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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第三章
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52話「成功、そして」

 これは、ただの水ではなく大量の神花を原料とした秘薬そのものなのだろう。


 水中は温かく感じられた。

 と言っても、お風呂や温泉のようなともすれば上せてしまいそうな温かさではなく、春の陽射しに似た穏やかな温もりだ。


 どこからともなく聞こえて来た歌声は、治癒のマナへ呼びかける詠唱のようなものだろう。

 三人の術者が唱えているものに違いない。

 その温もりと浮遊感に包み込まれている内に、自分自身の輪郭が曖昧になっていくような錯覚を覚えた。

 まるで、私という存在が溶けて水と一体になったかのよう。


 えも言われぬ心地良さに身を委ねている内に、このまま本当に溶けて消えるのも悪くない気がしてきた。

 そうすれば、元の世界に帰らずに済む。

 どんな形であれ、これからもずっと陛下のお側に在り続けることができる……。


 ところが、そんな私の甘美な夢想を打ち破るかのように、突如として熱さを感じた。

 初めは気のせいかと思えたそれは、徐々に大きくなっていき、手足に火が着いたかのような熱さが私を襲う。

 熱い、と叫んだのかもしれない。

 けれども水中では声は声にならず、ごぼっと水音がしたのみだ。

 そもそも、どうして水中にいながら熱を感じるのだろうかと思ったけれど、熟考するだけの余裕はない。


 火を消そうと手足を動かし、周囲の水を掻くも、先ほどよりも水が重たく感じられる。

 どちらが水面なのか、既にわからない。

 このまま溺れてしまうのではないかと思った。


「美夜!」


 その時、私を呼ぶ声が聞こえた。

 同時に、力強い温もりが私を捉えて引っ張り上げた。

 それは、先ほどまで感じていたぼんやりとした温もりではなく、確かな生命力を感じさせる温もりだった。

 その温もりが、どこか遠い場所を彷徨っていた私の意識を現実へと呼び戻した。


「……っ、は、っ……」


 ばしゃん、と水が跳ねる音が聞こえた。

 気付けば私は水面へと顔を出していた。

 自分の身に何が起きたのかわからないまま、久方ぶりに思える空気を貪る。


「美夜、大丈夫か?」


 その慕わしい声は至近距離から聞こえた。

 私は自分を引き上げてくれた温もりにしがみつきながら、殆ど反射的に頷いていた。

 実際、改めて自分の身体を鑑みても特に不調はなさそうだ。


 ここに至り、水底を踏む自分の両足を感じた。

 失った筈の右足が、今は確かに存在している。

 それに、自分でも無意識の内に両腕を陛下の首に回していた。


「……えっと」


 私はようやく今の状況を理解した。

 半身を水面に出した状態で、自分を引き上げてくれた相手、つまり陛下にしがみついている。

 言う間でもなく、今の私は一糸纏わぬ姿である。

 この後どうするべきか判断に迷ったけれど、幸いにして考える時間はあまりなかった。


「失礼いたします」


 二人の侍女が歩み出て、私の身体を支えると同時に大判のタオルを掛けてくれた。

 彼女たちに任せる形で、陛下はその場から身を引く。


「王女殿下、ご気分はいかがですか?」


 陛下に代わり、宮廷医師のラケシアが私の前へと進み出た。

 侍女たちに身体を拭いてもらった後、私は簡易的な寝台へと寝かされ、ラケシアの診察を受けた。彼女は私の身体を念入りに診ながら、いくつかの質問をする。

 彼女が最終的に下した判断は、治癒の儀は成功で、私の身体は元通りの状態になったというものだった。


 ……本当に、手足が再生している。


 ラケシアの説明を聞きながら、私はさり気なく左腕と右足を動かし、そのことを実感した。

 どちらも、全く違和感が感じられない。

 まるで、つい先ほどまで欠損していたことが嘘のようだ。

 事前に説明を聞いてはいたものの、自分の身に起きたことがまだ信じられない。


 呆然としている私に、侍女たちは手際良く服を着せていく。

 身体を締め付けない、一人でも着脱が容易なワンピース型のドレスを着せられた私の前に陛下が歩み出た。


「……先ほどラケシアが話した通り、儀式は無事成功した」

「……はい。ありがとうございます、陛下」


 陛下は淡々とした口調で、状況のみを簡潔に伝えた。

 その表情や口調からは内面を伺うことができず、私は小さく頷いた。

 それから、改めてこの場にいる面々を見回す。

 二名の治癒師、主治医、それに侍女たちの顔を順番に眺め、頭を下げた。


「この度の貴女たちの協力に、心より感謝いたします。このご恩は決して忘れません」


 私らしくもない殊勝な言葉は、いったいどこまでが本心なのか自分でもよくわからなかった。

 けれども、私はブラギルフィアの王女にして姫神の血を引く者である。

 良い働きをしてくれた臣下を労うのは当然だろう。


「もったいないお言葉にございます、王女殿下」


 ラケシアは恭しく言って、その場に膝を着き頭を垂れる。

 他の者たちもそれに倣い、立っているのは私と陛下とアスヴァレンだけだ。

 私はと言えば少々面食らったものの、悪い気分ではない。

 それに、ラケシアの言葉はあながち口先だけとも思えない。


 治癒の儀は、受ける側もそれなりに体力を必要としていた通り、痛みや違和感こそないものの身体が疲弊しているのを感じた。

 それに配慮したラケシアが私を休ませることを提唱して、もちろん異論がある筈もなく従うことにした。


 その時、先ほど入って来た正面扉のほうが騒がしいことに気付いた。


「エル」


 柱に凭れかかり、欠伸をしながらお菓子を食べていたアスヴァレンが、雰囲気を一変させて陛下に言った。

 陛下はそれだけで彼が何を言わんとしているか悟ったらしく、緊迫した面持ちで頷く。


「美夜を後ろに」


 侍女たちは私と同じく状況が掴めないようで、互いに不安そうに顔を見合わせている。

 とは言うものの、さすがは王城に仕える侍女と言うべきか、陛下の命を受けて私を後方へと下がらせる。


 複数人の足音、それに話し声はどんどん近付いて来る。

 詳細は聞き取れなかったけれど、制止を呼びかけているように思えた。


 ばん、と大きな音を立てて扉が開いた。

 現れたのは、一人の男……と、彼に付き従う二人の子供、それに狼狽えた様子の臣下たちだ。

 初めて見る顔だけど、私には彼が誰なのか察しが付いた。


 私の直感を肯定するように、彼の前に進み出た陛下がその場に跪く。

 陛下の斜め後ろに控えたアスヴァレンもまた、それに従った。

 ああ、やっぱり、私は確信と共に内心で呟く。


 ブラギルフィア国王、それに筆頭錬金術師が膝を屈する相手と言えば一人しかいない。


「よくぞお越しくださいました、サリクス殿下」


 陛下が、彼……サリクスの名を口にした。

 この男こそ、ブラギルフィア諸侯連合の中心であるティエリウス国の王太子サリクス。

 即ち、陛下の主君でもある人物だ。


 ……そして、私に対して何やら良からぬ興味を抱いていると言う。


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