48話「失えば二度と手に入らない」
仕方のないことだわ、自分にそう言い聞かせながら、陛下に気付かれないよう小さく嘆息した。
それから、陛下へと視線を向ける。
彼は今、しゃがみ込んで地面に生えた草花を摘み取っている最中だ。
「美夜、見てくれ。良いものを見つけた」
私の側へと戻って来た彼は、嬉々とした様子で手に持ったものを見せてくれる。
私は「まぁ」と顔を綻ばせた。
陛下の手にあるのは、ごく小さな四つ葉のクローバーだ。
他にも、押し花にするのに適した小さな花も集めてくれたみたい。
「四つ葉のクローバーですね」
「ああ。運良く見つけられた」
「やはり、こちらの世界でも幸運の象徴とされているのですか?」
「ああ、四枚目の葉は幸運の印だと聞くな。
四つ葉のクローバーを持っていると、幸運をもたらし厄災から守ってくれるという俗説がある。
美夜が元いた世界でもそうなのか?」
「はい、そのようによく言われますね。……あながち、迷信でもないようですが」
後半の言葉は、吐息に忍ばせるように呟いた。
意図した通り陛下には聞こえなかったようで、彼は集めた花を私に手渡す。
その際に指先が触れて、心臓が小さく跳ねた。
陛下が私に幸運の象徴である四つ葉のクローバーをくれる、これ自体がまさに幸運だ。
私はお礼を言ってそれらを受け取り、そして陛下にしか聞こえない声で囁いた。
これから話すことは、シルウェステルには聞かれたくない。
距離があるためそうそう内容まで聞き取れないとは思うけど、念のため陛下との距離を縮めた上で話したい。
別に下心のようなものがあるわけでは……ない、とも言い切れない。
「陛下、少々よろしいですか?」
「ん……?」
彼は腰を屈め、私と目線の高さを合わせた。
必然的に近くなった距離に緊張しながら、言葉を紡ぐ。
「この庭は亡きテオセベイアの好んだ場所とのことですが、彼女の血を継ぐ者は二百年の時を超えて戻って来ました」
彼はすぐに答えようとせず、口を開いたのは数拍置いてからのことだった。
「……そうか。アスヴァレンから聞いたのだな」
「はい。アストルフォ兄様から全て伺いました」
私がアスヴァレンをそう呼んだことで、どこまでを知ったのか理解してくれたみたい。
私と彼が兄妹であること、私たちの父親のこと、陛下は全て知っている筈だ。
彼は僅かに苦笑して私を見つめる。
「黙っていてすまなかった」
「それは構いませんが、理由を教えていただけますか?」
「理由か。何を言っても詭弁でしかないが……」
申し訳なさそうな面持ちで言葉を濁す。
それから、意を決したように改めて口を開いた。
「美夜を巻き込みたくなかった、というのが全てだ。
俺の先祖……いや、ミストルト王家は、貴女の母上に対して随分と酷い仕打ちをした。
それを知らせずにいたのは、卑劣と責められて当然だと理解している。
しかし、美夜がこの世界に来てしまったのは、謂わば事故のようなものだ。
ならば、何事もないままいつもの日常に戻れるのが美夜にとっての最善だと思ったんだ」
「……つまり、私がこの世界に来たことそのものをなかったことにできれば、それが一番ということですか?」
「ああ、そうだ。母上のみならず美夜まで、こちらの事情に巻き込むわけにはいかない。
それがこんなことになってしまって、本当に申し訳ない」
そう言って、痛ましそうな目で欠損した四肢を見つめる。
そんな彼に対して、私は何とも言えないもやもやとした感情が内で暴れるのを感じていた。
「別に、手足がなくなってしまったぐらい、どうということもありません」
私は陛下を責めたいわけでも、謝罪が欲しいわけでもない。
気に病まないで欲しい、という想いを乗せた言葉は突き放すような物言いになってしまう。
「巻き込む訳にはいかない、だなんて、どこまでも私を部外者扱いなさるのですね。
私だってミストルト王家の一員であり、何よりテオセベイアの孫です」
「ああ、その通りだ」
意外にも彼はあっさりと首肯した。
「確かに、本来なら美夜はこの世界で生まれ育った筈だ。しかし、そうはならなかった。
そして、既に美夜には美夜の居場所や人生があり、帰りを待つ人がいる」
「そんな人はいません」
私はきっぱりと否定した。
これまでの人生で、家庭内での精神的な虐待があまりにも辛かった時期に、児童相談所に電話をかけたことがあった。
あるいは、学校の先生に悩みを打ち明けたりもした。
その結果、他人など全く頼りにならないことを思い知った。
役員や先生は、私の話に耳を傾けてはくれたけれど、最終的には「貴女のご家族は貴女を心配しているからこそ口うるさく言うのです」といったテンプレートのような綺麗事で話を終わらせた。
家族は愛し合わねばならない、家族はお互いを大切に想って当然、こういった固定観念は、それこそ呪いのように多くの者の潜在意識に刷り込まれている。
故に、私みたいに「家族から虐待を受けている」という未成年がいれば、先ずはそれが何かの間違いだと思い込みたいのだ。
虐待に関するニュースを見て「何て酷いことを」と義憤を感じても、彼らにとってそれはあくまで自分とは関係のない場所での出来事でなければいけないのだ。
陛下は決して愚かではないけれど、自身が聖人君子だからこそ、隆俊伯父や倫香のような者たちの悪意が想像できないのだと思う。
愛情と善意に包まれて育った彼にとって、それらは未知の領域なのだ。
「唯一、私を愛してくれた母は幼い頃に亡くなり、今は伯父夫婦のところで暮らしていますが、あの人たちにはずっと厄介者扱いされています。
四百人中四位という成績を取っても、馬鹿にされるのです」
「四百人もいる中で四位とは凄いな」
陛下は賞賛を口にしたけれど、そんなものでは誤魔化されない。
彼は僅かに目を伏せると、躊躇いがちに言葉を紡いだ。
「そうか。ミオコ殿は……辛かったな」
「……別に」
頭を撫でる手の温かさを感じながら、私は短く呟いた。
そういえば、そんな風に言われたのは初めてだったと今更に思う。
アスヴァレンは母の現状など聞こうともしなかった。
普通なら「元気にしている?」ぐらい聞いても良さそうなものなのに。
あの男は、本当に自分の親のことさえ関心がないのだと改めて実感する。
「今のご家族とは、あまり上手く行っていないのか」
「はい。あまり、というか全く」
小さく頷きながら、もしかすると陛下の心境に変化が現れたのではないかと期待を抱く。
ならばこの好機を逃すわけにはいかない、そんなことを思っていると陛下が再び口を開いた。
「家族、というのは難しいものだな。
血縁、あるいは別の理由でそう呼び合う仲になった者同士とは言え、あくまでも他人だ。
お互いの価値観や信念の違いで反目し合うことがあっても、家族という絆は本人たちの都合だけで解消できるものでもない。
時には、まるで呪いのように思うことさえある」
淡々と、まるで独白のように語る。私は少しばかり驚きながら、彼の話に聞き入っていた。
「これは俺の想像だが、美夜は今までに自分のご家族について誰かに相談を持ちかけたことがあったのでは?」
「……はい、ありましたけど」
「しかし、まるで美夜がご家族に反抗しているかのように言われて終わった」
思わず目を大きく見開いて彼を見つめた。
「その通りです。よくわかりましたね」
私の視線を受け止めながら、陛下は苦笑を浮かべる。
けれど、そのことについてはそれ以上話すことなく、私から視線を外して遠くを見つめる。
次に彼が語り始めたのは、数拍置いてからだった。
金色の双眸が私を捉える。
「それでも俺は、美夜が元の世界に……ご家族のところに戻ることを望む」
「え……」
「美夜が反発を覚えるのも無理はないだろう。
それでも、そう易々と捨てて良いものではないと思う。ご家族のことも、これまでの人生も。
何故なら、今の美夜を形作ったのはそれらだからだ」
そう言われても、やはり納得はできなかった。
それでも、陛下のことを見誤っていたという思いもあって、彼の言葉をただの綺麗事だと撥ね付けることもできず、じっと聞き入る。
陛下は、ただ無邪気に性善説を信じている人ではないようだ。
「今まで美夜は辛い思いをたくさんして来た。
……こう言うと美夜は嫌がるだろうが、貴女を育てた伯父上が悪い人物とは俺にはどうしても思えない。色々と反発を覚えることはあっても、家族というのは失えば二度と手に入らない。向き合う努力は、必要だと思う」
いつになく辿々しい口調だった。
特に後半は口にするのも心苦しそうで、目を伏せながら言った。
陛下の言う通り、私はその言葉をすぐに受け入れられそうにはないけれど、かと言って反論することもできずにいた。
そういえば、今まで陛下から両親に関する話を聞いたことがない。
前に一度、国王にしては若すぎること、先王はどうしているのか気になったことがあったけれど、それきり忘れていた。
さすがにこれには触れるべきではない、そんな思いとは裏腹に私はその問いを口にしていた。
「陛下のご両親は……」
「今から六年前に死んだ。俺が死刑に処した」
陛下の口調は平静そのものだった。
その口調に反してあまりにも衝撃的な内容に、私は言葉を失ってしまう。
「彼は俺が九つの頃に大罪を犯し、それから七年間幽閉されていた。
王家の者を処刑できるのは現当主のみで、ベレス陛下にさえその権限はない。
俺が成人の儀を終え、即位してすぐに処刑を決行した」
私は呼吸することも忘れ、彼の話に聞き入っていた。
何か言わねばと口を開きかけたけれど、何一つとして言葉を発することができない。
「先王を……実の父を処刑したことへの後悔は全くない。彼はそれだけの罪を犯したのだからな」
そこで一度言葉を切り、一拍置いてから「しかし」と口にした。
「俺にもっと何かできることがあったのではないか、父が罪を犯さずに済む方法もあったのではないか、そう考えずにはいられなかった。いや、考えてもせんのないことなのだが」
そう言って陛下は少しだけ笑った。
それは何とも寂寥感のある笑みで、私は胸を締め付けられるような気がした。
その当時、彼はたった九つの子供だったのだ。
先王が犯した罪というのが何であれ、彼が自責の念を感じるべきことではないと私は考える。
けれども、年齢を言い訳にしないのはそれだけ重い責任のある立場故か、あるいは元来の性格故か。
きっと、後者だろう。
私は陛下の手に、自分の手をそっと重ねた。
「別に、陛下のせいというわけでは……」
ぼそぼそとした声で、それだけ言うのがやっとだった。
それでもそこに乗せた想いは伝わったのか、彼は「そうか」と短く言って、私の手を握り返してきた。




