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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第三章
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41話「会えて嬉しいよ、僕のかわいい妹」

「う……」


 全身が熱い。

 それに、疼くように痛む。

 侍女たちが部屋の明かりを落としてから、どれだけの時間が経ったのだろう。

 身に纏わり付くような闇に包まれながら、寝台の中で何度も身体の位置を変えた。

 でも、熱さも痛みも酷くなる一方で、眠気の訪れを妨げる。

 早く寝入ってしまいたいのに。


 何時間か前、陛下たちと入れ替わる形で部屋を訪れた宮廷医師から、治療にあたっての流れを聞いた。

 一ヶ月ほどは従来通りの治療を続け、私の回復を待つ。

 そして、十分に体力が回復したと主治医からの診断が下れば、特別な治癒の儀式を行うとのことだ。

 それから、私の世話をしてくれる侍女たちがやって来た。

 マルガレータは眉根を下げて「王女殿下、お労しい」と口にしながら、私の食事や衛生管理といった世話をしてくれた。


 私が治癒の儀式を受けることに対しての疑問はあるけれど、そうと決めた陛下の意思は固い

 。なら、私にできることは万全の状態でその儀式に臨めるように回復すること。

 そう決意したものの、早くも壁に当たってしまった。

 こうして一人になると、手足がなくなったことへの喪失感や不安感が鮮明になり、心細くなってくる。


 今まで、誰に悪意を向けられようとも、私だけは常に私の味方だった。

 私の足は私の行きたい場所へと運んでくれたし、白くか細い腕はとてもよく働き、私の人生を支えてくれた。

 治癒の儀式と言っても、失った四肢が再生するなど俄には信じがたい。


「……ッ」


 暗闇の中、小さく嗚咽が響く。いつの間にか零れ落ちていた涙が、頬を濡らす。



「かなり辛そうだね」


 唐突に聞こえた声に、心臓が止まりそうなほど驚いた。

 直前まで、何の気配も足音も、衣擦れの音さえしなかった。


「アスヴァレン……?」


 返事の代わりとでも言うように唐突に明かりが灯り、私は思わず目を細めた。

 恐る恐る目を開けると、枕灯ほどの明かりがアスヴァレンの姿を浮かび上がらせる。

 彼の周囲には、ピンポン球程度の大きさの宝珠のようなものが浮かんでいて、それが光源になっている。


「何をしているのですか?」


 私は痛みを堪えながら、何でもないような声で言った。

 その声音が刺々しくなったのは、痛みのせいというよりも、私が寝ている部屋に勝手に入った彼に対する不満故である。


「何してんの、とは随分な言い方だね? そろそろ薬が切れる頃だと思って、持って来てあげたのに」

「それは、その、失礼致しました」


 そういえば、彼は宮廷医師とは違う立場だけど、私の治療に関わるという点では似たようなものだ。

 ならば、部屋に出入りしたからと言って咎めるべきではなかった。

 と、反省を覚えた私に、アスヴァレンはドーナツらしきものを咀嚼しながら言葉を続ける。


「何をしてるかって言えば、薬を切れる頃合いを見計らって君が苦しむ姿を見に来たんだよね。因みに、敢えて夜中に目が覚めるように薬の分量を少なめにしたのは僕の独断だったりして」

「……何のために、ですか?」

「決まってるじゃないか。君に苦しい思いをさせるためだよ」

「そうですか。残念ながら、私は極めて快適です。目が覚めたのは、単に貴方が物音を立てたからです」


 そう言って私は、掛け布団を頭からすっぽり被った。

 手足を切断した痕を中心に、じんじんと疼くような痛みは依然として続いているけれど、この性格の悪い男を喜ばせるのは絶対に嫌だった。

 そもそも、私がこんな苦しい思いをする羽目になった一因は彼にもあるのだ。

 まぁ、一番の元凶はクラヴィスだけど。


「まぁまぁ、そんなにふて腐れない。エルの苦しみが、ちょっとぐらいわかったかい?」

「……」


 陛下の苦しみ? どういうこと?

 その言葉には無関心ではいられなかった。

 一瞬の逡巡の後、私は布団から顔を出してアスヴァレンを見た。


「それは、その苦しみというのは、陛下の左腕に纏わり付く黒い靄と関係があるのですか?」


 先ほどのドーナツを食べ終えた彼は、どこからともなく数枚のビスケットを取り出した。

 次に口を開いたのは、ビスケット三枚を食べ終わってからだった。


「それ、常時視えてるのかい?」

「え? そうですね、ええ、はい。特に、サヤカ……陛下が禍女と呼んだ彼女が現れてからは、より顕著に」


 痛みを堪えながら言葉を紡いだけれど、思った以上に困難だ。

 熱と痛みが身体のみならず精神まで蝕むみたい。

 アスヴァレンは私へと歩み寄り、無色透明な液体の入った小瓶を差し出す。


「何でしょう」

「飲みなよ。解熱と痛み止めを兼ねた薬だよ」


 私はすぐには受け取らなかった。

 辛くて苦しいのは確かだけど、ここで薬を受け取るとこの性悪な男に負けた気がしてしまう。

 やれやれ、とアスヴァレンは大仰に肩を竦めた。


「エルだって君がこれを飲むことを望む筈だよ」


 陛下が、望む。

 それなら、まぁ、仕方ないのかもしれない。

 別に痛みに負けて、アスヴァレンに屈したわけではない。

 私は渋々それを受け取り、中身を一口飲んだ……ところで、思わず吐き出しそうになる。


 はっきり言って不味い。

 いや、不味いという表現では生温いぐらいだ。

 あらゆる苦味とえぐ味を混合したような、タケノコの灰汁を凝縮したような、人間が口にするものではない味がした。

 でも、ここで怯んだりしたら美少女が廃るというもの。

 私は心を遠くして、ただの水を飲むつもりで一気に飲み干した。

 ……とは言え、やはり自分の肉体を騙すことはできなかった。

 凄まじいえぐ味が喉を滑り落ち、身体の内側を蝕む気がした。


「よく飲んだねー」


 呆れとも感心ともつかぬ口調でアスヴァレンが言った。

 それから、不満も露わに溜息をつく。


「身体に悪影響を与える成分を出すことなく、極限まで苦味を引き出すのは苦労したんだよ?

僕の努力を認める気があるなら、もうちょっと苦しんでくれなきゃ」


 ……つまりはわざとということか。

 生憎と、そんな気は皆無だ。嫌がらせのためにわざわざそこまでするとは。


「ま、楽にはなったろ?」


 そう言われて、確かに痛みが引いていくことに気付いた。

 まだ熱っぽさはあるけれど、先ほどまでみたいに疼くほどでもない。


「口直しに食べる?」

「……いただいておきましょう」


 アスヴァレンが取り出したキャンディを、なるべく涼しい顔に見えるように努めながら受け取った。

 包み紙の中身を口に入れてから、まさかこれにも細工がしてあるのではと身構えたけれど、予想に反して優しい甘味が口の中に広がった。


「さっきの話だけどさ、エルの左腕に靄が視えるんだよね?

しかも、あの禍女と交戦してからより顕著になったって?」


 私は躊躇いがちに頷いた。

 他の者に視えないものについて話すのは久しぶりで、抵抗がないと言えば嘘になる。


「なるほど。『目』は僕よりいいみたいだね。しかも綻びも視えたんだよね?」

「アスヴァレンには視えないのですか?」

「明確に視えるわけじゃないけどさ、改竄の痕跡はわかるよ」


 無意識の内に、勝ち誇ったような言い方になったせいか、アスヴァレンはむっとした。

 少しだけ溜飲が下がった心地だ。


「……あれはミストルト王家へ課せられた呪いさ」

「呪い?」

「そ、呪い。エーテル構造式を好き勝手に改竄して、身体を徐々に蝕んでく呪いだよ。その発動条件は不明。父から息子に渡って続くこともあれば、数世代発動しないこともある。エルの父親も祖父も発動しなかったんだけどね」


 アスヴァレンは顔を顰めた。

 呪いとは非現実な概念だけど、それを現実のこととして受け入れている自分に気付いた。


「では、あの黒い靄は呪いが発動したという証……」

「正確には、改竄が進んでる証かな。エルの身体を、深淵の闇へと呑み込もうとしてるんだ」

「アヴィス」

 耳慣れぬその言葉を反芻する。こちらの世界に来てから、読んだ本の中にその概念が登場した。

 この世界は『深淵(アヴィス)』と飛ばれる海の上に浮かぶ島のようなもの、というのが一般的な考え方だ。アヴィスとは抽象的な概念だと思っていたけれど、あながちそれだけではないのかもしれない。

 そこまで考えたところで、私ははっとした。

 空間にできた綻びから、金色の燐光を纏った黒い靄が零れるようにして漂っていた。

 あれは、陛下の左腕に纏わり付いているものと全く同じだ。


「まさか、綻びの向こう側にある空間がアヴィスなのですか?」

「そうだよ。そして、アヴィスの遙か彼方に別世界が存在する。君が来たのも、そんな別世界の一つさ。そして、アヴィスに堕ちた者の大半は魂ごと闇に呑まれて消滅するけど、そうなる前に別世界へと放出されることもある。でも、アヴィスに浸食された魂はその者を禍女へと変貌させてしまうんだ」

「禍女……」


 やはり私の考えていた通りだった。

 そういう理由から、レイドリックは私を即座に殺すべきだと主張したのだ。


 それにしても、と私は考えた。

 アスヴァレンの口振りからして、現状では呪いを解く方法はないのだろう。

 せめてでもその進行を遅らせるために、フィリス・リュネが必要だ。

 にも関わらず、陛下はそれを私に使う気でいる……。


「薬で進行を抑えても、エルはずっと苦しんで来たんだよ」


 アスヴァレンは、まるでその原因が私にあるかのような口調で言った。

 本来なら責められる謂われなどない筈なのに、何故だか彼の言葉は私に罪の意識のようなものを抱かせた。

 それに覆い被さるように、鮮明な景色が脳裏に浮かび上がった。

 私の目の前に、見知らぬ男性がいる。

 彼は切羽詰まった表情で私に訴えかける。


(これ以上ここに留まっているのは危険だ。どこも安全な場所はない。

お腹の子を守るためにも、一度元の世界に帰るべきだ)


 私は首を横に振る。

 今はもう、置いて行けない存在がいる。

 それに、お腹の子を宿したまま深淵を渡るのは危険だ。


(わかってくれ。もう、時間がないんだ。最悪、アストルフォなら失ってもまだ産めばいいじゃないか。まだ見ぬその子こそ、テオセベイアとアルヴィースの……)


 その時、耳をつんざくような轟音が響いた。

 我へと返った私は、何度か目を瞬かせた。

 相変わらず寝台にいて、少し離れた場所にいるアスヴァレンをぼんやりと眺めている。


 ……今のようなものを見るのは初めでではない。

 私にとっては、妙なものが視えたり意識が身体から抜け出したりするのと同じぐらい身近な出来事だった。

 睡魔に襲われてウトウトした時に見る、一瞬の夢にも似た鮮明な幻影。

 自分の記憶にはない光景、そう、まるで他人の記憶を覗き見しているかのような。


 不意に、母の笑顔と言葉が脳裏に蘇った。

 これは見知らぬ光景ではなく、紛れもない私の記憶の中にあるものだ。

 同時に、先ほどの幻影は母の記憶なのだと確信した。


 私には兄がいる。

 母からそう教えてもらった時、幼い私はとても喜んで、だからまだ見ぬ「お兄ちゃん」の名前を母に尋ねたのは自然なことだった。

 母からその名前を聞いて、私はきょとんと首を傾げた。

 まだ見ぬ兄の名は、馴染みの薄い響きだった。

 そんな名前は自分の周りで聞いたことがなくて、何だか不思議に思えた。

 外国の人みたい、そう言った私に母は微笑みかけた。

 何でも、父と母とでで話し合って、第一子には父の生まれ故郷の名前を、第二子には母の生まれ故郷の名前を付けることにしたのだとか。


 そして、兄の名前は……。


「アストルフォ……兄様」


 半ば無意識に漏らした呟きに、アスヴァレンは視線だけを持ち上げた。

 驚いている様子はない。


「兄様なのですか?」


 ぽり、と小気味良い音が響いた。

 見れば、アスヴァレンはポッキーを数本束ねたぐらいの細長い棒状のクッキーを囓っている。


「ミオコ=スメラギから生まれたのは間違いないね」


 皇美桜子。

 そう、私の母の名だ。

 じゃあ、この男が……。


「会えて嬉しいよ、僕のかわいい妹」


 もぐもぐとお菓子を頬張りながら、親愛なる兄上はそう言った。

 それはそれは、無感動な声音で


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