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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第三章
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53話「サリクス王太子」

 サリクスの姿をまともに見るのは、これが初めてである。

 ……何と言うか、一目見ればそう忘れられない容姿の持ち主だと思った。


 暗褐色を基調にした服に身を包んでおり、膝まで届くチェック柄のケープが目を引く。

 着用者の身分を示すように、いずれも上質な生地をふんだんに使用している。

 兎を模した金属製の仮面で覆われているため、その顔を伺うことができない。

 顔も含めて肌の露出は殆どなくて、仮面の端から耳や顎が僅かに覗くのみだ。そして、それらは血の気を感じられないほどに青白い。頭髪も雪のように真っ白だ。


 背はあまり高くなく、身体付きもとてもほっそりとしている。

 事前に王太子という身分を聞いていなければ、女だと思っただろう。

 容貌だけでもなかなかに個性的だけど、何より印象的なのは立ち姿と歩き方だ。

 右手に瀟洒な杖を持っているのはただの身嗜みではなく、歩きづらさを補うためのもののようだ。


 サリクスは、不自然な足取りで部屋の中へと歩みを進める。

 先天的なものなのか後天的なものなのかはわからないけど、明らかに左半身に何らかの障害があるようだ。

 彼の斜め後ろには、左右に展開する形で幼い少女が付き従っている。

 二人とも十に届くか届かないかぐらいで、一人は純白の、もう一人は漆黒のドレスに身を包んでいる。

 驚くほど似通った顔をしている辺り、双子だろうか?


 更にその後ろ、三人から少し離れたところにマティルダが控えている。

 彼女はこの男がここにいることを快く思っていない筈だけれど、立場上、強引に押し止めることはできないのだろう。


「殿下、私自らお出迎えできずに申し訳ありませんでした。私へのお叱りならば、喜んで受けましょう。しかし、ここはブラギルフィアの賓客、それも女性が祈りを捧げる場です。別の部屋へとご案内を……」


 陛下の言葉は最後まで続かなかった。サリクスが杖で彼の頬を殴打したのだ。

 陛下本人は呻き声一つ上げないのに、私は小さく叫んでしまった。

 アスヴァレンが目線だけで私を咎めるのを見て、慌てて口を噤む。

 現代日本から来た私には身分差というものにあまり実感が沸かないけれど、ここでサリクスに逆らうべきでないことは理解できる。

 下手をすると、陛下の立場を危うくしかねない。


 もちろんサリクスの表情は読めないけれど、喉を鳴らして嗤う様子が見て取れた。

 仮面から覗く目の奥では、昏い炎が揺らめいているかのようだ。

 n彼は陛下の頭を踏み付けた。


「ちょっと!」


 殆ど反射的に非難めいた言葉を口にしていた。

 言ってから自分の迂闊さを呪ったけれど、今更なかったことにはできない。

 案の定と言うべきか、アスヴァレンは顔を顰めて、侍女たちは酷く不安そうな面持ちで、一斉に私に注目する。

 怖くて陛下の顔を見ることができない。

 もしそこに失望の色が浮かんでいたらと思うと、それだけで気が遠くなりそうだ。


 サリクスはゆっくりと顔を上げ、私へと視線を向けた。

 ああ、不味いことをしてしまった。

 陛下からこの男に関する話を聞いた時、気を付けなければならない相手だと思っていたのに。

 とは言え、後悔先に立たずとはよく言ったものだ。

 私は腹を括り、平静を装いながらサリクスと対峙することを決めた。


 サリクスが私へと顔を向ける。

 彼の目を直視したことで、まともに機能しているのは右目だけだということに気付いた。

 左目には、引き攣れたような傷跡が被さっていて、固く閉ざされたままだ。

 その右目に、苛立ちと……それに、興味深そうな色が浮かんでいる。


 落ち着け、自分にそう言い聞かせながら深呼吸する。


「陛下は、貴方のところへ向かうつもりでした。ただ、その……わ、私のせいです。だから……陛下は何も悪くありません」


 事情はわからないけれど、何にしても陛下を責めるのはお門違いだ。

 聞くところによると相当に傍若無人な人物のようだし、事前連絡なしにいきなり押し掛けたのではないだろうか。


「ほぅ?」


 サリクスがすっと目を細めた。

 もっとも、左目は殆ど変わらない。

 こうしている間も、彼の片足はまだ陛下の頭の上にあり、私はそのことがとても腹立たしかった。


「一先ず、その足をどけてもらえませんか?」


 この時の私にとって、できる限り丁寧な物言いで伝えた。

 足の上に汚いという形容詞を付けずにおくのは、かなりの忍耐を必要とした。

 意外にもサリクスは素直に私の言葉に従い、それから睥睨するような目を向けてきた。


「貴殿があの日、会合の最中に現れた禍女ですかな」

「彼女は禍女ではありません。あの日からかなりの時間が経過しましたが、変異の兆候は見られません」


 蛇に睨まれた蛙のような私に代わり、陛下がそう伝えてくれた。

 けれど、サリクスは舌打ちと共に陛下を鋭く振り返った。


「黙れ、エレフザード。貴様の見解など求めていない」


 それだけ言って、再び私を見遣る。

 距離を縮める彼から反射的に後退りしたくなるも、何とか踏み止まった。


「恭順だけが取り柄の無能が、私の来訪さえ無視して何をしているのかと思えば、いやはや。女とお楽しみ中とはね」


 無能って、まさか陛下のこと?

 私は反論したくなったけれど、ここは聞き流すことにした。

 既に事情は説明したし、これ以上何か言っても事態を悪くしかねない。


「果たして、貴殿は何者であろうか」


 サリクスがじっと私の目を覗き込む。

 目を逸らせば不敬と受け取られるかもしれないから、焦点を合わせないことで、何とかその視線に耐える。


「是非とも我が城へお招きして、親睦を深めたいものだ」


 その言葉に、内心で呻いた。

 彼が私を連れて帰りたいと言い出せば、いったいどうすればいい?


「殿下、彼女は慣れぬ環境にまだ馴染めずにおります。当面は城内で保護し、安静にさせておくべきかと」

「はい」


 陛下が出してくれた助け船に、すかさず飛び乗った。

 小さく頷き、そのまま具合悪そうに顔を伏せる。


 その時、「失礼致します」という声が聞こえた。

 アスヴァレンだ。


「アスヴァレンか。いったい何の用だ」


「お話し中、申し訳ありません。サリクス殿下。彼女はここに現れて以来、体調不良が続いているため、毎日決まった時間に診察を行っているのです。そろそろその時間なので、こうして参った次第ですが」


 普段の子供っぽい口調はではなく、神妙な口調で淡々と告げながら私のほうへと歩み寄る。

 私の存在がサリクスへの抑止力になるとは思えなかったけれど、意外にも彼は不満そうにしながらアスヴァレンを止めようとはしない。


「美夜」


 私の隣に並んだアスヴァレンがそう呼び掛けた瞬間、首筋に小さな痛みを感じた。

 次の瞬間、視界が大きく傾いだ。


(え……?)


 初めに感じたのは、熱い、ということだった。

 室温が高いというより、身体が火照っているようだ。

 次いで、立っていることさえ困難なほどの倦怠感が襲ってくる。


 誰かが私の身体を支えるのを感じた。

 遠くのほうで私を呼ぶ声、それに誰かに何事か伝える声が聞こえてくる。

 私の肩へと回された誰かの手が視界に入った。

 その瞬間、驚きのあまり一瞬だけ意識がはっきりした。袖口から滲み出るように、金色の燐光を纏った黒い靄が漂っている。

 陛下の手だと確信すると同時に、私の意識はどんどん遠ざかって行く。


 サリクスが近付いて来るのが見えて思わず身構えたけれど、抵抗する術はない。

 陛下がサリクスに何かを伝えて、それに対して彼は「何もしない」といった意味合いのことを返したみたい。


 それからサリクスは、私にしか聞こえない声で何事か囁いた。


(……え?)



 サリクスの口から零れ出た言葉……いや、名前に私は大きく目を見開く。


 何、それは。

 どういうこと?

 どうして、この男がその名前を知っているの?


 疑問が次々に湧いてくるものの、急激に襲って来た熱と倦怠感には抗えなかった。

 ぷつんと糸が切れるように、私の意識は深い淵へと沈んだ。

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