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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第三章
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50話「元の世界に帰るべきだ」

 自室で一人きりになり、落ち着きを取り戻すに比例してマティルダとクラヴィスへの怒りがふつふつと込み上げて来る。


 せっかくいいところだったのに!


 大方、クラヴィスがまた発作を起こしたのだろうか。

 何故よりにもよってあのタイミングで、と思うと憤懣やるかたない。

 手当たり次第物を投げ付けたい衝動に駆られたけれど、不自由な身体が歯止めとなった。

 それに、緊張の連続だったせいもあって、想った以上に疲労していた。

 柔らかなシーツに身体を預け、静かな休息を甘受する。


 そっと右手を持ち上げ、唇に触れる。

 正直、あの時の詳細はよく覚えていない。

 とにかく無我夢中だったから、触れた時の感触も明確には思い出せない。


 陛下はあれを、どのように受け取ったのだろうか。

 そして今、当の陛下はと言うとクラヴィスのところにいる。

 それを考えると、またしてもむかむかとしてくる。


 彼があの女と子を成したことについて、自分の感情と完全に折り合いを付けられたわけじゃないけれど、一先ずは「仕方ない」という結論に至った。

 正直、この事実を穏やかな気持ちで受け入れることは難しいけれど、なかったことにはできないのだ。

 時間をかけて、ゆっくりと受け入れていくしかないだろう。

 ……ああ、でも、やっぱり悔しい。クラヴィスが陛下と一夜を共にしたことがあるなんて。

 でも、よく考えればそういう相手はクラヴィスだけではない筈だ。

 陛下は私より七つも年上で、しかも立場や容姿を考えれば女どもが放っておくとは思えない。

 それなりの経験があることは間違いない。


 私は詰めていた息を吐き出した。

 本音を言えば、悔しい。

 とても腹正しい。

 けれども、過去をなかったことにできないのなら、せめてでも今後は私だけを見て欲しい。

 いや、絶対にそうしてみせる。





 次に陛下と会ったのは、その翌々日だった。


「美夜、この前は悪かった。その詫びに、というわけでもないが良いものを持って来た」


 そう言って彼が差し出したのは、綺麗な円形の箱に入ったマカロンだ。

 マカロンは全部で五つ入りで、その一つ一つが芸術作品のように美しい。

 私は一目でそれらを気に入った。


「ありがとうございます、陛下。……クラヴィス様のご容体はいかがですか?」

「一昨日は一晩中苦しんでいたが、昨日からは次第に安定して来た」


 そう語る陛下の顔には陰りが見られる。

 どうやら、あまり楽観視できる状況ではないということか。


「重いご病気なのですか?」


 声を潜める私に、陛下は小さく笑いかけた。どうやら私が彼女を心配していると誤解したらしく、「美夜は優しいな」と言った。

 けれどもすぐに笑みを消すと、躊躇いがちに頷いた。


「何年か前、王城に迎え入れる前に既に病を患っていたようだ。現在は投薬と食事療法で進行を抑えているものの、完治は難しい」

「そうなのですか……」


 私は伏せ目がちに呟いた。

 憂いを帯びた表情は、あながち演技でもない。

 陛下の様子からして、クラヴィス=クレイスという女を大切に想っていることが伝わって来る。


 まさか、懸想している……わけではない、だろう。多分。


(……そうですよね? 陛下……)


 陛下にとって、私こそが運命の女性だと先日確信したばかりだ。

 にも関わらず、クラヴィス=クレイスの存在が私の心を掻き乱す。

 私は話題を変えるべく、自分から話を振った。


「先日、私が彼女のところへ行くのは危険だと仰いましたね? あれはどういうことなのですか?」

「ああ、あれは……」


 その問いに、彼は少し顔を顰めた。

 言いたくないというより、どう説明するか迷っているように見える。


「アトロポス……王女と関係があるのでしょうか」


 不意に思い付いたことを口にしただけだったけど、どうやら当たりみたい。

 陛下は驚いた様子で私を見つめた。


「……そうか。美夜は一度、『彼女』に会ったことがあるのだな」

「はい。アスヴァレンとしては、避けたい事態だったようですが」

「クレイスが発作を起こすと、『彼女』が現れることが多い。そして、『彼女』は……手に負えなくなる前に対処する必要がある」


 対処、と私は小さく反芻した。

 クラヴィスに引導を渡すわけにはいかないのだろうか、そんなことを考えはしたけれど、さすがに口には出せない。

 クラヴィスが何かしらの役割を担っている可能性もないではないし、それに陛下は……あまり認めたくないものの、彼女を気に掛けている。


 正直、これ以上クラヴィス=クレイスの話題を続けたくない。

 私から切り出したとは言え、それはそれ、これはこれ、である。


「陛下、早速ですがマカロンをいただいてよろしいでしょうか?」


 それから十数分の後、私たちは室内にある長椅子に並んで座っていた。

 目の前の卓の上には、マカロンが綺麗に並べられた皿やティーセットが並べられている。

 侍女たちはこれらを用意した後、退室した。

 当然、今日も今日とて部屋の外には陛下の従者や臣下が控えているわけだけど、少なくとも扉を閉めている間は二人きりでいられる。


 ……陛下はまだ、先日のことについて何か言う様子はなく、私もまた切り出せずにいる。


「美夜、熱いから気を付けてくれ」


 そう言って彼は、私の目前へとソーサーに乗ったカップを持って行く。

 カップの中は綺麗なルビー色をしたお茶で満たされ、湯気と共に芳醇な香りを立ち込めさせる。

 お茶を一口飲むと、癖のない爽やかな風味が広がった。


 カップを置いたタイミングを見計らい、陛下がマカロンの一つを私の口元へと押し当てる。

 驚いて陛下へと視線を向けると、彼は微笑を浮かべながら首を傾げ、私の様子を見守っている。

 利き手は無事だから一人ででも食べられるのだけど、ここは空気を読んでおくべきだろう。


 私は戸惑いながらも、そのマカロンを一口齧った。

 さくりとした感触と共に、上品な甘みが口の中に広がった……と思う。

 実際は、味なんか殆どわからなかったのだけど。


「美夜、どうだろうか」

「は、い。美味しいです、とても」


 そう聞かれれば頷くしかない。陛下の指先に残ったマカロンを咀嚼、嚥下の後にそう答えた。

 気持ちを落ち着けるべく、再びカップを手に取りお茶を飲んだ。

 こうしている間も、陛下が私へと向ける視線を感じてそわそわする。


 でも、それはもちろん嫌悪感や不快感ではない。

 というより、これは何だかまるで……恋人同士のやり取りそのものではないだろうか。

 つまり、これが陛下の答えということ?


「もう一ついかがいな?」

「は、はいっ、いただきますっ」


 私の思考に覆い被さるように声をかけられ、それに対する返事は裏返っていた。

 再び陛下が私の口元へとマカロンを運ぶ。

 それを小さく齧り、今度は先ほどより味わいながら咀嚼する。

 アーモンドプードルをふんだんに使ったメレンゲの軽やかな甘みと、フルーツソースを絡めたチョコガナッシュの濃厚な甘みが繊細な風味を生み出す。


 でも、緊張しすぎてそれどころではない。

 唐突に、唇に押し当てられていたマカロンが消えた。

 全て食べた記憶はないのに、いったいどうして?


 同時に、陛下の腕が遠ざかるのを見て、思わず視線で追った。

 一瞬の出来事だったけど、手にしたマカロンを食べる様子が見て取れた。


 えっ?

 い、今のは……。


「え、えーっと?」


 困惑と気恥ずかしさで、咄嗟に言葉が出てこない。

 私の視線を受けながら、陛下は至って平静を崩さぬまま口を開いた。


「……美夜、この間の話だが」


 私は思わず息を呑んだ。

 今から切り出すのだと悟り、緊張に身を強張らせる。

 壊れそうなほどに心臓が早鐘を打つのを感じながら、続く言葉を待った。


 陛下はすぐには何も言おうとせず、ティーカップを傾ける。

 減ってしまった中身を注ぎ足すべきかとも考えたけれど、混ざることで温くなってしまうことを考慮して止めておいた。


「俺もあれから改めて考えた」

「は、はい……」


 耳の奥で、心臓が脈打つ音がうるさいぐらい鳴り響いている。

 緊張のあまり、呼吸が浅くなっているのか、上手く脳や心臓に酸素が行き渡っていないのかもしれない。


「やはり美夜は、元の世界に帰るべきだと思う」


「 ………………え?」


 聞き間違いだろうか。

 そうだ、きっとそうに違いない。


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