスに囚われているなどあり得ないことだ。

 サリクスは、何らかの方法……私が陛下の過去を覗き見したみたいにして、母の名前を知ったに違いない。そして思わせぶりなことを言って、私を誘き出そうとしているのだ。


 そんな見え透いた手段に騙されるほど、私は馬鹿ではない。

 ……そう自分に言い聞かせることで、ともすれば居ても立ってもいられなくなりそうな衝動を抑えた。





 その翌々日、つまり治癒の儀から三日後の昼下がり、私は自室にて陛下から字の読み書きを教わっていた。

 入り口付近にはマルガレータとロザリンドが控えている。

 これも私の「お願い」の一つで、ブラギルフィア語を習いたいという申し出を彼は快諾してくれた。

 まさか陛下自ら教えてくれるとは思えなかったけれど、むしろ嬉しい誤算だ。


 私は簡単なブラギルフィア語なら何となく理解できるものの、今のレベルで読めるのは絵本ぐらいのものだ。

 しかも書くとなるとからきしである。

 情報を収集するなら、読み書きができるに越したことはない。


 羽根ペンの先をインクを吸わせ、慣れない手付きで紙の上へと走らせる。

 一文字を書き終えるまでにインクが切れてしまうこともあり、所々が掠れた不格好な字が紙に書かれていく。

 やがて、最後の一文字を書き終えた私は、詰めていた息を大きく吐き出す。


「か、書けました……! その、いかがでしょうか?」


 興奮を滲ませながら、傍らに立つ陛下を見上ると、彼は小さく笑って頷いた。


「ミヤ=スメラギ……ああ、十分そう読める。字も個性的で素晴らしい。特に、このインクの掠れ具合がいい味を出している」

「陛下、それは……」


 思わず顔を引き攣らせてしまう。

 そして、自分が書いた字へと視線を戻し、がっくりと項垂れた。

 机の上に置いてあった本を脇に寄せると、その下から陛下がブラギルフィア語で書いてくれた私の名前……まさしく手本と呼ぶに相応しい、整った字が書かれた紙が現れる。


 手本を見ずに書けるようにはなったものの、自分が書いた字と彼が用意してくれた手本とを見比べると、その差に一層のこと落ち込んでしまう。


「うう。仰る通り、下手な字であることは否めませんけれど」

「下手などとは言っていないぞ? むしろ賞賛している」

「しょ、賞賛って……」


 そのほうが却って恥ずかしく、どう反応して良いものかわからず、明後日の方向に視線を向ける。  

 その時、横から伸びた手が、私の名前を記した紙を奪った。


「陛下?」

「授業料ということで、これは俺がもらっておいてもいいかな?」

「えっ? いえ、全然良くありません! えーっと、初めて自分の名前を書けた記念として取っておきたいため、返していただけませんか……?」


 別に後生大事に保管しておきたいわけではないのとは言え、あの下手な字が彼の手元にあるというのは耐えられそうにない。

 思い付くままに適当な言い訳を並べて交渉を試みる私に、陛下は首を横に振った。


「悪いが、一国の王による授業料はそれなりに高いんだ」

「……それって高いことになるのですか? あの、本当に返してください。もっと上手に書けるようになってから、お渡ししますので」

「いや、断る。これが欲しい」


 陛下はきっぱりとそう言い切った。

 彼は殆どの場合、私の意思を尊重してくれるけれど、こうと決めると易々とは引かない。

 となれば、説得は不可能。

 そう判断して、呻きながらも引き下がることにした。


「ところで陛下、そろそろお腹が空きませんか?」

「言われてみれば、確かにそうだな。。じゃあ、一度休憩にしようか」

「はい。……マルガレータ、お願いできるかしら?」


 そう言ってマルガレータに視線を向けると、彼女の瞳がきらりと光った。

 陛下に気付かれぬように目配せを交わす。


「わかりました! すみません、ちょっとロザリンドもお借りしていいですか?」

「マルガレータだけでは手が足りないのか?」

「ええ、他に頼まれてることがあったのを思い出して。すぐに済むんですけど、ちょっとの間だけロザリンドにも手伝って欲しいんです」

「……そうか。わかった」


 渋る様子を見せた陛下も、結局はマルガレータに対して折れることにした。

 ロザリンドは異存もなく、いつものように控えめで声で「失礼いたします」と一礼して彼女と共に部屋を後にした。


 ……宣告通り、陛下はあれ以来私と二人きりになろうとしない。

 常に同じ場に誰かを置くようにしている。

 そのことことに業を煮やした私は、マルガレータに話を持ち掛けて、二人きりになれるように取り計らってもらった。

 その見返りとして、陛下にいただいたマカロンをあげた。


 二人の侍女が退室した後、私たちは特に会話もないまま過ごした。

 重苦しい沈黙、というわけではない。

 私は元々口数が少ないほうで、陛下も決して多弁ではない。

 この沈黙には、一人で過ごす静けさにも似た心地良さがある。

 窓の外では風が吹き、木々を揺らす音が硝子越しに聞こえてくる。

 春の陽気が部屋に差し込み、ぽかぽかと温かい。


 ただ共に在るということ、それだけがこんなにも心地良い。

 その時、陛下が私を見つめていることに気付いた。

 途端、胸の奥がざわざわするような落ち着かない気分にさせられる。


「どうなさったのですか」

「いや……」


 私の問いに、彼は小さく笑った。言葉を濁した後、一拍置いてから再び口を開く。


「こうしているのがとても心地良いと思ったんだ」


 それを聞いて、心臓がとくんと鳴った。


「おかしなことを言う、と思われるかもしれないが」

「思いませんけど、そんなこと」


 無意識の内に、思った以上に強い語調になっていた。

 そう、そんなことを思う筈もない。

 だって、陛下も私と同じ気持ちでいてくれているのだもの。


「こんな日々が永遠に続けばいいのに」


私が零した呟きに対して、陛下は何も言わなかった。

 彼の顔を伺うと、そこにはどこか寂しげな笑みが浮かんでいる。


(陛下だってそれをお望みでしょう?)


 どんなにそう言いたかっただろう。

 でも、代わりに私は別のことを口にしていた。


「陛下、その……私と、交歓の儀を行っていただけませんか?」


 この数週間、どう切り出そうかとずっと悩んでいた言葉。

 何の駆け引きもできないまま、ようやく伝えることができた。


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