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獅子王陛下の幼妻  作者: 小鳥遊彩
第二章
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30話「異母妹と初の対面」

「陛下が未だにお妃様をお迎えになれないのも、私のせいなのです。恐れ多くも、私は再三に渡り、民や臣下を安心させるためにも然るべきお方を妻としてお迎えするべきだと進言いたしました。ですが、私の身体が弱いことを理由に渋っておられるのです。あの方の本心をわかっていながら、それでも私はお応えすることができない。するわけにはいかないのです……!」


 語るだけ語って、クラヴィスは顔を覆ってしまう。


 心が千々に乱れたままの私も、何一つ言うことができず、部屋に沈黙が落ちた。

 茫然自失状態になりながら、痛ましい表情で項垂れるクラヴィスを見るともなく見つめる。


 この女が、陛下の初恋の相手?

 でも、陛下は確かに私を長く想い続けてきたと言った。

 彼はもうずっと私に会いたいと思って生きてきたのだ。


 その時、クラヴィスの隣に座らせてある人形を視界の端に捉えた。

 瞬間、私はあることに気付き、はっと顔を上げた。

 途端に千々に乱れていた思考が明瞭になっていく。


「アトロポス様は、陛下がいくつの時にお生まれになったのですか?」

「え? ええっと……そう、そうよね。陛下とアトロポスとは九つ差です」


 クラヴィスは人形に向かって何事か話しかけ、何度か相槌を打ってからそう答えた。

 九つ差、と私は口の中で反芻する。


「クラヴィス様は十四歳で身籠もられ、そして陛下とクラヴィス様は四つ差なのですね」

「ええ、そうですが」


 私の質問の意図がわからないのか、彼女は不思議そうに首を傾げている。


(やっぱりね)


 確証を得た私は、胸中でそう呟いた。


 誤差程度の些細なものではあるけれど、クラヴィスの言葉には明らかに矛盾がある。

 クラヴィスは十四の時に身籠もったとのことだけど、妊娠発覚して即座に子供が生まれるわけではなく、一年近くかかる。

 ならば、彼女が十四で身籠もったという話が事実だとしても、出産時には十五歳になっていた筈だ。

 陛下とクラヴィスとの年齢差が四つで、異母妹とは九つ差というのは、計算が合わない。


 そもそも、陛下が十歳になった時に彼の父親の子供を妊娠したなら、兄妹が九つ差というのは明らかにおかしい。

 マティルダはアトロポスのことを十六歳だと言った。

 これはおそらく「生きていれば」という仮定を前提にしている筈だけど、二十二歳の陛下との年齢差はもう少し小さい。


 重要となってくるのは、正確な数字でも整合性でもなく、クラヴィスが全く何の疑問も抱いていないという点だ。


 早い話が、この女は完全に頭がおかしくなっているということだ。

 考えてみれば、人形を死んだ娘だと思い込んでいる時点で明白なことではないか。

 だからこそ、微妙な誤差や矛盾など気にも留めない。


 先王の子を身籠もったのは事実だとしても、陛下の初恋が自分だというのは彼女の妄想に違いない。


 ……もしかしたら、陛下も年上の侍女に対して淡い憧れを抱いた時期もあったかもしれないけれど、それでも今の想い人は私の筈だ。

 でも、いいことを聞いた。

 陛下にはまだ妃がいない。即ち独身ということだ。


 何だか元気が出てきた。

 私からすれば、クラヴィス=クレイスなど恐るるに足りず。

 彼女が牽制をかけてこようと、私はものともしない。


 安堵した途端に食欲が戻って来た。スコーンにバターと蜂蜜をかけて、それを紅茶と一緒に楽しむ。

 うーん、美味しい。


「うっ……!」


 唐突にクラヴィスが小さく呻き、前屈みになって苦しみ出した。


「クラヴィス様! どうされたのですか?」


 一度食事をする手を止めて、彼女を案ずる振りをする。

 元気を取り戻したお陰で、そうするだけの余裕も出てきたというものだ。


 誰か人を呼ぶべきか、そもそもマティルダに任せておけばいいのか。

 どうしようか迷ったけれど、実際のところクラヴィスの症状はそう長く続かなかった。


 ゆっくりと顔を上げる。


「クラヴィス様、やはりもう休まれたほうがよろしいのでは……」

「何のこと?」


 全くわからない、という顔で彼女は首を傾げた。


 訝しく思いつつ彼女を観察したところ、どうにも様子がおかしい。

 上手くは言えないのだけど、何だか先ほどまでとは雰囲気が変わったとでもいうのだろうか。


 困惑する私を他所に、彼女はカップを傾けてお茶を飲む。

 仕草も、先ほどとは違って見える。

 カップを置くと、私を真っ直ぐ見つめてこう言った。


「こうして貴女とお話するのは初めてよね」

「え?」


 思わず目を瞬かせる。


 今度はいったい何を言っているの?

 それに、口調や表情まで変わっている。


「初めまして。私はアトロポス。この国の第一王女よ。そして、エレフザード王の妹よ」

「は……」


 何を言おうとしたのか自分でもわからないまま、言葉を構築できずに終わった。


 アトロポス?

 それは既に亡くなった王女の名だ。

 今度はいったい何が始まったというのだろうか。


 先ほどまで彼女が……クラヴィスが、自分の娘と呼んでいた人形へと視線を向ける。

 その視線に気付いた彼女は、小さく笑った。


「ああ、この人形が気になる? これはね、謂わば母の形見なの」

「母……」

「クラヴィス、という名よ」


 母。クラヴィス。形見。

 そえっらの単語を反芻しながら、私は自分でも意外なほど、困惑から早く立ち直っていた。


 何だかよくわからないけど、これもそういう「設定」ということか。

 何が引き金になったにせよ、今のクラヴィスはアトロポス……故人の人格になっているみたい。


「幼い頃の私は、身体が弱かった。だから、その形代としてこの人形を作ったのよ。人形が全ての災厄を引き受けてくれるようにと」


 そこまで言って、クラヴィス……いや、アトロポスは切なげに目を細めた。


「でも、厄災を引き受けてくださったのは人形ではなくお母様だったのだわ。あんなにも早くお亡くなりになってしまった」

「それは……ご愁傷様でした」

「あれからもう四年になるのね」


 なるほど、何となくわかってきた。

 クラヴィスとアトロポスは、記憶を共有しない別人格ということか。

 少なくとも、そう振る舞っている。


 クラヴィスの世界線では娘はまだ生きていて、あの人形をアトロポス本人だと思い込んでいる。

 それに対して、アトロポスの世界線ではクラヴィスは故人の扱いなのだ。


「今日、貴女を呼び出した理由はわかるかしら?」

「え? いえ、わかりかねます」


 アトロポスは一拍置いてから、「お兄様のことよ」と言った。


「陛下の」

「ええ。ねぇ、美夜はお兄様のことをどう見ているの?」

「はっ?」


 唐突な質問に、思わず裏返った声が出た。

 クラヴィスは私を牽制していたけれど、アトロポスのほうの狙いは何なのだろうか。


「好きなのよね?」

「それは、まぁ。別に嫌いではありませんけど」


 ……けど、陛下本人にも言っていないことを第三者に話す気には到底なれない。


 アトロポスは小さく肩を竦める。

 そういう仕草は、何だか本当に十代の少女のようだ。


「言いたくないなら別にいいわ。でも、これだけは言っておきたいのだけど、お兄様は貴女が思っているような方ではないわよ」


 その言い様に、僅かに眉を顰める。

 それだけでは彼女の言わんとすることがわからなくて、敢えてこちらからは何も言わず、続く言葉を待つことにした。


「お兄様は、凜々しく気高く……物語から抜け出して来たような、立派な騎士に見えるでしょう?」


 見える、とは何だか意味深な物言いだ。

 まるで実際にはそうではないかのような。


「あの人は、一見すれば非の打ち所がない名君だわ。でも、本当はね、国王という鎧がなければとても脆い人なの。異母妹が側にいてあげないと、容易く崩れてしまう。異母妹(わたし)がいなければ、あの人は王の重圧に絶対に耐えられない」

「は……?」


 この女はいったい何を言っているのだろう。

 聞いている内に、段々と腹が立って来た。


 アトロポスは目を伏せて、更に言葉を重ねる。


「お母様が亡くなられた時のお兄様は見ていられなかったわ。表向きは普段通りに王の役目を務めていらしたけれど、私の前では身も世もなく何度も泣いたわ。それだけお母様のことを大切に想っていらっしゃるのだわ。とても脆く儚く……危ういほど綺麗な心の持ち主なの。その綺麗な心を、私に……お母様の魂を映す鏡、お兄様の叶わなかった夢の抜け殻を詰めた器である私に受け止められるのか、不安だった。でも、最愛の人亡き今、お兄様には異母妹(わたし)しかいないのだもの。あの人に守られることを当然とする人たちの中で、あの人を守ってあげられるのは私だけなの」


 彼女が私に言いたいことの本質が見えて来た。

 つまり、彼女……異母妹アトロポスからすれば、私もその「陛下に守られることを当然とする人たち」の一人で、自分は特別な立ち位置にいるということを主張しているのだ。


 ふざけるな、というのが偽りなき本心である。

 確かに私は陛下との付き合いが長いわけではないけれど、それでもアトロポスの陛下に対する認識が歪んでいることぐらい理解できる。


 自分が、異母妹が側にいなければ崩れてしまうというけれど、既にこの世にいない人格(もの)が何を言うのやら。


 がたん、と大きな音が部屋に響く。

 私は卓に手を添えて立てて立ち上がっていた。


「……あのね?」


 口を突いて出た言葉は、自分の声とは思えないほど硬質な響きを持っていた。


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