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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第三章
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49話「私の出した答え」

 冬の名残りのような冷気を含んだ風が吹き抜け、草木を揺らす。

 春の気配が薄れた気がするのは、日が陰ったせいだろうか。

 視線を空へと向ければ、私の心情を反映したような鈍色の雲が浮かんでいた。


 陛下の親子関係は、私が考えていたよりもずっと重いものだった。

 前に一瞬だけ見かけたアトルシャン殿下……つまり彼の実子は、一目見ただけで愛情いっぱいに育てられているであろうことが伺えた。

 陛下も同様で、この綺麗な心はそういった環境で育まれたものだとばかり思っていた。

 でも、実際は違った。


 彼はただ、無責任は綺麗事を振りかざしているわけではないのだ。

 私は次に口にするべき言葉を見つけることができず、押し黙ってしまう。


「すまない。つまらない話をしてしまったな」


 朗らかな口調で言って、先ほどの風が捲り上げていったショールを掛け直してくれる。

 私は「いえ」と小さく言って首を左右に振った。


「少し冷えてきたな。美夜の身体に障りかねないから、一度部屋に戻ろうか。

何か温かい飲み物を用意しよう」


 もやもやとした気持ちを抱えながら、その提案を拒否する理由もないため頷いた。

 車椅子を押して少し歩いたところで、陛下は独白のように呟いた。


「美夜に初めて会ったのもその頃だった」

「え……?」


 そういえば、陛下はもっと昔に「私」に会ったことがあると言っていた。

 でも、具体的なことはまだ何も聞いていない。知りたいと思いながらも、すんなり話してくれるかどうか自信が持てなかったのだ。


「父が幽閉されることが決まった時、俺は……然るべき結果だと理解していても、それでも気落ちしたものだ。臣下の見ている前で表に出さないだけで手一杯だった」

「……十分でしょう」

「そう言ってもらえると救われる。ある日、誰にも告げずにこの庭に出ていた。

ここなら限られた者しか出入りしないからな。その時、俺の前に現れたのが美夜だったんだ」


 そう語る陛下の口調は穏やかで、懐かしむような響きが含まれている。

 私は言葉を返すことなく、口を噤む。

 正直、何と言っていいのかわからなかった。


 陛下の口振りからして、幼い彼の前に現れた私は今と変わらない姿だったのだろう。

 私は自分に何ができるのか、まだ全てを把握しているわけじゃないから、時空を超えて彼の前に現れたこと自体はそれほど驚きはしない。


 何より気になったのは、彼の物言いだ。

 特別な思い出とか、とても大切にしている事柄について話す時のそれだと思った。

 私にとって、母から聞いたブラギルフィアの話がまさにそれだった。

 そして、それは誰彼なしに話すようなものではない。


「彼女……いえ、『私』は何と……?」

「あまり多くの言葉を交わせたわけではないが、いずれ未来で俺と出会ってくれるのだと聞いた。

貴女の言葉があったからこそ俺は、その後の人生で何があっても……父を処刑した時も、自分を保っていられたんだ」


 陛下の言葉に耳を傾けながら、私は完全に沈黙していた。

 車輪は滞りなく石畳の上を滑り、心地良い振動を伝えてくる。

 真っ先に思ったのは「私と同じ」ということ。

 私も、母から聞いたブラギルフィアの話やまだ見ぬ父と兄、それに実質的な婚約者である従兄の存在を心頼りに生きて来た。


 第三者から見れば、不確かで実体のないあやふやなものだけど、私にとっては大切なものだった。 

 陛下だってきっと同じだろう。


 陛下は私のことを好きな筈だ、これは何度も思ったことだけど、実際にはそうではなかった。

 たった今、そのことに気付いた。

 ただ好意を抱いている、かわいいと思っている、彼が私に抱いている想いはそんな次元ではない。


 まさに、運命の人と呼ぶべきだ。


 室内まであと数メートルというところで、私は少し止まって欲しいと呼び掛けた。

 陛下は車椅子を止めると同時に、私の眼前へと回り込むと心配そうに覗き込んだ。


「どうした? どこか痛むのか?」

「ええ、少し」


 小さく頷き、それから相手の顔をじっと見上げる。

 次にどうするか、明確なことを決めていたわけではない。


「揺れのせいか、少し気分が、ちょっと。あの、抱き上げていただいても?」

「ああ、わかった」


 陛下はあっさりと私の要望を呑み、「失礼する」と言って座面と私の身体の間に手を差し入れる。

 そのままゆっくりと、損傷した部分に触れぬよう、慎重に抱き上げる。


「このほうが、座ったままでいるより何もかもがよく見えますね」


 そう言って、右腕を陛下の首に回すと同時に身体を寄せる。

 陛下が小さく息を呑む気配があった。鼓動が速くなったように思うのは、きっと気のせいじゃない筈だ。


「……では、部屋に戻るまでこのまま我慢してくれ」

「そのことなのですが、もう少しだけ庭にいてもよろしいでしょうか?」

「いや、それは」

「やはり重いですか?」

「別に重くはないが……そうだな、もう少しぐらいなら」


 陛下は躊躇う様子を見せたものの、結局は私の要望を呑んでくれた。

 何とか承諾してもらうことに成功したけれど、別に庭に留まることが目的ではない。

 かと言って、こうしてくっつくことが目的というわけでもなく、あくまでこれは手段である。


「……陛下」


 顔を上げると、改めてその距離の近さにたじろいでしまう。

 それでも己を鼓舞して、平静を装いつつ呼び掛けた。


「先ほどのお話なのですが」

「……ああ」


 言う間でもなく、私は全く男性慣れしていない。

 駆け引きなんかしたこともないし、完全に未知の世界だ。

 自分が何をしようとしているのか、どうするのが正解なのかわからないまま、後に引けないことは確かだった。


「陛下の仰ることはもっともだと思います。子を引き取って育てるとは、口で言うほど容易いことではなく、養父母も私のためにそれなりに頑張ってくれてはいるのだと思います。多分。私も私なりに、生まれ育った世界で目標を持っていたりもして、それを達成するべく努力を重ねていたわけで、それらは簡単に捨てられるようなものではありません」


 辿々しい口調で紡ぐ言葉を、陛下は途中で遮ったり急かしたりすることなく、耳を傾けてくれた。

 相手の顔を直視できなくて、けれどもずっと目を合わせないのも失礼な気がして、時折視線だけを持ち上げる。


「ですが、それでも私はここにいたい。本来生まれる筈だったこの世界こそ私の居場所であると、私にはそう思えるのです」

「美夜」


 陛下が、躊躇いと困惑を帯びた口調で私の名を呼んだ。

 でも、それに続く言葉は出てこないようだ。

 私は、「それに」と続ける。


「ここには兄もいます。母からその存在を聞いて以来、私はずっと彼に会いたかった。

あまり表には出そうとしませんが、兄もまた私に会えて嬉しいと言ってくれました」


 そう言っていたのは事実だから、あながち嘘でもない。

 ただし、感動とは凡そほど遠い棒読みだったけど。

 でも、陛下を救う手立てになるのなら、彼は私の存在を歓迎する筈だ。


 顔を伏せているため、陛下の表情は伺えないけれど、迷いらしきものが感じられる。

 そこに手応えを感じた私は、少しばかり勇気付けられた。


 ここ数日に渡り、両親のことや自分の出生の秘密、母が従兄と交わした約束について考えた。

 完全に折り合いを付けられたわけじゃないけれど、そのいずれも自分の気持ちとは全く関係ないというのが、私の出した答えだった。


 祖父母であるアークヴィオンとテオセベイアの思惑に始まり、アルヴィースが母を利用したことで私は生まれた。

 そこにどんな感情があったにせよ、私という存在が生まれた事実には変わりない。

 本来なら二百年前のブラギルフィアに生まれ、そして死んだ筈だった。

 もしかしたら、それこそ故エレフザード陛下と結ばれてミストルト王家の直系の子を産むこともありえたかもしれない。


 でも、結局はそうはならなかった。

 そこに至る経緯や絡んだ思惑はどうあれ、私が出会ったのは、目の前にいるエレフザード陛下である。

 テオセベイアの孫であり、巫祈術の才に長けた私はクラヴィス=クレイスなどより神使に適した人材だ。

 そして何より、これが最も重要なことだけど、私はエレフザードに惹かれている。

 絶対に離れたくない。

 私がブラギルフィアに留まらない理由があるだろうか?

 そして、私の選択は私だけのものであり、祖父母も両親の事情も関係ない。


 ここからが本番だ、と私は一層気を引き締めた。

 私は陛下に気付かれないように深呼吸し、気持ちを落ち着けつつ口を開く。

 恐る恐る視線を持ち上げると、金色の双眸と視線が絡んだ。


「……何より、私は陛下のお側にいたい。陛下は私と離れたいのですか?」


 卑怯だと自覚しながら、それでもそう尋ねた。

 彼は、私が元の世界に帰るべきだとは言ったけれど、それはあくまで私のためを思ってのことだ。

 私を厄介払いしたいなどとは思っていない。

 そこに付け込むため、敢えてこんな言い方をした。


 風が湖面を掻き乱すように、陛下の瞳が揺らぐ。

 彼は何かを言いかけて、それから口を噤んだ。


「そうではありませんよね?」


 私は小揺るぎもなく、陛下の目をじっと覗き込んだ。

 その視線の強さに、陛下がたじろぐ様子が伝わって来た。

 恐る恐る彼の頬に触れると、驚きこそしたけれども拒絶の意思は感じられない。

 ああ、心臓が壊れてしまいそうなほどに早鐘を打っている。

 既に緊張が限界に達した私は、自分でも驚くほど大胆な行動に出た。


 ぐ、と首を伸ばして一気にお互いの顔の距離を近付ける。

 そして、確かな手応えを感じた。

 正しいやり方なんかわからなくて、ただ一般的な知識に従っただけに過ぎない。

 どのタイミングで離れるべきか、どのぐらい続けるべきなのかは、完全に私の知識の範疇外だ。


 その行為をいつ止めたのかわからないけれど、とにかく、聞こえた声に心臓が止まりそうなほど驚いたことだけは確かだ。


「陛下、失礼いたします」


 おずおずとした、遠慮がちな声。

 けれども、私を心臓麻痺で殺しかけるには十分すぎた。


 勢い良く振り返ると、すぐ近くにシルウェステルがいた。

 ああ、そうだった、この従騎士の存在を今の今まで忘れていた。

 酷く決まり悪そうな様子からして、今の出来事を見ていたと考えて間違いない。

 更に、彼の後ろに控えるようにマティルダが控えている。

 彼女は完全な無表情で、どこまで見ていたのか判断が付かない。


「どうした、シルウェ。それにマティルダも」


 彼らに向き直った陛下からは、先ほどまでの動揺は完全に消え去り、既に主君の顔になっている。

 マティルダが一歩前に歩み出て、跪き頭を垂れる。


「陛下、お邪魔立てして申し訳ありません。今すぐクラヴィス様のところへ行っていただけますか」

「まさかクラヴィスが? ……わかった、すぐに向かう」


 マティルダの声音には重苦しい緊張感が漂っていた。

 陛下はそれだけで事情を察したらしく、すぐに頷いた。


 それからすぐに陛下は私を部屋に連れ帰り、慎重な手付きで寝台へと戻すと、申し訳なさそうな面持ちを向けた。


「美夜、悪いがもう行かなければならない。すぐに人を呼ぶから待っていてくれ」

「は、い。……あのっ、クラヴィス様のところへ行かれるのですか? 私も行ってはいけませんか?」


 咄嗟にそんなことを口にした私は、慌てて付け加える。


「以前、あの方が発作を起こされるのを見ました。もしかして、私にもできることがあるのではないか、そんな風に思うのですが……」


 後半になるにつれ、言葉は尻すぼみになっていった。

 別に私はクラヴィスを案じているわけではない。

 けれども、あの女は何だか気になる。

 正確には、彼女が内包するアトロポスという人格がというべきか。

 あの人格は、本当にクラヴィスという女の妄想の産物なのだろうか。


 ついでに言うと……あくまで「ついで」だけど、陛下がクラヴィスと会うことには大いに反発を感じた。

 けれども、陛下は首を横に振った。


「いや、駄目だ」

「ですが、その……理由を聞かせていただいても?」

「危険が伴う」


 陛下は有無を言わせずにきっぱりと言い放った。

 危険?

 それはどういうことだろうか。


 気になったけど、今の陛下の様子からして追及できるような雰囲気ではない。

 そう読み取った私は、お気を付けてと言って見送ることにした。

 邪魔立てしたシルウェステルとマティルダには腹が立つけれど、陛下を責めるわけにはいかないもの。


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