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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第三章
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45話「私たちの従兄」

 それを聞いて、頭を強く殴打されたような錯覚を覚えた。

 私にとっては、それほどの衝撃だった。

 言葉を失うどころか、一時は呼吸の仕方さえ忘れてしまう。

 心臓が早鐘を打ち、息が苦しくなってくる。

 酸素を取り込もうとしても、身体が上手く受け付けてくれない。


 こうして寝台の上にいなければ、今頃その場に崩れ落ちていたことだろう。

 ……いや、よく考えたら、今の身体では自立することさえ困難なのだけど。


 在りし日の母の言葉が、あの屈託ない笑顔と共に蘇る。


「父は……アルヴィースは母のことを愛していたのではなかったのですか?」

「えー? 真っ先に聞くことがそれかい?」


 アスヴァレンの声音には、隠す素振りもない呆れが滲んでいる。

 けれども、真っ直ぐに見詰める私の視線にたじろいでか、決まり悪そうに視線を反らす。


「タイミング良く現れた稀人なら、誰でも良かったように聞こえます」

「や、どうかな。愛とかそういうのはよくわかんないけど、多分それなりに気に入ってたんじゃないかなー?あー、うん、愛してたって言っても過言じゃないっていうか。やっぱり愛してたかも」


 珍しくしどろもどになりながら言って、それから「……多分」と小さく付け加えた。

 そう聞いても、すぐには納得できそうにない。

 私の父は国王陛下の弟で、母は彼に見初められ、そして二人が愛し合って私が生まれた。

 ずっとそう信じ続けて来た。

 だからこそ、口さがない者たちが、私の父は犯罪者だとか私は望まれない形で生まれた子だとか、無責任なことを言い散らしても耐えられたのだ。

 

 なのに、今の話を聞く限りでは、母はまるで……。


「体のいい実験動物のようですね」

「えーっと……」


 抑えようとしても抑え切れない怒りと悲しみ、それらが混ざり合って口調に滲み出た。

 アスヴァレンは口籠り、視線を彷徨わせながら頬を掻く。


「あー、でもミオコは僕が覚えてる限りいつもにこにこ笑ってたよ?」

「でしょうね。私が知っている母もそうでした。でも、だからと言って幸せだったかどうかはまた別問題です」

「う、うん」


 アスヴァレンが曖昧に返答した後、何度目かの沈黙が落ちる。

 押し黙る私に対し、アスヴァレンは所在無く立ち竦む。

 弱り切った素振りをしながら、面倒臭そうな様子を隠し切れていないことに腹が立つ。


「あー、何かさ、言い方が悪かったよ。愛とか恋とか、君にとっては重要なことなんだね?」

「重要といいますか、その……兄様は違うと仰るのですか」


 敢えてそう呼んでやると、案の定、彼は顔を引き攣らせた。


「僕はあまり興味がないっていうか、男女愛とかそういうのは全然理解できないな」


 何の衒いも頓着もない口調でアスヴァレンは言った。

 そういえば、先ほどテオセベイアが子供を欲したと話した時も、それを馬鹿げたことのように捉えていたっけ。


 彼には、そういった心の機微は理解の範疇外なのかもしれない。

 私の思考に被せるように、アスヴァレンが言葉を紡ぐ。


「僕にはアークヴィオンの野心も、テオセベイアの気持ちも何一つ理解できない。第二のテオセベイア創造計画なんかどうでも良くて僕はただ、兄上と共に生きたかった」


 独白のような静かな声だった。

 それ故に、虚を突かれたような思いでアスヴァレンを見る。

 彼はここではないどこか遠方を見つめるような、茫洋とした目をしている。

 それから、ぽつりと小さく付け加えた。


「ま、アークヴィオンのあの馬鹿げた計画がなくちゃ、そもそも僕は存在してなかったんだけどね」


 静かな、それでいてどこか投げ遣りな口調だった。

 まるで、そうなることこそ正しかったとでも言うかのような。

 決して気が収まったわけではないものの、幾らか毒気を削がれた私は自ら話題を切り替えた。


「では、それが……人の手で第二のテオセベイアを創り出した代償が、ミストルト王家の呪いなのですか?」

「そう」

「そんな……! 元凶はアークヴィオンで、陛下は関係ないではありませんか!」


 思わず声を荒げる私に、アスヴァレンは淡々と……そして、どこか疲れた声で答える。


「うん。君の言う通りだね。六柱の神々は、元よりミストルト王家を快く思ってなかった。アークヴィオンが禁を侵したことで神々の怒りは頂点に達し、彼の所業を裏切りと見做し、ブラギルフィアをアヴィスの闇へ堕とそうと決めた」

「では、それが二百年前に起きた災厄……」

「その通りだよ。主神は、身を挺して六柱の神々を止めることに成功したけれど、それによって力の大半を失っちゃって今は眠りに就いてる。ブラギルフィアが丸ごとアヴィスの闇に呑まれることまでは回避できたものの、空間にはいくつもの大きな穴が空き、そこから夥しいまでの禍女が押し寄せて来た。アークヴィオンとテオセベイアは命と引き換えにアヴィスとの間に障壁を張ったけど、既にこっちに現れた禍女は残ったままだ」

「だから、アルヴィースは母を元の世界に帰したのですね」


 先ほど、私はアルヴィースの……いや、母の記憶の断片に触れた。

 転移装置は、一人を転移させるのが限界だった。

 そして彼は既に生まれた息子よりも、お腹にいる私を……第二のテオセベイアを優先した。

 それこそがアークヴィオンとテオセベイアの遺志だったのだ。


「アルヴィースはどうなったのですか?」

「わかんない」


 特に悲しむ様子もなく、彼は首を左右に振った。


「彼の生死及び行方については、何の記録も残ってないからね。ま、アークヴィオンよりは長生きしただろうけど、どこかで死んじゃったんじゃないかな?」


 自分の父親のことだというのに、まるで余所事のような口調だ。

 実際、アスヴァレンにとってはそうなのだろう。

 彼にとって重要なのは、エレフザード陛下だけだ。


 その時、ふと、あることに思い当たった。

 母がよく話してくれた、私の従兄にあたる少年の名はエレフザード。

 名前が同じだからというだけには留まらず、陛下のことを知れば知るほど、母が語った従兄とイメージが重なっていく。

 もしかすると、私たちの従兄はエレフザード陛下に似た人物だったのかもしれない。


「アスヴァレン、兄上というのは、もしかして私たちの従兄のことなのですか?」

「うん、僕たちの従兄でエブラールの息子、英雄王エレフザード。ああ、エブラールはアークヴィオンの第一子で、僕たちの伯父だよ」


 そう語る彼の顔は誇らしげで、「兄上」を……従兄を慕っていたのだということが伺える。

 けれども、そこに陰りのようなものが見え隠れするのは気のせいだろうか。


 ある疑問が脳裏を過り、一瞬の逡巡の後、それを口にした。


「私たちの伯父と従兄はどうなったのですか」

「んー」


 彼はすぐには答えようとせず、白衣のポケットを探り出す。

 表面のポケットは既に空っぽだったようで、裏側のポケットから取り出した小さなお菓子を口へと放り込んだ。


「あの頃、アークヴィオンとテオセベイアのやらかしのお陰で、世界は滅茶苦茶だったからね。禍女が跋扈し、いくつもの村々が破壊された。何とか逃げ延びた連中を王都で匿う内に、明らかな人口過密状態で食料は不足し、治安は急激に悪化。それを好機と見た周辺諸国からの攻撃。そんな中、エブラールは病死したっけ」


 アスヴァレンは、どこまでも淡々とした口調で語る。

 もしかすると私は、彼に残酷な仕打ちをしているのではないか、そう思いながらも続く言葉を待った。


「そんな中、兄上は最期まで騎士の中の騎士だった」


 そう聞いた瞬間、私は詰めていた息を吐き出した。

 以前、アスヴァレンは私に「愛する人の命と望みとどちらを優先するべきか」と問いかけた。

 おそらく、あれは最愛の従兄を失ったことに起因した問いかけだったのだ。


 とは言え、さすがにこれ以上この件に触れる気にはなれない。

 その一方で、従兄について嬉しそうに話していた母の顔が心に浮かぶ。


「母は、彼を……私たちの従兄を、とても好いていました。まだ小さいのにとても賢くて、優しくて、美夜ちゃんもきっと好きになる。そう語ってくれました」

「ん。だろうね」

「そして……」


 口に出そうとした言葉を、私は途中で呑み込んだ。

 何となくアスヴァレンには、というより他の誰にも聞かせたくない、そんなことを思った。

 幸いにして、アスヴァレンは特に追及しようとはしなかった。


「でもね、長い年月を経て兄上は僕のところに戻ってくれたんだ」

「え?」


 アスヴァレンの纏う空気が一変した。

 いつもの気怠そうな彼ではなく、エレフザード陛下を前にした時の彼だ。

 私は彼が何を言っているのかわからず、目を瞬かせる。


「戻ってくれた、とは……」

「エルだよ」

「陛下が? あの、それはどういう……」


 まさか、と胸中で呟く。

 脳裏を過ったのは、輪廻転生とか生まれ変わりといった言葉だ。


 でも、それらはあまりにも非現実なことのように思える。

 私の疑念と困惑を読み取ったのか、アスヴァレンは呆れたように肩を竦めた。


「信じてない、って顔だね?

僕も若い頃は、そう、君ぐらいの年のことはそんなの信じてなかったよ。

肉体が滅んだ後、巡り巡って魂がこの地に戻って来るなんてさ。

でも、事実なんだよ。

これはアルヴィースから受け継いだ特性なんだけど、僕にはその人が内包する魂が視えるんだ」


 そう言うと、彼はすっと目を細めて私を見つめる。

 何だか本当に、「魂」を見透かされているみたいで落ち着かない。


「では、その、陛下は英雄王エレフザードの……私たちの従兄の生まれ変わりなのですか?」

「うん、そういうことになるね。エルは兄上で、兄上はエルだよ」


 そう答えたアスヴァレンの声音は弾んでいた。

 けれども、その話を聞いた私は彼とは対照的に、名状し難いもやもやとした感情を抱いてしまう。

 アスヴァレンの陛下に対する愛情は疑う余地もない。

 兄上と呼び、心から慕っていた人の生まれ変わりだとすれば、腑に落ちる話だ。


 にも関わらず、彼が陛下と従兄を同一視していることに違和感を禁じ得ない。

 何かを言いかけて、けれども言うべき言葉が見つからなくて、結局は口を閉ざした。

 いや、そもそも私が口出しすることではないのかもしれない。


「そうなのですか」


 それだけ言って、大きく息を吐き出すと共に身体をシーツへと沈める。

 言葉を交わす行為はそれなりに体力を消耗するもので、ましてや重症患者の身なら尚のことだ。

 アスヴァレンも、そのことに思い至ったらしい。


「さすがに喋り過ぎたかな」

「……そうですね。疲れました」

「さっき投与した薬は十分朝まで持つ筈だよ。眠れそうにないなら、入眠剤もあげるけど?」

「いえ、その必要はなさそうです」


 知りたいと思っていたことを知ったとは言え、それらは必ずしも期待した通りの内容ではなかった。

 頭の中に詰め込んだ情報を一度整理する必要があり、そのためにも身体が休息を欲しているのがわかる。

 アスヴァレンの周囲に浮かんでいた光球が、その輝きを弱める。


「治癒の儀式に臨むには、それなりに体力を必要とする。今は回復に専念するといいよ」


 いつになく穏やかな声が、眠りの淵に落ち行く私の意識に届いた。

 はい、と答えたつもりだったけれど、果たしてそれは彼に聞こえただろうか。


「一刻も早く元気になって、そして……自分の成すべきことはわかってるね?」


 最後に、そう聞こえた気がした。

 小さく頷いた後、今度こそ私は眠りに就いた。


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