43話「交歓の儀」
「先に言っとくけど」
そう前置きして、アスヴァレンはもう既に何個目かわからないドーナツを口に入れた。
咀嚼及び嚥下の後、再び口を開く。
「エルは僕に、余計なことを言うなって釘を差した。そして、僕もその通りにするつもりだ」
「は、はぁ」
いったい何の話なのかよくわからない。今のところは口を挟まず、彼の言葉に耳を傾ける。
「でも、やっと会えた妹と兄妹水入らずで交流するのはいいってさ。だから、これから話すことはぜーんぶ兄妹間の交流の一環さ」
「ああ、はい……」
ようやく、アスヴァレンの言わんとすることが見えてきた。
陛下は私が何も知らず何にも関わることなく元の世界に帰ることを望んでいる。
そういえば、私がアスヴァレンと接触した後も、彼が何か言っていなかったか随分と気にしていた。
そして、常に陛下の意思を尊重してきたアスヴァレンだけど、ここに至ってその姿勢を崩すことにしたようだ。
そのための方便が「兄妹の交流の一環」ということか。
……逆に言えば、アスヴァレンがそうせざるを得ないほどに陛下の容態は悪化しているということだろう。
「あの、陛下のご様子というか今の容態は、その……」
「君の手足を再生する儀式を終え次第、左腕を切断するってさ」
「えっ!」
まるで、明日の朝食の内容でも伝えるような軽い口調だった。
その口調に不釣り合いな言葉に、私は言葉を失う他なかった。
「因みに、これも決定事項だよ。ま、以前からエルはこの選択肢も視野に入れてはいたけどね。改竄がこれ以上進む前に斬り落とせば、命は繋げるかもしれないし繋げないかもしれない」
「そんな……」
深刻な事態になっていると予想はしていたけれど、私の予想を遙かに上回っていた。
そうだ、そういえば陛下の記憶を覗き見た時、「斬り落とす必要はなくなった」と言っていたことを思い出す。
つまり、十七歳の頃から既にその選択肢もあったのだ。
それを回避したのは、アスヴァレンが開発した薬だった。
サヤカの一件以降急速に進行したようだけど、それより前から呪いは陛下の身体を蝕んでいた。
そんな素振りなど全く見せなかったけれど、彼は常に死と隣り合わせだったのだ。
私は心臓を強く掴まれたような苦しさを覚える。
「……それで、私にできることは?」
「交歓の儀」
アスヴァレンの返答は簡潔で、そしてあまり馴染みのない言葉だった。
私はきょとんとしながら、「こうかんの、ぎ」と反芻する。
交換、好感……いや、どれも違う。
最も適している言葉に辿り着くと同時に、それに付随するイメージが脳裏に浮かんだ。
それは、つまり、まさか……。
かぁ、と頬が熱くなるのを感じた。
でも、もしかしたら早計かもしれないし、そんなことを思いながら最初に考えた通りなのだろうという確信もあった。
「それは、その。私の血統、姫神の孫ということに関係しているのですか」
「ふぅん? 意外と理解が早いじゃないか」
遠回しな肯定に、「やっぱり」と改めて確信する。
私は綺麗で頭も良い。
どこぞの少女小説の主人公じゃあるまいし、空気を読まずに「交換の儀って、何を交換するのですか?」と天然ボケ発言をかますような愚かな真似はしない。
それに、各国の神話や伝説への造詣も深い。
アフロディーテ、フレイヤ、イシュタル……人々に愛されし女神というのは、官能的な側面も強い。
もしかしたら姫神テオセベイアにもそういう側面があるのでは、そう考えた。
男女の交わりとを神聖な行為だと見做し、巫女のような立場の女性がそれを務める時代もあった。地上で人々と共に暮らしていたテオセベイアが、そういった役割を担ったとしてもそう不思議ではない。
「アヴィスの闇……病魔に侵される、っていうんだ。こういう症状のこと」
「人体のエーテル構造式を改竄することを、ですか?」
「うん。ミストルト王家が呪いを受ける前から、そういった原因不明の事例はあったみたいだよ。アヴィスの闇が意思を持って、その者を深淵に引きずり込もうとしている、そう考えられてきた。そして、その症状が現れた者に対してテオセベオイアは交歓の儀を執り行った。テオセベイアと交わり、その神性を内に取り込むことで、病魔を退けてエーテル構造式を正常に戻したんだ。……記録も、いくつか見つけた」
一拍置いてから発したその言葉には、どこか苦渋の響きがあった。
「テオセベイアは、強力な巫祈術の使い手でもあった。アヴィスは人の身では踏み込めない場所であり、どこまでも続く深淵。……そして、巫祈術は深淵を制することができる唯一の手段だ。無傷でアヴィスを渡りきったこと、綻びや病魔を視ることができる目を持っていることからして、君は稀代の巫祈術師だよ。冗談抜きで、テオセベイアに匹敵する存在かもしれない」
女神に匹敵する存在。そう言われて悪い気はしないけれど、今は浮かれている場合ではない。
「私が……テオセベイアの孫たる私が交歓の儀を行うことで、陛下のお命は助かるのですか」
沈黙が落ちる。
今度は、お菓子を食べる音さえ聞こえてこない。
球体は低い場所に浮かんだまま制止し、彼の顔は影になっていて表情を伺うことができない。
やはりか、と私は確信する。
アスヴァレンとしても確証はなく、まさに藁にも縋る思いなのだ。
記録に残っている事例は、原因不明だと彼は言った。
それらの症状が交歓の儀を行うことで回復したのだとしても、陛下の場合は呪いなのだ。
何より、私はテオセベイア本人ではなく彼女の孫である。
もちろん不安はある。
それでも、私の心は既に決まっている。
「……わかりました。やってみせます」
「うん」
アスヴァレンの返答は、素っ気ないほど簡潔だった。
別に構わない。
私は彼のために行動するわけではなく、他ならぬ自分の意思で動くのだから。
陛下にそういう話を持ちかけるのは、なかなかに勇気のいることだけど、私なら大丈夫。
きっと、できる……筈だ。
……考えただけで、今から緊張で固くなってしまう。
「ともかく、今は体力を回復させて治癒の儀に臨むことを最優先に考えなよ。治癒の儀は、受ける側もそれなりに体力を消耗する。万全の状態で臨めるように、体力の回復に努めることだね」
「……はい」
そうだ。
彼の言う通り、先ずは自分の身体を元に戻すのが先決だ。
あの不味すぎる薬が効いている内に寝るべきだ、そう思ったけれどもまだ知っておくべきことがある。
「ミストレス王家にかけられた呪いとはいったい何なのですか? 王家を呪っている者の正体とは?」
「……」
「私が何も覚えていないと言って責めたり、陛下の苦しみをわからせるために薬の分量を少なめにしたり、まるで私にも一因があるとでも言いたいかのようです。……二百年前、というのが鍵なのですか?」
思えば、様々なことが二百年前に起こっている。
母がこちらの世界に来てアスヴァレンを授かったのも、テオセベイアが姿を消したのもその頃だ。
それらのことが全く無関係だとは思えない。
アスヴァレンは小さく嘆息した後、ぽつりと呟いた。
「わかったよ。そろそろ眠いけど、話してあげるよ」




