40話「自分のことだけを心配していればいい」
身体は疲れているけれど、一度目が覚めてしまうとすぐには寝付けそうにない。
ましてや、自分の与り知らないところでこれだけのことが起きているとなれば、尚のことである。
状況を知りたいというこちらの訴えに、陛下は私の容態を案じて渋る様子を見せたものの、「美夜には知っておく権利がある」と言って話してくれた。
寝台へと戻された私は、彼の話にじっと耳を傾ける。
先ず、遠征に行っていた陛下があの場にいた理由は、他の者より一足先に帰還したから。
陛下は王城にいる私のことを気にかけていた。
そんな彼の心情を汲んだ臣下が、主要な任務は既に片付いていたこともあって、後処理は自分たちに任せて先に帰還してはどうかと打診したらしい。
そして大急ぎで帰還したところ、あの状況に出くわした……というわけだ。
このことを聞いた時、私は胸を打たれる思いだった。
感動した、といっても過言ではない。
ずっとずっと、誰も頼れない、救いの手なんか差し伸べられない、そう思っていた。
私は綺麗で頭もいいから平気、そう自分に言い聞かせ続けていたけれど、美貌に恵まれているから平気というわけでもないのだ。
陛下は遠く離れた地からでも、すぐに駆け付けてくれた。
有り体に言えば、私はそれがとても嬉しかった。
正直、彼とクラヴィス=クレイスの関係については、まだ自分の気持ちに折り合いを付けられたわけじゃない。
二人の間に生まれたアトルシャン王子のことも、すぐには受け入れられないだろう。
それでも、やはり陛下にとって私は特別な存在なのだと確信した。
羽化登仙、とは今の私の感情そのものではないだろうか。
手足を失っても、どこまでも飛んでいける気がする。
いや、確かに手足のことは目下最大級の問題なのだけど。
そして、サヤカが現れた日から既に一週間近く経過していると知った。
その間に適切な処理を施してもらったお陰で、四肢の内の二本を失ったにも関わらず、容態は概ね安定しているみたい。
サヤカに、正確にはサヤカから分離したあの化け物によって、私の右足と左腕は著しく損傷させられていた。
回復の見込みなしと判断した宮廷医師は、壊死が始まる前に切断すべきだと言った。
陛下はそれをすぐに承諾したわけじゃないものの、私の命を長らえるためにはそうするしかなかったこともあり、最終的には許可を下した。
「……なるほど。事情はわかりました」
聞き終えた私は頷き、それから二人を交互に見てた後、陛下に向き直った。
「色々とご迷惑をおかけてしたようで、申し訳ありませんでした」
私の言葉に、アスヴァレンは怪訝な表情を浮かべる。
慌てて「ありがとうございました」と言っても、その表情のままだ。
「あの?」
「なんでそんなに無反応なんだい?」
「え?」
「普通はもっと取り乱すんじゃないかい?」
「それは、その。はぁ、そうですね」
「や、そうですねって君ねー……あー、まぁいいや」
彼は頭をがしがしと掻きながら、嘆息混じりに言った。
私とて、ショックがないわけではない。
いや、むしろショックが大きすぎてまだ実感が沸きにくいというのもある。
怪我の程度に反して、痛みを感じないから尚のこと。
それに。
ちらり、と横目で陛下を伺った。彼は沈痛な面持ちで目を伏せている。
そんな顔をしないで欲しい、と強く思った。
彼が気に病むことなど何もないのだから。
ずっとずっと、私は誰も頼りにできないまま生きて来た。
家庭内で精神的な虐待を受けていることを学校の先生や児童相談所の役員に訴えても、反抗期の子供の被害妄想のように捉えられた。
伯父も倫香も口が上手くて外面がいい上に、身寄りのない姪を引き取って育てているという時点で世間からの評価は甘くなる。
学校帰りに知らない男に付け回されたり、電車内で痴漢に遭ったことを周りの大人に言っても、自意識過剰だとうんざりさせるだけだった。
でも、陛下は違った。私に手を差し伸べ、悪意や危険から守ってくれた。
知り合って間もないけれど、彼にとってはんなことは関係ないのだろう。
陛下からすれば当たり前のことでも、私にはとても大きな意味のあることだ。
それこそ、手足を失ったこと以上に。
「陛下」
沈痛な面持ちの彼に呼び掛けると、僅かに視線だけを持ち上げた。
とくん、と心臓が鼓動を打つ。
こういう気持ちを素直に表現することにはあまり慣れない……というよりも初めてのことだけど、言っておかなければいけないと思った。
彼にこんな顔をさせたくない、気に病んで欲しくない、その一心で言葉を紡ぐ。
「あの、改めて、助けていただきありがとうございました。ご自身を危険に晒してまで……」
「いや」
彼は短く言って、首を左右に振る。
「俺はブラギルフィアの騎士だ」
「騎士、ですか」
騎士。
それは、知識としてはもちろん知っているけれど、あまり馴染みのない言葉だ。
反芻する私に、陛下は頷いた。
「騎士たるもの、民の命を守るのは当然の役目だ。そこに理由など必要ない」
返って来た言葉はごく単純で、それ故にはっとさせられた。
同時に、ちくりと胸が痛む。
「ですが、私はこの地の住人ではありません。それでも守る対象になるのですか?
貴方の国民と私を天秤にかけることがあれば、私を切り捨てるべきでしょう」
一度は反省したのに、またしても鬱陶しい絡み方をしていることを自覚しながらも、どうしても口に出さずにはいられなかった。
暫くの間、陛下は何も言わず、室内に沈黙が落ちる。
その沈黙を破ったのは陛下だった。
彼は目を伏せたまま、独白のように呟く。
「いや、それだけは絶対にできない」
きっぱりと断言され、私は目を瞬かせる。
金色の双眸を覗き込むけれど、そこに戯れの色は見られない。
陛下が、吐息に忍ばせるように「美夜は……」と呟いた。
私は口を噤んだまま、続く言葉をじっと待つ。
けれども、いつまで経ってもそれが紡がれることはなかった。
「美夜」
「は、はい」
陛下に呼ばれ、やや上擦った声で返事をした。
「さっきも言ったが、貴女の身体は元通りにする。それも、なるべく早い内に。だからもう少しの間……そうだな、あと一週間ほど待ってもらえないだろうか」
「元通りに……えっと、それは、その。新たに手足が生えてくる、ということでしょうか?」
「まぁね」
私に疑問に答えたのはアスヴァレンだ。
彼は不承不承という気持ちを隠そうともせず、肩を竦めた。
「前に君が手を怪我した時に、フィリス・リュネって特別な植物を原料にした薬で治療した。短時間で跡形もなく消えたろ? その時と同じ薬……いや、更に純度の高いものを使って、エーテル構造式を修復するんだよ。もちろん、それだけじゃ不十分だけど」
「いかにも。エーテル構造式に付随する肉体の治療は、治癒師が行う」
エーテル……治癒師……私は今聞いたばかりの言葉を、頭の中で反芻する。
要するに、この世界の技術を持ってすれば失った手足の再生もできるけれど、それには相応の準備が必要になるということか。
以前、幽体離脱中に見た過去の二人の会話内容を思い出しながら、陛下の左腕を見た。
そこには、依然として黒い靄が纏わり付いている。
あの時の会話内容を総合すると、そのフィリス・リュネという花が鍵になるみたい。
フィリス・リュネ、つまり神花は有限で、陛下自身もそれを必要としているにも関わらず私に使おうというのだろうか。
「とてもありがたいことですけれど。……その治療を、私が受けてもよろしいのですか? 他に優先するべき対象は……」
「いや、何も問題はない」
私が口籠もったところで、陛下はきっぱりと言い切った。
「美夜は自分のことだけを心配していればいい」
優しい言葉ではあるけれど、何だか突き放されたようにも感じる。
それから陛下は、より一層沈痛な面持ちで私を見つめた。
「こんなことに巻き込んでしまって、本当に申し訳ない。起きてしまったことをなかったことにはできないが、せめて俺にできることをさせてくれ」
釈然としないものを感じながらも、そう言われるとどう反論して良いかわからなくて、曖昧に頷いた。
それでも、そう易々とは引き下がれない。
「陛下、この中庭に空間の綻びが見られました。サヤカ……いえ、あの怪物はそこを通って現れました」
それを聞いた陛下は唇を引き結び、沈黙を落とした。数拍置いてから口を開く。
「……そうか。美夜の友人だったのだな」
「えっ? いえ、全然違います。えっと、彼女のことは別にいいのですが、綻びは私が修復しておきました」
サヤカに関しては、少しばかり気の毒に思わないでもない。
けれど、そのことで陛下に引け目など感じて欲しくない。
慌ててそう主張すると、陛下は特に驚くでもなく、「そうか」と表情を和らげた。
「ありがとう。一度開いてしまった綻びからは、無数の禍女が現れる。美夜の働きで多くの命が救われた。ブラギルフィアの王として礼を言おう」
「いえ、そんんなことは別に……」
何とも名状し難いもどかしさ、それに苛立ちを感じた。別に私は、ただ感謝されたいわけではないのだ。
「ですから、私はきっと今後もお役に立てると思うのです」
「いや、それには及ばない」
陛下はきっぱりと言い放った。
「美夜の手を煩わせて……この国の事情に巻き込んでしまったことを、心から申し訳なく思う。また不自由な思いをさせてしまうが、どうか今は治療に専念して欲しい」
「陛下、私は……」
「今度こそ、本当に休んだほうがいい。……アスヴァレン、俺たちは退室するとしよう」
「うん」
陛下に促され、アスヴァレンは素直に従った。
陛下は明らかに私との間に壁を作っている、そう確信した私は愕然とした。
穏やかな物言いだけど、これ以上は踏み込ませないという強い意思を感じる。
呆然としながら横目でアスヴァレンを伺うと、彼は完全な無表情で私を見つめていた。
私と目が合った時、その金色の双眸に鋭さが宿ったように見えたのは、私の錯覚じゃない筈だ。




