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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第二章
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37話「成功、そして窮地」

「……鈴木、さん?」


 念のためサヤカに呼び掛けてみたけれど、やはり彼女は何の反応も示さない。

 茫漠とした視線を虚空に向けながら、その目には何も映っていないように見える。

 彼女の口から嘔吐きにも似た音が零れ、思わず身構えた。

 また、あの奇怪な生き物が飛び出すのではと心配したけれど、今度は何事もなかった。


 それにしても、サヤカの身にいったい何が起きているのだろう。

 どう見ても尋常ではない様子だ。

 なるべく早くこの場を離れて、アスヴァレンにでも伝えるべきだ。

 そう判断して踵を返しかけたけれど、私はその足を止めた。


 先ほど、サヤカが出て来た綻び……いや、穴がぽっかりと空いたままだ。

 よくわからないけれど、あれを放置するのは良くないような、そんな気がする。

 私は、サヤカと、そして彼女が吐き出したあの生き物に視線を向ける。

 サヤカは立ち竦んだままで、生き物のほうはもう殆ど動かない。どちらも害はない、筈だ。


 穴に向き合ったものの、さて、どうしたものか。

 閉じるべきだろうけれど、どうすればそんなことができるのか。

 結論から言うと、悩む必要はなかった。

 本能や直感というより、忘れていたことを思い出す感覚に近いだろうか。

 初めの内はおっかなびっくり、「糸」を紡ぎ出していく。

 この糸は、謂わば私自身が持つ生命力を変形させたものだ。


 あまり裁縫は得意ではないけれど、それこそ布の解れを手直しする時のような感覚でいいのだろうか。

 ところが、実際にやってみると思ったよりも難しい。

 糸を空間に織り込んで修復するのだけど、上手く定着させられない。

 滑るというか、空間の裂け目に引っ掛かってくれないのだ。

 そうこうしている内に、焦りばかりが募っていく。

 このまま放置して、まずはアスヴァレンに知らせに行くべきだろうか。

 でも……。


 その時、何かが肩に触れた気がした。

 気のせいか、あるいは風が吹いただけかと思うほど、本当にささやかな感触だった。

 気のせいなどではないと確信したのは、耳元で囁く声が聞こえたから。


『――――……』

「え……?」


 消え入りそうな小さな声だった。

 私が聞き返した時には、もう気配は完全に消えていた。

 今のはいったい……?

 いや、それよりもまず片付けなければならないことがある。

 私は再び虚空に穿たれた穴へと向き直り、糸を紡いで修復に取り掛かる。

 今度は先よりも上手くできる。ぎこちない手付きではあったけれど、ゆっくりと、そして確実に空間を繕っていく。


 あの声の主のお陰ということになるのだろうか。

 先ほどの声が告げたのは、「大丈夫、貴女ならできるから」というごく短い言葉だった。

 けれど、その言葉には不思議な力が宿っていたのだと思う。

 言葉と共に、彼女……声の主の経験や記憶の一部が流れ込んで来たのだ。

 声のトーンや雰囲気からして、女性だと思った。

 彼女はきっと、嘗てこうして空間の綻びを修復する番人の役目を担っていたのだろう。

 そして、その正体について、何となくだけど察しが付いている。


 まだあまり長い糸を紡げないため、途中で糸が途切れてしまった。

 再び糸を紡ぎ出すも、これもまた非常に疲れる行為だ。

 何しろこの糸は、私の生命力そのものなのだから。


 随分と時間はかかったけれど、何とか修復を完了させることができた。

 私が修復した部分は、不格好なつぎはぎみたいではっきり言って周りから浮いている。

 思わず閉口したものの、見る見る内に私が紡いだ糸は空間そのものに溶け込み、自然な状態となった。


 綻びなど最初から存在しなかったかのように、景色が広がるばかりだ。


「できた……の?」


 私は呆然と呟き、その場に座り込んだ。

 緊張が解けたから、というだけではない。

 もちろんそれもあるけれど、立っていられないほどに身体が重い。

 気が付けば、まるで三日連続で徹夜したみたいに疲労困憊状態だ。


 アスヴァレンに知らせに行かなくては、そう思うのに身体が動いてくれない。

 そろそろ侍女が私の様子を見に来る時間だし、このまま少し休みたい。

 そう思って身体を横たえたその時、サヤカが甲高い声を上げた。


「ア、ア、ア、アァァァオォー!!」


 獣の雄叫び、怪鳥の嘶き、あるいはそのいずれとも異なる奇声が大気を震わせる。

 同時に、サヤカの口から無数の飛礫のようなものが吐き出され、空中へと勢い良く放たれた。


 休んでいる場合ではない、今すぐ逃げなければ、そう悟った私は意思の力を総動員させて身体を起こす。

 途端、激しい頭痛と眩暈に見舞われたけれど、それでも何とか部屋に向かって駆け出す。

 ばらばらと、激しい雨が打ち付けるような音が響いた。

 サヤカが吐き出した飛礫が、重力に従って地面に降り注いだらしい。


「あっ!」

唐突にふくらはぎの辺りに鋭い痛みが走り、堪らず声を上げてしまった。

 その拍子に足を縺れさせて、地面へと転倒する。

 転んだ時に打ち付けたのか、膝や掌がじんじんと痛む。


 ふくらはぎへの痛みはまだ収まらない。

 それもその筈だ。

 視線を向けると、何かが私のふくらはぎに噛み付いているのが見えた。

 あの猿とも蝿ともつかぬ生き物が、私の肌に鋭い牙を突き立てている。


「何、これ……っ」


 痛みに顔を歪めながら、もう片方の足を動かして「それ」を蹴り付ける。

 「それ」は怒って甲高い声を上げ、今度はそちらの足に噛み付く。

 靴の上からだから大した痛みではないけれど、それでも相当な咬合力だ。


 ところが、「それ」はその一体だけではなかった。

 無数の「それ」が地面を這い、あるいは宙を舞って私へと群がってくる。

 先ほどサヤカが吐き出したものの正体は、こいつらだったのだ。


 私は信じられない光景に愕然としながら、それでもその場から逃げようとする。

 身体のあちこちに牙を突き立てられ、その度に鋭い痛みが走る。

 身体が酷く重いのは疲労によるものだけではなく、私に群がる生き物が重量を増しているからだと気付く。


 こいつらは私に噛み付いているだけではなく、この身体を食べているのだ。

 そのことに気付いた瞬間、ぞっとするような絶望感が私を襲った。

 私は地面に這いつくばったまま、前進しているのか動けずにいるのかさえももうわからない。


「グォォォオオオオオ……!」


 大地を揺るがすような咆哮が轟いた。

 荒々しい足音を地面に響かせ、何者かが私へと迫って来る。

 首だけはまだ何とか動かせた私は、思わず肩越しに振り返った。


 最早驚くことなど何もないと思えたけれど、その怪物を見た瞬間、吃驚のあまり言葉を失った。

 全体のシルエットは人間のそれに似ているけれど、身体のあちこちが隆起し、手足が歪な形に捻じ曲がっている。

 下半身に対して上半身が不自然に大きく、肩から二の腕にかけての筋肉が異常に発達し、そこから伸びた腕はやけに長い。

 何より目を奪われたのは、その顔だ。

 目は落ち窪み、生気が全く感じられない顔付きにも関わらず、そこには確かに鈴木サヤカの面影があった。


 まさか、この怪物の正体は……。


「ウゥォオオオオオオ!」


 怪物の咆哮が私の思考を切り裂く。

 長い腕を振り上げ、私へと肉薄する。

 怪物は私の足を無造作に掴み、易々と空中へと持ち上げる。

 背丈は私とそう変わらないのに、何という力だろう。


 逆さ吊りにされた私は、何とか抵抗を試みようともう片方の足を振るおうとしたけど、上手くいかなかった。

 怪物が口の端を吊り上げ、笑みらしき表情を浮かべる。

 それからもう片方の足の付け根に手を掛けた。


 まさか折る気か、と思ったけれどすぐにそれが誤りだと気付いた。

 もぎ取る気なのだ。

 そう気付いた瞬間、さすがの私も恐怖と絶望に凍り付いた。

 身を捩り、逃れようとする私に構うことなく、怪物はその手に力を入れた。

 次に訪れるだろう痛みと衝撃に身を竦めたその時、私を縛する手が緩んだ。


(……え?)


 私の身体は、そのまま重力に従って地面に落下する筈だった。

 けれども衝撃が訪れることはなく、気付けば力強い腕の中にいた。


 あの怪物……変わり果てたサヤカの魔手から救い出され、誰かに抱き上げられている。

 茫漠とした思考の中で、それだけは理解できた。

 顔を上げた私は、限界まで目を大きく開き、信じられない思いで彼の顔を見つめる。


 まさか、そんな……いったいどうして。


「陛下……!」


 そう呼んだ声は掠れていた。

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