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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第三章
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51話「美少女は転んでもただでは起きない」

本当に聞き間違いなら、どれほど良かったか。


 真っ直ぐに陛下の瞳を見返すも、そこに戯れの色は見られない。

 お互いに黙したまま、どれほどの時間が経っただろうか。

 それを先に破ったのは陛下だった。


「気の迷いを抱いてしまったことを、どうか許して欲しい。あの時の俺は、どうかしていたんだ」


 マティルダが乱入する直前、確かに陛下の意思に揺らぎが生じていた。

 もう一押しで陛下の考えを変えられる、そう感じていた。


「話を中断してしまい、美夜には申し訳ないことをしたが、結果としては良かったと思う。お陰で冷静になれた」


 そう言って彼は微笑を浮かべた。

 唇を引き結んだまま、何も発せずにいる私に、そのまま淡々と言葉を紡いでいく。


「転送装置の修復は順調に進んでいるそうだ。治癒の儀を予定通り執り行い、美夜が快復次第、なるべく早く元の世界に帰れるよう取り計らう」

「……嫌です」


 やっとの思いで口にした言葉はあまりにも稚拙だったけど、その簡潔な言葉に私の想い全てを乗せた。

 陛下は困ったように苦笑する。


「美夜、あまり俺を困らせないでくれ。……またしても判断を誤りそうになる」


 私は彼との距離を詰めて、胸が相手の身体に触れそうなぐらいに接近する。

 陛下が身動ぎする気配を感じたけれど、構わず言葉を紡ぐ。


「陛下に考えを改めていただけるなら、いくらでも困らせて差し上げます」

「美夜」


 陛下は心底弱り切ったように私の名を呼ぶと同時に、長椅子から立ち上がった。


「すまない。何があっても、俺の考えが変わることは決してない。美夜は必ず元の世界に、ご家族のところに帰す」


 あらゆる表情を消し、彼はそう断言した。

 口調にも表情にも一切の迷いが感じられず、その意思の強固さを改めて実感する。

 私は言葉を失ったまま、陛下を見上げることしかできない。

 再びの沈黙が落ち、次もまた陛下が先に口を開いた。


「治癒の儀まで、もう二人で会わないほうがいい」

「陛下?」


 頭を強打されたような心地で彼を見た。

 冗談や虚仮威しの類ではなく、本心からそう言っていることが見て取れて、私は更に打ちのめされた気分だった。


「いや、儀式が終わった後も二人きりで会うのは止そう。侍女たちに同席してもらうことにする」

「何故、そんな……」


 呆然とする私に、陛下はこちらの心情を反映したような辛苦の表情を浮かべる。


「美夜、わかってくれ。これが最善なんだ」


 駄目だ。

 陛下の意思を変えさせることなど、私にはできそうにない。

 気が付けば、私は半ば項垂れるようにして頷いていた。

 陛下が安堵の溜息を漏らすのが聞こえた。


「もちろん美夜が帰るまでの間、何不自由ないように取り計らう。何か不足があれば、遠慮ななく言って欲しい」

「高額なものでもよろしいのですか?」

「ああ、構わない。……いや、さすがに国庫を揺るがすほど高価なものは困るが、宝石やドレスぐらいなら何とかする」

「陛下にご用意していただける範囲内で、ということですね?」

「それなら大丈夫だ」

「……承知いたしました」


 視線を持ち上げて陛下の顔を伺うと、そこには安堵の色が広がっている。

 元の世界に帰ることを承諾したのが、それほどに嬉しいのか。

 私が憎くて追い出すわけではないとわかっていても、奥歯を強く噛み締めてしまう。


 けれど、そう易々と引き下がる私ではない。

 視線を陛下の左腕へと移すと、やはりそこにはあの黒い靄が渦巻いている。

 病魔に侵された証、ミストルト王家にかけられた呪い。


 そして、それを解く鍵は私にあるという。

 たった今、陛下から言質を取ることに成功した。

 真っ向から挑んでも、彼の意思を曲げることはできないだろう。

 ならば、別の手段に出るのみだ。


 美少女は、転んでもただでは起きないのだ。






 その一件から、二週間ほどが経過した。

 宮廷医師による的確な治療、それに侍女たちが世話をしてくれるお陰で、術後の経緯は順調そのものである。

 喪失感やそれに伴う痛みに泣きたい気持ちになることもあったけれど、アスヴァレンが調合した薬で乗り切ることができた。


 アスヴァレンは、最近は渋ることなく痛み止めを届けてくれる。

 正確には、届けるのは誰かを介してだけど。本人とはあの晩以降は全く顔を合わせていない。


「アスヴァレンはどうしているのですか?」


 ある日、私はお見舞いにやって来た陛下にそう尋ねた。

 彼は相変わらず、時間を見つけてはこうして会いに来てくれる。

 ただし、あの日以来、私に一切触れようとはしないし、常に侍女を同席させている。

 一度は互いの息が触れ合うぐらいまで近付いた私たちだけど、そのことについても陛下は何も言わない。


 私は私で、今はもう陛下を困らせるようなことはしなくなった。

 ……そう、今はまだ。


「あいつは今、神花を調合している最中だ。かなり複雑な調薬らしく、殆ど部屋から出ることなく、人を近付けることなく取り組んでいるな」

「陛下ともお会いにならないのですか?」

「いや、俺のほうから一日に二度は様子を見に行く。そして、必要に応じて食事に付き合わせるなり休ませるなりしている」


 陛下は嘆息すると同時に、肩を竦める。


「あいつは、自己管理というものが恐ろしく下手だ。それに、少々気難しい奴でもあるから、他の者が言ってもなかなか聞かないんだ」

「困った人ですね」

「あまり言わないでやってくれ。……まぁ、同感ではあるが」


 彼は苦笑を浮かべ、私に同意を示した。

 それにしても、陛下はアスヴァレンについて話す時、随分と気安い口調だ。

 あるいは、親しげであるというべきか。何だかまるで、手のかかる身内みたいな扱いだ。

 陛下にとっても、アスヴァレンはただの臣下ではなく特別な存在なのだろう。


 ……彼に必要としてもらえる兄に対し、嫉妬を感じないと言えば嘘になる。






 そうこうしている内に、ついに治癒の儀を行う日がやって来た。


 担架に乗った私は、六人の女性に付き添ってもらう形で目的の場所へと移動する。

 内二人はマルガレータとロザリンドで、全員が純白の長衣を身に着けている。


 長い廊下を渡り、やって来たのは聖堂のような場所だ。

 担架に乗ったまま、その建物の中へと運ばれていく。

 どうやら地下へと向かうようで、彼女たちは慎重に私を乗せた担架を進ませる。

 やがて辿り着いたのは、二十畳はありそうな部屋だ。

 当然ながら窓はないけれど、大小何本もの燭台が照らす室内は、それなりの明るさがある。


 部屋の奥には大きな天蓋があり、その中心に何か箱のようなものが見える。

 天蓋のすぐ近く、それを囲む配置で三人の人物が立っている。

 担架を天蓋に近付けたことで、更に詳細を把握できた。

 天蓋の中央に置かれているのは、広めの浴槽だ。そこには、綺麗な水が満ちている。


 天蓋を囲む人物の内、二人は女性で、もう一人は陛下だった。

 陛下から少し離れた場所に、彼の背を見守るようにしてアスヴァレンが控えている。

 陛下を含む三人は、白と青を基調にした祭服のような衣装を身に着けている。

 いや、「祭服のような」ではなく、実際にそうなのだろう。

 この人たちが、陛下の言った治癒師なのだと理解する。

 三人の治癒師の内、一人は陛下が担当するというのは事前に聞いていたから驚かない。

 陛下は私たちのいるほうへと歩み出た。


「皆の協力に感謝する」


 担架にいる私を一瞥して、それから六人の女性たちに視線を向けてそう言った。


「姫の体調はどうだろう?」

「はっ、謹んで申し上げます。ここ数日、特に今日はお目覚めから注意して見ておりましたが、良好です。儀式に臨むにも問題ないと判断致します」


 そう言ったのは、六人の中でも年嵩の女性だ。

 彼女は宮廷医師の一人で、今日はその代表としてこの場にいる。


「そうか。ご苦労だった、ラケシア」


 彼女……ラケシアに労いの言葉をかけ、それから再び私へと視線を向ける。

 移動中、私の身体を覆っていた布は既に取り払われ、包帯を巻いた患部が露わになっている。

 彼は一瞬だけ辛そうな表情を見せたけれど、次に顔を上げて皆を見渡す時には、いつも通りの王の顔に戻っていた。


「では、これより治癒の儀を始める」


 陛下の宣言を受け、侍女たちは「失礼致します」と言って私を担架から下ろす。

 三人がかりで私の身体を支えながら、別の者が丁寧に服を脱がせ始める。

 こんなことは聞いていなかった私は、内心で狼狽えた。

 同時に、この場に陛下を除いて女性しかいないのはそういう配慮からなのだと悟る。


 陛下の眼前で全裸になるというのは非常に抵抗があったものの、拒めるような状況ではない。

 横目で陛下を伺ったけれど、彼は全く動じた様子もない。

 そうだ、これは治癒の儀、あくまで儀式である。

 そういう方向に意識するべきではないのだ。


 侍女たちは、一糸纏わぬ姿になった私を天蓋の内側へと連れて行き、水の中に横たわらせる。

 水嵩はお風呂ぐらいで、背を倒せば顔も完全に水の中だ。

 儀式の間は息をしてはいけないのだろうか、そう危惧したけれど、それは杞憂に過ぎなかった。


 今、私の全身は水中に横たわった状態だ。

 にも関わらず、いつも通りに呼吸ができる。

 よくわからないけれど、普通の水とは異なる性質を持っているようだ。


 こうして治癒の儀が始まった。


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