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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第三章
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39話「得たもの失ったもの」

 人が出入りする気配と、それに伴う複数人の足音がする。

 誰かと誰かが言葉を交わしているようだけど、何と言っているかまでは聞こえない。


 目を開けたくても、瞼が重たくて持ち上げられそうにない。

 覚醒しているような、していないような、そんな夢現の中で私は夢を見ていた。

 夢というより、幼い頃の回想と呼ぶべきだろうか。


 幼くして母と祖父母を亡くした私は、母の兄にあたる伯父夫婦に引き取られた。

 けれども、数年経ってもなかなかその家に馴染めずにいた。

 当時、まだ子供だった私にはその理由がわからなかったものの、ある日決定的なことが起きた。


 あれは確か、私が十になったばかりの頃のことだ。

 ある日、私は双子の従妹たちと共に伯父に連れられて、テーマパークに遊びに行った。

 昼食にしようということになり、何とか確保できた席に私が残り、他三人が食べ物を買いに行った時にそれは起きた。

 私が一人で席に残っている間、あまり上品でない親子連れがやって来て「ここ空いてんじゃない?」などと話しながらその席に座ったのだ。

 もちろん、私に尋ねもせずに。


 人を見た目で判断してはいけないとは言うものの、顔中にピアスを装着し、全身にタトゥーを入れ、大声で下品なことを話すその一家は、幼い私の目に「怖い人たち」として映った。

 情けない話ではあるけれど、当時の私は恐怖と困惑でどうして良いかわからず、ただオロオロするばかりだった。

 戻って来た伯父が「美夜?」と呼んでくれた時の安堵感は、今でも覚えている。

 ……そして、その後に待ち受ける絶望感も決して忘れはしない。


 心底ほっとした私は、伯父の側へと駆け寄り、自分の存在を無視してあの一家が席を占拠したことを伝えた。

 今思えば滑稽なことこの上ないけれど、この時の私は伯父をヒーローか何かみたいに勘違いしていたのだと思う。

 伯父なら何とかしてくれる、そう思い込んでいた。

 ところが、予想に反して彼は私の腕を強く掴んで引き摺って行き、あの一家から十分離れたところで「何やってんだ」と叱り付けた。


「お養父さんがもうすぐ来るから座らないでください、ちゃんとそう説明すればいいだろうが!」

「で、でも……」


 それは、伯父が言ってくれるのだと思った。

 私に言えないことでも、大人である伯父なら代わりに伝えてくれる、そう思っていた。

 口籠る私を見下ろしながら、彼は顔を顰めて大きな溜息を付いた。


「全く、いい年して情けない。知らない人だからって、そんなことぐらい言えなくてどうするんだ」

「いい年して情けない」

「情けない」


 伯父の背後から顔を覗かせた双子が、にやにやしながら自分の父親の言葉を真似てみせる。

 呆然と佇む私を、伯父は更に責め立てた。


「母さんたちがいきなり死んで、俺は大変なんだぞ? お前だけが頼りなのに、そんなことでどうするんだ。お前、そんなことで社会に出てからやって行けると思ってるのか? 早く俺を楽させてくれ、そうでないとお前を引き取った意味がない」

「引き取った意味がない」

「意味がない」


 この時、伯父の言葉を完全には理解できなかった。

 それでも、まだ子供に過ぎない私に対して無理難題を吹っ掛けられているということ、そして引き取られてから常々感じていた違和感は気のせいじゃなかったということは理解できた。


 でも、それがどんなに不当なことだとしても、私に抗う術はない。

 ショックのあまり頭の中が真っ白になり、何も考えられなくて、何一つ反論することもできなかった。


「ああ、もう、どうするんだ。見ろ、どこにも空いてる席がないぞ。お前、責任取れるのか?」

「せ……」

「責任だ、責任。自分がしたことの責任も取れないのか?」


 責任、と反芻しようとしたけれども、言葉として発することができなかった。

 その概念が理解できない私は、ただ弱々しく首を左右に振るだけだった。


 伯父はこれ見よがしに嘆息すると、「貸せ」と言って双子の手から買って来たばかりの食べ物を奪った。

 そしてそれを、躊躇なくゴミ箱に捨てた。


「えぇー!」

「あーっ!」


 双子が同時に不満の声を上げた。


「疲れた。もう帰るぞ」

「えぇっ? なんで?」

「やだやだやだ! もっと遊びたい!」

「お腹空いた! ご飯食べたい!」

「帰りたくないよー!」

「そんなこと言ったって、座る場所ないだろ。せっかく見つけた席は、美夜のせいであんな訳わからん連中に横取りされたし」

「なんでー!」

「知らん! 文句は俺じゃなくて美夜に言え」


 そう言って伯父は、乱暴な足取りで駐車場に向かって歩き出した。


 この頃から、いや、おそらくはもっと昔からだろうけど、伯父はこういう人だった。

 気さくでコミュニケーション能力も高いために誰とでもすぐに打ち解けられるけれど、その一方でとても気分屋だ。

 リセット癖があり、少しでも気に入らないとすぐに人間関係をリセットしたがる。

 更に、外面が良い代わり、身内に対しては辛辣でもある。


 帰りの車の中ではもちろん、それから数日間に渡り、私は双子からねちねちと責められ続けた。

 私は一切反論しなかった、というよりできなかった。

 そんなことをすれば、余計に自分の立場を不味くするだけだと本能的に理解していたからだ。


 理不尽だけど、私は伯父夫婦の家庭内にて最底辺という位置付けだ。

 奴隷制度がある社会において、主人が奴隷を殴っても罪にはならないけれど、その逆は絶対に許されない。

 私が置かれている状況というのは、つまりそういうことだ。

 そして、実の親ではないとは言え、伯父は私の保護者である。本来なら無条件で守り、愛してくれる筈の保護者でさえ、全く頼りにできない。

 即ち、私は完全に独りぼっちなのだと思い知った。


 その残酷な事実は、幼い私を完膚なきまでに打ちのめし、絶望の淵へと突き落とした。

 それでも、ずっと打ちのめされたままでいる私ではない。

 だって、私は綺麗で頭もいいのだ。

 常人にはない能力まで備わった特別な存在だ。

 そう自覚した時から、私は理不尽を受け入れた。

 もちろん、屈したのではない。


 いずれは反撃に出るけれど、今はその時ではないというだけのこと。

 伯父を初めとした凡人たちは、麒麟児である私に潜在的な恐れと劣等感を抱いているからこそ、理不尽に責め立てるのだ。

 いずれ立派な麒麟に成長した後、容赦なき反撃に出て全てを奪ってやる。

 そう思えば、どんな苦難も理不尽も全く気にならなくなった。


 ……否、そう思い込もうとしていた。

 でも、本当は自分は平気だと思い込むことで辛うじて自我を保っていたに過ぎなかった。

 差し伸ばされた手の温もりを思い出したことで、やっと気付けた。


 私は長い間ずっと、優しさや温もりを欲していたのだ……と。





「ん……」


 暗く冷たい水底から浮かび上がるように、ゆっくりと意識が覚醒する。

 いつしか周りが静かになっていることに気付いた私は、無意識の内に目を開いていた。

 どうやら、自分に宛がわれた部屋の寝台に寝かされているみたい。

 寝具の心地良い柔らかさを感じながら、けれども身体は鉛にでもなったかのように酷く重たい。


「美夜?」


 静かな、そして慕わしさを感じる声が聞こえた。

 首から上は辛うじて動かせるから、反射的にそちらを振り返る。


 声の主、つまり陛下の姿は予想以上に近い場所にあった。

 そのことに驚くと同時に、自分が彼の手を握り締めていることに気付いた。

 途端に気恥ずかしさと決まり悪さが込み上げて来て、さり気なくその手を離す。

 口を開き掛け、けれども何の言葉も構築できないまま再び閉ざす。


 陛下の手がそっと私の額に触れる。

 心臓が早鐘を打つのを感じながら、そのことに気付かれませんようにと内心で祈った。


「熱は下がったようだ。美夜、痛みはどうだ? 気分が悪いとか、そういうことはないか?」


 安堵感を含んだ嘆息の後、陛下は私にそう尋ねた。

 その言葉を脳裏で反芻しながら、自分の身体へと意識を向ける。

 痛みは、特に感じない。

 倦怠感はあるけれど、気分もそれほど悪くはない。

 このまま安静にしていれば快復するのではないか、そんな思いを込めて首を左右に振った。


 私を見つめる陛下の顔に、複雑な表情が浮かぶ。

 あの時と同じ、安堵と苦悩が入り交じったような表情だ。

 どうしてそんな顔をするのだろう。

 不思議に思って彼の顔を見返していると、少し離れた場所にアスヴァレンがいるのが見えた。

 彼はいつになく気難しい面持ちで、私たちのことを見るともなく眺めている。


 ……何だろう?

 何だか雰囲気がおかしい、気がする。


 そんな私に、陛下は柔らかな笑みを向けた。


「今はまだ休みなさい。この後のことについては……美夜の容態を見ながら、また改めて話そう」

「こ……」


 この後のこと?

 そんな疑問が浮かんだけれど、上手く言葉を発することができない。

 確かに、この短いやり取りだけでも随分と疲れた。

 再び瞼が重くなるのを感じる。


 寝台の側に置いた椅子から立ち上がった陛下は、一度立ち上がってから身を屈め、私の額へと口付けを落とした。

 くすぐったいような、けれども嫌だとは全く感じない。

 心地良い気持ちのまま、私はそっと目を閉じた。

 陛下とアスヴァレンが退室する気配を感じながら、私の意識は再び眠りへ落ちる……筈だった。


 思わず目を開いたのは、閉じた瞼を通して何かが揺らめくのを見た気がしたから。

 私は「それ」を目にした瞬間、一気に眠気が吹き飛んだ。

 陛下の左腕に纏わり付く黒い靄、それは相変わらずそこに存在している。

 否、最後に見た時よりも濃度を増し、左腕全体を包み込むほどに広がっている。


「陛下……!」


 私の声は掠れていたけど、それでも今度こそ声として発することができた。

 驚いた様子で振り返った陛下は、寝台から起き上がろうとする私を見て、大きく目を開いた。


「美夜!」


 きっと私を留めようとしたのだと思う。でも、間に合わなかった。


「……あっ!」


 床に足を着こうとするも、身体のバランスを大きく崩してしまう。

 床に手を着くことも叶わず、まともに身体を打ち付けた。


「いた……」

「美夜、大丈夫か?」

「はい。あの、陛下、私、私は……」


 言いたいこと、聞きたいことが多くある筈なのに、上手く言葉を紡ぐことができない。

 そんな私の混乱を、陛下は別の理由に起因するものだと思ったのだろう。

 私を見つめるその顔に、苦悶の色が浮かぶ。

 彼は私の頭をそっと抱き寄せた。


「美夜……こんなことになって、すまない。貴女の身体は、必ず元通りにする。そして、無事に元の世界に帰れるよう約束しよう」


 私は何も言うことができなかった。

 元の世界、と聞いてもすぐにはぴんとこない。


 陛下はすぐに私から身体を離し、一言断りを入れてから慎重に抱き上げる。

 前にそうした時よりも、バランスを取ることに苦労するのも無理からぬ話だ。


 私の右足と左腕は、それぞれ膝・肘から先がなくなっていた。

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